9.力を持つもの
私は変わらず、ナサニエル病院で働く
「……はあ」
けれど最近の私はなんだかおかしい。常にルークのことばかりを考えてしまうのだ。
今だって
『まだ分からないんですか?』
あの日のルークの表情や声が、頭から
このままではいけないと思いつつ、再び
「サラ、
「はい! すぐに行きます!」
「まずい、もう
「私が代わります!」
魔力切れを起こしかけている先輩と代わり、すぐに重傷患者に両手をかざし、
その後も
「あー、
「ていうかサラ、なんでまだまだ元気なわけ? 魔力量どうなってんだ?」
先輩方は
私は自身の手のひらを見つめながら、
その日の仕事終わり、エリオット様に呼び出された私は医院長室を
向かい合うようにお高そうなふかふかの
「今日はお疲れ様でした。大変な時に留守にしていて申し訳ありません」
「いえいえ、皆さんが無事で本当に良かったです」
今日エリオット様は用事があって病院を留守にしており、
「明日はいよいよ
「多分大丈夫です。あまり疲れていないので」
ぐっとガッツポーズをしてみせると、エリオット様は「なるほど」と
「最近の
「えっ?」
「いいですか、サラ。行きすぎた力を持つというのは、いいことばかりではありません。それが知れ渡れば、良くも悪くもその力を利用しようとする人間が出てきます」
私も最近、自身の治癒能力が高すぎるというのは感じていた。周りの光
そしてそれはやはり、私が「渡り人」だからなのだろう。
「サラとの付き合いは長くはありませんが、貴女のことを少しは理解しているつもりです」
「……はい」
「怪我人がほぼ出ない剣術大会ならば問題はないと思っていましたが、遠征となると話は変わってきます。うまく能力を
国というスケールの大きい話に、心臓が
今まであまり考えまいと目を
「貴女の知人のルーク・ハワードもそうです。彼もあれほどの力を持つ限り、一生騎士団から離れられないでしょうね」
「ルークが、ですか?」
「はい。この国はそういう場所だということを覚えておいてください。権力や金に
「……分かりました。教えてくださり、ありがとうございます」
「この病院内では、私がいくらでもカバーします」
そう言って、エリオット様は
今後は渡り人だとバレるのを避けるためにも、自身の行動に気をつけなければ。
ルークが言っていた通り、遠征に行くのは約束した一度だけにしようと思う。今回もいつまでここにいられるかも分からないのだ、なるべく
それでも明日はしっかり仕事をしようと決めて、私は医院長室を後にしたのだった。
***
「おはようございます、サラ」
「あ、ルーク。おはよう、どうしたの? そんなに急いで」
「サラがもう家を出るようだと、使用人から聞いたので」
翌朝、いつもよりも早く
そんな姿も可愛いと思ってしまいつつ、やはり落ち着かない気分になってしまう。
「今朝はやけに早いですが、どうかしたんですか?」
「今日は騎士団の遠征についていく日だから、もう家を出なきゃいけなくて」
「は」
ルークは切れ長の両目を見開き、信じられないという表情を浮かべている。
「今日だなんて聞いていません」
「今言ったよ」
「事前に教えてください。……最近のサラ、俺のことを避けていますよね?」
「さ、避けてないよ」
「サラは
ぐっ、と
ルークを避けている自覚はあるし、最近の自分は変だとも思う。けれどそれがなぜなのか、私は分からずにいる。
「サラ」
「と、とりあえず、帰ってきたらまた話そう! 行ってきます!」
それだけ言うと、私はルークから
***
それから一時間後、私はティンカと共に遠征に向かう馬車に
彼女とはすぐに意気投合し、お
ティンカは平民出身で、騎士団では遠征や事務仕事を手伝っているらしい。
「それにしても、こないだは本当にびっくりしたんだから。ルーク師団長があんなふうに喋ってるの、初めて見たもの」
「ルークが失礼な態度をとって、本当にごめんね」
「いいのいいの。それよりも、ルーク師団長はどんな美人が話しかけたって、『ああ』くらいしか言わないことで有名なのよ? そこもいい、って言われてるけど」
「えっ、そうなの?」
ルークが
「カーティス師団長にあんな態度をとっているのだって、初めて見たもの」
ティンカはやがて、じいっと私の顔を見つめた。
「ねえ、本当の本当に、ルーク師団長とは
「そんなこと……」
「あんなの、
「……小さい
剣術大会の翌朝の発言から、異性として好かれているのではと私も思い始めていた。
ずっとルークは姉のように
「ルーク師団長はすごく人気なんだからね。うかうかしてると他の人に取られちゃうよ」
「ティンカこそ、カーティス師団長が好きだったりとか?」
「ないない、あの人絶対に性格悪いもん」
「えっ? 友達になってくれたしティンカも
「……サラって、悪い人にすぐ
ルーク師団長が不安になるのも分かるわ、と窓の外へと視線を向けたティンカは、どこか
そんな話をしているうちに、馬車は目的地へと
「なんだか
「分かるわ、私も初めての遠征はすごく
ティンカはそう言うと、ぎゅっと私の手を
──今回はアスリア森林という森にて、
名前の通り大きな蛇らしく、想像しただけでも
巨大蛇は非常に数が少なく、その
魔獣としては危険な部類に入るらしいものの、この人数ならば問題ないとのことだった。
「私はずっとサラの側にいて、危ないと思ったらすぐに王城に飛ぶことになってるから」
「うん、よろしくお願いします。転移魔法って、本当にすごいね」
「魔力消費がすごいから、十日に一回くらいしか使えないんだけど」
貴重で
ティンカの存在は、とても心強かった。
「サラちゃん、今日はよろしくね」
「カーティスさん、こちらこそよろしくお願いします」
「サラちゃんには後方で、運ばれてくる怪我人をどんどん治してもらうから、お願いね」
「はい、
しっかりと役に立ち全員が無事に帰れるよう、私は気合を入れた。
***
「ルーク師団長、書類をお持ちしました」
「ああ、すまない」
「いえ。他に何か
「……今日の第三師団の遠征先は分かるか?」
書類に視線を落としペンを持つ手を動かしながら、俺は部下にそう
まさか今日が、第三師団の遠征の日だとは思わなかった。最近はサラに避けられているのを気にしていたせいで、そこまで頭が回っていなかったことを
『俺は十一歳の頃からずっと、彼女だけが好きなので』
彼女の様子がおかしくなったのは、暗に好きだと伝えてからだ。
最初は、
サラに避けられ、あまり会話できていないのは
──彼女に、好きになってもらいたい。ずっと
たったそれだけが、何よりも難しかった。それでも
「確か遠征先は、アスリア森林だったはずですよ。巨大蛇の討伐だとか」
「そうか」
討伐の難度としては、低くはない。とは言え、カーティス師団長が率いる実力者の多い第三師団ならば、問題はないだろう。
そうは分かっていてもサラのことが気になって、心配で仕方がなかった。
今日は元々、午後休の予定だ。急ぎで仕事を終わらせ、アスリア森林にサラを
***
行きと同じ道を歩いて戻り、森の入り口へと向かう。
先程この道を通った時には緊張や不安でいっぱいだったものの、無事に巨大蛇の討伐を終えた今は、
「
不思議な光を感じた私は、気がつけば皆とはぐれてしまっていた。再び不安に
見知らぬ森の中に一人でいると、初めてこの世界に来た時を思い出してしまう。
いくら歩いても
「……はあ」
こんな時でも、やっぱり思い浮かぶのはルークのことで。今朝、逃げるようにして屋敷を出てきた時の彼の寂しそうな表情を思い出すと、罪悪感で胸が痛んだ。
どうして、こんなにもルークのことを考えると落ち着かなくなってしまうのだろう。
ついこないだまでは、こんなことも無かったのに。
そうして頭を
「────」
そこには、毒々しい色をした巨大蛇の姿があったからだ。
先程のものより二回りほど小さいところを見ると、まだ子どもなのかもしれない。それでも私を一口で食べてしまいそうなくらい大きくて、恐ろしい姿をしている。
頭が真っ白になり、ようやく逃げなきゃ、と思った時にはもう
「や、やだ、助けて! っルーク!」
そのまま地面を引きずられていきながら、生まれて初めて死を意識した時だった。
「サラ!」
聞き
それと同時に、足首を
──どうして、ここにいるのだろう。
引きずられていたせいであちこちが
耳を
そして目の前の光景が信じられず、
「どうして一人になったりしたんですか!」
ルークがこうして私に
その悲痛な表情や声からは、よほど心配してくれたのが伝わってきて泣きたくなる。
「っごめん、なさい……
「虹色の光……まさか
どうやら人を迷わせる効果がある蝶がいるらしく、私が
肩を摑んでいた手が
「サラは悪くないのに、怒鳴ってしまってすみません。怖い思いをしたでしょう」
「ううん、助けてくれてありがとう」
そうは言ったものの、私の手足はまだ小さく
ルークが助けに来てくれなかったらと思うと、ぞっとする。
ぎゅっとルークの服を摑めば、彼はよりきつく抱きしめてくれた。ルークの優しい体温に、柔らかないい香りに、少しずつ恐怖が和らいでいくのが分かった。
「サラが心配で、仕事を終えてすぐにここへ来たんです。サラの姿が見えなくなったと聞いてからは、生きた
「ルーク……」
今朝もあんな態度をとってしまった私を、ルークは心配してここまで来てくれたのだ。
罪悪感や嬉しさで心の中がぐちゃぐちゃになって、視界がぼやけていく。
「お願いですから、もうこんな心配はかけないでください」
「っうん、ごめんなさい。ルーク、助けに来てくれて、ありがとう……」
「はい。俺はサラのためならなんでもしますから」
ルークは、私に優しすぎる。優しすぎて、怖くなる。いつかルークがいなければ
「サラが無事で、本当によかった」
少しだけ泣きそうな顔をして微笑んだルークの顔を見た
ルークの顔を見ているだけでどきどきして、胸がぎゅっと
──この気持ちは、一体なんだろう。
答えは出ないまま、私は目を閉じてルークの体温にそっと身体を預けた。