経験済みなキミと、経験ゼロなオレが、お付き合いする話。

第一章(1)

 高校二年に進級して最初に思ったことは、「しらかわさんと同じクラスになれてラッキー」だった。

 白河さんは、めちゃめちゃ可愛かわいい。その美貌は、テレビで活躍している十代の女優たちと比べても遜色ないどころか、むしろイケてる方だと俺には思える。

 印象的な大きな両目に、長いまつ。鼻翼の小さい、すっと通った鼻筋。口角が上がった愛らしい唇。それらのパーツが、小さな顔の中に完璧なバランスで配置されている。

 スタイルも抜群で、遠くで歩いてるのを見るとモデルみたいに見える。と言っても、本物のモデルみたいに瘦せ細っているわけじゃなくて、短いスカートから伸びた太ももには適度な肉感があり、いつも二つくらい開いているブラウスのボタンからは豊かなバストの影がちらついている。最高だ。俺自身はギャルが好みというわけじゃないけれども、ゆるいウェーブがかかった明るめの茶色ロングヘアも、彼女に限って言えばセクシーさを引き立てているように見えるから不思議だ。

 白河さんと付き合えたら。

 白河さんとデートできたら。

 そういう妄想をしている男は、校内に計り知れなくいると思う。

 その夢を現実にするべく、同じクラスになったのをぎょうこうと、さっそく彼女の周りをうろつき始める男もいる。

 けれども俺は、全集中で陰キャの呼吸だ。どうせ相手にされないのに、そんな無様なはしない。

 いくら同じ空間にいようとも、白河さんと俺との間には、アクリル板よりも分厚い、見えない隔たりがある。天然のソーシャルディスタンスだ。

 この距離が縮まることは、永遠にない。

 そう思って、彼女の美貌を遠巻きに眺めていた。


 ところが、その瞬間は、突然やってきた。

 白河さんと同じクラスになって、数日ったある日のことだった。帰りのホームルームで、白河さんが先生にプリントを提出した。確か保護者会のお知らせについての回答用紙で、昨日出すはずだったものを忘れた生徒だけが、先生に言われてバラバラと席を立って前に来ていた。

 俺は「しまりゅう」という名前で、出席番号順に割り振られた机は、たまたま最前列で、教卓の近くに位置していた。教室の後方の席からプリント片手に目の前に現れた白河さんを、なんとなく目で追っていたとき、事件は起こった。

「白河さん、これ、名前書いてないわよ」

 白河さんからプリントを受け取った先生が、そう言って彼女に優しくプリントを突き返す。

「あ、ほんとだ」

 受け取ったプリントを見た白河さんが、短いスカートをひるがえして振り返る。

 そして……不意打ちで目をらすことができなかった俺に向かって、口を開いた。


「ね、ちょっとシャーペン貸してくんない?」


 口から心臓が飛び出るかと思った。

「ぅあ? あぁ……」

 なんとかそれだけ答えて、筆箱からシャーペンを出して渡す。変な声を出してしまったが、どうにかギリギリ、手は震えずに済んだ。

 白河さんはそれを速やかに受け取り、俺の方に身をかがめる。

「……!?」

 なんと、彼女は俺の机でプリントに名前を書き始めたのだ。

 脂汗が出るほどドキドキしながら、至近距離で白河さんを見られる機会に胸が躍る。

 近くで見る白河さんの、伏せた長い睫毛がまぶしい。かがんだ胸元の谷間も見たいのに、角度的にブラウスが邪魔して見えないのがもどかしい。

 それにしても、陽キャだ。陽キャすぎる。俺だったら、たとえ自席が百メートル後ろにあっても、わざわざ戻って名前を書くところを、効率重視で、一度も話したこともない……たぶん名前すら知らないであろう異性のクラスメイトから気軽にペンを借りてしまう……その心理が、俺には何度生まれ変わっても理解できる気がしない。

 白河さんを観察していると、多分にそういうところがある。自分はいつも大勢のイケてる友人に囲まれている選ばれし民なのに、日陰グループに属する生徒にも、機会があれば屈託なく声をかけてくれる。そんな現場を、一年の頃、遠巻きに何度か見たことがある。

 真性の陽キャだから、そんなことができるのだろうか? 絶対的な人望があるから、周りの目を気にして陰キャを避けるようなキョロ充ムーブをしなくてもいいということなのかもしれない。

 思わぬ接近にテンパり、そんなことを走馬灯のようなスピードで考えていたとき、名前を書き終わった白河さんが、顔を上げて俺を見た。


「ありがと!」


 輝くように美しい笑顔。返されたシャーペンのぬくもり。

 強烈なアッパーだった。

 たったそれだけの、時間としては数十秒の出来事。

 けれども、それは俺が白河さんを好きになるのには充分な事件だった。

 想像してみてほしい。ポスターから抜け出たような美少女が、目の前で「ありがと!」とほほみかけてくれる光景を。そして、俺が彼女いない歴十六年で、かつ異性に興味だけはしんしんな陰キャ男子なのも加味してほしい。

 恋に落ちるだろ?


 そんなわけで、俺は白河さんのことを好きになった。今までも憧れの対象ではあったけれども、より強く意識するようになった。

 もちろん、だからといって、やっぱり「付き合いたい」と思っているわけではない。何かと妄想たくましい年頃ではあるが、さすがにそこまで厚かましい脳みそはしていない。

 同じクラスで一年間を過ごす間に、また何か物を貸してと頼まれるとかで、ちょっぴり接近できる機会があるかもしれない……せいぜいそれくらいの、ささやかな幸運への期待を胸に、粛々と学園生活を送っていた。


 そうしているうちに時は流れ、白河さんとはそれから特に接触の機会もなく、一学期も中盤に差し掛かったときのことだった。


   ◇


 ある日の昼休み。

 俺は、友達と三人で、教室の隅で飯を食っていた。

 俺にも友達の数人はいる。男限定だけど。そして、この二人以外には誰がいるんだとかれたら、ちょっとつらい気持ちになるけど。

「ふわぁ〜マジだりぃ。完全に寝不足だわ」

 俺の目の前でそう言って、あくび顔で弁当のおかずを口に運ぶのは、同じクラスのゆうすけ、通称「イッチー」だ。

 一年のときからのクラスメイトで、共通の趣味を通して仲良くなった。ゲーム漬けの不摂生な生活を送っているため、やや小太りで、ガタイのよさと背の高さも相まって、外見の存在感はかなりデカい。デカいのだが……残念ながら、悲しいくらい陰キャだ。俺が言うのもなんだけど。ちなみに、顔は元横綱の朝●龍に似ている。

「ゆうべKENが夜中に配信やるから、つい見ちゃったんだよな。そのあと明け方までゲームしちゃったし」

 イッチーの発言を受けて、俺の隣で弁当を食べていた男が顔を上げた。

「俺もKENのせいで寝不足だよ。KENが明け方ツイッターで募集かけてる通知で起きて、ワンチャン同村できるかと思って入ったら定員オーバーではじかれたけど、悔しいから他の部屋で学校来るまで遊んでたわ」

 そう言うのは、隣のクラスのれん、通称「ニッシー」だ。去年も違うクラスだったが、イッチーが俺たちと趣味を同じくする者がいるらしいとのうわさを聞きつけて声をかけ、三人で昼飯を食べるようになった。

 ニッシーは、顔だけなら陽キャのグループにも入れなくもない造作をしている。くりっとした可愛かわいい目をしていて、中学生に見えてしまうほどの童顔だけど。体格も、イッチーとは対照的にだいぶ小柄だ。二人のちょうど中間にいるのが、中肉中背でモブ顔の俺、という具合だ。

「二人とも、すげーなぁ。俺はKENの動画追うだけで精一杯だよ」

 本心から言って、俺は空になった弁当箱の蓋を閉じた。

 俺たちの共通の趣味は、ゲーム……正確に言えば、「KEN」という有名ゲーム実況YouTuberのファンという点でつながっている。

 KENは数種類のゲームの実況プレイ動画を毎日コンスタントに配信している、元プロゲーマーだ。その高度なプレイスキルと、ユーモアを交えた軽快な実況トークが人気を呼び、YouTubeのチャンネル登録者数は百万人を超えて、今なお増え続けている。

 KENの熱心なファンは「KENキッズ」と呼ばれ、その中でもゲームが上手うまいキッズにはKEN直々に声がかかって、一緒に実況動画のためのプレイングができることもある。イッチーとニッシーは、ひそかにそれを目指して、日々ゲームの腕を磨いている。

 俺はといえば、KENが一日に四、五本アップする動画を、ただ見ているだけの完全な消費型ファンだ。それだけでも、コメントをつけたりしているとあっという間に二、三時間経っているから、なかなか暇の潰れる趣味だ。休日にはイッチーたちとオンラインでしゃべりながらゲームすることもあるが、自分でやってもKENのように上手いプレイができるわけではないので、やっぱり実況動画を見ている方が楽しい。

 だが、そんな消費型ファンにもいい点はある。必要以上に無理をしないから、自分のペースで生活を送れるところだ。

「そういや、そろそろ中間の結果が返ってくるんだよなぁ」

 ニッシーのつぶやきで、イッチーの表情が盛大にこわった。

「やめろよ〜! 今回ほんと散々だったんだよ。試験期間中に新しい参加型キッズを募集するなんてKENもひどいよな」

「ほんとだよ。頑張って応募したのに結局入れないし」

 ニッシーも暗い顔で答えて、ため息をつく。

「カッシーは? テストどうだったんだよ?」

 突然水を向けられ、俺は「え?」と二人を見る。そう、俺は二人から「カッシー」と呼ばれている。

「ああ……俺も自信ないよ。先生代わって初めての試験だから、今までと傾向違ったし」

 俺たちは、三人とも成績はそんなに悪くない。全員、学年の上位三分の一に入るって感じだろう。もともと第二志望で受かった高校なので、俺的にはまずまず、といったポジションだ。

「ほんとか!? ほんとだな!? 裏切るなよ!?」

「う、うん……だいじょぶだよ、イッチー」

 ただ、今回は二人ともマジで試験中ヤバそうだったので、他人ひとごとながらちょっと心配だけど。

「ヤバイんだよ、俺。これで成績下がったらゲームやめろって親から叱られるー……!」

「俺もヤベーんだよな……テストの点が悪かったらスマホ解約するって脅されてるよ」

 ニッシーも同調し、イッチーがその手をガシッと取る。

「お前もか! 俺たち仲間だな!?」

「もちろん。だから、この中で一番成績が良かったやつは、一番成績が悪かった奴の言うことなんでも聞くってことにしよーぜ」

「なんでそうなる!?」

 ニッシーの提案に、一応ツッコんではみたものの。

 このときの俺は深く考えずに、その場のノリで強く拒否することもできず、そんなむちゃくちゃな約束を、なんとなくんだ形になったのだった。

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