二度目の異世界、少年だった彼は年上騎士になり溺愛してくる

　この世界に戻（もど）ってきてから、一週間が経（た）った。

「光魔（ま）法（ほう）と対（つい）になるのが闇（やみ）魔法で、確（かく）認（にん）されている使用者は、渡（わた）り人（びと）のみ……」

　エリオット様の病院で働き始めるまで、あと二日。暇（ひま）な私はルークが買ってきてくれた本で勉強をしつつ、のんびりと過ごしている。

「……あれ？」

　そろそろ休（きゅう）憩（けい）しようと本をテーブルに置いたところ、ふと足元に見慣れない封（ふう）筒（とう）があることに気がついた。どうやらルークの忘れ物らしい。

「私が届けに行ってきてもいいですか？　ルークが働いているところを見てみたくて」

　すぐに執（しつ）事（じ）であるロイドさんに確認を取り、王城までの地図を描（か）いてもらった私は、授業参観に参加する保護者の気持ちで出かける支（し）度（たく）を始めた。

「ここが、騎（き）士（し）団本部……」

　騎士団が日（ひ）頃（ごろ）活動している本部は、王城の敷（しき）地（ち）内にある。

「すみません、ルーク・ハワードさんに忘れ物を届けにきたんですが」

　ロイドさんの地図のお蔭（かげ）ですんなり王城へ到（とう）着（ちゃく）することができた私は、門の近くにいた人に声をかけた。ルークがいるのは第五師団というところらしく、案内してくれるそうだ。

　敷地内を歩いていると、騎士達が訓練をしているアニメや漫（まん）画（が）で見るような光景が広がっていて、ワクワクしてしまう。

「こちらになります」

　そうして案内されたのは、広い稽（けい）古（こ）場だった。中には大勢の人がおり、その中心にルークはいた。どうやら、彼が皆（みんな）に稽古をつけているらしい。

「わあ……！」

　ルークは次々と向かってくる相手を、木（ぼっ）剣（けん）で叩（たた）き伏（ふ）せていく。

　素人（しろうと）の私でもはっきりと分かるくらい、周りとは桁（けた）違（ちが）いな強さで。氷魔法が得意だと聞いていたけれど、まさか剣（けん）術（じゅつ）もこれほど強いとは思っていなかった。

　一体彼は、どれほどの努力をしてきたのだろう。私の知っている小さくてか弱い男の子はもう、どこにもいなかった。

　少し寂（さび）しいけれど、立派な大人になったルークを見ることができて嬉（うれ）しい。

「第五師団に何か御（ご）用（よう）ですか？」

　思わず見（み）惚（と）れてしまいぼうっと立っていると、近くにいた男性に声をかけられた。

「すみません、これをルーク・ハワードさんに渡していただきたくて」

「ルーク、師団長に？」

　すると可（か）愛（わい）らしい顔をしたその男性は、驚（おどろ）いたような顔で私と封筒を見比べていたけれど、数秒の後、慌（あわ）てて封筒を受け取ってくれた。

「よろしくお願いします」

　だんだんと周りからも視線が集まってくるのを感じた私は、邪（じゃ）魔（ま）をしてはいけないと思い「失礼しました」と一礼すると、この場を後にした。

　当初の目的である忘れ物を届けるというミッションを無事達成し、ルークの働く姿も見られた私は、一仕事終えた気分で来た道を戻っていく。

「……ルーク、本当に格好良かったな」

　すっかり頼（たの）もしい男性になった彼の姿を思い出しながら余（よ）韻（いん）に浸（ひた）っていると、不意に背中越（ご）しに声をかけられた。

「あれ、サラちゃん、だよね？　どうしたの？　こんなところで」

「カーティスさ、さま。ええと、知り合いに用事がありまして」

　振（ふ）り返（かえ）った先にいたのは、なんとカーティスさんだった。その隣（となり）には茶（ちゃ）髪（ぱつ）のボブヘアーの女の子の姿もある。歳（とし）は私と同じくらいだろうか、快活な雰（ふん）囲（い）気（き）の可愛らしい子だった。

「様なんてやめて欲しいな、友達なんだし」

「いいんですか？」

「もちろん。あ、この子が前に話した転移魔（ま）法（ほう）使（つか）いなんだ」

「この前、カフェで紹（しょう）介（かい）してくれるって言ってた方ですか？」

「そうそう！　ほら、ティンカ。彼女が例のヒーラーの子だよ」

　カーティスさんがそう言うと、「ああ！」という顔をした彼女は手を差し出してくれた。

「初めまして、ティンカです。よろしくね！」

「サラです。こちらこそ、よろしくお願いします」

　差し出された手のひらをすぐに握（にぎ）り返せば、にっこりと微（ほほ）笑（え）んでくれる。少し話してみると彼女は私と同じく料理や読書が趣（しゅ）味（み）のようで、なんだか仲良くなれるような気がした。

「よかったら、遠（えん）征（せい）に行く前にお茶でもしましょう」

「ぜひ！　行きたいです」

「いいね、俺も混ぜて欲しいな」

「カーティス師団長はぜーったいにダメですよ、可愛い女子の会ですから」

「酷（ひど）いなあ、紹介したのは俺なんだけど？」

　二人のそんなやり取りに、くすりと笑ってしまった時だった。

「サラ！」

　聞き覚えのある声がした方へと視線を向ければ、ルークが走ってくるのが見えた。稽古中のはずでは、と思っているうちに、あっという間に彼は目の前まで来ていて。

　やがてルークは、拗（す）ねたような表情を浮（う）かべた。

「どうして声をかけてくれなかったんですか」

「仕事中だし、忙（いそが）しそうだったから」

「サラより優先することなんてありません」

「こら、そんなことを言ったらだめでしょ」

　今も出てきて大（だい）丈（じょう）夫（ぶ）なのかと心配になったけれど、どうやら休憩時間らしい。休憩時間にした、というのが正しいのかもしれない。

　そんな彼はキラキラと輝（かがや）く汗（あせ）まで、驚くほどに眩（まぶ）しかった。

「書類、ありがとうございました。サラに会えるのはもちろん嬉しいですが、こういうことは使用人に任せていいんですよ」

「ううん、仕事中のルークの姿を見てみたくて私が言い出したんだ。それにしてもルーク、すっごく強いんだね！　格好良かったよ。思わず見惚れちゃった」

「ありがとう、ございます。嬉しいです。本当に、嬉しい」

　思ったことをそのまま伝えれば、ルークの顔は一（いっ）瞬（しゅん）にして赤く染まる。

「……驚いたな、サラちゃんの知り合いってルークだったんだ」

　そんな中、戸（と）惑（まど）ったようにカーティスさんは口を開いた。カーティスさんもティンカちゃんも、ひどく驚いた顔で私達を見比べている。

「……カーティス師団長、お疲（つか）れ様（さま）です」

「うん、お疲れ。って、なんでそんなに怖（こわ）い顔してんの？」

　私とにこにこ笑（え）顔（がお）で会話していたルークは、カーティスさんへ視線を移した途（と）端（たん）、なぜか突（とつ）然（ぜん）むすっとした真顔になった。一体、どうしたのだろう。

「とにかく、三人はダメらしいから二人きりで食事にでも行こっか。俺達、友達だし」

「あ、はい。ぜひ」

　爽（さわ）やかな笑顔に思わずどきりとした途端、ルークによって肩（かた）を引き寄せられた。

「カーティス師団長、話が長いです」

「いや俺、ルークが来てから三言しか喋（しゃべ）ってないんだけど」

　苦笑いを浮かべるカーティスさんに、ルークはやはり冷ややかな眼（まな）差（ざ）しを向けている。

「サラから遠征の話は聞きました。仕方ないので一度だけは許可しますから、それきりにしてください。もし彼女に何かあったら、絶対に許さない」

「ちょ、ちょっと、ルーク！」

「後は全員、必要最低限の会話でお願いしますね。サラにあまり関わらないでください」

「もう！　勝手なことばかり言わないで！」

　いきなり喧（けん）嘩（か）腰（ごし）でカーティスさんにそう言ってのけたルークを、慌てて止める。

　そもそも私が受けた話であって、誘（さそ）ってくれただけのカーティスさんに非はない。失礼にも程（ほど）がある上に、必要最低限の会話というのも無理がありすぎる。

「常にティンカと行動させるから、もちろん怪（け）我（が）はさせないよ。けれど今後については、サラちゃんが決めることじゃないかな」

　カーティスさんはそう言うと、私に「ね？」と余（よ）裕（ゆう）たっぷりな笑顔を向けた。

　その一方で、ルークは不（ふ）機（き）嫌（げん）さを隠（かく）そうともしていない。

「それより、二人はどういう関係なの？」

「なんでもいいでしょう。サラ、門まで送ります。行きましょう」

「ちょっと、ルークってば！　お二人ともすみません！　また！」

　まだ話は終わっていないのにルークは私の腕（うで）を引き、どんどん歩いていく。

　そんな私達を二人は最後まで驚いた表情を浮かべたまま、見つめていたのだった。

＊＊＊

　その日の夜、私はお洒（しゃ）落（れ）な酒場にて、ルークとレイヴァン様とテーブルを囲んでいた。

　仕事を終えて屋（や）敷（しき）へ帰ってきたルークの側（そば）にはレイヴァン様の姿があり、「こないだの約束通り、三人で飲みに行こう」とそのまま連れ出されたのだ。

「ルークは今度、カーティスさん達に会ったら謝ってね！　本当に失礼すぎるもの」

「絶対に嫌（いや）です。謝りません」

「もう、ルークはまだまだ子どもだね」

「俺はもう大人です。しかも、サラよりも年上ですからね」

　昼間の失礼を咎（とが）めても、ルークに反省する様子はない。いつからこんな意地っ張りになってしまったんだろうと溜（た）め息（いき）を吐（つ）くと、私はワイングラスに口をつけた。

「お、サラちゃんいけるねえ。もう一杯（ぱい）」

　一気飲みしたせいで空になったグラスに、レイヴァン様はすかさず白ワインをついでくれる。彼のお気に入りだというそれはフルーティで甘くて飲みやすくて、とても美味（おい）しい。

「本当にこれ、美味しいですね」

「美形二人に囲まれてるのもあるよ、きっと」

「た、確かに……」

　ルークはかなりお酒が強いらしく、酔（よ）っているところはほとんど見たことがない、つまらないとレイヴァン様は先程愚（ぐ）痴（ち）をこぼしていた。

　彼は今も、強めのウイスキーをロックで飲んでいるのだ。大人すぎて少し悔（くや）しい。

「それにしてもルーク、お前も余裕ないんだな」

「うるさい」

「俺は必死なお前が見られて嬉しいよ」

　二人のそんな会話を、私はここの名物だという鳥のハーブ焼きを食べながら聞いていた。彼らがいつもよく来るというこの店は、料理もとても美味しい。

「ねえねえ、サラちゃん。サラちゃんの好きな男のタイプ、教えてよ」

「好きな男性のタイプ、ですか？」

「サラが好きなのは、優（やさ）しくて顔が良くて背の高い、賢（かしこ）くて強い金のある男です」

「あはは、サラちゃん意外と強（ごう）欲（よく）だね」

　私の代わりに答えたルークを見て、レイヴァン様は可笑（おか）しそうに笑っている。

「まあ、そんな人なんていないんですけどね」

「俺がいます。サラも先日、理想の男性像だと言ってくれたじゃないですか」

「確かにルークは条件を満たしてるけど……」

　ルークは私にとって異性というよりも家族のようなものだから、また違（ちが）う話な気がする。

　追加のお酒を頼んだレイヴァン様は、ルークの肩に腕を回した。

「それじゃあ今は、恋（こい）人（びと）とか欲（ほ）しくないの？　今までいたことは？」

「ありますよ。あるんですけど……」

　──私は未（いま）だに、恋（れん）愛（あい）感情というものがよく分かっていない。二十三年間生きてきて、誰（だれ）かに「恋（こい）」というものをしたことがなかった。

　とは言え、別に男性が嫌（きら）いなわけではないし、一度、職場の親しかった男性に告白されて、付き合ってみたこともある。

　彼の優しいところは尊敬していたし、好意を持ってもらえたのは嬉しかった。

「結局、一（いっ）緒（しょ）にいても楽しくなかったり、気を遣（つか）って疲れちゃったりして」

　その結果、うまくいかずに終わってしまった。

「そうなんだ。ちょっと分かるかも」

「本当ですか？　ルークと一緒にいるのは楽しいし、気も遣わないのになあ」

「やはり、サラには俺しかいませんね」

「もう」

　今日のルークの冗（じょう）談（だん）は絶好調らしく、顔に出ていないだけで酔っているのかもしれない。

「……ほんと、先が思いやられるね」

　レイヴァン様はそう言って笑うと、ルークの背中をばしんと叩いた。

　そうしているうちにルークの上司だという人が来店し、彼は一杯だけ付き合ってくることになった。何度もレイヴァン様に「サラに余計なことは言うな」と念を押し、席を立つ。

　レイヴァン様は二人きりになった途端、こつんとグラスを合わせた。

「あー、今日は楽しいな」

「私もです。そう言えば、レイヴァン様は今、恋人とかいないんですか？」

「うん、最近はいないよ。女の子は好きだけど、色々と疲れるんだよね。俺、束（そく）縛（ばく）されたりするの嫌いだし、よく揉（も）め事（ごと）に巻き込まれるし、恨（うら）みを買ったりもするし」

「な、なるほど……モテるのも大変ですね」

　彼ほどの人には、私のような下々の人間には分からない悩（なや）みがあるのだろう。

「サラちゃんもモテてるじゃん、ルークに」

「もう、レイヴァン様までそんなこと言うんですか？」

「ルーク、いい男じゃん。だめ？」

「ダメも何もルークのことは好きですけど、子どもの頃（ころ）から知っているので……それに最近のルークは浮（うわ）ついた冗談ばかり言うのが、保護者枠（わく）としては心配で」

「……なるほど、根は深そうだ」

　レイヴァン様は可笑しそうに笑うと、グラスを手に取った。

「よし、サラちゃん。飲もうか」

「もう十分飲んでますし、そろそろお水を」

「君が飲んだら飲んだ分だけ、ルークの話をしてあげる」

「さて、飲みましょうか。ルークにやり返すためにも、何か弱みを聞いておかないと」

「あはは、さすがだね。すみませーん！　もう一本追加で」

　そんなレイヴァン様の言葉についつい乗ってしまったせいで、それから一時間も経たないうちに私の記（き）憶（おく）は途（と）切（ぎ）れることになる。

＊＊＊

「大丈夫ですか？　サラ」

「うん、いますぐなおすから、待ってて」

「……大丈夫ではなさそうですね」

　上司に付き合って席を外しているうちに、レイヴァンがサラを泥（でい）酔（すい）させてしまっていた。

　彼女はヒビの入ったグラスに手をかざし、「なおれ！」なんて言っていて、レイヴァンは腹を抱（かか）えて笑っている。意識はあるものの、ふらふらとしていて顔も身体（からだ）も赤い。

　戻ってきた俺を見るなり、サラは嬉しそうにふにゃりと笑った。

　その可愛らしい姿に、悔しいくらいに心臓が高鳴ってしまう。

「サラちゃん、本当に面（おも）白（しろ）かったな。また誘うわ」

「お前は飲ませすぎだ」

「ルークがいるから、安心して飲ませられるんだよ」

　そんなことを言うレイヴァンと店の前で別れ、ぐったりとしているサラを背負うと俺は帰路についた。屋敷までは歩いて二十分くらいの距（きょ）離（り）のため、彼女の酔いが夜風に当たることで少しでも落ち着けばいいと思い、そのまま歩いていく。

　少し歩けば建物も人も減り、静かな時間が訪（おとず）れた。

「ルーク、あったかい」

「サラも温かいですよ」

　そう呟（つぶや）いた彼女は温かくて小さくて、軽くて。そんな彼女に自分は救われ、守られていたのだと思うと、不思議な気分だった。

「あれ、レイヴァン様は？　いなくなっちゃったね」

「さっき別れましたよ。サラは飲みすぎです」

「大人だからいいの！　ルークはまだ十一歳だからだめです」

「いつの話をしているんですか。今の俺は二十六歳です」

「あれ？　そっか、そうだっけね。ちっちゃいルーク、かわいかったなあ。ひよこみたいにいつも私の後をついてきて……おぼえてる？」

「はい。サラとのことは、全て覚えていますよ」

　今はサラが小さい子どものようで、昔は大人びて見えていた彼女の可愛らしい一面に、思わず笑（え）みがこぼれる。

「……あ、あたま痛くなってきた……にんげんやめる」

「やめないでください。大丈夫ですか？　何か俺にして欲しいことはありますか？」

「なんでも、いいの？」

「はい。どんなお願いでも聞きますよ」

　水を買ってきて欲しいとか、その程度のお願いだろうと思っていたけれど、やがて彼女から返ってきた言葉は予想外のものだった。

「しあわせに」

「サラ？」

「ルークに、しあわせになってほしいな。むかしからずっと、それだけなんだ」

　思わず、足が止まった。

　ひどく優しい彼女の声に、言葉に。視界が滲（にじ）んでいく。

「……本当にそれが、サラの一番の願いなんですか」

「うん、おねがいね」

　そう言うと、サラは俺の首元にぎゅっと腕を回した。

　──サラはいつだって、俺のことばかりだ。

　自分よりも俺のことばかりを優先して、俺のことを何よりも大切に思ってくれている。

「お願いですから、これ以上好きにさせないでください」

「んー？」

「サラは本当に、ずるいですね」

　好きにさせるだけ、好きにさせて。いつだって、俺の気持ちには気づいてくれない。

　それでも俺は、そんなサラが好きなのだ。

　きっと今の俺はまだ彼女にとって家族であり、弟のような存在でしかない。子（こ）ども扱（あつか）いされているのが何よりの証（しょう）拠（こ）だった。

　たとえ好きだと伝えたところで、いつもの笑顔で「私も好きだよ」と、俺とは違う「好き」が返ってくるのだろう。

　けれど俺はもう、彼女に守られているだけの無力な子どもではない。

　小さな子どもでも家族でもない、一人の大人の男だとサラに意識してもらえるその日まで、この気持ちは伝えないでいようと思う。

「──サラがいてくれるだけで、俺は幸せですよ」

　そんな言葉は、静かに寝（ね）息（いき）を立てている彼女に届くことはないまま、夜に溶（と）けていった。