第1問 フィギュアメイカー(3)
3
朝顔さんの制止を無視して、風見多鶴のいる部屋に戻る。彼女のもとに近寄り、独特なデザインの、その囚人服をつかむ。
「譜美はどこだ!」
「フィギュアメイカーの『居場所』と関係がない。ノーコメント」
風見多鶴が微笑む。薄暗い獄中で過ごす死刑囚には似合わない、奇麗で整った白い歯が見える。
「早く居場所をつきとめないと、フィギュアメイカーをとめられないわよ。質問に戻ったほうがいいんじゃない?」
「ふざけるな。なんだこれ、いきなり呼び出して、こんな……」
「実際の死体写真は見たことある? 路上に放置され、人形のように座らされた女子高生。四肢は人形のそれにすりかえられている。金具で皮膚とプラスチック片を固定して──」
「妹に何かしてみろ!」
「私は何もしない。私のフォロワーが動いているだけ。ほら、質問を続けましょうよ」
遅れて入ってきた朝顔さんが、僕を風見多鶴から引きはがそうとする。肩をつかんでくる手を振りほどこうとすると、死刑囚がさらに続けてきた。
「もう家族は失いたくないでしょう?」
「…………なんで」
どうしてこいつは僕たち家族の、過去のことまで知っている。僕が妹に、固執する理由を知っている。
譜美という、たった一人の妹に僕が執着するのは、すでに一人、家族を失っているからだった。
「僕の『姉さん』を、知っているのか?」
「居場所には関係ない。ノーコメント」
拳を振り上げようとしたが、そこでとうとう、朝顔さんに完全に止められた。僕が再び、廊下に引き戻される直前、風見多鶴が不快そうな声をあげた。
「ルール違反よ、音人くんと見張り以外はこの部屋に入らないでください」
「法律をやぶってそこにぶちこまれたお前が、ルールを語るのか」僕を守るように抱きながら、朝顔さんが言った。
「それとこれとは話が別。司法取引はすでに交わされているはずですよ。私が模倣犯の情報を引き渡す相手は、彼だけです。その環境が十分に整えられないのなら、取引はなかったことに」
扉がしまり、死刑囚から完全に逃れたところで、体に力が入らなくなった。その場でうずくまると、震えだした。
どれだけ吸おうとしても、空気がなかに入っていかなかった。朝顔さんが水を持ってきてくれたが、飲んでもすぐに吐いてしまった。譜美。譜美。譜美。
「いま警察総出できみの妹を捜索してもらっている」
「き、聞きださないと。フィギュアメイカーの居場所を」
「いまは神奈川県にいることまでつきとめている。地道に質問を重ねていけば」
「わかってますよ!」
思わず叫んでしまう。
「でも風見多鶴は、イエスかノーしか答えない。あんなゲームやったこともないのに! それに居場所なんて、答えの範囲が広すぎる。質問をしている間に譜美は──」
殺されるかもしれない。そんな単語を口にするのが、怖くて仕方なかった。口にすれば、実現されてしまいそうで。
真実にたどりつくのは、何十分後、何時間後?
いまも譜美は、殺人犯の手中にある。だから立て。いますぐ立て。あの部屋に戻れ。死刑囚から話を聞き出す。
そうやって何度も言い聞かせるのに、体が、従ってくれなかった。
「きみはよくやってくれた、このまま帰っても文句は言わない」
「いえ、帰りません」
体の震えが少し抜けてきた。水もまともに、喉に入るようになった。深呼吸もできる。大丈夫。まだ立ち上がれる。
僕が逃げれば譜美の命はない。朝顔さんに守られることなく、僕が一対一で、風見多鶴と向き合わなければ、この事態は解決しない。
「聞き出します。フィギュアメイカーの居場所。僕はそのためにきた」
「でも、その状態では」
「行かせてください。お願いします。もう一度、あの部屋に」
朝顔さんがうつむく。迷っているのがわかった。これだけ動揺した一般人を、再度あの部屋に行かせるべきか、悩んでくれている。僕があのひとに呑まれることを、恐れている。このひとは想像していたよりも、ずっとやさしいひとなのかもしれない。
朝顔さんが先に立ち上がる。僕を見限るのかと、身構えた。だけど手を差し出されて、そうではないとわかった。
手をつかんで、立たせてもらう。朝顔さんはまだ震える僕の腕を、やさしく掴み、ほぐしてくれた。
「奴はきみをまた揺さぶってくるかもしれない。対策は一つ。ゲームに集中することだ」
「行かせてくれて、ありがとうございます」
「夕木音人くん。きみならできる」
それが嘘だったとしても、僕にとっては、とても力強い応援だった。
部屋に戻り、死刑囚と対峙する。風見多鶴が組んだ足を入れ替えると、つながれた鎖が、重そうに鳴った。
「外から怒鳴り声が聞こえたけど、大丈夫?」
「『居場所』には関係ない。ノーコメント」
「冗談を言う余裕はありそうね」
本当はまた、いつ自分が彼女に殴りかかってしまうかわからなかった。
だけどそれはしない。妹を救うための、最短を行く。それはゲームで答えを導き出すことだ。
「質問を再開します。フィギュアメイカーは神奈川県にいる。そいつは動き続けたりはする?」
「ノー。一定の場所にとどまっている」
「そこは広い場所?」
「ノー、広いとはいえない」
「どこかの廃工場とか?」
「ノー、でも、薄暗い」
「電気は通っている?」
「イエス」
ならば廃墟ではない。貸し倉庫。もしくは港? アパートの一室という可能性もある。一定の場所にフィギュアメイカーは潜み続けている。
「神奈川県の東部?」
「イエス」
「どこかのアパート?」
「ノー」
「戸建て?」
「ふふ、ノー。ねえ、そんな悠長な質問してる余裕はあるの?」
彼女の言う通りだった。本当に近づけているのか、自信がなかった。近づけているとしても、これでは遅すぎる。これはただの水平思考ゲームじゃない。タイムリミットが明確に存在する、より高度なゲームだ。
「考えて。考えればわかる」彼女が言った。
「考えてますよ」
「頭を悩まされることを、考えるとは言わない。考えるというのは、あらゆる視点から物事を観察するということ」
追い詰めてくると思えば、こんな風に、やさしく語りかけてくる。
「考えるの。そうすれば、わかる」
あらゆる視点から見る。別の視点からとらえてみる。考える。彼女の言う通り、考えている。
そこである疑問を抱いた。その視点が正解なのかどうかはわからないけど、一度疑問に思うと、それがいつまでも、頭から離れなくなった。
僕が疑問を抱いたのは、このゲームのお題に関することだった。
そもそも、どうして『居場所』なのだろう?
拘置所のなかにいる彼女は、どうしてフィギュアメイカーの現在地を把握することができるのだろう?
もしかしたら、そこにヒントがあるのではないか。
そして僕は。
何気なく投げた質問で、決定的な答えを導きだす。
「フィギュアメイカーは、あなたの近くにいる?」
「イエス」
「な……」
近く。
彼女の近く。
連絡が取れる場所。拘置所にいる彼女とコンタクトが取れる場所。
「フィギュアメイカーは、この拘置所にいる?」
「イエス」
今日一番の、不敵な笑みを見せる。
廊下の外でざわつく音がした。朝顔さんたちが動き出している。
「この拘置所の独居房にいる?」
「ノー」
囚人ではない。
何か罪を犯し、捕まっているわけではない。
「この拘置所の一階にいる?」
「ノー」
「拘置所の二階?」
「ノー」
近づいていく。
その、答えに。
「拘置所の地下、つまりこの階にいる?」
「イエス」
まさか、と思う。
そしてよぎる。
風見多鶴がさっき、この部屋に朝顔さんが入ってきたとき、不快な顔をした理由。
それは、この部屋に彼を入れたくなかったから。
朝顔さんを入れてしまうと、この部屋の環境が、変わってしまうから。
「フィギュアメイカーは、この部屋にいる?」
一瞬の間があいて。
それが、何秒にも、何十秒にも感じられる静寂がはさまり。
風見多鶴は答えた。
「イエス」
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試し読みは以上です。
続きは2021年12月24日(金)発売
『マーディスト ―死刑囚・風見多鶴―(上)』
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