第2話 友達の妹の手料理に舌鼓を打つ話(1)

「あっ! 洗い物、私がやりますねっ」

 からになった2つのグラスを取り、あかちゃんが立ち上がる。

 彼女はご機嫌そうに鼻歌をかなでつつ、掃除の際にたばねていたポニーテールをひょこひょこ揺らしながらキッチンに消える。

 まぁ、キッチンといっても一人暮らしらしい、居間から扉1枚隔てただけの、通路にへいせつされた簡素なものだけど。


 しかし、なんというか、改めて考えてもこの状況には中々慣れられる気がしない。

 大学に入って、そして一人暮らしを始めてかれこれ4か月程度がつけれど、これまで俺の部屋を訪れたのは野郎ばかりで、女子だと今回──朱莉ちゃんが初めてだ。

 ああ、だめだ。自覚すると余計に緊張してしまう。


 高校時代までさかのぼってみても、女子の友達はそれなりにいたけれど、彼女ができたことはない。当然告白したことも、されたこともなくて……そういう恋愛的なイベントには一切縁のない学園生活だった。

 むしろ、委員会で一緒になった子とかも、ちょっと仕事の話を振っただけで逃げられたりしたこともあったくらいだし……。

 中学まで戻るともっと悲惨だ。ひたすら部活に打ち込んでいた記憶しかない。仲良くなった女子は後輩のマネージャーくらいか。

 関わりが多かった分彼女はよくなついてくれていたけれど、男女の仲というより妹がいたらこんな感じなんだろうなといった距離感だったので経験にはカウントしづらい。


 そんなわけでおよそ青春というものをおうしてこなかった俺が、こんな手狭な部屋で年下の女の子と二人きりで寝食を共にするというのは、どうにも難易度が高くないだろうか。

 しかも──いや、なんだか顔で人を判断しているみたいになってしまうけれど、とても無視できない大事な要素として──みやまえ朱莉は美少女だ。

 一つ年下の高校生を子どもと表現していいのかは微妙なところだけれど、少し幼い雰囲気もある〝可愛かわいい〟と〝美しい〟の丁度中間の魅力を放っている。

 スタイルもいい。セーラー服の上からでもしっかり胸のふくらみが分かるし、そのふくらみによってげられているせいか、たまに腰の辺りがあらわになる。一応キャミソールに隠れてはいるものの、ウエストがキュッと引き締まっているのは分かる──

「って、なにまじまじと分析しちゃってるんだ俺は!?」

 頭の中に浮かんでいた朱莉ちゃんの姿を、首を振って強制的にかき消す。

 彼女が美少女ということは今更考え直すまでもない。高校生当時、学年の壁を超えて彼女の評判はよく耳にしたものだ。


 ……そういえば、高校二年くらいからすばるが週に二、三度程度、弁当を忘れることがあって、その度に朱莉ちゃんがわざわざ昼休みに俺達の教室まで届けに来ていたことを思い出した。

 当然俺達のクラスにも朱莉ちゃんのファンは多かった。それも男女問わずだ。

 朱莉ちゃんは礼儀正しく、教室に来るたびにわざわざ俺にも挨拶してくれて……まぁ、俺が毎日昴と昼飯を食ってたから無視できないというのも大きかったと思うけれど。

 正直役得と思わないわけでもなかった。何度見てもきない美少女だったし、毎度けなに弁当を届けに来る姿には、大変だと思いつつも兄想いの良い子だとほっこりさせられたものだ。


 そう、彼女は兄想いの良い子なのだ。

 今回の借金のカタという話だって、その兄想いが行き過ぎた結果かもしれない。

 先輩の教室なんて中々行きづらいだろうに、毎回健気に弁当を持ってきていた姿を思い出してしまった今、それ以上に来づらかっただろう俺の家までわざわざやってきた彼女を無下に突っぱねるのは心が痛んでできそうにない。

 ていうか、昴のやつ。なんで借金のカタに妹差し出してるんだよ。鬼畜かあの野郎。次会ったらぶんなぐってやる。

 しかもたった500円。いや、それが1000円とか10000円だったらなんて、そういう話でもないけれど……せめて俺の罪悪感が多少なりとも薄れる程度には借りてて欲しかった……!!

「……はぁ」

「はぐっ!?」

 不意に温かな何かが耳元をくすぐってきて、思わず変な声を上げてしまう。

 反射的にそちらを見ると──なぜか超至近距離に朱莉ちゃんの顔があった。え、なに、なにごと。

「わ、わわ、わっ!」

 朱莉ちゃんは目を丸くし、顔を真っ赤に染めつつよろよろとあと退ずさり、足をもつれさせて尻もちをついてしまった。

「だ、大丈夫!?」

「す、すみません……なんだか、考え事をしているみたいだったので、その、お声がけしていいのか分からなくて」

 だから吐息が触れるほどの至近距離で見ていた、ということだろうか。

 正直全く気が付かなかった。それだけ考えに没頭していたということだろうけれど、にしてもその考えていた内容が朱莉ちゃん本人のことだから余計に気まずい。

「あ、洗い物が終わったので、次なにしたらいいかなぁと聞こうと思いまして……」

「あーえっと、そんなに色々やらなくていいよ。少し休んだら?」

「そう……ですね。あまり焦っても良くないですよね。時間はたっぷりあるんですし」

 朱莉ちゃんはあごに手を当て、納得するように頷く。そして、

「なんたって、これから一緒に暮らすわけですし!」

「一緒に暮らす……ま、まぁ、そうなんだけどね……」

 はっきり言われるとつい腰が引けてしまう。

 ていうか、どうして朱莉ちゃんはこんなにポジティブな笑顔を浮かべられるんだろう。

 やっぱりあれか。部屋のすみに置かれたトランクケースとニ○リの布団がそうさせているんだろうか。確かにバックにあんなのがついてるんじゃ、お泊まりだって。

 特に後者は新品のくせに歴戦のを思わせる存在感、覇気を放っている。さすがお値段以上と自ら言うだけのことはある。

「あ、先輩。そういえばなんですが」

「なに?」

「冷蔵庫、ほとんど空っぽだったんですが……」

 言外に、「何か悪いことでもありました?」みたいな、づかうような視線を送ってくる朱莉ちゃん。

 ……なぜだろう。特に責められてる感じはないのに、変に恥ずかしく感じてしまう。

 彼女の言う通り、俺の家の冷蔵庫はほとんど物が入っていない。

 わざわざ一人暮らしを始める時に家電量販店まで行って選んだ2ドアの冷蔵庫くんは、それこそ最初の頃は自炊用の食材がいくらか詰まってはいたのだ。自炊用の……。

「先輩、自炊されないんですか」

 おっと、朱莉ちゃんの口調がほんのちょっぴり責める感じになった気がする。いや、もしかしたら俺の被害妄想かもしれないけれど。

「普段どういう食事をされてるんですか?」

「ええと……主にコンビニ弁当とか?」

「はぁー……」

 あからさまに大きなためいきかれた!

「先輩、そんな食生活じゃだめですよ」

「いや、でも最近のコンビニ弁当も案外しくて──」

「味のことじゃありません。栄養のことを言っているんですっ」

 まるで聞き分けの悪い子どもを叱るように、強く否定されてしまう。正直ぐうの音も出ない。

 親にも電話のたびに『ちゃんとしたものを食べてるか』と心配されているし……。

「いいですか先輩。ちゃんとしたものを食べないと、今は良くても10年後、20年後と、今をおろそかにした代償は必ず来てしまうんですっ! 若く元気な時だからこそ、ちゃんとした食生活を送らなくては!」

 ぐっとこぶしを握り、力強く演説する朱莉ちゃん。なんだか妙に説得力がある。

「く、詳しいね?」

「はい、勉強してますから!」

 そう言う朱莉ちゃんの目は自信に輝いていて──とても、『料理をしない一番の理由は後片付けが面倒だから~』なんて情けない理由を言える雰囲気じゃない。

「ですが、毎日自炊というのは中々ハードルが高いのも確かです。作るだけならいざ知らず、後片付けは面倒ですからね」

「な……どうして理由まで!? まさか朱莉ちゃん、俺の思考を読んで……!?」

「顔に出てました」

 確かに情けなさから目をらしはしたけれど、ピタリと言い当てられるのは……いや、案外ありふれた悩みなのかもしれない。

 だらしないところを年下の女の子に見破られ、気恥ずかしい気分になる俺に対し、朱莉ちゃんはどこか慈愛を感じさせる温かな微笑ほほえみを向けてくる。

「大丈夫です、先輩。今日からは私が栄養たっぷりで美味しいご飯を用意しますからっ」

「え、朱莉ちゃんが?」

「任せてください。これでも結構料理は得意なんですよ。兄のお弁当だって私が作ってたんですから!」

 それは知ってる。散々昴から自慢されたから。

 確かに昴の弁当はいつも彩り豊かですごく美味しそうだった。でも──

「あれ? 先輩、兄とおかず交換したこととかないですか?」

「うん。あいつ、自慢するだけして絶対に中身を分けたりはしなかったんだ。妹の手作りは兄である俺だけのものだーっとか言って」

「あの馬鹿兄……!!」

 あれ、朱莉ちゃんの口から昴に対するじゆのようなものが……?

 凄く小さな声だったから聞き間違いだったかもしれないけれど。

「……分かりました。それじゃあ先輩は私の料理の腕なんかまったく知らないということですね」

「なんかって言い方は違う気がするけど……」

「いいえ、なんかはなんかです。でもぜん燃えてきました」

 朱莉ちゃんは目をギラギラと光らせ、不敵な笑みを浮かべる。

 なんだろう、今の会話で何か火がついたらしい。

「そうと決まれば先輩っ! 行きましょう!」

「え、行くって?」

「当然、食材を買いにです! 先輩にはしっかり私の手料理をたんのうしていただき、私という存在がどれだけ先輩にとって有用であるか、身をって知っていただきます!」

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