一章①

 年中祭りのようににぎやかな恒月国の街中を、『わたし』は前方の背中を追いかけて歩いていた。黒い衣服の背中は広い、しかしあまりに人が多いものだから見失いそうになる。とっさに手をばしたけれど、手が届く前に背中はひとみに完全にまぎれて消えてしまった。放心した『わたし』は足を止め、行き場を失った手を下ろしかけ──たところで、その手を誰かにつかまれた。顔を上げると、そこには見失ったはずの紫苑が立っていた。

『見つけたぞ、睡蓮。り返ったら姿が見えないからあせった』

 ほっとしたようなみを見て、『わたし』もあんを覚える。

 そのまま手を引っ張って、くつたくなく笑って先を示す紫苑に、『わたし』も微笑み返した。

『案内したい場所がいくつもある。まあ、今日で時間が足りなければまた今度だな』

 ──今度? 今度なんてない。だってわたしは……死んだのだから。


    〇 〇 〇


 はっと目が覚めると、わたしは横になっていた。周りを見ると、朝の日差しが差し込む中、同じ宿の大部屋にまっている人たちがねむっている。ゆっくりと身を起こすと流れ落ちてきた黒いかみはらいながら、深いため息をついた。三日前都に着いてからというもの、前世の夢をよく見るようになった。

 理由は何となく分かっている。きっと王宮のすぐ側にいるからだ。

「……しっかりしなくちゃ。今日こそせつに会うんだから」

 そう、今のわたしは西燕国の女王・睡蓮ではない。弟に会うため都をおとずれた平民の少女・りんなのだから。

 わたしは十七年前に西燕国の農民の第一子として、どういうわけか二百年前に死んだ前世の自分──睡蓮のおくを持ったままこの世に誕生した。しかもなぜか容姿まで前世と同じ。どうしてまたこの姿なのか、もしも前世の知り合いと会ってしまったら……などと複雑な思いはあったが、気持ちを切りえ、今度こそへいぼんに生きていくつもりだった。そうして事故や病で早くに両親をくしてからも弟と二人細々と生きてきたのに、三カ月前風向きが変わった。弟の雪那が西燕国の次期王に選ばれたのだ。

 そうと知った日、村の人たちは雪那が王になればきっと不作を解決してくれると喜んでいたが、わたしは喜べなかった。どうして今度は雪那が……と青ざめたわたしをづかうように、弟は『だいじよう。行ってくるね、姉さん』と言ってむかえに来た者に連れて行かれた。

 それから一カ月っても、れんらくすると言っていた雪那からは手紙やことづてもなかった。そんなある日、村を通りかかった商人から首都で新王の評判が良くないことを聞き、心配になったわたしは思い切って自分から訪ねてみることにしたのだ。

 安宿から出て大通りを進んだ先には、白く美しい大きな王宮がある。

 その正門で、今日もわたしは衛兵とめていた。

「本当に新王の姉なんです! どうして会わせてもらえないんですか?」

 わたしのうつたえに、衛兵は、もう一人の衛兵と顔を見合わせてかたをすくめる。

「そう言われてもなあ。昨日も一昨日おとといも言ったがただの農民が陛下にお会いすることはできないんだよ。大体よくもそんなみすぼらしいかつこうで王宮に……」

 しっしっと犬やねこでも追い払うような仕草に、かっと頭が熱くなり、わたしはこぶしにぎりしめた。

 首都に着いてからもう三日もこうしようを試みているがこの有様だ。

 かつてのわたしが王だったころはたとえ農民だろうと家族が面会に来たらきちんと会えていたのに。もっとなつとくのできる説明をしてほしい。

「いつから家族さえ王に会えなくなったんですか?」

「いつからって、少なくともおじようちゃんが生まれた頃にはだよ。そもそも会える方がおかしいだろう。新王様が元は『農民様』でも、王様になるからには貴族よりえらいんだからな」

 にやにやと笑って衛兵が言い、別の衛兵も鼻で笑う。

 この国に伝説として伝わる千年王が農民出身であることは、伝わっていないらしい。農民様という皮肉気な呼び方に、不快感を感じて衛兵をにらむ。これだ。この新王を鹿にした口ぶりにも納得がいかない。

 西燕国は、かつては農耕がさかんで、国の全土にわたり穏やかな景色が広がっていた。だが、約二百年間王がまともに立たなかったせいで土地はゆるやかに、しかし確実にせてきている。作物のしゆうかく量も年々減っており農民たちを始めとしたたみたちは今後に不安を覚えていた。豊作の年はもう百年以上訪れていないのだ。

 正確には百年前に一度王が立ったが、治世は数年と短いもので安定するには至らず、その時代の政策は民の反感を買ったと言われている。そしてまた前王の時代から百年の時をて、雪那が王に立とうとしている。かんげいされてもいいくらいだと思うのに、どうしてそく前からこんなにかろんじられているのだろう。

「いいよなあ、神様に選ばれただけでただの農民がぜいたくできるようになるんだから。しつそうばかりして役目を果たさなくていいなら、俺だって王様になって贅沢したいもんだ」

 わたしは、もっと聞き捨てならないことを聞いて耳を疑った。

「失踪ってどういうことですか?」

「ああ、陛下は部屋にこもりきりか、しつそうするくせもあるってうわさだ」

 しんに思って聞き返したわたしに、衛兵があきれたように言った。

 わたしはさらに耳を疑いたくなった。

 弟は気こそ強くないが、引きこもったりだまっていなくなったりしたことはない。そもそもあの子なら、かんきようが変わっても勉強にはげんでいそうだ。ちがう人のことを話していないだろうか? その陛下とはわたしの弟で合っている?

 それが事実だとしたら、弟を取り巻くじようきようは、思っていたよりも悪いのかもしれない。

「あーあ、百年りだっていうのに農民が王様だとは。農民に政治なんかできっこないだろうに」

 衛兵がぼやくそばで、わたしはとてつもない焦りを感じていた。

 雪那は──農民出身の次期王は、ほとんどが貴族出身の臣下の中で周りと上手うまくやれているだろうか。

 まずは雪那の様子を確認して、場合によっては首都で働き口を探して時々会いに行こうと思っていたけれど……むすめを早く追い払いたがっている衛兵をちらりと見てたんそくする。一歩も入れてもらえる気がしない。

 だが雪那の身に何かが起きているのだとしたら、なおさら大人しく引き下がるわけにはいかない。何か、弟に会う手段はないだろうか。

「そろそろどこかに行かないと、不審者としてろうに入れちまうぞ。王宮に入りたいって言うなら、それで入れるけどな」

「なっ……!」

 衛兵が軽口のように言うが、やりかねないと思って、反射的に身構える。故郷の役人は、自分が法であるかのような横暴な振るいをしていた。この国は、もうわたしのよく知る国ではないのだ。

「失礼」

 くちびるみ締めたそのとき、衛兵とわたしの間に割って入った声があった。すずやかなこわに、思わず息をひゅっと飲み込んだ。この体では初めて耳にする、なつかしい声だ。

「──蛍火?」

 反射的に名前を呼んでいた。

 衛兵が退くと、正門の前に背の高い男が一人立っていた。

 まず目を引いたのは、銀色のしゆうがされたのうせいしよくころもだった。肩の辺りで緩くまとめられ前に流されている長いぎんぱつと、ほかの色の混ざらない真っ黒なひとみ。そこには記憶と寸分たがわない姿があった。

 蛍火。前世わたしが王であったとき、最も側に、最も長くいた男だった。

「神子様!」

 衛兵はわたしのつぶやきには気がつかず、あわてて頭を深く下げた。そのしゆんびんな動きに、蛍火をぎようしていたわたしは、はっとわれに返った。

 今のわたしは花鈴だ。睡蓮ではなく、花鈴。前世は終わった。容姿は同じであっても、新しくこの世に生まれ直したただの人だ。

 王や神子の名前は、民には知られていない。衛兵にわたしの声が届いていなかったのなら、彼にだって聞こえていないはずだと思って、衛兵にならって慌てて頭を下げる。

 まさか蛍火がまだ王宮にいるなんて……。王のほうぎよと共に神子も内界にもどるはずなのに予想外もいいところだ。蛍火にうらみはないが、前世の関係者にはできるだけかかわらないと決めている。

 しかし、とん、と。肩をたたかれた。青い衣のすそが眼下に見えて、おどろきでいつしゆん確かに心臓が止まった。目の前にいるのは、『彼』だ。

「顔を、上げてくださいますか」

「……いえ、とんでもありません。わたしは王宮に入ることも許されない身分ですので、神子様の前で顔を上げることはおそれ多いことです」

 神子とは、神のおひざもとである内界よりけんされた、神に仕える者のことだ。時に神の代理人として力を行使し、歴史を記録する役割を持つ。そしてその役割ゆえに人の身でありながら、王と同じく神より不老性をあたえられた特別な存在。

 王に次いで畏れ多い雲の上の存在なのだから、そういう態度を演じなければ。

ずいぶん見知ったお顔に見えたのですが」

「神子様に知り合いはいませんので、他人の空似かと思われます」

 顔を見られていたようで、内心きんちようでどきどきする。そんなわたしの言葉を聞いて、前方でため息が一つ落ちた……かと思えば、肩をつかまれ、強制的に顔を上げさせられた。まさかの強行に、あつに取られているわたしの目の前には、やはりよく知った姿がある。

 蛍火は、整った顔立ちを少しこわらせていた。

「それならなぜ、私の名を知っているのですか」

 どうやら、聞こえていたらしい。わたしは押し黙るしかなかった。

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