一章 二人のアコガレ(3)
さて。
「会長。どこまで店長から教わりまし――ん?」
「…………」
どうしたのか。俺の声が聞こえてないのか、律花は心ここにあらずといった雰囲気だ。どこかを遠い目をして頬を赤らめていた。
「会長?」
「あ、は、はい!」
ぴこん、と俺の声に反応して姿勢を正す。
「あんまり緊張しなくても大丈夫です。お客さんも常連ばかりですし、今日は少ないですから。ゆっくり行きましょう」
「う、うん! がんばる!」
ぐっとこぶしを握りしめる律花。元気なのは変わっていないようで安心した。
でもどう教えたらいいだろうか。
「店長からどこまで教わりました?」
「え、とね……とりあえず商品のスキャンと画面のプリセットのところとか」
レジの中央にあるタッチパネルのことだ。バーコードのない青果の商品などはパネルをタッチして登録する。
「じゃあサッカー業務は形だけならできる感じですね」
「さ、さっかー?」
あんまり聞き覚えがないようだ。無理もない。
「店長から聞いてないですか? レジ係でサッカー業務って言ったら商品をスキャンしたり、必要ならレジ袋やエコバッグに入れてあげる仕事のことです」
「あ、そういえばさっき聞いたような」
「じゃあとりあえず、一つずつ慣れていきましょうか。最初ですので慌てなくて大丈夫です。ミスなくいきましょう」
「…………」
律花が俺の顔を見つめている。なんか値踏みされているみたいだ。
なんだかこそばゆく感じてしまう。
「な、なんですか?」
「有馬くん、学校の時と違って、すごいはきはきしてるなと思って……」
「そんなに違いますか?」
「うん、学校じゃ、あー、とか、うー、とか言ってるイメージ」
「ゾンビじゃないんですから」
確かに学校じゃ授業中は寝てるし、人とあんまり喋らないし、生徒会室でも自分の机に突っ伏していることが多いけど……。
バイトだとちょっとはマジメにしておかないと、客からも怒られるし、無意識のうちにバイトモードの自分と切り替えているのは確かだ。
「まあ普通ですよ、これくらい」
「…………」
またじっと見つめられている。だからこそばゆいって。
「なんですか」
「敬語使った方がいいのかな? あたしの方が後輩なんだし」
「会長に敬語使われたら、余計に気を遣っちゃいますよ。普通にしていてください」
学校の先輩から『よろしくお願いします先輩』なんて言われたくない。
――と、そうこうしているうちにカゴを片手にこちらのレジに向かってくるおばちゃんがいた。
「ほら、来ましたよ会長。声出しお願いします」
――さて、肝心のお手前は……。
「あ、うん。い、いらっしゃいま――いてっ!」
頭を下げすぎて目の前のカゴにまた頭をぶつけていた。さっき一人で練習してる時から学んでないのか。
おばちゃんが「あらあら」と微笑ましげな目を律花に向けていた。一発で新人と見抜かれたようだ。常連のおばちゃんだし、このあたりは寛容だろう。
「えと……えと……」
緊張しすぎて手が震えている。大丈夫か。
次に律花はカゴから商品を取り出して、バーコードをスキャンするも――。
ピピピピピピピ。
「おーいっ! ちょっと会長!」
「え、え?」
手が痙攣しているせいで連続スキャンされてしまって、ディスプレイ上の商品の個数表示が二ケタに突入してしまっている。からしを二十本も買う客がいるか。業者か。
「すみません、今取り消しますので――って、早く手をどけて会長」
俺がディスプレイを操作して取り消しボタンを押しているのに、同時にスキャンが入るせいで打ち消し合っている。むしろ若干スキャンの方が早くて個数が増えてしまっている。
「あっはっは」とおばちゃんは大爆笑。笑ってくれる人でよかった。
「会長、ゆっくり――ほら! ディスプレイも連打しない!」
大丈夫だろうか。会長らしくない。
それに緊張とかいうレベルのミスじゃない。もう金額が一万超えている。
……結局最初から打ち直して、時間がかかってしまった。常連のおばちゃんは「がんばってね」と最後にエールを送ってくれた。普通、怒られてもおかしくない。
「あうぅ……」
がっつりと落ち込んでいた。こんなにミスばかりするなんて、律花にしてはめずらしい。生徒会ではどんなことでも一瞬でコツを吸収し、誰よりも早く仕事を終わらせるのだが……。
「大丈夫、焦らないで。いつもの会長を思い出してください。次来ますよ」
もう次の客が来ていた。当たり前だが、客は待ってくれない。
「は、はい。いらっしゃいま――げほげほっ!」
むせてどうする。
――そうこうしている間に一時間は経った。そろそろ昼下がりの暇な時間は過ぎ、夕方の忙しい時間に入る。レジから見える惣菜コーナーではそこそこの客が行き交っている。あと五分もすれば現在稼働しているレジ全てに客が並ぶようになるだろう。
並んでいた客を一通り捌き切り、俺は小さくため息を吐く。かなりひどい接客レベルだけれど、律花のことだからすぐに慣れてくるだろう。
「会長、そろそろ忙しくなるんですけど、今日は何時まで――会長?」
頬を赤らめながら、とろんとした目で一番レジ辺りを見つめている。そういえばこのレジに入った時もどこか心ここにあらずといった様子だった。
一番レジ――というと澤野先輩が入っているレジだ。今も丁寧に接客をしていて、律花が見つめていることすら気づいていない。
(そういえば会長は澤野先輩に会うのは二年振りなのか?)
偶然見つけて懐かしんでいるのかもしれない。
「会長?」
と声をかけると、びくっと反応した律花は慌てたように首を振った。
「べ、べべ別に! なんでもないから」
(どうした?)
さっきレジで接客してた時より動揺しているんだが。
「いや、いいんですけど……そういえば澤野先輩と知り合いなんですよね?」
「っ!」
律花の表情が固まった。それからすぐに、律花は目を泳がせて、
「知ってたっちゃ知ってたかなぁ~。どうだろう~」
と乾いた笑みを浮かべた。さっきから様子が変だ。
「別に隠さなくてもいいですよ。澤野先輩から関係聞きましたし」
「えっ! な、なんて言ってたの!?」
ぐいっと顔を近づけて、肩を掴んでくる。近い近い。
「せ、生徒会長と庶務だったってくらいです――ってか近いです」
「あ――そ、そうだよね! うんそうだよ!」
うんうん、と律花は勝手に納得して頷いていた。
元生徒会長と元庶務――今の俺と会長と似た感じの関係だったのかもしれない。久しぶりに見かけたら気になるのも頷ける。けど――。
(そんな動揺するか?)
俺が声をかけただけで勝手にテンパるなんて『らしく』ない。
(もしかして……いや、そんなわけないか……)
と俺が脳裏に浮かんだことを否定していると、客のおばちゃんがカートを押して、このレジに入ろうとしていた。
俺は小さく咳払いして、
「ほら、会長。次のお客さん来ますよ」
「あ、い、いらっしゃしゃいマセ!」
声、裏返ってますよ。
それにしても、と思う。今日の律花はまるで普通の女の子だ。
学校では完璧な生徒会長の律花。どんな仕事もそつなくこなし、生徒のみんなから頼られ、先生からも一目置かれる存在だ。
でも今の律花はそんな完璧さとは程遠い存在になっていた。
初バイトとはいえ、がちがちに緊張し、今も隣でバーコードのスキャンに手間取っている。学校では絶対見られない姿だ。
「まったく……」
学校とは立場が逆転してしまった。俺がこうして律花にいろいろ教えることになるなんて。
「え? 有馬くん何か言った?」
お客さんの持ってきた商品をスキャンし終わった律花が、俺に向き直った。
「いえ何も――2891円になります」
切り替えないと。律花の手前、先輩の俺がレジ業務を失敗するわけにはいかない。
いやしかし――。
「お、お箸はごいりようデスカ!?」
毎回、声が裏返っているんだが。