二章②

 翌日、担当交代の時間が来たため雪那の側から離れたわたしは、次の仕事に向かう前に手近な一室に入る。しっかりかぎをかけて、ふところっている小さな手鏡を取り出す。

「蛍火」

 小さく呼びかけると、ほどなくして鏡があわく光って通信がつながり、神子長の服を一分のすきもなく着込み、相変わらずのかんぺきみをかべている蛍火が映る。

 蛍火との三日に一度の定期れんらくだ。『如何いかがお過ごしでしたか?』という蛍火の言葉を受け、わたしは雪那の勉強の様子を見ていて問題なさそうだと思った反面、会議での臣下からのあつかいがどうにも腹立たしく感じることを語る。

「わたしにとっての蛍火みたいに、一人でも心強い味方がいてくれたらと思って、昨日少し瑠黎と話した」

『おや、私のことを心強いと思ってくださっていたとは』

 おもしろがるような蛍火の口調に、わたしはしまったと思うが、別に蛍火に言ったところで今さらずかしがるようなことでもない。

「心の底から思っていたわよ」

 わたしも微笑んでしれっと言ってやると、蛍火は『それは、光栄です』と一礼した。その声がじやつかんれたように聞こえて、めずらしい、照れかくしだろうかとにこにこと口角が勝手に上がってしまう。

『瑠黎が私のように側にいれば、安心して離れられますか』

「大分安心するわ。でも、雪那のゆうには繋がっても自信にはならない」

 笑顔を消し、わたしは考え込む。もっとかんじんな部分──王としての自信を持たせることは、国内の者ではどうにもできない。だれも、雪那と同じ立場の人間がいないのだから。

 もしもこの国と恒月国の国交が回復して、雪那が紫苑と会う機会ができたら……。

『紫苑様ですか』

 心をかしたような蛍火の言葉にびくっとする。知らず知らず口にしてしまっていたらしい。「ああ、うん」とよく分からない返事をしてしまうが、蛍火に気にした様子はない。

そくしきで、使者と上手うまく繋がりを作ることができればいいですね。王は即位式には来ませんからね』

「うん。……まあ、国としても今の国交断絶状態を解消したいみたいだから、」

 りんごくであり大国の恒月国は、第一優先で臣下共々こうしようを試みるだろう、と続けようとした口をざす。部屋の外を誰かが走って行った。過ぎ去ったとかくにんしてから話そうと耳をますと、また小走りで部屋の前を何名かが通り過ぎるのが分かる。

 何かあったのだろうか……?

 蛍火に目で合図してから外の様子をうかがいに行くと、内容までは聞こえないものの、早口でひそめられたような話し声が遠ざかっていく。わたしは、しんに思ってまゆを寄せた。

 王宮のろうきんきゆう時くらいしか走ることを許されていない。彼らの走っていった方向は……と考えはっとする。雪那の部屋がある方向だ。

「ごめん蛍火! また後で」

 いやな予感にられ、鏡をむなもとに仕舞い、わたしは急いで部屋を出た。

 小走りの女官の後を追うと、雪那の私室のとなりの部屋に入った。とびらからそっと中を窺うと、室内はおんな空気で満ちていた。

 室内を見回すと、人が集まっている部屋のすみに瑠黎を見つけた。ほかの神子と話している瑠黎は無表情だが、どことなく険しさをはらんでいるように見えた。

「何かあったのですか」

 声をかけると、瑠黎と、彼といつしよにいる神子がわたしに気がついた。一緒にいる神子は、現在雪那の側にいるはずの神子だ。瑠黎が王の側に戻るよう言いその神子が退室するや、瑠黎が軽く身をかがめ、わたしの耳元に顔を寄せる。

「陛下の毒味役が死にました」

 瑠黎が小声で教えてくれたことに、頭をなぐられたような感覚がして、わたしは目を見開いた。毒味役が死んだ。つまり食事に毒が盛られていた。──雪那の命がねらわれた、と思い至り、冷水を浴びせられたような心地ここちがした。

「雪──陛下の耳には」

 しようげきを受けている場合ではない。はじかれたように、瑠黎のしんけんな表情を見上げる。

「まだ入っていません」

 毒味はこの部屋でされ、別室にいる雪那のもとに運ばれる。そのため雪那は目撃しておらず、まだ耳にも入れられていない。

 すかさず、わたしは瑠黎に真剣なこわささやく。

「それなら耳に入れないようにして」

「それは」

 瑠黎はわずかにけんしわを寄せる。瑠黎の言いたいことは分かったから、先に言う。

「彼が知る必要のないことだと思っているわけじゃない。今、悪いことを耳に入れるのをけたいの。命を狙われるってつう経験しないことよ。そのきようは、雪那が少しずつ前向きになってきている今じやにしかならない」

 せっかく一歩ずつ前に進めるようになったのに、もう二度と立ち上がれなくなってしまうかもしれない。恐怖は、容易に他の感情を飲み込んでしまう。

「……分かりました。私が可能なはんでは力をくしましょう」

 受け入れてくれた瑠黎に、わたしはほっとして、ありがとうとお礼を言った。

 雪那の様子を見に行きたいのは山々だったが、当番が終わったわたしが顔を出せば、雪那が不審に思うかもしれない。

 毒味役が食べた料理を聞き、机の上にあるそれを注意深く見てみたが、見た目にはさすがに毒が入っているようには見えなかった。ただ、っぱい料理なのかつんとしたにおいの中に、かすかに鼻をつく匂いがした。

「ちょっと聞いていい?」

 次に、部屋から出たばかりの廊下で、室内をこわごわと見て身を寄せ合っている女官に声をかけると、二人の女官がこわった顔でわたしを見た。それぞれ、ようらんしゆという名の十六歳のむすめだ。雪那のそばに仕える者の名前と顔はわたしもあくしていて、話したこともある。

「料理がちゆうぼうから運ばれてから、ずっとここにいたわよね」

「は、はい」

 容藍は声を上ずらせ、わたしが出て来たばかりの部屋にちらりと目を向けた。

「誰か、料理にれたり、何か入れるような動きをした人を見かけなかった?」

「ここにいたのは知っている者ばかりです! 誰かが毒を入れたなんてこと……」

 容藍は青ざめた顔で、かぶりった。

「本当に知っている人だけだったのね? ここで見たことのない人はいなかった?」

「それは……」

「いなかった、と思いますが、……私達も気をつけて見ていたわけではありません」

 口ごもった容藍の代わりに答えるように、珠香が言った。しっかりした印象の女官だが、彼女の顔も青ざめて声がふるえていた。人が死んだのだ、どうようするのは当然だ。

「後で何か思い出したことがあったら教えて」

 誰か一人でも何か見ていないかとあせる心を必死でおさえ、居合わせた者達に同じような質問をしてはそう言い残して回ったが、不審な動きをしていた人物を見た人間はいなかった。



 結局何も分からず、いつたん神子の宮にもどろうと一人になったところで、こみ上げる感情にひとのない廊下の隅で思わず顔をおおう。

 ──どうして、雪那の命をうばおうとするの……!

 弟をどこかの部屋に隠してしまいたい感情に駆られる。けれど彼は王だから、そうするわけにはいかない。いや、そもそも王でなければ命を狙われることなんてなかったのに!

 一度王に選ばれてしまえば、王になる道しかないから、と見ないふりをしていた感情があふれ出してくる。なぜと神に問いたい。なぜ弟を王に選んでしまったのか。理由があって王に選ばれることは知っているけれど、本当はいつも頭のどこかで思わずにはいられない。あの子に元の人生を返して欲しい──。

『花鈴様』

 蛍火の落ち着いた声がして、乱れていた思考から、意識が引き戻される。どこから声が、といつしゆん思って、胸元にっている鏡からだと気がつく。近くの誰もいない部屋に入り、鏡を取り出すと蛍火が映っていた。

ちゆうほうり出してごめん、蛍火」

 蛍火に心配させないように、焦りを胸の奥に押し込んで表情を取りつくろったが、蛍火はぴくりと眉を動かす。

『……西燕国王の毒味役が死んだようですね』

 どうやら瑠黎との話をしっかりと聞かれてしまっていたらしい。わたしは取り繕うのをあきらめ、「うん」と低い声で言う。

「誰があんなことを……」

 気持ちを落ち着けても、いかりをぬぐい去ることはできなかった。

 雪那を殺す理由のある人間──雪那を良く思っていない人間のわざだと考えると、雪那を王と認めていないかのような態度を取るばつのことが思いかんだ。

 ただのおくそくで、しようはない。もっと大事になる前に、証拠が見つかってしゆぼうしやつかまればいいが……捕まるだろうか? わたしが部屋の周囲の者に話を聞き回っていた一方、ぎようの者が現場を取り仕切っていた様子を思い、いや期待できないと内心首を振る。

 そくしきが近いから暗殺をくわだてたのだとしたら、傍観している場合ではない。

『まさかとは思いますが、ご自分で調べようなどとお考えではありませんね?』

 考えを固めたところで言い当てられて、思わずびくりとする。

「そのまさかだとしたら?」

『やめてください』

 蛍火が厳しい表情で即座に言うので、わたしは「どうして?」と首をかしげる。

『王の暗殺すいともなれば、しかるべき者達が仕事をするでしょう』

 蛍火のてきに、わたしは首を横に振る。

「蛍火、今のこの王宮の状態でどれほど彼らが信用できると思う? 実際、毒味役が死んだ現場で彼らはその場にいた者に何もじようきようを確かめることなく、いいのかと確認したわたしに『毒が盛られていた料理にかかわった者はらえましたから、だいじようですよ』って言ったのよ」

 調査しようという気が感じられなかった。

「これから万が一調査に動いたとしても、首謀者が地位のある人間である可能性を考えれば、ぼうがいされると思った方がいいわ。今の王宮は、王のためにまともに動いてくれる者がいるって期待できるような状態じゃない。たとえ犯人が捕まったとしても、本当の犯人か疑いたくなる状態よ」

 蛍火は頭痛でもこらえるように額に手をやり、『どうしてそんな状態なのか……』とぶつぶつ言っている。

『それで、具体的にどうなさるおつもりですか?』

「そうね……まずは毒の入手経路から辿たどって、だったらあやしい人間をさぐってみようかと思ってる」

 怪しい動きをしていた人物の目撃証言があればいいが、先ほどのかんしよくでは難しいだろう。

「動機があるとすれば、雪那を王と認めていない憲征殿どのの派閥……そういえば」

 彼らと親しい貴族が、まだ首都にとうちやくしていないという話が今になって気になった。怪しもうとすればすべてが怪しく見えてくるものだ。考えすぎであればいいが、少し気になる。

「病欠で首都に来ていない者が四人いるから、念のため彼らが本当に病気なのか調べておきたいけど……」

 王宮内だけならまだしも首都外までとなると馬を使ったとしても時間がかかりすぎる。かといってほかに協力をたのめる者もいない。

『では、そちらを花鈴様がしてください。王宮内の調査は私がします』

「え? どうして蛍火がするの?」

 頭をなやませていたところで、思いがけない言葉が聞こえてきたではないか。発言の意図が分からず、鏡の向こうの蛍火を見つめる。

『毒殺がはかられるような危険な場を、あなたにうろうろさせるわけにはいきません』

「危険な場を蛍火にうろうろさせる方がよくないわよ。大体、わたしがねらわれているわけじゃないから、わたしが危険な目にうことはないわ」

『私は、万が一にでもあなたを死なせたくありません』

 強い口調で言われた。黒い目に浮かぶ感情はわたしの発言への少しの怒りと、それから。

 思わず、言葉もなく鏡の向こうを見つめると、蛍火はばつの悪そうな顔で目をらした。

 死なせたくない──わたしは一度死んでいる。かつて蛍火と長く時を過ごした『睡蓮』は死んだ。

 前世の死に際に見た蛍火の表情を思い出した。蛍火はいつも冷静で、千年間、動じた様子を見たことがなかった。そのときも彼には自覚がなかったのかもしれない。わたしだけが見た表情。あのとき、蛍火は泣きそうで、今にもくずおれそうな表情をしていた。手をばして、大丈夫だと伝えたかったけれどかなわず、前世でわたしはそのまま死んだのだ。

 蛍火はあのときと同じ目をしていた。

「蛍火」と呼ぶと、目を逸らしていた彼がこちらに向き直る。わたしは、蛍火を安心させるために微笑ほほえんでみせた。

「わたしは、雪那を死なせたくない」

 先ほどまで胸の中でうずき、くすぶっていた感情が、再び落ち着く感覚がした。なくなったわけではない。けれど、感情にさぶられることはなくなった。

 王になる弟のために力をくすと決めた。彼がうつむくのなら前向きになれるように言葉をかけ、彼が命を狙われているのならするのだ。

「狙われているのはわたしじゃなく、雪那よ。それにわたしが王宮でしたいことは調査だけじゃない。蛍火、あなたは三年、わたしにここで力を尽くす権利をくれたんでしょ?」

 蛍火はますますまゆひそめた。そして、十数秒のちんもくの後、口を開く。

『何が狙われているのは自分ではない、ですか。どうせ、自分の命が狙われていたとしても決めたことはゆずろうとしないでしょうに。あなたは手の届くめんどうごとに、ことごとく手を伸ばす』

 蛍火がため息をついた。さすが蛍火、よく分かっている。

「蛍火も、結局理解して許してくれるでしょ?」

 蛍火がじろりとにらんでくるが、わたしは微笑んで受け流してやる。

「ということで、わたし一人で大丈夫だから」

 改めて宣言した、のだが。

鹿ですか?』

 とつぜんとうされ、わたしはまどって目を大きくしばたたく。

「馬鹿って何よ」

 反射的に一言文句を言うが、蛍火はあきれた顔をした。

『私の心配と花鈴様が一人で調査を行うことはまた話が別です。なぜ一人で調査する前提なのです?』

 理解に苦しむ、といった風に蛍火は言う。

「失礼ね。蛍火に頼むわけにはいかないわ。蛍火は内界をまとめる神子長だし、神子にしてもらった時点で十分協力してもらった。それ以上は頼みすぎよ」

『頼みすぎかどうかは私が決めることです。そして私はそうだとは思いません。花鈴様、困ったことがあるのならもっとたよってほしいのですが』

「でも……」

 わたしは躊躇ためらうが、それ以上言う前に蛍火が続ける。

『首都外もふくめるとなれば、一人では手に余るでしょう。私に申し訳ないと思っているのであればけんとうちがいです。今あなたにはもっと気にするべきことが他にもあるでしょう? ここまで言えば、どうすることが最も良いかお分かりですね?』

 確かに雪那のそばをあまりはなれたくないのが本音だ。それら全てをみ取り、蛍火は手伝うと言ってくれているのだ。

「……蛍火、首都外にいる貴族の調査をお願いしてもいい?」

 蛍火は満足そうに微笑み、鏡の向こうで一礼する。

うけたまわりました』

 するべきことは決まった。わたしは表情を引きめる。

「雪那の命が狙われている以上、事は一刻を争うわ。雪那の即位をはばむ目的なら、きっとまた命を狙われるはず」

『即位式まで、あと一月を切っていますから、それほど時間はありませんね。……そろそろ即位式に向けて他国の使者がやってくるころですか』

「そうね」

 いくつか今後のことを取り決めて、蛍火との通信を切った。

 まずは王宮内で調査できる時間を作るために瑠黎の協力を取りつけよう。一刻も早く雪那のために解決を、と気合を入れる。

 けれどそれから七日っても事態は一向に進展をみせなかった。

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