二章③


 各国の使者をむかえる準備が進むえつけんの間をながめながら、わたしは一人ため息をついた。

 あれから毒の出所を探るため地道に聞き込みを続けたが、ついに進展と言える進展が何もないまま、使者を迎える日が来てしまった。

 この数日で分かったことといえば、使用された毒の種類くらいだ。毒味役の女官の死体をあらためた検死官の話によると、独特の鼻をつくにおいから、毒自体はそうという植物から取れるそつこう性の高いものと判明したそうだ。入手が難しく、どくざいにも今は流通していない植物が必要なため解毒はほぼ不可能だという。

 しかし犯人特定につながる情報はなく、ちゆうぼうや当日の現場に居合わせた者達からも有力な情報は得られなかった。

 それでもなんとか明日には、毒味役死亡の件でとうごくされている者と会えることになったので、何か情報がつかめればいいのだけれど……。

「では陛下、決まったお言葉だけをかけてくだされば問題ございませんので、くれぐれも失態はされませんよう」

 耳に入ってきた言葉にそちらに目を向けると、憲征が小声で雪那に言い含めていた。

 いよいよ使者との謁見が始まるらしい。わたしも気を取り直して、背筋を伸ばす。

 謁見の間のさいおう、階段の上の玉座には雪那が座し、右手には瑠黎がひかえている。階段下には神子が並んでおり、わたしもその中にまぎれるようにして立っていた。

 神子から五人分程度の空間を空けた反対側には重臣が、かべぎわには衛兵と女官が規則正しく並び、ぎようぎようしい様子だ。各国の使者達は、順にこの謁見の間に通される。

 玉座に座る雪那は、見るからにきんちようした空気をかもし出していた。初めて、他国の公的な地位にある者と会うのだから、無理もない。

 雪那を見守りながら、わたしはなつかしさを覚える。前世のわたしが即位した際は、不安を押しかくして、背筋を伸ばして今雪那が座っている玉座に座っていた。少しでも力をけばふるえそうになる手をにぎり締めて、使者を呼び入れるが良いかという重臣の問いかけに、かたうなずきを返したのだ。そうして、一層高まる緊張とたたかっていた──。

「恒月国の使者ご一行をお迎えいたします」

 とびらの近くにいる者がはきはきとした声で告げた言葉に、われに返った。

 謁見の順番は、王の在位年数が長い順だ。

 恒月国──現在存命中の王の中では、最も長い時代を築く王が統治する国だ。農業や漁業はつうだが、商業がさかんで、工芸などのより質の高い物を売るための技術がきわっている。他国との貿易に積極的で、きんりん諸国の中では群を抜いて栄えている。様々な国の技術や文化が入り交じり、国内の建物等が独自の変化をげているのもとくちようだ。

 前世でわたしがお世話になり、一番かかわった国でもある。

 最後に見た恒月国の景色を思い出す。変化を好む『彼』の治める国だ、二百年もてばきっと景色は変わっているだろう。

 しつこくかみに、だれよりも強い意志を感じさせるむらさきいろひとみ

 不意に思いかんだ姿に会いたいと思ったけれど、会いたくない、と相反する思いがすぐに顔を出し俯いた。

 どのみち、会いたいと望む資格なんてわたしにはない。

 恒月国の使者一行が謁見の間に入り、雪那のもとに進みひざまずく。その様子を懐かしさとさびしさを感じながら眺めていた──のだが、ふと使者の中の一人に視線が吸い寄せられる。

 よく見えないが、服装は恒月国の高官の一人といったところか。使者の代表は先頭にいる者だが、一行の半ばにいるその人物からなぜか目が離せなくなる。俯いているため、茶色の髪くらいしかうかがえないが……。

 顔を上げるようにという重臣の一人の声かけで、使者一行が全員おもてを上げる。わたしが何気なく見ていた者の顔も控えめに上がり──わたしは息をんだ。

 現れた瞳は、あざやかな紫色だった。無表情でいると見る者にあつかんあたえるほど、しく整った顔立ち。

 紫苑だった。染めているのかかつらなのか、茶の髪からは予想できなかった人物の登場にわたしは大きく目を見開き、ぎようした。

 そしてほぼ同時に、無視できない存在に気づいた者がいた。

「……恒月国王?」

 思わずといったように声をこぼしたのは、雪那の側で控えていた瑠黎だった。

 瑠黎の声は、せいじやくが保たれていた室内ではよくひびき、一気にざわめきが広がっていく。使者が前を通り過ぎても、真っぐ前を見たままどうだにしなかった者、顔をせていた者も含め、誰もが恒月国の使者一行を見た。特に、瑠黎が見ている男を。動じなかった者はたった一人だった。

「いえいえ、ここに王がいるはずがありません。この人は──」

そうりゆう、いい」

 紫苑のとなりにいた男が立ち上がり前に出てきてそうとしたが、紫苑がそのかたに手をかけ、下がらせる。

「瑠黎、なかなか目がいいな」

 この場の全員の注目を集めていることなどまるで意にかいしていないように、彼は笑った。

 直後、場があわただしくなる。使者の中に王がいるなどと聞いていないのだから当然だ。他国の王ともなれば最上級のたいぐうで迎えねばならないが、宮の準備は整っていない。

 だが、きっとこのしゆんかん、西燕国の誰よりもどうようしていたのはわたしだろう。まさか、こんなところで再会するなんて。

「西燕国王、とつぜんの訪問となり申し訳ない」

 進み出て来た紫苑が、玉座に向かって声をかけると、雪那がびくりと震える。

「恒月国王──」

 雪那は何とか受け答えしようとしたが、言葉が上手うまく出てこないようで口をぱくぱくさせる。謁見で使者にかけるお決まりの言葉は毎日練習していたが、予想外の展開だ。

 雪那が困ったようにわたしを見るのが分かる。そして、そんな雪那の視線を追って、強くんだむらさきの瞳がわたしをとらえた。

 紫の目がおどろきに見開かれ、そのくちびるが「睡蓮」と、かつてのわたしの名前の形に動いた。

 とっさにうつむいてゆかを見つめる。それからどれくらいの時間が経ったか分からない。気がつけば恒月国の謁見が終わっていた。

 次の使者が入室する前に、わたしはげるように足早に謁見の間を出た。紫苑に会うわけにはいかない。大体、そくしきには王は来ないはずなのに、どうして紫苑がここにいるのか。思考はろくに回ってくれないが、とにかくぐずぐずせずに、神子の宮に引っ込んでしまおう。

 今いるろうを抜ければ神子の宮だ。もう入り口は見えていた。あと少しと安心してけ抜けようとした直後、曲がり角にいるはずのない姿を見つけて足を止めた。

「どう、して」

 紫苑が息一つ切らさず、衣服も乱さず、立っていた。まずい、とわたしは無意識にきびすを返したが、ぐっとうでを掴まれる。

「どうして逃げる」

 驚きと、あせりと、あと何かの感情がにじんだ声が言った。よく通る低い声に、体がびくりとねた。

 引き寄せられ、眼前にせまった目と目が合い、わたしはまた動けなくなる。そのまなしは、わたしに逃げることは許さないと告げていた。強い意志と感情を宿しているときほど、鮮やかさを増すれいな紫の瞳。

「本当に、睡蓮なのか」

 紫苑の目にきつけられていたわたしは、前世の名前で呼ばれてわれに返る。ろくに動かない頭をけんめいに動かし、このじようきようでの最適解をしぼり出した。気づかれないように小さく息を吸う。

「恒月国王様ですね。どなたかとちがわれているようですが、わたしはこの国付きの神子の花鈴、と言います」

 表情筋すべてを総動員して微笑ほほえみ、目をらさないように紫の目を見て、首をかしげる。こうなればしらばっくれるしかない。

 ごめんなさい、紫苑。今世ではあなたに関わる気はないの。それに、わたしはもう睡蓮じゃない。だからこそ、もう同じ立場で話すことはできない。

「な、にが間違いだ」

 紫苑は、き捨てるように言った。表情が険しくなる。

「その顔、声。何よりも逸らすことを許さないその澄みわたった眼差しを俺は知っている。どこが違う」

 あまりにも真っぐ向けられる瞳に心がざわつく。けれどそんなことはおくびにも出さず、わたしはてつぺきみをりつけてたんたんと返した。

「そう言われましても、わたしはあなた様とお会いしたことなどありませんので。どなたか、お知り合いと似ているのかもしれませんが、人違いではありませんか?」

 他人の空似だと、欠片かけらくらい疑ってみたらどうなのか。

 しかしどんなにかたくなに否定しても、やはり紫の瞳はいつさいらがなかった。そんな様子に苦い気持ちとなつかしさがこみ上げる。するどい直感も、自分に自信があるところも──紫苑は、本当に変わらない。

「人違い? 俺も死んだ人間が目の前に現れれば普段なら他人の空似だと考えるだろうな。だが、今、お前を前にして別人だとは欠片も思えない。どうしてそこまでして否定する、睡蓮」

 ──やめて、お願いだからその名前で呼ばないで。

 紫苑に前世の名前で呼ばれるたび、心が揺さぶられる。前世に置いて来た感情が、引きずり出されるような気がして、苦しい。

 わたしは花鈴。睡蓮は死んだ。紫苑とは関わらない。……揺らぐな、つらぬき通せ。でないとこうかいする。

「人違いです」

 声をり絞り、真っ直ぐに目を見返して、わたしは同じ言葉をり返した。

 瞬間、腕をつかむ力が強まった気がした。そして、紫色の目にいかりとも悲しみともしれない複雑な色が浮かぶ。その目に気をとられていると、体がぐっと重くなる。水鏡を通りけて西燕国に来たときと似た感覚に、はっと顔を上げた。

「……待って!」

 神秘の力を使うつもりだ……! だが、わたしがさとったときにはもうおそかった。


  ◆ ◆ ◆


続きは本編でお楽しみください。

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