第1幕 スクール・オブ・アクト(2)
♡♣♢♠
少女が鏡心菜だと名乗った後で──。
俺は廊下に膝をついていた。
物の見事に崩れ落ちていた。
「兄さん……」
背中に妹の冷ややかなプレッシャーが突き刺さる。
「案の定ショックを受けましたね」
「い、いや待て、来愛」
「やはりお嬢様な小学生がギャルになって落ちこんでいるのでは?」
違う、兄をロリコン扱いするな!
なんて思いつつも、多少のショックは受けていた。
『好きな科目は算数。好きな食べものはドーナツ。私の将来の夢は、お姉ちゃんみたいな女優さんになることです♪』
ランドセルのCMに出たここにゃんはそんな可愛らしいセリフを言って、お嬢様らしく控えめなピースサインをしていた。
それが、なぜ、ギャルに……。
「ごめんね?」
ぽんっと優しく頭の上に手を置かれる。
顔を上げると、鏡心菜が俺と目線を合わせるようにしゃがみこんでいた。
そのせいで、短めのスカートから伸びた健康的なフトモモについ目が行って……。
「もしかして子役時代のアタシのファンだった?」
「えっ……まあ」
「あはは、だったらやっぱりごめん」
「待て。何も謝ることは……」
「ううん、謝らせて? 昔のファンだった人が今のアタシと会うとガッカリしちゃうことが多いんだ」
「鏡……」
「『心菜』って呼び捨てでいいよ! アタシのファンでいてくれて、ありがと~!」
よしよしと頭をなでながら、はげましてくる心菜。
その笑顔を見て確信した。
この子はここにゃんだ。
外見は変わったが、その事実は間違いない。
失礼なのは相手の変化に勝手にショックを受けている俺なのに。
本来だったら自分の方がショックを受けてもおかしくないのに。
はげましてくれるなんて。
この子は、ここにゃんだ!
「兄さん……」
来愛のやや軽蔑したつぶやきが聞こえた。
まあ、兄が転校前日に廊下で崩れ落ちてギャルにはげまされてるんだからそんな反応をするのもわかるが……でもさ。
この状況なら、これくらいの大げさな振る舞いが最善手だろ?
転校前日に昔ファンだった女優とバッタリ。
そんなご都合主義展開を用意されてるんだからさ。
「けど、ビックリしちゃった!」
心菜は立ち上がった俺を興味深そうに見つめてきた。
「あの柊木遊月の息子がアタシのファンだったなんて!」
「そんなに驚くことか?」
「もちろん! キミのママ、ハリウッド映画にも出てる大女優だよ!?」
「まあ、そうだけどさ」
もしかしたら母さんのファンなのかもしれん。
と言っても、周りには隠してるだけで俺にとっては義母さんで、来愛も義妹なんだが。
「う~ん、柊木遊月の息子ってことは将来有望だよね?」
「あいにく俺は大根役者だぞ」
「え~、でも来愛はSランクだよ? 双子のお兄ちゃんもすごいって考えるのがフツーじゃない?」
何かを確認するみたいに、チラッと一度来愛に目を向けた後で。
心菜は「えへへ」と俺に微笑みかける。
「──ねぇ。アタシたち、付き合ってみない?」
「……は?」
付き合うって……さすがにそれは展開的に強引すぎないか?
「あっ、付き合うって言ってもフリだけどね」
「フリ?」
「ラブコメなんかでよくある展開でしょ? 互いのメリットのための恋人ごっこ」
「あー……つまり……」
「キミは柊木遊月の息子。そんな有名人と付き合ってるってウワサが広まれば、アタシの株も上がるってワケ♪」
「でも、さっき言った通り俺は……」
「大根でも心配なし! 大根もちゃんと調理すればおいしい料理になるし、アタシから見たらキミはちょー才能があるように見えるな。なんならアタシが演技を教えてあげる!」
「あんたが?」
「一応、元スター子役だしね。それに……」
ごっこ遊びで終わらないかもしれないよ? と。
キスでもするように、心菜は顔を近づけてきた。
「ラブコメならよくある展開じゃん。ごっこ遊びからホントの恋人同士になるのはさ」
鼻をくすぐる薔薇の香水の香り。
その香りに負けないくらい甘く、棘のあるイタズラっぽい表情で、
「だからいいでしょ? えーすけ♡」
ゆっくり名前を呼ばれて、心臓のリズムが一気に加速する。
人から観られることを意識した完璧なスマイル。
上目づかいでこちらを見つめてくる心菜は文句なしに可愛かった。
それこそ俺がラブコメ主人公だったらついつい取り引きに応じてしまうくらいに。
だけど──。
「お、俺は……っ!」
あいにく俺は主人公じゃない。
というわけで、あえて狼狽した演技をしておく。
(ここまで強引な展開にしたってことは心菜たちもこういうリアクションを求めてる)
気分はサーカスのピエロ。
ジャグリング中にわざと失敗してあわてふためくことで、観客を笑わせる道化師。
いや、道化師っていうより詐欺師か。
そして詐欺師なのは俺だけじゃなくて、ここにいる心菜や来愛も同じだ。
「カ──────ットォ!」
俺の推理を証明するみたいに、さっきから俺たちの後ろを歩いていた背の高い金髪イケメンが割りこんできた。
いかにも軽薄そうなスマイルに、右手にはスマホ。
「えっ、えっと、これは……」
演技を狼狽から困惑に変化させる。
すると、心菜は「……ごめんね? これが華学流の歓迎なんだ」と申し訳なさそうに苦笑い。
その言葉に驚いたフリをしつつも、心の中でやれやれとため息をつく。
さすが芸能学校。
転校生にドッキリを仕掛けるくらいは、通常運転らしい。
♡♣♢♠
「悪いな転校生。でもさ、許してくれよ。オレたちがあんなことしたのはおまえが注目されてるからでもあるんだぜ?」
学園内の小綺麗なカフェテリア。
休日のせいかやや人がまばらな食堂で、金髪で背の高い男子生徒……
二見のことは昨日HPで予習したから知っている。
アクション俳優志望で、俺たちのクラスメイト。
最近は動画配信サイトで自分のチャンネルを運営しているらしいが、どうやら俺はそのターゲットに選ばれてたっぽい。
「『ハリウッド女優の息子にラブコメドッキリ仕掛けてみた!』ってタイトルなら、まあまあ再生数稼げそうじゃね?」
「そうでもないと思うぞ」
「そうでなきゃ困る! 知名度アップとランク上昇の近道は動画配信だ!」
「流行の最先端ですからね。配信やSNSについての授業もあるくらいです」
「今はネット黄金時代! バズれば一夜で有名人だもん!」
「やっぱりここの生徒はみんな上のランクを目指してるのか?」
「アタシみたいに興味ない子もいるけどね~」
「いやいや、鏡。ドッキリに協力してくれたのはありがてえけど、上昇志向は持っておいた方がいいぜ?」
「う~ん。たしかにランクが上がれば恩恵はあるけど……」
「たとえば?」
「女にモテる!」
すがすがしいほどの即答だった。
まあ、それも間違いじゃないだろうが。
「この学園ではランクが上であればあるほど、ドラマや映画のオーディションを優先して受けられます」
二見の返答にあきれたのか、メガネをかけたままの来愛が付け足す。
「上位ランクの生徒なら最終選考に飛び入りなんて荒業も使えますね」
「げっ、マジか。他には?」
「下位ランクの生徒は役者以外の仕事もしなくてはいけません」
「機材の運搬、舞台設営、その他雑用……言わば裏方の手伝いだぜ」
「ううっ、ガチ大変なんだよね……」
「あー。鏡はEだしこき使われてるのか。やーい、劣等生~」
「二見さんはCランクなので私からしたら劣等生ですね」
「えっ!? い、いや、そうだけど……どしたの、柊木ちゃん? いつもは天使みたいに優しいのにそんなこと言うなんて」
二見はかなり驚いていた。
「ま、恩恵については七咲先生から説明があると思うよ~」
「その人が俺たちの担任か、鏡?」
「ううん、副担任……ってなんで苗字で呼んで……あっ! 大丈夫! さっきのはドッキリだったけど『心菜』って呼んで欲しいのはウソじゃないから」
「? そうなのか?」
「もちろん! その代わりアタシも『英輔』って呼ばせて?」
「えっ……」
「英輔って名前、キミに似合っててカッコイイしさ♪」
おお、さっきのフレンドリーさまではドッキリじゃなかったっぽい。
心菜はどこまでも親しげだった。
「話を戻しますね。担任と副担任は私たちのマネージャーでもあるんです」
「仕事を取ってきてくれたり、撮影場所に来てくれたりするんだぜ?」
「だからこの学園は基本一クラスの生徒の数が少ないってワケ」
「ほとんどが十数人くらいじゃねーかな」
「でないと担任と副担任だけでは管理しきれませんから」
「売れっ子の生徒には事務所から別のマネージャーが派遣されたりするけどさ!」
なるほど。
『プレイングプロダクション』
それが華杜学園を運営してる国内最大手の芸能事務所。
入学した時点で、俺たちもその事務所に所属したことになる。
だからマネジメント業務をこなす教師もいるんだろう。
「英輔も上のランクを目指した方がいいぜ」
「でも、ランクを上げるのは簡単じゃないんだろ?」
「まぁな。芸能学校はイケメンや美女ばっか。おまえって役者としてのオーラ全然ねえし、苦労しそうだ」
「あはは……まあ、そうかも」
「ドッキリにも気づけなかったしさ。大女優の息子っていうから柊木ちゃんなみの逸材が来ると思ったのによー」
「二見! 転校生に失礼すぎ! それに相手が来愛のお兄ちゃんだって忘れてない?」
「はあ? 大丈夫だろ。柊木ちゃんはこれくらいじゃ怒らな──」
「干しますよ? 業界から」
「!? すみませんでした! この通りお兄様に土下座します!」
「いや、そこまで謝らなくても。俺にオーラがないのは事実だし」
「けどこんなに怖い柊木ちゃんは初めて見るんだよ~! これじゃまるで別人だ!」
土下座をかましながら震えている二見。
──まあ、もちろん。
(撮影が行われてるのは、メガネ嫌いの来愛が小型カメラ内蔵のメガネをかけてきた時点でわかってたけどさ)
俺の反応を間近で撮影するためだろう。
その証拠に心菜も俺を誘惑する前に、一度来愛の視線……つまりはカメラの角度を確認してたしな。
(それに金髪は目立つ。校門から二見につけられてることには気づいてたよ)
おまけに昔ファンだった子役に「付き合ってみない?」なんて言われるご都合展開は、安っぽいラブコメの中だけだ。
ただ……。
「ちなみに二見さんに頼まれて今回のシナリオを書いたのは私です。そして──」
来愛は右手にした腕時計で時間を確認してから、
「まだドッキリは終わっていないのですが、気づいていましたか?」
「へ?」
どゆこと? と二見と心菜が困惑。
──ああ、やっぱり。
気づいてないんじゃないかって推理したけど、当たってたか。
「終わってないって、もう欲しい絵は撮れたぜ?」
「打ち合わせで決めた筋書きも全部やったじゃん」
「けれど、まだ見破っていない謎があるんです。兄さんはわかりますか?」
「さ、さあ。見当もつかない」
困惑する
思えばヒントはあったのだ。
①ドッキリは終わったはずなのに来愛がメガネをかけていること。
②あのマジメな妹がドラマの撮影をすっぽかしたこと。
③二見の言う通り、今日の来愛はまるで別人みたいにおかしな言動が多いこと。
④来愛が右手にした腕時計。
思い出すのは、雑誌に載ってた制服グラビア。
右手で万年筆を持つ来愛。
本物の来愛は右利きだ。
つまり、ここにいる彼女は──。
「……そうですか」
残念そうなつぶやき。
俺の嘘を信じたのか、彼女は悲しそうに表情を曇らせた後で、
「じゃあ、これならわかるかしら」
すべてを一変させた。
メガネを外し、帽子を取り、ウィッグをはぎ取る。
現れたのは腰まで届くきらびやかな銀髪とスペードがあしらわれた黒いカチューシャ。
「………!」
二見が息を飲む。
そんな彼をしり目に、彼女は両目につけていたカラーコンタクトを外した。
さらされたのは、宝石のように青く輝く碧眼。
「全員、役者失格ね。特に鏡心菜。あなたの瞳はガラス玉なの?」
声色、そして表情までが豹変する。
来愛とは似ても似つかない剣呑な雰囲気。だけどつい見とれてしまうほどに凛とした輪郭。精巧に作られた西洋人形みたいに日本人離れ……いや、人間離れした美貌。
その圧倒的すぎる美貌には見覚えがあった。
「はじめまして、柊木英輔くん」
まるであてつけのように、彼女はサファイアの瞳でにらみつけてくる。
雪村つるぎ。
俺のクラスメイトにして《雪の女王》と呼ばれるスター女優だった。