第2幕 Ladyプレイヤー1(3)
子供のころ。
鏡心菜主演のテレビドラマを見て、兄さんはそう評しました。
『他の役者の演技、
『えっと、つまり……』
『自分に何が求められてるか完璧に理解してる。客観的って言葉があるが、それこそ客からどう観えてるかすべて計算してる。すごいよ、まるで精密機械だ』
鏡さんに釘づけになる兄さんを見て、幼い私はかなり嫉妬してしまったっけ。
(けど、なぜ兄さんがほめたのか、やっとわかりましたよ)
今回の芝居はリハーサルなしのぶっつけ本番。
セリフ量を考えれば普通の役者ならセリフを噛んだり、脚本の意図からハズれた演技が出てくるものです。
そこを
(だけど……鏡さんは1ミリもハズさない)
表情、セリフの強弱と緩急、一つ一つの動作、視線の配り方……。
こちらの心でも読んだように、脚本家のイメージ通り。
たとえるなら料理人が調理をしようと冷蔵庫を開けたら、もうすでに作るはずの料理が出来あがっていた感じ。
しかも、味は極上。
(──これが、本当の鏡心菜)
天才子役と呼ばれた女優の実力……。
【その後でアタシたちはホテルの近くにある公園に行った。
寒いのに、何時間もお互いについての話をしたっけ。
そしたら夢中になってる間に夜が明けちゃってさ。
せっかくだから……見に行くことにしたんだ】
鏡さんは観客たちをぐるりと見回してから、突然上履きと靴下を脱ぎ捨てた。
そのまま数歩だけ軽やかに駆けると、
【ひゃっ、冷たいっ!】
何かが足元に当たったように、その場で小さく飛び跳ねました。
笑顔のままですが寒そうに両腕で体を抱えて震えています。さらにもう一度【わっ!】と軽やかな悲鳴を上げてはしゃぐと、
「もしかして……海?」
生徒の誰かがつぶやきました。
そう、二人が行ったのは朝日に照らされた真冬の海岸。
「裸足で波打ち際まで走って行ったのか?」
「そこに白波が押し寄せた……?」
鏡さんの演技で、観客たちが状況を理解します。
もちろん頭ではわかってます、鏡さんの足元には何もありません。
けど、軽やかなステップを踏む両足。寒そうに震える体。悲鳴を上げながらも無邪気にはしゃぐ彼女の顔を見ていると、
──パシャッ。
「………っ!?」
思わず絶句する私たち。
今、響いた気がした。
白波に染まった海岸を、鏡さんが歩く水音が。
【ううっ、さすがに寒いね……あっ、今アタシのことバカだって思ったでしょ!?
キミが悪いんだよ? キミと話してたらすごく楽しくなっちゃってさ】
鏡さんの演技が変化。
観客に語りかけるのではなく、そばにいる誰かに話しています。
【え? もう大丈夫かって? ──うん! すっごく元気になれた!
全部キミのおかげ!】
そうか、これは二人が海に行ったときの会話なのだ。
存在しない誰かに話しかける鏡さんを見て、教室中がそう理解して──。
【せっかくなら夏がよかったね。綺麗な朝日を見たら泳ぎたくなっちゃった】
『また来ればいいさ』
【うん! 絶対来よう!? そのときは……一緒に泳いでくれる?】
『もちろん!』
【えへへ、ありがと~!】
──こんなの、ありえませんっ。
私はクラスメイトたちと同じように驚愕するしかありませんでした。
「う、うそっ、会話の内容が……!」
「わかるっ。心菜の表情、仕草、言葉から……」
「海にいる柊木くんのセリフが……!」
そう。
観客からそう観えるように、鏡さんは演技をしている。
【じゃあそろそろ帰ろっか! さすがにこのままじゃ風邪引いちゃうかも……あっ! や、やっぱり待って!】
鏡さんが宙に手を伸ばして、そこには存在しない兄さんの服の袖をつかんだ。
なんて見事なパントマイム。
そして観客に視線を向け、ひどく緊張した様子で、
【──ねぇ、キミの名前を教えて? まだ聞いてなかったよね?】
(上手いっ!)
はしゃいだ叫びから声のトーンを落として絶妙な強弱を効かせた。
さらにはここしかないタイミングで語りかける対象を観客に切り替え、私たちをドキリとさせる。
あまりにも美しく計算された芝居。
【えーすけ……そう。英輔か……】
名前を教えてもらったのでしょう。
何度か確認するように兄さんの名前を呼んでから、どこまでも一生懸命に、
【────好き】
そう告げた後で、鏡さんは頬を染めて恥ずかしそうにうつむいた。
だがすぐに顔を上げ、
【アタシ、キミのことが好き! 今日出会ったばっかりだけど、好きになっちゃったの。
さっき言った通り、夏になったらここに来たい。
また二人で海が見たい。
今度は……恋人同士として。
だから、もし英輔がよければ──アタシと付き合ってくださいっ!】
沈黙。
生徒たちが鏡さんの告白を固唾を飲んで見守る中……。
【ありがとう、英輔!】
数秒の沈黙の後で、鏡さんが笑顔で叫んだ。
うれしさで瞳が潤んでいることから、観客サイドも自然と理解します。
告白は成功したのだ。
(──ああ。よかった。ハッピーエンドだ)
さっきの言葉通り、二人はまた海に来るはず。私にはその姿が想像できました。季節は夏。鏡さんはまた波打ち際まで走ってはしゃぐに決まっている。でも服装はパーティードレスじゃなくて、あでやかな水着。
潮風。
照りつける真夏の太陽。
海岸に寄せては消える白波の音色。
そのどれよりも魅力的に輝く、水着姿の鏡心菜。
「!」
瞬間、計ったようなタイミングで授業開始5分前の予鈴が鳴りました。
その音色で、教室が一気に虚構から現実へと引き戻される。
たった今見ていたものが芝居だったと思い出す。
(──さすがは元天才子役)
演技を始めてから、ジャスト5分。
「す、すっげえっ!」
ひどく興奮した様子で叫ぶ二見さん。
みなさん気づいていませんが、今の演技ができたのは兄さんがサポートをしたから。
(鏡さんも予想以上の技巧でサポートに応えて……ああ! ぜひ兄さんと一緒に私のドラマに出て欲しい!)
状況をここまで客観的に計算できて、自分の魅せ場を演出できる女優。
コネで未熟な役者をキャスティングされて
「何あれ!? 心菜ってオードリー・ヘプバーンの生まれ変わり!?」
「い、今のってお芝居……だったんですよね?」
「なんで今まで演技しなかったん!? あそこまでやれんのに……!」
「えへへ、たしかに今のは上手くできたかも! ちょっとだけ昔の自分に戻れた気がするよ。これも英輔がそばにいてくれたおかげかな」
ありがと! と鏡さんは兄さんに笑いかけます。
しかし、兄さんは少しだけ気マズそうに黙る……演技をしました。
──ああ、そうでした。自分で書いておいて、すっかり劇に熱中してしまいましたね。
芝居はまだ終わっていません。
「ただ、ごめんね、みんな。実は今の……エチュードじゃないんだ」
少し申し訳なさそうに苦笑する鏡さん。
「今のは、ホントにあったことなの。だからアタシもあそこまで上手く演じられたワケ」
「えっ!? ま、待てよ! ホントにあったって……!」
「じゃあ、心菜と柊木くんは……!」
「──うん。二人だけのヒミツだったけど……」
そこで鏡さんは兄さんを見つめます。
さびしげで、せつなさのこもった眼差しで──。
「アタシたち、ホントに付き合ってたんだ。もう別れちゃったけどね」
そう、柊木英輔のかつての恋人。
つまりは、元カノ。
それこそが私が鏡さんに用意した役どころでした。
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試し読みは以上です。
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※本ページ内の文章は制作中のものです。製品版と一部異なる場合があります。
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