1.一度目の出会い


 今からさかのぼること一ヶ月前、私・咲良サラはこの世界にやってきた。

 料理がしゅへいぼんなOLだったというのに、自分の部屋でのんびりとテレビを見ていたところ、気がつけば見知らぬ森の中にいたのだ。

 そして訳も分からず半泣きで裸足はだしで歩き続けていた時に、私はモニカさんと出会った。

 暗いこげちゃ色のかみを後ろでひとつにまとめ、エプロンをかけている彼女はとてもやさしげな、おだやかなふんまとっていた。ねんれいは母と同じくらいだろうか。

 近くで食堂を経営しているらしく、モニカさんは困り果てていた私を連れ帰り、

した足を手当てし、ゆっくりと話を聞いてくれた。

「私、さっきまで家の中にいたのに、気がついたらあの森の中にいたんです。街も人も、私が住んでいたところとは全然ちがっていて……」

「サラは転移ほう使つかい、ってわけでもないんだね?」

「えっ? ま、魔法使い?」

 信じられないという顔をする私を見て、モニカさんは「なるほどね」と深くうなずいた。

「ああ。魔法のない世界から来たサラはきっと、わたびとなんだろう」

 モニカさんの話によると、ここはリーランド王国という異世界らしい。私のような別の世界から来た人間は「渡り人」と呼ばれているという。

「渡り人というのは急に現れて、急に消えると聞くよ。だからサラも、いつか元の世界に帰れる日が来るさ。それまでここで好きに暮らすといい」

 モニカさんの祖父もまた、過去にこの世界に来たばかりの渡り人を助けたことがあったらしく、彼女は「これも何かのえんかもしれないねえ」と笑っていた。

 そしてこの世界には一定数魔法を使える人々がいて、渡り人と呼ばれる私のような人間はまれに、とくしゅな魔法が使えることがあるらしい。

 私もつい先日モニカさんが怪我をした際に、手当てをしながら「治って欲しい」と強く念じたのがきっかけで、魔法を発現していた。手をかざして念じるだけで怪我を治せるこの魔法は、とてもめずらしく貴重なんだとか。

 さすが異世界だと、感心してしまったおくがある。

 ――最初は訳も分からず不安で、何度も元の世界にもどりたいと思った。

 けれど周りの人達はみな優しくて、今ではモニカさんの食堂で働き、たまに近所の人々を治癒魔法で手当てしたりしながら、平和で穏やかな日々を送っている。

 元の世界では仕事をしてるだけのつかった日常を送っていた私にとって、この世界での生活はとてもここよく、まんきつすらしていた。

 食堂での仕事のきゅうけい中、そんな転移してきた当時のことを思い出しながらお茶を飲んでいると、ちゅうぼうにいたモニカさんに声をかけられた。

「すまないが、森からいちごを採ってきてくれないかい? デザート分を切らしてしまって」

「はーい、分かりました!」

 受け取ったカゴを持つと食堂を出て、近くの森へと向かう。今ではこの辺りなら、一人で迷わず歩けるようになっていた。

「――えっ?」

 そうして木苺のある辺りまで歩いてきた私は、草むらの中に傷だらけの男の子がたおれているのを見つけ、思わず足を止めた。

 あわててるとその身体からだは小さくふるえていて、声をかけても反応はない。私は羽織っていたローブをその子にそっとかけると、すぐに治癒魔法をかける。

「お願い、治って……!」

 ここまでひどい怪我を治すのは初めてで、不安になりながらも手をかざし続けた。

 そうしているうちに、なんとか目に見える傷は全て治ったようであんする。けれど全身ひどくよごれているため、まだかくれている怪我はあるかもしれない。

「よいしょ、っと」

 このまま放っておくわけにもいかず、私は男の子を背負うと急いで街へと戻った。小さな身体は、信じられないほどに軽かった。

 まずはモニカさんをたよろうと、裏口から食堂へと入る。すると食器をかかえた彼女は私を見るなり、おどろいたように両目を見開いた。

「サラ? その子は一体どうしたんだい?」

「森で倒れていたんです。一応怪我は治したんですが、どうしたらいいか分からなくて」

「とにかく二階のベッドまで運ぼうか。今いるお客さんを帰したら、私もすぐに行くよ」

「分かりました、ありがとうございます!」

 そのまま二階にあるモニカさんの家へおじゃし、来客用のベッドに男の子を下ろした。

 とりあえず酷い汚れだけでもいて落としてあげようと思っていると、血色の悪いくちびるからは小さな声がれた。

「っう……」

 すすけた顔がゆがみ、ゆっくりとその目が開く。

 そうして現れたのは、二つの美しい黄金のひとみだった。

だいじょう?」


 声をかけると、男の子は私を見てびくりと身体を震わせる。

 いきなり見知らぬ場所で見知らぬ大人が目の前にいれば、驚くのも当然だろう。少しでも安心して欲しくて、私はがおを向けた。

「私はサラっていうの。君が森の中で倒れているのを見つけて、ここに連れてきたんだ。いやがることもこわいことも何もしないから、安心してね」

「…………」

「治癒魔法をかけたんだけど、まだどこか痛いところはある?」

 数秒の後、小さく首を左右にってくれてほっとする。怪我は全て治せたらしい。

 それからすぐにモニカさんが来て、全身汚れていた男の子がおに入っている間に、

身体に優しい食事を作ってくれることになった。

「わあ……!」

 シーツをえ、軽くそうをしながら待っていると、やがてお風呂場から出てきたのは信じられないくらいにれいな顔をした少年、いや天使だった。

 汚れていた髪は海の底のように深い青色で、煤けていたはだとおるように美しい。長いまつふちられた金色の瞳は、整いすぎた顔をさらに引き立てている。

 それからは食事ができるまで並んでソファに座り、話を聞いてみることにした。

「改めまして、私の名前はサラです」

「……サラ」

「うん。よろしくね」

 こうして近くで見ても、まるでせいこうな人形のように綺麗な顔立ちをしている。

 そんな彼は、感情の読めない瞳で私を見つめていた。

「……どうして、助けてくれたんですか」

 やがて形のいい唇からは、そんな問いがこぼれた。

 思い返せば、モニカさんに助けてもらったあの日、私も同じことをたずねた記憶がある。

「私も困っている時に、助けてもらったことがあるから」

 そしてその時に返ってきたのが、この言葉だった。

 元々私は世話焼きな方ではないし、正義感が強いわけでもない。それでもこの世界に来た時に、私は一人ぼっちの怖さやさびしさを知ったのだ。そして、人の温かさも。

 モニカさんが助けてくれなければ、いまごろどうなっていたか分からない。どこかへ売り飛ばされていた可能性だってある。

 だからこそ、こんな私でもだれかを救えるのなら、この手をべたいと思った。

「名前、聞いてもいい?」

「……ルーク、です」

「すごく綺麗な名前だね、君にぴったり! 教えてくれてありがとう」


 思わず笑みをかべた私に対して、ルークはやはり不思議そうな視線を向けている。

 ――これが、私とルークの一度目の出会いだった。

「そう言えば、ルークって何歳だっけ? 八歳くらい?」

「……十一歳です」

「あっ、そうなんだ! ごめんね、よく分からなくて」

 ルークを連れ帰ってから、あっという間に一週間がった。

 少しずつ会話はしてくれるようにはなったものの、どこから来たのか尋ねると口を閉ざしてしまう。どうして怪我をしてあの場所で倒れていたのかも、分からないまま。

「ルークはきっと、いい家の子だと思うよ」

 読み書きもしっかりできるし、ひとつひとつの動作にも品がある。もしかすると貴族令息の可能性もあると、先日モニカさんがこっそり教えてくれた。

 きっと、ルークの家族だって心配しているはず。

 そう思い、日本で言う警察と同じ役割をしているらしい憲兵団へ行こうと声をかけてみたのだけれど。なぜかルークは私のうでをぎゅっとつかみ「やめて欲しい」と泣き出しそうな表情を浮かべ、嫌がったのだ。結局、それ以上は何も聞けずにいる。

 モニカさんは料理のみなどもあり不規則な生活を送っているため、今は私のアパー

トでルークのめんどうを見ていた。

「ねえ、ルーク。実はね、カードゲームを買ってきたんだ。これ、やったことある?」

「少しだけ」

「良かった! いっしょに遊んでくれる?」

 小さく頷いてくれたルークに、みがこぼれる。少しでも仲良くなりたくて、私は毎日ルークにたくさん話しかけ、一緒に遊んだり本を読んだりしていた。

「わ、また私の勝ち!」

「……もう一回、やりたいです」

「ふふ、もちろん! 今度はルークが先行でいいよ」

 さすがに倍生きているだけあって、ルールを覚えたたんに私ばかりが勝つようになってしまう。意外とけずぎらいらしいルークのねたような表情が、わいすぎて困る。

「はい、次はルークの番ね」

 ルークはとてもいい子で、一緒に暮らすのは楽しい。

 けれど、いつまでもこのままではいられないと私は頭をなやませていた。



***



「テーブルを片づけたら、上がっていいよ。そこの皿のも二人で食べな」

「はい、ありがとうございます!」

 そして私は変わらず、モニカさんの食堂で働き続けている。私の仕事中、ルークは二階のモニカさんの家で過ごしていた。

 片づけを終え、モニカさんが用意してくれた焼きを持って二階へ上がる。

「ルーク、お待たせ!」

「サラ、お疲れ様です」

「ありがとう。これ、一緒に食べよう! とっても美味おいしそうだね」

 ルークはいつも私を待っている間、机に向かい本を読んだり勉強をしたりしていた。私が子どものころなんて母におこられて、ようやくえんぴつを手に取ったというのに。

 お手伝いもいつも進んでしてくれて、ルークは驚くほどに真面目ないい子だった。

「今日も魔法について勉強してたんだ、えらいね」

「はい」

 私もルークと一緒に少しずつ、このリーランド王国や魔法についての勉強を始めている。


 この世界では、人口の三割程度の人間が魔法を使えるのだという。

 魔法使いは貴重なため、十二歳の誕生日をむかえると国民全員、魔法省により適性があるかどうか調べられるらしい。

 大体が十二歳になる前に魔法を使えるようになるものの、力がねむったままのこともあるようで、その場合は特別な魔法を用いて起こしてもらうことになっている。

 せき制度も完全ではないため、ひんみん街などで暮らす人々など、管理しきれずにのがしている魔法使いも多くいるらしく、魔法を使った犯罪も後を絶たないんだとか。

「属性魔法についての本を読んでいました」

「そうなんだ。ルークは水魔法か風魔法、ってイメージかな」

 基本は皆、地・火・水・風の四種類の属性のうちひとつを持つ。それ以外には光・やみがあるけれど、どちらも希少で、特に闇魔法を使える魔法使いは現在いないようだった。

 ちなみに治癒魔法が使える私は、光属性持ちだ。

 周りからはそれだけで食べていける、お金持ちにだってなれると言われたけれど、モニカさんのところで働き続けたい私はさっぱり気にしていなかった。

 たまにこの街で怪我した人をおづかい程度のお金をもらりょうしてはいたけれど、本来ならば治癒魔法というのは高額な対価を求めるものらしい。

「ルークはどんな属性魔法が使いたいの?」

「自分の身を守れるようなこうげき魔法が使えたら、なんでもいいです」

「なるほど……確か、攻撃魔法は光魔法使い以外なら使えるんだよね?」

「はい、そうです」

 治癒魔法が使える光魔法使いはゆいいつ、攻撃魔法が使えないのだ。

 どうかルークが望む魔法が使えるようになりますように、といのらずにはいられなかった。



***



 そうしてルークと暮らし始めて半月が経った、ある日の仕事終わり。今日の夕飯は何にしようかと話しながら二人で食堂を出て、アパートへと戻ろうとしていた時だった。

「よお」

 とつぜん、私達の前にふさがるようにして、見知らぬ男性が現れた。見るからにあやしく、けるようにして通り過ぎようとしたけれど。

 私の少し後ろにいたルークは、ぴたりと足を止めた。

「―― にい、さま」

「えっ?」

 まさかこの男性が、ルークのお兄さんなのだろうか。

 ルークの家族については結局何も分からないままで、実は明日にでもこっそり憲兵団に行ってそうさく願が出ていないかどうか、調べてもらおうとしていたところだった。

 無事に会えてよかったと思いながら、男性へと視線を向ける。

「よくもげやがって、探すのにも金がかかったんだぞ。ま、れいなまま生きててくれて助かったよ。その分もかせいでもらわねえとな」

「……っ」

 けれど兄と名乗る男性を前にして、ルークはひどくあおめ、震えていた。ルークと出会ってからというもの、こんな様子は初めて見た気がする。

 嫌な予感がした私は、ルークを背中にかばうようにして男性と向き直った。

「おいおい。さっそく女に取り入ってんのか? その調子でカイラ様のこともたのむよ」

「……あの、すみません。本当にルークのお兄さんなんですか? とてもご家族の言葉とは思えないんですが」

「時間がねえんだ、どいてくれ。おい、帰るぞ」

 そのしゅんかん、私は思い切り地面にばされていて。痛みで動けずにいる間に、男はルークの腕を摑み、歩き出した。

「っはなし、て……!」

「あ? 邪魔だな」

 このまま、ルークを男の元に帰してはいけない気がする。

 そう思い男の腕を必死に摑んだところ、髪の毛を摑まれ無理やり立ち上がらされた。ブチブチと髪の毛がける音と共に、頭皮に激痛が走る。

 見知らぬ女性相手にいきなりこんなことをするなんて、どう考えてもまともではない。ちがいなく、話が通じる相手ではなかった。

「っ兄様、やめてください……! 僕、ちゃんと行きますから! どうかサラだけは」

「お、よく見ると綺麗な顔してるじゃねえか。この女もお前と一緒に売る、、、、、、、、のもいいな」

 ―― 売る?

 自身の耳を疑い、痛みにえながら目の前の男の顔を見上げる。

 そんなまどいが顔に出ていたのか、男は気味の悪い笑みを浮かべ口を開いた。

「知らなかったのか? こいつ、金持ちのババアに売り飛ばそうとしたら逃げたんだよ。前金も貰ってたから困ったわ」

「何を、言って……」

 実の兄弟にそんなことをするなんて、信じられない。

 同時に、あの日のボロボロの姿のルークを思い出す。どれほど怖い思いをして、必死に逃げてきたのだろう。そんなルークの気持ちを思うと、強いいかりがげてくる。

「あなたなんかにルークは渡さない! ルーク、早く逃げて!」


 私はそうさけぶと、目の前の男の顔をかたに下げていたかばんで思い切りなぐった。

 鞄の中にはルークが読んでいた分厚い本が入っていたこと、不意打ちだったことにより、男はバランスをくずし地面に倒れ込んだ。

「っサラ……!」

「私は大丈夫だから、早く!」

 ハッとしたように顔を上げたルークに、必死に声をかける。

「よくも、ルークを……!」

「っちくしょう、このクソ女!」

 何度も鞄をたたきつけ、少しでも時間を稼ごうとしたけれど、すぐにふらふらと立ち上がった男によって再び腕を摑まれてしまう。

 その顔ははっきりと分かるくらい、怒りで歪んでいる。

 やがて男がもう一方の腕を振り上げ、殴られる、とぎゅっと目を閉じた瞬間だった。

「ぐ、あっ」

 私の目の前を、何かがものすごいスピードで通り抜けた。

 それと同時にうめき声のようなものが聞こえ、ぐらりと男の身体が地面へと倒れ込む。

「……ルーク?」

 一体、何が起きたのだろう。

 ルークの小さな手のひらは男へとまっすぐに向けられていて、その先に倒れる男の身体には無数の氷のかたまりが突きさっている。

 ルークが発動した魔法だと、すぐに気がついた。

「――よくも、サラを」

 なおも彼が発する氷の塊は、じゅうだんのように男の身体に打ち込まれていく。

 あまりのその勢いに、私は慌てて声を上げた。このままでは死んでしまう。

「ルーク、もうやめて!」

 けれど私の声は、ルークに届いていないようだった。

 正直、この男は死んでもいいと思うくらいには許せない。それでも、こんな小さな男の子を人殺しにするわけにはいかないと、更に大きな声でルークの名前を呼ぶ。

「ルーク!」

 私はなんとか立ち上がり、何度呼びかけても反応がないルークの元へと駆け寄ると、その小さな身体をきつくきしめた。

 落ち着かせるように、何度も「大丈夫」をかえす。

「もう、大丈夫だよ。大丈夫だからね」

「……サ、ラ?」

 そうしているうちにルークは我に返ったらしく、その視線はしっかりと私へと向けられていた。彼の周りにあった氷も消えており、ほっと胸をろす。

「っサラ、血が……」

 そんな中、慌てたように言ったルークの視線を辿たどれば、私の腕からは血が出ていた。

 どうやら彼の元へと向かう際に、彼の発した氷がかすってしまったらしい。ルークを止めるのに必死で、全く気がついていなかった。

 ルークはそんな私を見て、ぽろぽろとおおつぶなみだを流している。

「泣かないで、私は大丈夫だから。こんなのすぐに治せちゃうもの」

 気がついた途端にずきずきと痛み出したものの、笑みを浮かべ、すぐに治してみせる。

あっという間に治った腕を見せると、ルークの瞳からは余計に涙が溢れた。

「サラ……っごめんなさい……ごめんなさい……!」

「ううん、助けてくれてありがとう。それにルーク、魔法使えたね! 良かった」

 私はそう言って笑うと、ルークのやわらかなこんがみを撫でた。

 さわぎを聞きつけた近所の人が通報してくれたことで、男は憲兵団によってたいされた。

 私はルークと共に事情ちょうしゅを受け、男は重傷だったものの正当防衛を認められた。

 男はかなり重いけいになることが予想されると、事情聴取を担当していた憲兵さんが教えてくれた。この国では人身売買は重罪らしい。

 そして帰宅後、ルークから話がしたいと言われた私は彼と二人並んでソファに座り、ホットミルクを飲みながら話を聞くことにした。

「……今まで、色々と隠していてごめんなさい。家に帰されると思って、言えなくて」

「ううん。大丈夫だよ」

 ルークは長い睫毛をせると、静かに口を開いた。

「僕はエイジャーだんしゃく家の人間です。数年前までは、優しくて仲のいい両親の元で幸せに暮らしていました。けれど母が突然馬車の事故でくなり、父は心をんでしまって……そんな父の弱さにつけ込み、やってきたのが義母やけい達でした。やがて彼らは父がはや病で亡くなったのをいいことにごうゆうし、家はあっという間に借金まみれになりました」

 元々さしてゆうふくなわけでも、力があるわけでもないエイジャー男爵家はこのままではぼつらくしてしまう。そう思ったルークは、必死に彼らを止めたという。

 けれどあの義兄はルークの話を聞き入れないどころか、邪魔な彼を売り飛ばせば一石二鳥だと、美少年好きの貴族女性へ大金とえに養子に迎えるけいやくをしたらしい。

「売られる直前、なんとか逃げ出した先で手持ちのお金もうばわれて……」

 命からがら逃げ出して一週間ほど経った頃、森をさまよ徨っていた時にがけから落ちてしまい、あの怪我をしたようで。その後、私に拾われたのだとルークは言った。


 ルークには何か事情があるのかもしれないと思っていたけれど、こんなにもつらい経験をしていたことを知り、胸が痛んだ。

 売られそうになる前も、家の中で彼がいいあつかいを受けていなかったことは明らかだった。

「話してくれてありがとう。辛かったね」

 そっと手を伸ばして、ルークを抱きしめる。するとひかえめに背中に腕が回された。

「――家に、帰りたくない」

 やがてルークは消え入りそうな声で、そうつぶやいた。

 あの義兄がいなくなったところで、まだ家にはルークに酷いことをした義母達がいるのだ。そんな場所にルークを帰すのは絶対に嫌だった。

「ねえ、ルーク。良かったら、これからもここで一緒に暮らさない?」

「……いいん、ですか?」

「もちろん。私もルークがいてくれたらうれしいもの」

 するとぱっと顔を上げたルークの目には、みるみるうちに涙がまっていく。

「っ僕も、サラと一緒に、暮らしたい……」

「本当に? 良かった」

 柔らかな紺髪を撫でれば、太陽のような金色の瞳からはぽろぽろと大粒の涙が溢れた。

「これからもよろしくね、ルーク」

 二十歳になったばかりの私はつい最近まで自分が子どもだったようなもので、子どもの育て方だって、この世界のことだって分からないことばかりだけれど。

 それでもこの子を守ってあげたいと、強く思った。

「……サラ、ありがとう」

 そして私達は二人寄りったまま、いつの間にか眠ってしまったのだった。

 それからというもの、私とルークとのきょは縮まったように思う。

 親鳥の後を追うひなのように、常に私の後をついてくるのだ。私もなついてくれ始めたルークが、可愛くて仕方なくなっていた。

「また勉強してるの?」

「はい。魔法の扱い方を学んでいました」

「わあ、偉いね! きっと努力家のルークはすごい魔法使いになれるよ」

「ありがとうございます。……サラを、守れるようになりたいんです」

 魔法に関する分厚い本をぎゅっと抱きしめてほおを赤く染め、照れたように呟くルークの可愛さに、胸がめつけられる。もはや尊い。

「ありがとう。すごく嬉しい!」

 そう告げれば、出会った頃よりもふっくらとしてきた柔らかな頰は、更に赤く染まる。



 今まで辛い思いをしてきた分、ルークのために私にできることはなんでもしてあげたい。

 そう、心の底から思った。



***



 事件から一週間が経った、ある日の昼下がり。ランチでやってきていたお客さんが全てけ、もくもくとテーブルを拭いていた私は内心頭を悩ませていた。

「……私がルークにしてあげられることって、何があるだろう」

 何かしてあげたいとは思ったものの、実際に何をすればいいのか分からないのだ。

 そうしているうちに来客を知らせるドアベルが鳴り、私は「いらっしゃいませ」と顔を上げる。するとそこには、昔からの常連だという男性客の姿があった。

 いつもの定食を頼んだ男性は「今日もモニカの料理は美味しいな」と料理を食べていたけれど、やがて「ああ、そうだ」と私へ視線を向けた。

「確かサラちゃんは、光魔法を使えるんだったね。治癒魔法を使って働いてみようと思ったことはないかい?」

「治癒魔法を使って、ですか?」

「うん。僕の古い友人が経営している王都の病院で、人手が足りず困っているようなんだ。給料もかなりいいはずだから、ここの休みに働くのはどうかなと思って」

 大体の給料を聞いてみたところ、「えっ」という声が出てしまうような高額だった。治癒魔法の貴重さを改めて実感していた私はふと、ひとつの考えが浮かんだ。

 ――今の私がルークにできるのは、少しでもお金をめておくことではないだろうか。

 子どもを育てるのにはお金がかかると言うし、何よりお金はいくらあっても困らない。

「あの、くわしく話を聞いてもいいですか?」

 その後、男性から話を聞き取り次いでもらった私は、翌週の食堂の休みから早速、病院でのバイトを始めることになった。



***



 私達が住んでいる街から王都へは馬車で三十分ほどで、片道一時間半の通勤電車にられていた頃に比べれば楽なものだ。

「サラさん、こちらのかんじゃもお願いします! 急いで!」

「は、はい!」

 バイトを始めてから、あっという間に一ヶ月が経つ。

 習うより慣れろとはよく言ったもので、いそがしすぎるかんきょうの中、がむしゃらに魔法を使い続けていた結果、かなり魔法をコントロールできるようになった気がする。

 そして驚いたのが、自身の治癒能力の高さだった。

「もしかすると、サラは国内でも五指に入る光魔法の使い手かもしれません」

 私が勤めるナサニエル病院の医院長であるエリオット様は、そう言ってほほんだ。

 美しく長いグレーの髪を後ろで結んでいる彼は、眼鏡がよく似合うかなりの美形で。年齢は私よりも一回り上で、優しいお兄さんという雰囲気を身に纏ったてきな男性だ。

 そんなエリオット様が言うには、私は他の職員に比べてりょく量がはるかに多いらしい。

確かにいくら魔法を使って治療をしても、全く疲れないのだ。

 治癒スピードに関しても、働きながらせんぱいがたの様子をそばで見ているうちに、自身がずば抜けて速いことにも気がついていた。

「やはり渡り人は、特別なんでしょうね」

 エリオット様には、私が渡り人であることもこっそりと話してあった。博識な彼は右も左も分からない私に、たくさんのことを教えてくれている。

 これほどの能力を持つ渡り人だと国にバレてしまえば、王国じゅつとして国のために力を使うよう強制される可能性もあるという。そうなれば今まで通りの食堂で働く生活はできなくなるため、隠しておくべきだという彼のアドバイスを私はしっかりと守っていた。


 仕事を終えて家へ戻ると、私の帰宅時間に合わせて食堂から帰ってきていたルークが、げんかんむかえてくれた。

「おかえりなさい、サラ」

「ただいま。今日もたくさんお給料をいただいたから、明日は本を買いに行こうね」

「……いつも、すみません」

「謝らないで。私はルークが喜んでくれるのが一番嬉しいんだから」

 そう言って頭を撫でると、ルークはなぜか泣きそうな、おもめたような顔をした。

「僕も働きます」

「えっ? どうしたの急に」

「サラはいつも働いてばかりいるし、お金が足りないんでしょう?」

「ち、違うの! どうしてもしいものがあるだけで、つうに暮らす分にはなんにも困ってないよ。むしろゆうがあるくらい。心配をかけてごめんね」

 最近は週に一回だった病院でのバイトを、更に増やしていたのだ。ルークにそんな心配をかけてしまっていたなんて、ともうせいする。

 ――どうして急に仕事を増やしたかと言うと、実はルークのためだった。

 リーランド王国では魔法が使える子どもは皆、十二歳になると魔法学院に通うという。

 この国は、貴族社会と言えど実力主義でもあった。平民でも能力があれば評価され、重宝される。特に魔法使いは、仕事に困ることはないらしい。

「魔法さえ使えればしょうで国立魔法学院に通えますが、やはり王都にあるテレシア学院とは、何もかもうんでいの差がありますね。卒業後の進路のせんたくもかなり変わるかと」

「なるほど……」

 先日、テレシア学院の卒業生であるエリオット様にも相談したところ、やはり名門であるテレシア学院に通わせた方が、間違いなくルークの将来のためになるとのことだった。

 初めてで水魔法の上位である氷魔法を使えたルークは、絶対にテレシア学院へ行き、その才能を伸ばすべきだ。きっと彼なら、すごい魔法使いになれるはず。

 テレシア学院に通うためには高額な学費が必要で、入学まであまり時間はない。

 とは言え、モニカさんの食堂と病院でのバイトで稼いだお金を合わせれば、なかなかの額になる。思いのほか、早く学費は貯まりそうだった。



***



 ルークと出会ってから、あっという間に四ヶ月が経った。

「今日の夕飯はね、ルークの好きなパスタだよ」

「サラが作ってくれる料理は、全部美味しくて大好きです」

 夕食を作っている私に、ルークはぴったりとくっついている。最近は以前よりも更に懐いてくれたようで、すごく嬉しい。

「本当に? いいおよめさんになれるかな?」

「……お嫁、さん」

 調子に乗った私がそう言うと、ルークは何かを考え込むような表情を浮かべた。

「サラはどんな人が好きなんですか?」

「えっ? 好きな男性のタイプってこと?」

「はい、そうです」

 まさかルークから、そんな質問をされるとは思っていなかった。

 姉ポジションの私としては色々教えてあげたいと思うけれど、れんあいに関しては初心者以下のため、自身の好きなタイプというものもいまいち分かっていない。

「ごめんね、ルーク。実は私、そういうのよく分からなくて……」

「どうしても大人の女性が好きな男性を知りたいんです。お願いします、サラ」

「うっ」

 ルークにキラキラとした瞳でうわづかいをされて、私がお願いを断れるはずなんてない。

 私はしばらく頭を悩ませた後、「ええと」と口を開いた。

「顔がかっこよくて、背が高くて、頭が良くて強くて、お金持ちな人とか……?」



「……顔がかっこよくて、背が高くて、頭が良くて強くて、お金持ちな人」

 その結果よくいる恋愛まんの主人公を思い浮かべながら、思いついたことをぽろぽろと口に出してみたのだけれど、そんな適当な答えをルークはしんけんな顔で復唱している。

 このままではなんだか良くない気がした私は、慌ててつけ加えた。

「あ、でもやっぱり優しいのが一番だと思うよ! 私も優しい人が好きだな」

「優しい人……分かりました、ありがとうございます」

 母も父の優しいところが一番好きだと言っていたし、私も優しい人は好きだ。

「まずは今日から、牛乳をたくさん飲むようにします」

 やがてぱっと顔を上げたルークはなぜか、苦手だった牛乳を飲むと宣言してくれたのだった。

「もうすぐ試験だね。勉強の方も順調?」

「はい。大丈夫だと思います」

「そっか。ルークはいつもがんっていて偉いね」

 やがて出来上がった夕食を食べながら、そんな会話をする。ルークはもうすぐ、テレシア学院の入学試験を控えているのだ。

 魔力検査と筆記試験の両方があるようで、簡単ではないと聞いている。けれどきっと、ルークなら大丈夫だろうという確信があった。

「合格したらお祝いしなきゃね。あ、何か欲しいものとかある?」

 しばらくルークは考え込むような様子を見せていたけれど、やがてぽっと頰を赤く染めて「あの、サラ」と口を開いた。

「僕がもし合格したら、デートしてくれませんか」

「えっ?」

 想像もしていなかったお願いに、私は間の抜けた声を漏らしてしまう。

 デートなんて言葉、いつの間に覚えたのだろう。きっと意味はあまり分かっていないだろうけど、その相手に私をさそってくれたのは嬉しい。

「うん、いいよ。楽しみにしてるね」

「っはい、頑張ります。約束です」

「うん、約束ね」

 照れたようにはにかむルークがあまりにも可愛くて、幸せな笑みがこぼれた。

 その後、寝るたくを済ませた私達は一緒にベッドに入った。

「そう言えばルークって、将来の夢とかってあるの?」

「特にはありませんが、安定して稼げる職業にきたいです」

「なるほど……! さすがルーク、けんじつだね」

「大人になったらしっかりとお金を稼いで、サラに色々な物を買ってあげたり、楽な暮らしをさせてあげたりしたいんです」

 やがて返ってきた可愛すぎる回答に感動した私は、ついルークの頭を撫でた、けれど。

 ――ルークが大人になった時に、私はこの世界にいるのだろうか。

 そんな疑問を、ふといだいてしまった。

 私はいつ元の世界に戻れるのだろう。

 一応、突然戻ってしまった時に備えて、ルークの今後についてや、貯めてあるお金の置き場所を記した手紙はモニカさんに渡してあった。

 今の私はこの世界にも、この世界の人々にも愛着がいている。それでも、元の世界には家族や友人だっているのだ。帰りたいと思うことだって、もちろんあった。

 向こうでは今、私はどうなっているのかという不安もある。

「……サラ?」

 色々と考えているうちにだまってしまっていた私を、ルークは心配そうな表情を浮かべて見つめていて。我に帰った私は、すぐに笑顔を向けた。

「ルーク、ありがとう。楽しみにしてるね!」

 とは言え、元の世界に戻る日が来るとしても、まだまだ先のような気がしていた。なんのこんきょもないままに、きっと数年は先だろうと私は思っていたのだ。

 


 けれどルークとの別れは、思っていたよりもずっと早くやってくることになる。






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