経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。

第一章(2)

   ◇


 そして翌週になって、すべての科目のテスト用紙が返却され終えた、その日の昼休み。

「ダメだ……もうおしまいだ……」

 イッチーの手には、赤字で「十八点」と書かれた英語の答案が握られていた。

 そして、そんな点数をマークしてしまった当然の結果として、三人の中でイッチーの総合点が最も悪かった。イッチーほどではないが、ニッシーも本調子ではなくざんぱい。結果、大方いつも通りだった俺が、一番の好成績ということになった。

「元気出せよ、イッチー……期末でばんかいするからって言えば、お母さんもゲーム許してくれるって。なぁ、ニッシー?」

「…………」

 同意を求めてみるものの、ニッシーも青ざめた顔で放心している。二人とも、普段から相当親に叱られてるんだな、これは。

「二人とも元気出せって……」

 なおも慰めようとしていると、イッチーが突然俺の腕をガシッとつかんだ。

「……なぁ、覚えてるよな? あの約束」

 その視線は、ゾンビのようにうつろで不気味だった。

「えっ……」

「一番成績の良かった奴が、悪かった奴の言うことをなんでも聞くってやつ」

「う、うん、一応……」

「俺からの命令だ。カッシー、好きな女の子に告白しろ」

「はぁ!?」

 突拍子もない命令に思わず大声を出してしまい、一瞬集まったクラスメイトの視線に恐れおののく。

「な、なんでだよ? なんでそんなこと? 飯をおごるとか、一日パシリになるとか、もっと自分の得になりそうなことが他に山ほど……」

「うるせぇ! 俺は今ドン底なんだ! お前もドン底に突き落としてやる! 俺と同じ陰キャのお前が告白なんかしたって、みじめにフラれるに決まってる! 俺と同じドン底を味わえー!」

「なにそれひどい!」

 たぶんそうなるとは思うけど、仲のいい友達から面と向かって言われると悲しすぎて泣きたくなる。

「なんだよ、その命令! 大体なぁ……!」

「大丈夫だよ、カッシー」

 抗議しようとする俺の肩に、ニッシーがポンと手を置く。

「骨くらいは拾ってやるから」

 いい笑顔で言われた。急速に元気を取り戻したみたいで何よりだけど、その顔に「ざまぁ」と書いてあるのがモロ見えだ。

「お前ら、性格悪すぎるだろ! 元はと言えば、テストの成績が下がったのなんてごうとくなんだからな!?」

「うわっ、それが本音か、カッシー!」

「カッシー、話が違うぞ! 約束しただろ!? 俺たち、友達じゃなかったのかよ!?」

 イッチーに強めに言われて、俺はそこで言葉に詰まった。

 確かに、約束はした。俺たちは友達だ。というか、こいつらが友達になってくれなかったら、俺は今頃どんな学園生活を過ごしていたかわからない。休み時間のたびに行きたくもないトイレに行って、手のシワの数を数えながら休み時間が終わるのを待っていたかもしれない……。

 そんな毎日を送らなくて済んでいるのは、イッチーとニッシーがいるからだ。その二人が今、友情の危機と言わんばかりの表情で、じとっと俺を見つめている……。

「……わかったよ! 告白すればいいんだろ!」

 さらば、俺の淡い恋心。

 こうして、俺は好きな女子、つまり白河さんに告白することになってしまった。


 とはいえ、学年一、いや、学校一の美少女かもしれない白河さんに、この俺ごときが告白するなんて、想像しただけで膝が震えるほどブルッてしまう。

 でも、まあ……考えてみたら、俺がこのまま白河さんをおもい続けたところで、付き合える可能性など万に一つも存在しないだろう。それどころか、運が悪ければ白河さんとクラスメイトが付き合い出したりして、イチャつきを間近で目撃するなど、精神的なダメージを受けることになるかもしれない。

 そうなる前にきっちりフラれて、報われない想いを昇華させておいた方が、残りの学園生活を楽しめる。そんなふうにも考えられるではないか。

 くじけそうになる心を、友との約束を守るため、そうやって必死に鼓舞した。

 たとえフラれたところで、俺に社会的なダメージはあまりないだろう。白河さんの性格を考えると、俺みたいな陰キャ男子から告白されたからといって、面白がって友達にふいちょうしまくるようなタイプには思えない。告白されることには慣れっこだろうし、次の日にはもうきれいさっぱり忘れてくれてそうな気がする。

 記念受験、という言葉が脳裏に浮かんだ。

 白河さんは俺にとって、どうせ受かるはずのない憧れの難関校だ。試験を受けるくらいの思い出作り、やってみてもいい気がする。こんな機会でもなかったら、一生告白することなんてなかったんだから。

 自分にそう言い聞かせて、必死に奮い立たせる。

 ……うん。そうだ。やってみよう。

 震える手で、授業中、ルーズリーフに文字を書きつけた。

 そして、その日の放課後、俺は早速告白するために行動した。

 時間を置くと気が変わって挫けそうな気がしたし、どのみちイヤな目に遭わなくてはならないのなら、早く済ませてしまいたかったからだ。

 フラれたって、別に世界が終わるわけじゃない。帰ってKENの新作動画でも見て心を癒そう。

 そう自分に言い聞かせ、放課後、白河さんの箱へ、授業中に書いたメモを入れた。



お話ししたいことがあります。これを読んだら校舎裏の教員駐車場に来てください。

二年A組 加島龍斗


 わざわざ名前を書いたのは、匿名だと気持ち悪すぎて来てもらえないと思ったからだ。クラスまで書いたのは、名前だけだと「誰こいつ? 知らんから行かん」となるかもしれないからだ。「誰だか知らないけど、同じクラスの人間らしいから、何か用事があるのだろう」と思われることで、来てもらいやすくなるのではないかと考えた結果だ。

「えっ、カッシーの好きな人って、よりによって白河さんかよ!?」

「高望みにもほどがあるだろ! 正気か!?」

 イッチーとニッシーが、背後から下駄箱の名前を確認して、激しくうろたえていた。

 そんな二人の反応に、改めて大それたことをしようとしていると思い知らされ、膝が震えてくる。

 できるなら、このままメモを回収して帰りたい……と思ってしまったが、友達に約束も守れない男だと思われたくない。

 落ち着け、俺。落ち着くんだ。

 今はとにかく「告白」というミッションを完遂する。それだけを考えるんだ。

 深呼吸して何度も自分に言い聞かせて、目的の場所へ向かった。

 校舎裏にある教員駐車場は、俺が知る限り、学校の敷地内で最も人気のない場所だ。授業が終わったばかりで部活も盛んなこの時間帯は、帰宅のために現れる教員もまだいない。十数台の乗用車が横一列にまっているその場所で、俺は一人、ひっそりと白河さんを待った。

 イッチーとカッシーは、どこかの車の陰に隠れて、ほどほどの距離から俺を見守っているはずだ。

 白河さんは、なかなか来なかった。リア充な彼女は、いつも放課後になると教室で友人たちと歓談していて俺より先に教室を出たことがないから、一体どれくらいで下駄箱のメモに気づくのか見当もつかない。

 待つこと……たぶん二十分から三十分。

 ついに校舎の陰から彼女の姿が現れたとき、あまりにもほっとして、他のあらゆる感情よりも先に、気が抜けたような気持ちに襲われた。

 来てくれないことも覚悟していたから、まだ告白もしていないのに、達成感みたいなものを感じてしまう。

 白河さんは辺りをキョロキョロして、他に人影がないのを確かめると、俺の方へ近づいてきた。

「これ、合ってる?」

 彼女が顔の横に掲げた白い紙は、俺からのメモだ。

「は……はい」

 震える声で答えると、白河さんは少し笑った。

「ふふっ」

 笑われた……!

 そう思うと、羞恥心で顔が熱くなる。

「なんでケーゴ? 同じクラスなんでしょ? タメじゃん?」

 そう言う声に、俺をバカにするようなニュアンスは感じられない。俺の声が震えたことじゃなくて、敬語を純粋におかしく思ったみたいだ。

 少しほっとしたのと同時に、やっぱり俺の存在を知らなかったのだなと思って、わかっていたけど悲しくなる。失敗するに決まってることに挑戦するのは、覚悟の上でも、しんどいものだ。

「そ……そうだね」

 とりあえず、白河さんに言われた通りタメ口で答える。

 こちらへ近づいてきた白河さんは、俺の二メートルほど手前で立ち止まった。

「どしたの? 話って?」

 からっとした、明るい声。陰キャに呼び出されてキモ〜い、なんてことはじんも思っていなそうな、性格の良さがにじみ出ている声だ。

 ああ、白河さん……。

 緊張してよく見ることができないけど、きっと今もめちゃくちゃ可愛かわいい顔をしているんだろう。

 俺は、あなたのことが、本当に……。

 言おう。言わなきゃ。いつまでも黙ってうつむいていたら、性格がい白河さんにだってあいを尽かされてしまう。

 そう思って、死ぬ気で顔を上げた。

「……!」

 ぐ俺を見つめる白河さんの超絶美少女顔に心臓をかれ、口は開けたものの、声が喉からうまく出てこない。

「すっ……すすすっ!」

 なんてことだ、告白の言葉でとちるなんて!

 でも、ここまで来たらもう言うしかない。


「す、好きです!」


 やってしまった。

 めちゃめちゃ陰キャ。

 めちゃんこキモいわ、俺……。

 自己けんで、このままコンクリートの地面にめり込んで退場したいと思った。

「え? ススキです?」

 白河さんは眉間にしわを寄せ、俺をまじまじと見つめる。かと思うと、手元のメモ書きに視線を落として、さらに難しい顔をしている。

 美人だ、と改めて思う。ギャルっぽいよそおいからおそらくすっぴんではないとは思うけれども、がんの影や鼻から顎にかけてのラインなど、化粧ではごまかしようのない造作の美しさにれする。

 告白を大失敗したことによって、これ以上の恥はないと謎の余裕が生まれ、フラれる直前にして、のんきに彼女を観察できてしまう。

「ねえ、すずって誰?」

 白河さんは、まだ険しい表情をしている。

「え?」

 ほんとに誰だよ、鈴木って……と考えて、はっとした。無様な告白をしたせいで、聞き間違えられたのだ。

「いや。あの……好き、です……」

 今度は、たどたどしくも、ちゃんと言えた。一度失敗して、失うものがなかったせいかもしれない。

 すると、白河さんは目を見開いた。

「……あー、そういうこと?」

 ややあって、白河さんはすべてを察したように俺から目をらした。

 困っているように見えた。たぶん、俺のことを知らなすぎて、なんと言って断っていいのかわからないのだろう。

「……なんで?」

 だから、白河さんのその質問は、俺への配慮からひねり出した、断りの言葉の前のワンクッションなのだろう。

「え……」

「なんで好きなの? あたしのこと」

 そんなことをかれると思っていなかった俺は、とっさに自問して考える。

 なんで? なんで好きかって?

 そんなの……決まってるじゃないか。

「……可愛い……から」

 声が震えるのを恐れて、今度は消え入りそうな声になってしまった。

 まあ、でも……。

 何度失敗したって、フラれるのは一度きりだ。そう思うと、少し気が楽になる。

「…………」

 白河さんは、目をパチパチさせて俺を見た。その頰がわずかに染まって、照れ臭そうに視線が下がる。

「ふーん……」

 恥ずかしさをごまかすようにつぶやいた彼女は、次に俺を見たとき、とんでもないことを言った。


「じゃあ、付き合おっか? あたし今フリーだし」


 最初、何を言われたのかわからなかった。

 ジャアツキアオッカ? アタシイマフリーダシ。

 ツキアウ? 付き合う?

 付き合うって、白河さんと? 誰が?

 まさか……俺が!?

「ええっ!?」

 腰が抜けそうになった。

 すぐに、俺をからかっているのかもと思ったが、そうだとしたら趣味が悪すぎる。

「ちょっ、何驚いてんの? 告ってきたのはそっちじゃーん!」

 そんな俺を見て、白河さんはおかしそうに笑う。まさか本気なのか? それとも、俺の反応を見て楽しんでいるだけなのか?

 彼女が何を考えているのかわからない。

「……で、どーすんの?」

 笑いを引っ込めた白河さんが、こちらへ一歩近づいて尋ねてくる。

「あたしと付き合うの?」

 上目遣いがめちゃくちゃ可愛い。心臓が止まりそうだ。

 なんでこんなことになったんだ? こんな展開、まるで想定してなかった。

 よくわからないけど、俺の身にとんでもなくラッキーなことが起ころうとしている。

 ゲーム実況を見るのだけが趣味の、何の取り柄もない陰キャの俺には、この幸運をむざむざ手放す勇気もないのであり。

 からかわれているのかもしれない。もしかしたら夢かもしれないけど、だったらなおさら、答えは当然決まっている。

「……はい……」

 る顔でうなずくと、白河さんは満足げにほほんだ。

「よーし!」

 笑顔が可愛い。いや、笑顔も可愛い。VRじゃないよな? こんなに近くに白河さんがいて、俺のために微笑んでくれているなんて。

 夢ならどうか永遠にめないで欲しい。

「じゃあ、一緒に帰ろっか! 用事あるって、友達と別れてきちゃったし」

 そうして、俺は白河さんと共に裏門に向かって歩き出す。

 駐車場を横切っているとき、車の陰にしゃがみ込んだイッチーとニッシーの、しかばねのような絶句顔が目に入った。

 とりあえず、あいつらが仕組んだドッキリではなさそうだと思った。

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