8.出会った日から、ずっと



 ルークとレイヴァン様と飲みに行ってから、数日がった。翌日はおくがない上にひどふついにおそわれて大こうかいしたものの、現在は元気に連勤中だ。

「ナサニエル病院から来ました、サラと申します」

「ご苦労様です。あちらのひかしつでお待ちください」

 そんな私は今、王城へとやってきていた。

 今日は年に一度の団のけんじゅつ大会が行われるという。

 国を挙げてのイベントで、国王陛下によるひょうしょう式まであるらしい。騎士にとって剣術大会で結果を残すのは、とてもめいなことなんだとか。

 毎年、ナサニエル病院はヒーラーを一人貸し出しているようで、元々は別のせんぱいが来る予定だったものの体調をくずして休みになり、きゅうきょ私が出向くことになった。

 ルークも事前に教えてくれていたら良かったのに、と独り言ちながら歩みを進める。

「わあ、すごい人……!」

 今日の剣術大会はいっぱん公開されており、しき内はたくさんの人であふれていた。若い女性も多く、彼らの人気のほどうかがえる。

「失礼します」

 軽くノックをして控え室の中に入ると、広い室内には二人しかいないようだった。すぐ近くに座っていた女性がかえり、ぱっちりと目が合う。

 そこにいたのは、信じられないほどの美女だった。

 ゆるやかなウェーブがかった美しく長いきんぱつに、かがやく大きなエメラルドのようなひとみ。真っ白な雪のようなはだには、形のいい赤いくちびるえている。まさにがみそのものだ。

「あら、貴女あなたがナサニエル病院から来た方ね。よろしく」

「よ、よろしくお願いします……! サラと申します」

「騎士団でヒーラーをしている、リディアよ」

 女神は声まで美しかった。話し方や仕草など、全てに品がある。よろしくとやわらかくほほまれ、心臓がどきりとねた。同性だというのにこいに落ちてしまいそうだ。

「俺はアウカレス病院から来たケルビンだ、よろしくな」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 もう一人は、騎士団に混ざっていてもおかしくないほどにがっしりとした男性だった。

「一人は会場のテント内で待機、二人は救護室で待機と言われているんだが、どうする?」

「あの、もし良ければ私が会場に行ってもいいですか?」

「俺は構わないよ。リディア様は?」

「私は救護室が良かったから、うれしいわ」

「じゃあ決まりだな」

 そうして、私は希望通り会場内のテントに配置されることになった。これでルークが見られるかもしれないと思うと、胸がはずむ。

 リディア様、と呼ばれている彼女はどうやら貴族れいじょうらしい。一国のひめだと言われてもなっとくするレベルだった。

「かなり昔に酷いにんが続出した年があって、三人もヒーラーが用意されるようになったの。けれどぼっけんを使うし、今は毎年ほとんど怪我人は出ないから気楽にね」

「はい、ありがとうございます」

 リディア様はやさしく声をかけてくれて、ファンになりそうだった。それからも説明を受けたけれど、とにかく怪我した人がいたら治すというだけで難しいことはなさそうだ。

「よし、がんろう」

 やがて二人と別れた私は、仕事として来た以上はしっかりと頑張ろうと気合を入れた。


 会場内の大きなテントの中には、見晴らしのいい特等席が用意されていた。

「こちらで待機していてください。何かありましたら、すぐにお呼びいたしますので」

「分かりました」

 こしを下ろし辺りをながめていると、カーティスさんが歩いてくるのが見えた。

 日の光を受けて輝くぎんぱつが、そのぼうさらに引き立てている。

 不意に目が合い軽く手を振ると、彼はすぐにってきてくれた。

「サラちゃん? どうしてここに」

「今日は病院からけんされてきたんです」

「ああ、毎年ナサニエル病院からヒーラーを借りているんだったね」

 納得した様子の彼は私をじっと見つめると、やがて柔らかく目を細めた。

「その格好、よく似合ってる。わいいね」

「あ、ありがとうございます」

 今日は病院の代表として来ているため、白衣を着ているのだ。

 まぶしいみをかべたカーティスさんは、そのまま私のとなりに腰を下ろした。

「俺もサラちゃんとここにいようっと」

「えっ? だいじょうなんですか?」

「うん。めんどうもよおしが一気に楽しくなってきたよ」

「ええと、それは良かったです」

 彼が隣にいることで、女性達からのすような視線が痛い。だれもが振り返る程の美貌を持ち、身分も高く立場もあって人当たりもいいのだから、それはもうモテるだろう。

 仕事とルークの試合観戦に集中したい私は正直落ち着かず、今ははなれて欲しかった。

「カーティスさんの出番はまだ先なんですか?」

「うん。師団長はシード権があるから、出番はかなり先だよ。特に俺は、最後の方まで出番はないかな」

 同じく師団長であるルークの出番も、まだ先にちがいない。人が多すぎて、出番まではルークを見つけるのは難しいだろう。そう思っていた時だった。

「サラ!」

 まさにルークその人が、このテントへとやってきたのだ。

「ルーク? どうして」

「それはこちらのセリフです。カーティス師団長と女性ヒーラーが仲良さげにいっしょにいる、という話を聞いて来てみれば……」

「先輩が体調を崩しちゃって、急遽代わりで来ることになったの」

「今後そういう時は門番にでも声をかけて、一番に俺を呼んでください。絶対にです」

 やがてルークはカーティスさんをいちべつすると、彼とは反対側の私の隣に椅子を置き、当たり前のようにそのまま腰かけた。

「俺も出番までここにいます」

「ええっ」

 そう言ったルークを、止める人は誰もいなかった。師団長とはこんなに自由なものなのだろうか。今まで以上に、たくさんの視線がこのテントに集まってくるのを感じる。

 こうして私はなぜかルークとカーティスさんにぴったりとはさまれながら、待機をすることになったのだった。




***




 ほとんど怪我人は出ないと聞いていたけれど、本当にびっくりするくらいひまだった。もはやお金をもらい特等席で大会を見せてもらっているだけで、私は申し訳なさすら感じていた。

「わあ、あの人すごいね!」

「俺の方が強いです」

「ふふ、そっか」

 誰かをめるたびに、「俺の方がすごい」「強い」と言うルークが可愛くて、ついつい笑ってしまう。試合は手にあせにぎる熱い戦いばかりで、目が離せない。

 師団長二人による解説までついていて、まさにいたれりくせりだった。

「それにしても騎士団の人達って、みんな強いんだね。優勝する人なんて、どれだけすごいんだろう」

「サラちゃん。俺だよ、去年優勝したの。すごい?」

「えっ、カーティスさんが? すごいです!」

「今年は必ず、俺が優勝します」

「お、言うねえルーク。今年も決勝まで残れよ」

「当たり前です」

 先日はルークが失礼な態度をとっていたものの、二人の仲も良さそうだ。美形二人を眺めながらそんなことを考えていた私はふと、美形つながりで女神のことを思い出した。

「そうだ、さっき会ったんだけど、リディア様って本当に美人だね! 私、あんなれいな人は初めて見たよ」

「…………」

「確かに、リディアちゃんは美人だね」

 興奮気味にそう言ったたん、なんとも言えない空気になってしまった。ルークは長いまつせ、無言のままだ。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。

「でも、俺はサラちゃんの方が好みだな」

「またまた、さすがにお世辞だって分かりますよ」

「サラが世界一です」

 女神のようなリディア様と私など比べ物にもならないし、月とすっぽんだ。二人には変に気をつかわせてしまい、申し訳なくなった。

「ええと、リディア様は騎士団の専属のヒーラーなんですよね?」

「うん。第五師団の専属だよ」

「やっぱり! ルークが前に会わなくていい、って言ってた意味が分かった気がする。あんな女神と私が友達になるだなんて、がましいもんね」

「サラ、そういう意味では」

 ルークはあせったような様子を見せたけれど、これ以上気を遣わせたくなかった私は「大丈夫、分かってるからね」と言い、再び視線をステージへともどしたのだった。




***




 あっという間にきゅうけい時間になり、私は救護室へと戻ると簡単な報告書を書いた。

 結局、三人ほど軽い怪我を治しただけで、実質数分しか働いていないようなものだった。

「ねえサラさん、よかったら一緒に昼食をとらない?」

「わ、私で良ければ、ぜひ!」

 同じく報告書を書き終えたらしいリディア様にさそってもらい、私は騎士団の食堂で彼女と共に昼食をとることになった。

 この世界に来てからというもの、同世代の女性との交流が少なかった私はつい浮かれてしまいながら、二人並んで食堂へと向かう。

「サラさん、カーティス師団長とルーク師団長と待機していたって聞いたわ」

「はい。なんだか成り行きで、そうなってしまいまして……」

「お二人とはどういう関係なの?」

「カーティスさんとはお友達で、ルークとはおさなじみというか、なんというか」

 やはり他人にルークとの関係を説明するのは難しい。そんなあいまいな返事をしたところ、彼女はなぜか「うらやましいわ」と言って微笑んだ。


 リディア様は本当に優しくて気さくで、とても楽しい昼食の時間を過ごすことができた。

「午後からも頑張りましょう。何か困ったことがあれば、すぐに呼んでね」

「はい! ありがとうございます」

 そうして食堂を出て、彼女と共にろうを歩いていく。少し暑くなってきた私は、びてきたかみを高めの位置でくくると気合を入れ直した。

「──ていうか、あの女ヒーラーはなんなの? カーティス様とルーク様と仲いいです、みたいな顔しちゃって」

「ね、リディア様の足元にもおよばないくせに」

 すると不意に聞こえてきたのは、明らかに私の悪口だった。

 あれほどのイケメン二人に挟まれているなぞのモブ女など、そう思われても仕方ない。当然すぎて、いかりすらかなかった。そもそも、リディア様と私を比べるのが大ちがいだ。

「あの子達、なんてことを」

「私は全然大丈夫なので、行きましょう!」

「でも……」

 どうやら話している女性達は騎士団の職員のようで、私は注意をしようとしてくれたリディア様を止めると、「もう時間もないですし」と声をかけた。

 なんていい人なのだろうと感謝しながら、さっさと会場へと向かおうとした時だった。

「それにしても、どうしてルーク様とリディア様って別れちゃったのかしらね。あんなにお似合いだったのに」

「私も何回か街で見たけど、本当にてきだったわ」

 ──ルークとリディア様が、付き合っていた?

 思いがけずそんな事実を知ってしまった私は、内心おどろきをかくせずにいた。

 けれど、リディア様の話題を出す度にルークが気まずそうにしていたのも説明がつく。

『サラとは正反対ですし』

 以前ルークに、そう言われたことを思い出す。

 私はルークの好みの女性のタイプとは、正反対もいいところらしい。サラが世界一だなんて、やはりルークは適当なことばかり言っている。

「……今の、聞こえちゃったわよね」

「は、はい。知らなかったので、びっくりしました」

 とは言え、ルークだっていいとしなのだ。過去にそんな相手がいたっておかしくはない。

 それにリディア様とルークの組み合わせは、誰が見たってお似合いだろう。

「でも、本当に短い間だったのよ」

「……どうして、別れてしまったんですか?」

 つい気になったことを口に出してしまったものの、今日会ったばかりの相手に聞くことではない。私はあわてて謝罪の言葉を口にしたけれど、リディア様は「いいのよ」と困ったように微笑むと、細く長い指で美しい金髪をそっと耳にかけた。

「私のかたおもいだったの。学生のころから、ずっと」

「えっ……?」

 つまりルークは彼女のことを好きでもないのに、付き合っていたということだろうか。

 そんなけいはくな男性になってしまっていたのかと、内心かなりのショックを受けてしまう。

「それでも私は今も、ルーク様のことが好きなの」

 彼女は少しでもルークのそばにいたくてご両親の反対を押し切り、第五師団のヒーラーを続けているらしい。そんなけなさに、胸を打たれてしまう。

 それと同時に、好意をいだいてもないのに彼女と付き合っていたらしいルークのことが、私は分からなくなっていた。




***




 テントへと戻ると、すぐに笑みを浮かべたルークがむかえてくれる。

「おかえりなさい、サラ。そのかみがた、かわいいですね」

「ありがとう」

「……表情が暗いですが、何かありましたか?」

「なんでもないよ」

 さきほどの話を思い出し、ついルークに対して少しだけ素っ気ない態度になってしまった。

 カーティスさんもすぐ近くにいる今、ここで色々と聞くわけにもいかず、そのまま二人の間の椅子に腰を下ろす。

「サラちゃん、午前中と髪型変えたんだね。すごくかわいい」

「あ、ありがとうございます……」

 カーティスさんにポニーテールの毛先を指でからめ取られ、どぎまぎしてしまう。

 するとルークは、「俺の時とは反応が違う」「いちいちさわらないでください」とげんそうな声で言うと、すかさずカーティスさんの手をはらった。

「あはは、ルークは手厳しいね」

「…………」

「ルークの出番は午後の部が始まってすぐだったよね? 頑張ってね」

「はい。サラが見てくれているんです、絶対に負けられません」

 せずにちゃんと見ていてくださいね、サラにいいところを見せたい、なんて言うルークがあまりにも可愛くて、思わず頭をでたくなってしまう。

 すると隣にいたカーティスさんが「ねえ、サラちゃん」と口を開いた。

「俺のこともおうえんして欲しいな」

「もちろん、カーティスさんのことも応援していますよ」

「ありがとう。あ、そうだ。もしも俺が優勝したら、ごほうとしてデートしてくれる?」

「……デ……?」

 とつじょ耳に届いたデートという慣れない単語にまどっていると、私とカーティスさんの間にルークがずいと割り込んだ。

「カーティス師団長、いい加減にしてください」

「俺はサラちゃんに聞いてるんだけど? どう? サラちゃん」

「ええと、私は好きな相手以外とデートとか、考えられなくて」

 正直にそう答えたところ、カーティスさんは「なんで?」と不思議そうに首をかしげた。

「サラちゃん、今好きな人はいるの?」

「えっ? いませんけど……」

「それなら良くない? そもそも、相手のことをよく知らないと好きにもならないよね? 相手を知る機会としても、サラちゃんをいいなと思う相手にチャンスをあげるっていう意味でも、デートくらいいいと思うけどな。そう思わない?」

「そういうもの、なんでしょうか?」

「うん、そうだよ。デートって言っても二人で食事するとか買い物に行くとか、健全なもののつもりだし。ってことで、決定ね」

「……じゃあ、それくらいなら」

「サラ!」

 なんだか言いくるめられる形になってしまった私に、ルークは責めるような視線を向けてくる。そんなルークを見て、カーティスさんは形のいい唇で美しいえがいた。

「ルークもいやなら、俺に勝てばいいだけだよ」

「……では俺が優勝したら、サラは俺のお願いも聞いてくれますか?」

「えっ? いや、それは」

「カーティス師団長は良くて、俺はなんですか」

「そ、そんなことはない、けど……」

「では、いいんですね」

 ルークのを言わせない笑顔に、私はついうなずいてしまう。

「本気で頑張るので、しっかりと見ていてください」

 そう言ってテントを出て行くルークの背中を見つめながら、私は先程のリディア様の話を思い出していた。

 ──ルークだってまた誰かと付き合い、いつかはけっこんだってするはず。いつまでも彼に甘えているわけにはいかない。この世界の女性の結婚てきれいくらいで、現在二十三歳の私はすでに結婚していてもおかしくないねんれいだった。

 もしこのまま元の世界に戻れなければ、あっという間に行きおくれになってしまう。

 この世界で一生一人で生きていく自信もない私はカーティスさんの言う通り、もう少し積極的に男性と交流を持ってみてもいいのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、私はステージへと視線を向けたのだった。




***




「本気で頑張るので、しっかりと見ていてください」

 そうサラに宣言した俺は順調に試合を勝ち進み、決勝へとこまを進めた。

 決勝での相手は予想通りカーティス師団長で、目の前でサラとのデートという訳の分からない約束をされた以上、絶対に負けるわけにはいかない。

 俺自身も優勝さえすれば、お願いを聞いてくれると彼女は言ってくれたのだ。

 何より、サラにいいところを見せたかった。いつも俺をどもあつかいしてくる彼女に、もう立派な大人の男なのだとアピールする絶好の機会に違いない。

「ルーク師団長、準備をお願いします」

「ああ」

 準備運動を済ませ、木剣を手にステージへと上がる。そこには既にカーティス師団長の姿があり、俺を見るなり彼は嬉しそうに目を細めた。

「すごいやる気だね、去年とは大違いじゃん」

「当たり前です」

 ふと視線をテントへと向ければ、俺以上にしんけんで気合の入った表情を浮かべ、ぐっと両手をにぎりしめるサラと視線が絡んだ。

 やがて彼女の唇がゆっくりと「ちゃんとみてるよ」と動き、心臓が跳ねる。

 俺は元々、彼女との思い出だけを胸にここまで努力を重ねてきたのだ。サラがこうして目の前で俺を応援してくれているというだけで、どんなことでもできるような気がした。

 そんな俺を見て、カーティス師団長は「ねえ」と再び口を開く。

「なんでそんなにサラちゃんを気にするの? ずっと誰にも興味なさそうだったのに」

「……もう、理由なんて分かりません。俺は子どもの頃からずっと、サラのことだけを考えて生きてきたので」

 いつだって俺の世界の中心は、サラだった。他の人間なんていっさい目に入らないくらい、彼女の存在は俺にとって何よりも特別で、大切だった。

「サラは俺の全てですから」

 そう告げれば、カーティス師団長のアイスブルーの瞳が驚いたように見開かれる。

 同時に、試合開始の合図がなされた。

 カーティス師団長は自らめ込むタイプではない。彼の戦い方をよく知っている俺は、先にけることにした。けんつかを持つ手に力をめ、腰を落とす。

 次のしゅんかんには一気にきょめ、剣を振り下ろした。

「っ攻めるねえ……!」

「まどろっこしいのはきらいなので」

 剣と剣がぶつかり合い、木製とは思えないほどの重い音がひびく。かんぺきに受けてみせた彼に対し、俺はフェイントを挟みながられんげきしていく。

「お前がその気なら、俺も負けてられない、な!」

 せまけんさきをぎりぎりのところでけ、足を休める間もないまま次のいちげきを見舞う。

 ──やはり、この人は強い。

 俺は今、全身でそれを実感していた。それでも、負けるわけにはいかない。

 ひゅっと息を吸い込むと、大きく前に出た。剣が、視線が交差する。少しでも早く、重く。自身の限界をえる一撃を、息をする間もないまま繰り出していく。

 そしてほんのいっしゅんできたすきを、俺がのがすはずもない。

 すかさず斬り込めば、剣先はカーティス師団長の首元に届いていた。

「俺の、勝ちです」

 それと同時に、会場からは割れんばかりのはくしゅかんせいが上がる。

 ゆっくりと剣を下ろしテントへと再び視線を向ければ、感動したような様子のサラが俺を見つめ拍手をしているのが見えて、ふっと笑みがこぼれた。

「……あーあ、負けちゃった」

 やがてカーティス師団長は「残念だな」と深いいきくと、俺に右手を差し出した。

「完敗だよ。優勝おめでとう」

「ありがとうございます」

「こちらこそ」

 その手を自身の右手で握り返すと、骨が折れるのではないかというくらい、きつくきつく握りしめられた。間違いなく悪意があるだろう。

「痛いんですが」

「だってムカつくもん。くやしいし」

 けらけらと可笑おかしそうに笑うと、カーティス師団長は静かに手を離した。

「でも、今日のルークにはかなわないと思ったよ。色々と」

「……はい」

「強くなったな。頑張れよ」

 ぽんと俺のかたたたいた後、カーティス師団長はひらひらと片手を振りながら去っていく。

 ──騎士団に入った頃からずっと、俺の目標はカーティス師団長だった。

 本人には絶対に、言えやしないけれど。

 そんな彼に勝ったのだという実感が今更になって湧いてきて、こうよう感がむねの奥から込み上げてくる。もう一度戦えば、次は勝てるかは分からない。それでもやはり、嬉しかった。

 俺は「ありがとうございます」とつぶやくと、その背中に向かって頭を下げた。




***




「サラ、本当にお願いを聞いてくれるんですか?」

 その日の夜、私は満面の笑みを浮かべるルークによって詰め寄られていた。

「うん、約束だもの」

 なんと本当に、ルークが剣術大会で優勝したのだ。

 もちろん他の騎士もみな、とても強かったように思う。特にカーティスさんとの決勝戦はかなりの接戦で、私は息をするのも忘れて見入ってしまった。

「ルーク、本当に格好良かったよ! ドキドキしちゃった」

「ありがとうございます。嬉しいです」

 今日のルークは、それはもう格好良かった。私ですらドキドキしてしまうくらいだったのだから、つうの女性なら恋に落ちていてもおかしくないだろう。

「こんなにも負けたくないと思ったのは、初めてでした」

「そうなの?」

「はい。サラが他の男とデートするなんて、絶対に許せそうになかったので」

「……そ、そうなんだ」

 ルークは柔らかく目を細め、ふわりと微笑んだ。気がつけばソファに無造作に置いていた手は彼の大きくて温かい手のひらに包まれていて、心臓が跳ねた。

 なんだかルークがいつものルークじゃないみたいで、落ち着かなくなる。美しい金色の瞳は、熱を帯びているような気がした。

「今回は俺が勝ったからいいものの、二度とあんな約束はしないでください」

 ルークの整いすぎた顔がぐっと近づいてきて、私は慌てて視線を彼かららす。

「わ、分かった。それで、私は何をすればいいの?」

 慣れない甘いふんえきれなくなった私は、ルークにそうたずねた。

 今の私にできることなど限られているし、優しい彼のことだから簡単なお願いをしてくれるだろう。そう、思っていたのに。

「キス、してくれませんか?」

「…………なんて?」

 花がくような笑みを浮かべ、ルークはそんなことを言ってのけた。

 彼のうすい唇がつむいだ信じられないお願いに、私はぴしりと固まってしまう。

「サラにキスをして欲しいと言いました」

「キ、キスって、な、なんで急に」

「俺はサラにもっと男として、意識してもらいたいんです」

 ルークはそう言って少し意地悪く微笑むと、更に顔を近づけてくる。とつぜんのことに私は戸惑いを隠せず、彼の美しい瞳を見つめ返すことしかできない。

 ──そんな中、ふと昼間のリディア様の言葉を思い出す。

『私の片想いだったの。学生の頃から、ずっと』

 私は両手でぐっとルークの肩を押すと、顔を上げた。

「ルーク、駄目だよ」

「どうしてですか?」

「好きでもない、付き合ってもいない相手にそんなことを言うなんて絶対に駄目だよ。どうしてそんなに軽薄な子になっちゃったの?」

「……けいはく?」

 リディア様の切なげな表情を思い出すと、だんだんと腹が立ってきてしまう。

 彼女のようないちに思ってくれる素敵な女性をもてあそんだ上に、今度は私にまでそんなことを言うなんて、さすがに許せそうにない。

「もう今日はルークと話したくない。お願い事は別のことを考えておいて」

「サラ、待ってください。何か誤解を」

「ルークのバカ!」

 まっすぐな、優しいいい子に育ったと思っていたのに。

 私はルークの言葉を無視すると、そのままドアを閉め、自室へと戻ったのだった。




***




 翌朝、私はベッドの中で一人頭をかかえていた。

「……言いすぎた、かもしれない」

 昨日はつい勢いでおこってしまったものの、私はルークからの話を一切聞いていないのだ。

 一晩経ち頭を冷やした結果、まずは話を聞くべきだったと反省した。バカだなんて言ってしまったことも謝らなければと思い、たくを整えて部屋を出る。

「えっ、ルーク?」

 するとなぜか私の部屋の前には、しょんぼりと肩を落とすルークの姿があった。

「いつからそこに……?」

「三時間くらい前からです」

 想像を超えた答えに、私の口からは間のけた声がれる。

「どうして、そんな」

「俺は、サラに嫌われたら生きていけないですから」

 まゆじりを下げ微笑んだルークの切なげな表情に、言葉に、どきりとしてしまう。いつものように「ルークはおおなんだから」と笑い飛ばすことなんて、できそうにない。

「とにかく、座って話そう?」

 私はそう言ってルークの手を取ると、自室へと戻る。小さめのソファに並んで腰を下ろすと、ルークは温かな両手で私の手を包んだ。

「サラ、聞いてください。俺は誰にでもキスをして欲しいだなんて、言いません」

「……そう、なの?」

「はい。まずはどうして俺が軽薄な男だと思ったのか、聞いてもいいですか?」

 私はこくりと頷くと、ルークがリディア様と付き合っていたこと、それなのに彼女はずっと片想いだと言っていたことから、そう思うに至ったのだと説明する。

 やがて話し終えると、ルークは「なるほど」と深い溜め息を吐いた。

「サラが怒った理由は分かりました。当然だとも思います」

 でも、とルークは続ける。

「リディアとこいびと関係にあったのは事実ですが、それは彼女が両親から持ちかけられたこんやくを断るためのものでした」

「婚約を、断るため?」

「はい」

 ご両親から望まない婚約を持ちかけられたリディア様は、それを跳ねけるためにルークに恋人のふりをして欲しいとたのんだという。

 ルークも同じ隊の彼女には日々助けられており、りょうしょうした結果、彼女のご両親もルークほどの人が相手ならと認め、無事に話はなくなったらしい。

「ルーク、ごめんね。早とちりをしてあんな態度をとって」

「いいえ、気にしないでください」

 何度も謝る私にふわりと微笑むと、ルークは私の手を包む手のひらに力を込めた。

「その後のリディアからの告白も、俺には本当に好きな女性がいるからと断りました」

「……本当に、好きな女性?」

「はい、俺はずっと彼女だけが好きなんです」

 ルークにも、長年おもいを寄せる相手がいたらしい。そんな相手がいるのに、そうと言えどリディア様と付き合っていて大丈夫だったのだろうか。

「ルークの好きな人って、どんな人なの?」

「とても可愛くて、優しい人です。かなりにぶくて、俺を子ども扱いしてくるんですよ」

「そうなんだ……子ども扱いってことはルークより年上なのかな? でも、ルークはとっても格好いいもの! いつか振り向いてくれると思うな」

「そうだといいんですけどね。俺は十一歳の頃からずっと、彼女だけが好きなので」

 十一歳、という言葉に「あれ?」と引っかかりを覚える。

 だってその頃、ルークの側に私はいたのだ。

 そもそも、ずっと想いを寄せている女性がいるのに、私に「キスして欲しい」「もっと男として意識してもらいたい」なんて言うのも不思議で。

「まだ分からないんですか?」

 そんな声に顔を上げれば、け出しそうなくらいに熱を帯びた、はちみつ色の瞳と視線が絡んだ。至近距離でまっすぐに見つめられ、目が逸らせなくなる。

 ──こんなの、まるで好きだと言われているようで。

 戸惑い指先ひとつ動かせずにいる私を見て、ルークは柔らかく目を細めた。

「そろそろ仕事に行かないといけないので、また後で」

「う、うん」

 ルークは私のほおにそっとれると、「行ってきます」と部屋を出て行く。

 一人残された私はり始めた頰を押さえ、しばらくその場から動けずにいた。


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