三章 放課後に憧れの少女と(4)

    *


(何と言うか……メチャクチャ濃密な一日だったな……)

 完全に夜闇に包まれた道を歩きつつ、俺は胸中でつぶやいた。

 タイムリープしてきてまだ初日なのに、朝から晩までトラブルとイベントで埋め尽くされていたように感じる。

 前世の陰キャな高校時代は、何もない日々ばかりが続いていたのに……。

(いや……違うな。これはあの頃のリプレイであって環境が変わった訳じゃない。違うのは俺の中身だけなんだ)

 メンタル、経験、記憶──そんな目に見えないものだけがアップデートされただけなのに、こんなにも学校生活に変化が訪れるなんて俺自身驚いている。

 そして、特に顕著な違いと言えば、あこがれの少女とたくさんの言葉を交わせた事だろう。

(まさか初日からこんなに接点が持てるなんてな……)

 今日一日で紫条院さんが見せてくれた多くの表情が頭をよぎる。

 最も心に残るのは、やはり笑った顔だ。

 あの雲一つない快晴みたいな笑顔が未来において失われてしまわないように、これからも俺にできる事をしたいと思う。

(具体的な方法だと……やっぱりさっきみたいに理不尽との付き合い方を少しずつ助言していくことかな)

 それは非常に地味だが、正攻法かつ効果が期待できる案だった。

 何も理不尽をはねけるような強さを身につけなくてもいい。ただ、自殺するほどに思い詰めることさえ防げればいいのだ。

(そして、そのためには、俺が紫条院さんと気軽に話が出来るポジションにいる必要があるんだよな……)

 今日俺と紫条院さんは何度も談笑した。他人があの姿を見たらごく親しい仲だと勘違いするかもしれないが……悲しいかなそうではない。

 紫条院さんはマジで天然で、自分が男子にとって非常に魅力的な異性であるという自覚に乏しい。本人はすごく気さくに話しかけてくるが、それは相手を特別に思っているからではなく、子どものように分け隔てない気持ちを持っているからなのだ。

(でも、今日の事で多少の縁もできたし、迷惑にならない限り今後もあののそばにいられるように努力しよう……! 男子連中はうるさいだろうが知ったこっちゃない)

 そう決めた瞬間──胸の奥からふつふつと熱が沸き上がってきた。

(ん……?)

 火がともってそれが全体に広がっていき、全身が高揚していく。

(え、あれ……? な、何でこんなにテンションが上がっているんだ俺?)

 自分の心がわからずに、俺は少々困惑した。

 不思議な事に俺の気持ちはとても浮き立っており、熱気が胸に満ちていた。

 まあ俺にとってである紫条院さんとお近づきになれるとなれば、心が浮き立つのも当然ではあるが、それにしても浮かれすぎである。

 そして、そんなふうに自分をいぶかしんでいると──脳裏にまたもあの事が浮かんだ。

 あのオフィスで迎えた人生の最期。

 あの時頭に浮かんだ『致命的な失敗』という具体的になんなのかわからない言葉が、妙にひっかかっていた。

(何で今それが浮かんで……というか、結局あれって何なんだ? 俺は何を見落としているんだ?)

 自分でもあきれるような事で、それを自覚した事により、死の直前だった俺の心を最大級の後悔がさいなんだ事は思い出したが、その先がわからない。

 人生の最後で、俺は一体何をそんなに後悔したんだろう?

(ああもう、なんだこのモヤモヤした気分……っと、もう家の前か)

 自分自身に悩みながら夜道を歩き続け……俺はいつの間にか家へと辿たどり着いていた。

 それなりに時間がかかったはずだが、三十歳の肉体と比べて体力があり健康そのものである高校生ボディの疲労感は薄く、長い距離を歩いた実感がまるで湧かない。

(ああ、俺の家だ……。『実家』じゃなくて『俺ん』って呼んでたあの頃の……)

 今朝はタイムリープの直後で落ち着いて見る暇がなかったが、人生の半分以上を過ごした一軒家の外観を眺めるだけでも、胸にこみ上げてくるものがある。

 一人暮らしのアパートなんぞは『寝る部屋』程度にしか思えなかった俺にとって、『俺の家』と心から言えるのはこの家だけだ。

「ただいま……」

 ひどく久しぶりにそう言って玄関をくぐり、前世において新浜家の崩壊と共に取り壊された生家の中を歩く。ドアのちようつがいが微かにきしむ音も、俺が子どもの時につけてしまった壁の傷も、フローリングの床を踏みしめる感触さえ、ただただ懐かしい。

(本当に俺達家族が一緒に暮らしていた、あの家なんだな……)

 胸が締め付けられるような思いで廊下を歩き──ふとリビングに明かりが点いているのに気付く。あれ? 母さんはまだ仕事から帰ってないはずじゃ……っ!?

「お、お前…………か……?」

 俺の視線の先には、中学校の制服を着た小柄なポニーテール少女がいた。

 新浜香奈子。俺の二つ違いの妹で、俺が十六歳である『今』は十四歳のはずだ。

 兄の俺から見てもとても愛らしい容姿をしており、学校では男子から大層人気があるらしい。おまけに昔から快活で大勢友達がいるという、俺と正反対の陽気キャラだ。

「……今帰ってきたの兄貴?」

 母さんとは朗らかに話す香奈子だが、俺に対しては向ける表情も言葉も素っ気ない。

 昔はよく一緒に遊んだりと兄妹きようだい仲は良かったのだが……いつの間にか俺達の関係はこうなっていた。

 別に無視したりするわけではないが、年齢とともに会話が少なくなり、対戦ゲームで盛り上がる事も、一緒にテレビを見て笑う事もなくなった。たまに口を開いても、家庭内の用事を業務連絡のように伝えるだけだ。

 そして前世においては──この関係性は改善するどころか決定的な亀裂が入って崩壊した。母さんの葬式を最後に、俺達兄妹はほぼ他人になってしまったのだ。

「あ、いや……お前も遅かったんだな。ただいま、香奈子」

「……? おかえり……」

 香奈子が俺の様子をあからさまに訝しむ。まあ、それも当然だろう。この頃の俺って妹からさらに嫌われる事をおそれて、家の中で会っても何も言わずにすれ違っていたからな。

「ん? お前もしかしてそのカップめんが夕食なのか?」

「……は? 見ればわかるじゃん。ママの帰りが遅い日なんだから仕方ないでしょ」

 台所の戸棚から取り出したカップ麺を手に、香奈子がすげなく言う。

 そうか、そうだったな。母さんは忙しいながらも精力的に料理をしてくれる人だったが、仕事の都合で難しい場合、俺達兄妹はよくインスタント食品に頼っていた。

「お前そのカップ麺あんまり好きじゃなかったろ? 俺が何か作ってやるからちょっと待ってろ」

「へ……? え、何言ってんの……?」

 俺の言葉がさっぱり理解できないという様子で、香奈子は目をまばたかせた。

(ま、そりゃそうか。高校時代の俺がこの家で料理したことなんてなかったもんな)

 混乱する妹をしりに、俺は食材のチェックを始める。母さんは仕事帰りに食材を買ってくるつもりだったのか、あんまりめぼしいものはないが……まあ、どうとでもなる。

 メニューを決めて、エプロンを装着した俺はさっさと調理にとりかかった。

 冷凍してあったご飯を電子レンジにかけて、その間にとりにくと玉ねぎをまな板の上でカットする。

 あ、そうだ。どうせなら母さんの分も下ごしらえしとくか。

「ちょ、え、え……?」

 危なげなく包丁を使う俺を、香奈子が何が起こっているのかわからないという様子で見ている。その視線に苦笑しつつ、さらに工程を進めていく。

 時短のために玉ねぎのみじん切りをレンジでチンしてから、鶏肉といためる。

 解凍したご飯をフライパンの上でケチャップや他の調味料と交ぜ、具材を投入。完成したケチャップライスをいつたん皿に取り、卵を割り入れてバターを加えて──

 時間にして二十分程度で、オムライスが完成する。

 残念ながら俺に玉子でライスを包むほどの腕はない。なのでオムレツをライスの上に載せたタイプだが、半熟具合は抜かりないはずだ。

「ほれ、出来たぞ。いつまでも固まってないで食ってみろよ」

 俺はリビングのテーブルに二人分のオムライスをはいぜんし、俺が料理している姿に絶句して硬直したままの妹を手招きした。

 いまだにぼうぜんとしつつも、香奈子はバターの薫るトロトロ玉子の香りにかれたのか、フラフラとテーブルに着席する。

 そして、中学生の妹はオムライスを凝視しつつスプーンを持ち上げ──

「……っ!?!?」

 一口食べた瞬間、何やら衝撃を受けたように大きく目を見開いた。

 俺も味をみてみるが、想定通りの美味うまさでホッとする。この料理は独身生活を始めたばかりの頃の十八番おはこだったが、長い間作っていなかったので不安だったのだ。

「良かった。お前の口に合ったみたいだな」

 俺が声をかけると、すでに半分近く食べ進めていた香奈子はハッと我に返ったようにスプーンを止めた。そして、恥ずかしげに頬を染め、バツが悪そうに俺をじーっと見る。

「その……今まで、兄貴らしいことを全然してやれなくて悪かったな」

「え…………」

 俺の様々なものが込められた言葉に、香奈子は衝撃や戸惑いが混ざったとても複雑な表情になる。

 ああ、そうだよな。いきなり俺がこんな事を言い出したら、そんな顔にもなるよな。

 でもな香奈子。俺はこれから学校だけじゃなくて、家でも人生を取り戻していくつもりなんだ。だから、お前の事も放っておくつもりはないんだ。

「その罪滅ぼしって訳じゃないけど……これからは母さんの代わりにお前のメシを作るくらいはしてみるよ。あ、リクエストがあるなら早めに頼むな!」

「……えぇ……?」

 香奈子が知る陰キャオタク兄貴らしからぬ満面の笑みで、俺は告げる。

 そんな俺を見た香奈子は理解不能メーターが振り切れてしまったようで、もはやどう反応したら良いのかもわからない様子で、硬直したまま困惑を極めていた。

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