経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。

第一章(4)

 まだだまされてるんじゃないかという気がしているが、俺は今「白河さんの家」に足を踏み入れようとしている。

 足元がフワフワして、再び現実感が消え去っていく。

「し、失礼します……」

 玄関に入ると、どこかなつかしいような他人の家の匂いに包まれた。三和土たたきには白河さんのものとおぼしき派手な婦人靴がいくつも無造作に置かれていて、その生々しさについどうが増してしまう。

「上がって上がって。あたしの部屋二階だから」

 白河さんに促されるまま、すぐ目の前に見える狭めの階段を上った。

 二階には、入口がふすまの和室らしき部屋と洋室風のドアの部屋があって、白河さんは後者のドアノブを回した。

「どうぞ〜」

 そう言って見せられた部屋は、ようやく白河さんのイメージ通りと思える雰囲気の空間だった。

 五畳ほどのスペースでまず目に飛び込んでくるのが、カーテンとベッドの掛けとんカバーの、濃いピンク。壁際に置かれた白いドレッサーとクローゼットは、若干チープ感はあるものの女の子が好みそうなオシャレなデザインだ。間に学習机らしきものもあるが、机上はポーチや小物で埋め尽くされており、とても勉強できるような環境ではない。

 全体的に、至るところに置かれた化粧品っぽい小瓶や、マスコット的なぬいぐるみ、アクセサリーらしきキラキラしたものなど、小物の多さに圧倒される。それでも無秩序に散らかっているというわけではなくて、本人なりにこだわりを持ってディスプレイされたものであろうことがうかがえる。

 加えて、フローラルだかフルーティだかの白河さんの匂いが、むせ返るくらい濃く漂ってくる。想像以上に女子部屋全開だった。

「どしたの? 早く入りなよ」

 女の子の部屋に免疫がなさすぎて圧倒されている俺に、先に入室した白河さんが声をかける。

「あっ、ああ、うん……」

 いつまでも突っ立っているのも不審だと気づいて、慌てて中に入った。

「テキトーに座ってー」

 白河さんは軽く言って、学校カバンを無造作に床へ置く。

「飲み物取ってくるね。麦茶でいい?」

「あ、う、うん、ありがとう……」

 白河さんが部屋を出ていく。階段を下りる軽やかな足音のリズムが、俺の激しい動悸と妙にマッチしていた。

 一体なぜこんなことに……。

 フラれる心の準備しかしていなかった俺が、白河さんの「彼氏」として、彼女の自宅の部屋にいる。この事態を、自分でもまだ信じきれていない。

 でも、とにかく。

 俺は今、あの白河さんの部屋にいるんだ……。

「すーっ……」

 とりあえず、鼻で大きく深呼吸してみる。

 これが白河さんの匂い……。

 そう思って感無量になり、はっとする。

 キモすぎるだろ、俺! 何やってんだよ!

 でも、憧れの女の子の部屋に、たった一人でいるというこの状況。よからぬことをしたい衝動で暴走しそうになってしまう。

 そう、たとえば……引き出しを開けてみたい、とか。

 幸いと言うべきかなんと言うべきか、部屋の入口近くに、つまり俺のすぐそばに、白いチェストがある。いかにもプライベートなものが……はっきり言えば下着の類が仕舞われていそうな佇まいのそれから、目が離せない。

 駄目だ! それだけは男として、人としてやっちゃいけない!

 でも……見たい……。

 しばらくの葛藤のあと、心の中の天使と悪魔の決着がついた。

 勝利したのは、悪魔だった。

「ちょっとだけなら……!」

 罪悪感から口の中で言い訳して、すばやく引き出しに手をかける。それが数センチ開いたところで、思わず感嘆の声が出た。

「おお……」

 目に飛び込んできた白いレースが、あまりにもこうごうしすぎて手が止まる。

 これが……白河さんの……プライベートな衣類……!

 それを目にすることのできた幸せをみ締めて、天を仰いでいたとき。

「お待たせー」

「うわっ!?」

 びっくりしすぎて、誇張ではなく床から数センチ飛び上がった。その拍子に、今開けた引き出しに、盛大にぶつかってしまう。

「イッテ……ッ!」

 やべっ、まだ閉めてない……!

「あれ? そこ開いてた? ごめーん」

 だが、引き出しが開いていることに気づいた白河さんは、俺を疑う様子もなくそこに視線を向ける。そして、「あ!」と目を輝かせ、両手に持った麦茶をチェストの上に置いて、中から白いレースをつかんで出した。

「ねえ、これ見てー」

「……!?」

 なんてものを披露する気だ!?

 そう思って固まっている俺に向かって、白河さんはなんのちゅうちょもなくそれを広げて見せる。

「じゃーん! ちょー可愛くない? この前買ったキャミ! 背中が空いたトップスのときに着ようと思ってー」

「…………」

 目の前に広げられた白いレースのキャミソールを見て、謎の脱力感に襲われた。

「う、うん、いいね……」

 いや、白河さんの私服を見られただけで充分すごいことなんだけど、下着だと思い込んでいたのでガッカリ感がいなめない。

 見せキャミ……見せキャミか……。

 やっぱり、人の部屋のものを勝手に見るのはよくない。こんなことはもう二度としないと心に誓った。

「じゃ、お茶飲もー」

 と、白河さんは再び麦茶を両手に持つ。

「座って、座って」

「あ、うん、ありがと……」

 気を取り直して、勧められた通り座ろうとする。

 しかし、どこに?

 部屋にソファや座椅子のようなものはない。勉強机の椅子にはストールのようなものがかかってるし、そうなるともう板張りの床にじかに座るか、ベッドに座るかしかなくなる。

 ベッド……。

 いやベッドって!?

 そりゃもちろんベッドをソファ代わりに使うことだってあるだろうし、ベッドに二人並んで普通におしゃべりすることもあるだろうけど……いや、でも、この状況じゃ無理じゃね!?

 この部屋の持ち主は、ずっといいなと思っていた学年一の美少女で、信じられないことに、さっき俺の「彼女」になった白河さんだ。

 ベッドに並んで座ってしまったりしたら、とても正気ではいられない。

「……あ、そういうこと?」

 なおも座らずにいる俺を見て、白河さんは何を思ったのか、急に得心顔になった。

「いいよ。シャワー浴びてくる? お一階だから案内しよっか?」

「えっ!?」

 な、何? 今度は何を言われてるんだ?

 シャワーなんて言われたら、思考がますますそっち方面に行ってしまうじゃないか……。

 それとも、白河さんは極度の潔癖症で、風呂に入った客しか部屋に入れたくないとか? それとも暗に「臭い」と言われてる?

 いやいや、違うよな。さっきまで普通に座れと言ってくれてたし……とグルグル考えていると、白河さんはまたしても「あ、そういうこと?」とひらめいた表情になる。

「リュートはシャワーいらない派なんだ?」

 え? いっ、いや、やっぱそっち方面の話?

 混乱する俺は、彼女の次の行動に度肝を抜かれた。

 白河さんは麦茶のコップを再びチェストに置き、自分の制服の胸元に手をかけた。

「今日体育あったし、ちょっと汗臭いかもだから恥ずいけど……」

 そう言いながら、ブラウスのボタンを一つ外す。日頃から二つ開けられていて開放的な胸元が、第三ボタンが開いたことでさらにあらわになり……ブラジャーのレースがチラ見えする深い谷間に、思わずくぎけになって生唾をんだ。

 こ、これは、正真正銘、白河さんの下着(本人装着済み)……って、ダメだダメだ、そんなマジマジ見たらドスケベだと思われる!

 だが、そんな俺の葛藤をよそに、彼女はさらなるボタンに手をかけ、迷いなく外そうとする。

「しっ、白河さん!?」

 そこでようやく確信が持てた。

 ここまで来たら、もうそっち方面の話しかない。

 さっきのシャワーうんぬんの話。そして、今の発言。それが意味することは一つ。

 もしや……いや、もしやどころじゃなく、もう、間違いなく、そうだ。

 彼女は俺と、エッチなことをしようとしている……のだ。信じられないことに。

 えっ、マジ!?

 いいの!?

 この暗黒の童貞生活から、まさか今日おさらばできるなんて、今の今まで思ってもみなかった。

 しかも、相手が白河さんだなんて。

 信じられないぎょうこう……いや、でも、しかし!

 ほんとのほんとにマジなのか!?

「ちょ、ちょっと待って……!」

 俺のきょうがくの声に、白河さんはボタンを外す手を止めた。

「ん? どしたの?」

 不思議そうな白河さんに、俺は生唾を吞みながら言った。

「な、何してん……です?」

 やっぱり早すぎる。いくら妄想盛りの男子な俺でも、こんな急展開は想像していなかった。

 正直ついていけてない。

 何かの間違いかもしれない。

 勘違いで暴走する前に、彼女の真意を確認しなければ。

「何って、エッチじゃないの?」

 直球すぎる答えに、俺はモヤイ顔で固まる。

 マ、マジかよー!?

 ほんとに!? ほんとにいいの!?

 頭の中がパニックになる俺を、白河さんはげんな顔つきで見る。

「え? てかヤリたくないの?」

「そうじゃないけど……えっ? えっ!?」

 いいの!? えっ、いや、そっちがいいなら俺はいいけど、えっほんとに!?

 ほんとにいいの!?

 戸惑いまくる俺を見て、白河さんはポカンとしている。

「あの……ちょ、ちょっと早すぎない? さっきまで俺の名前も知らなかったんだよね? そんな相手と……白河さんは、してもいいの……?」

 俺はエロいことがめっちゃしたい。したくてたまらないお年頃だ。

 しかも相手は憧れの白河さんだ。妄想の中で弄んだ白河さんのあられもない肢体を、現実に拝めると思うとめちゃくちゃ興奮する。

 だけど、今!?

 白河さんと「付き合う」ってことも、まだ信じられてないのに。

 あまりにも事がサクサク進みすぎて、ついに戸惑いが性欲を追い越してしまった。

 彼女は何を考えている?

 もうパニックだ。

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