三章 放課後に憧れの少女と(2)

    *


「ふう、時間が過ぎるのが速かったな……」

 図書委員の仕事が終わってかぎを職員室に返し、俺は夕暮れのオレンジ色にうっすらと染まりつつある廊下を一人歩いていた。紫条院さんは「お疲れ様でした! また明日あした!」とあいさつして先に帰って行ったので、もう校舎から出ているだろう。

「二度目の青春……二度目の高校生活か……」

 朝から今まで色々あってとうの一日だったが、こうして一人になって落ち着くとアルバム写真の世界を歩いているような奇跡を実感する。

(しかし……紫条院さんは本当に素敵な子だよな。話せば話すほど気持ちが弾んでくる)

 しっかりと話ができたのは今日が初めてだけど、やっぱりあの純真な笑顔はとてもまぶしい。あの麗しさと子どものようなあどけなさのギャップは、ちょっと反則である。

 このまま彼女ともっと仲良くできたらいいな、と思う。

 俺をだと思ってくれるようになったなら、

「あれ……?」

 ふと、自分の思考に何とも言えない違和感を覚える。

 何かズレているような、何かをひどく間違えているような──

 けれどその正体がわからずに、俺は自分に対して困惑する。

 どうしたんだ? 一体俺は何を……。

「……から言ってるだろっ! 聞いてんの!?」

(!? な、なんだ? 向こうの廊下から女子の声が……)

 不意に聞こえてきた怒鳴り声に、思考が中断される。

(誰かが激しく責められて……って紫条院さん!?)

 声が聞こえた廊下の曲がり角から身を乗り出して見てみると、紫条院さんが三人の女子に詰め寄られて困惑しているのが見えた。

「え、ええと、すみません、言ってる意味がよく……」

「はっ! わからないわけないだろ! あれだけチョーシ乗っといて!」

(あいつら……ギャルのはなやまとその取り巻きたちか! いつも男にどれだけ貢がせたとか自慢してたビッチどもじゃねーか!)

 花山は別のクラスだが印象深くて名前をおぼえていた奴の一人で、カレシとカネが思考の中心な典型的なビッチ系ギャルだ。

(あいつらは自分より可愛くて男にモテる女子が大っ嫌いだったもんな……勝手に紫条院さんを敵視してイチャモンつけてるってとこか)

 おそらく教室でダベっていたところに紫条院さんが通りがかり、人目がないのをいいことにシメにかかったのだろう。

「そ、そのすいません。調子に乗っているというのはどういう所が……」

「そういうとこがチョーシ乗ってるんだよ! はっ! ブリっ子して男に毎日び売っちゃってさ! マジムカつくんだよね!」

「そーそー! ミチコの言うとおりよね! マジでチョーシ乗ってる!」

 しかし、『調子に乗ってる』って難癖つける時に便利な言葉だなあ。

 単に自分が気に入らないだけなのに、さも相手の振る舞いに問題があるようなイメージを与えるイチャモン特化言語だ。

「明日から媚び売るのやめてよね。髪も中学の校則みたいにダサく切ってメイクもナシ。オジョーサマは男から距離とって生きろってのっ!」

「え? 私は特にメイクなんてしてないですけど……」

「~~~~っ! このっ……!」

 メイクバリバリの花山はそのノーメイク発言がカンに障ったのか、紫条院さんの胸元へ手を伸ばしてつかみ上げようとする。

「おい、やめろ」

 だが見かねてその場に飛び出た俺が声をかけてそれを制し、暴力から守るために紫条院さんの前へ立つ。

「新浜君……!」

「はぁ? 誰かと思ったらこの女と同じクラスのネクラオタク? 邪魔だからすっこんでろっての!」

 スクールカースト上位の花山らしく、俺を見るなり『下』の奴が邪魔すんなと言いたげな言葉を浴びせてくる。

(いくつになってもこの手の女は苦手だったな……)

 自分の顔に自信があり、男に仕事を押しつけたり上司に愛想を振りまいて特別扱いしてもらう女子社員を、俺はそこそこ見てきた。

 そして、そういう奴らは『私は可愛いから特別!』という理屈で生きているため、自分より可愛い女性の存在を許せずにすぐイジメに走るのだ。

(うぁー……大人メンタルでもこれ系の相手は胃が痛い……。理詰めでやりこめても、すぐ自分を悲劇のヒロインに仕立てて相手のネガキャン始めるからなあ)

「今、紫条院さんに掴みかかろうとしただろ? やめろよそういうのは」

「関係ないからせろっての。なんなん? 漫画読みすぎてこの女を守ったら付き合えるとか思ったの? ふはっキモっ!」

 マジで品がない女だ。

 まあいい、こういう時の対処法は決まっている。しかも俺は未来人だからな。手札は最初っからある。

「ところで花山さんさぁ、最近駅から北の繁華街行った? 特に五丁目のホテル前あたりでよくサラリーマンと話しているのを見るんだけど」

「……っ!?」

 花山の顔色が衝撃と共にさっと青ざめる。

 そりゃそうだよな。お前は普段からそこでおっさんに援助交際を持ちかけるフリして会話を録音して写真を撮り、口止め料をせしめているもんな。

 もちろん相当にヤバい所業だ。バレたら一発で退学もありうる。

「てめ……っ! なんでお前……!」

「ちょっと知る機会があったんだよ。花山さんの小遣い稼ぎをね」

 知る機会とはもちろん未来での話だ。

 こいつは高三の時に援交脅迫がバレて退学になった上に、ニュースにもなったのだ。

 その時は学校も騒然となったから詳細もよくおぼえている。

「別にその件をどうこうする気はないけど、これ以上紫条院さんに絡むのなら俺も口が軽くなるかもな?」

「ちっ……! てめえ絶対チクるなよ! チクったら彼氏に言って殺すぞ!」

 そう言い捨てると、花山はきびすを返してさっさと去って行った。

「え、ちょ、どうしたのミチコ!?」

「ああくそ、もういいんだよそいつらはっ!」

 吐き捨てる花山に、話の中身がわかっていない取り巻きたちはげんな顔になりつつもその後を追っていく。

(いやまあ……俺が言わなくても一年後にバレて退学になることは確定してるんだけどな!)

 その未来が訪れた際、花山が死刑判決をらったように絶望することを知っている俺は、何も知らない援交詐欺女の背中をニッコニコで見送った。


    *


(はぁ疲れた……あの手の奴は問題行動が多いくせに周囲への体面は守りたがるからスキャンダルを握ると楽なんだよな)

 同僚のギャル系社員からたびたび仕事を押しつけられた時があり、それに俺が文句を言えば『新浜が仕事を押しつける!』『セクハラを受けた!』と騒いで困り果てたケースの解決法もこれだった。

 そいつが『母が病気でお休みを取りたいんですぅ!』とか言っておきながらその休みをバカンスとして過ごしたのをSNSで見つけ、そのことを俺がほのめかすとそいつは冷や汗を流し、それ以降は俺に干渉してこなくなったのだ。

「あ、あの……ありがとうございました、新浜君……」

 事の成り行きを見守っていた紫条院さんが、俺におずおずと礼を言う。

「ああいや、大したことはしてないよ。人がほとんどいないはずの校舎に女子の大声が聞こえてきたから驚いて来てみたんだけど……上手うまく収まって良かった」

「ご迷惑をおかけしてすいません……でも本当に助かりました……」

 紫条院さんの顔色はとても悪かった。

 そりゃそうだ。あんな理屈もなにもない奴らに絡まれたら気分は最悪だろう。

「……紫条院さん、迎えの車とか来る予定なのか?」

「え? いえ、父はしきりに送迎の車を勧めてくるんですけど、私はみんなと同じように登下校したかったので、いつも普通に歩いています」

「そっか。なら、ええと、その……もう遅いし、い、家まで送るよ」

 なんでもないふうを装ってはいたが、俺は汗がダラダラ流れるほどに緊張していた。

 今の俺は社畜時代を経ているおかげで、前世における高校生の時とは比べものにならないほどに強いメンタルを持っているが……悲しいかな童貞である。

 なので女子に──しかもあこがれの紫条院さんに『送るよ』などと漫画かドラマの主人公みたいな台詞せりふを言うのは、精神力と勇気をふり絞る必要があったのだ。

 けれど、そうしたいと思った。

 明らかに顔色が悪い紫条院さんを遅い時間に一人で歩かせて帰すのは、彼女を勝手に青春の宝石と位置づけて憧れた男として、どうしても許容し難い話だったのだ。

「えっ、いいんですか? ご迷惑じゃなければとってもうれしいです!」

 一緒に下校するなんて嫌だとドン引きされたら……という恐怖は、紫条院さんが花咲くような笑顔で払ってくれた。

 それはとても嬉しいのだが……昨日まで陰キャだった男子が送るとか言い出してもこの笑顔とは。マジでこの子は天使か何かか? ちょっと天然すぎて心配になる……。


 まあ、ともあれ──こうして俺と紫条院さんの下校イベントは開始した。

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