第5話 みんな、許嫁をなんて呼んでる?
学校から家までは、徒歩十五分くらい。
しばらく歩くと、交差点を渡ってすぐ、右に曲がるところがある。
この道を通って帰宅する生徒を、俺はこれまで見たことがない。
そもそも人通りが少ないから、誰とも会わずに家に着くことも多い。
そんな、穏やかな道を一人歩いていると……。
「──
おそらく初めて、ここで声を掛けられた。
しかも、めちゃくちゃ親しい感じのテンションで。
俺が慌てて振り向くと、
「呼び方、呼び方! まだ帰り道だから、大きい声でそれはさぁ……」
「あ、ごめん! えっと……
いや。呼び方だけ変えればいいって問題じゃないから。
「……バレないようにするつもり、あるよね?」
「もちろんっ! からかわれたり仕事に支障出たら困るって、言ってたからねっ!」
「そうだよね?」
「……でも。走って追い掛けて、一緒に帰るのって……なんかドキドキするね」
「バレないようにするつもり、あるんだよね?」
「もちろんだよっ!」
思わずため息を吐いてしまう。
俺の横で、無邪気に笑いまくってる結花は──全然クラスの『
本人は気を付けてるつもりなんだろうけど。行動がまるで伴ってないんだよな。
さすが、ゆうなちゃんの中の人──キャラと同じく、本物の天然だ。
◆
帰宅してしばらくすると、引っ越し業者がチャイムを鳴らした。
去年まで
少しずつ、結花ちゃんの色に染まっていく室内。
「んー。これはこっちに置いて、これはあっちで……」
業者が帰ったあとも、結花ちゃんは自室の整理整頓に夢中になっていた。
女子の部屋をじろじろ見るのは気が
無造作に置かれた、まだ開封されていない段ボール。
──いざ荷物が運ばれてくると。
改めて、今日から
「遊くん、お待たせー」
そうこうしていると、片付けを終えたらしい結花ちゃんが、ひょこっと顔を出した。
学校と違って結われていない、
眼鏡を外すと、なんだか垂れ目っぽく見える瞳。
水色のワンピースを
「なんか、荷物が運ばれてくるとさ。今日からここで遊くんと一緒に暮らすんだなぁって、実感が湧いてくるよね」
そう言ってから照れたように、結花ちゃんが
なんか気恥ずかしくなって、俺も思わず目を
テーブルには、コップが二つ。
ひとつは、いつも使ってる俺の黒いマグカップ。
もうひとつは、うさぎのキャラクターが目立つ──結花ちゃんのマグカップ。
「遊くん」
なんの脈絡もなく、結花ちゃんが俺の名前を呼んだ。
「どうしたの、結花ちゃん?」
「ゆーくーん」
「動物の鳴き声みたいだね、それ……」
「……むー」
結花ちゃんは腕を組むと、何やら難しい顔をして首をかしげはじめた。
なんか知らないけど、深刻そう。
「『遊くん』『結花ちゃん』──これって許嫁同士の呼び方として、いいのかな?』
「え? 別によくない?」
「いや……アニメとかだと、他にも色んなパターンがあるし。いっちばんしっくりくる呼び方を目指すのも、ありかなって」
俺の頭が追いつく前に、結花ちゃんは両手の人差し指をくっつけて、もじもじしながら言った。
「んーと……あ、あなた……」
シンッと、二人っきりのリビングが静まり返った。
結花ちゃんの顔が、赤く染まってる。
なんだかいけないものを見ているような気分になって、俺は思わず目を逸らす。
「さ、さすがにそれは恥ずかしいでしょ……」
「じゃ、じゃあ──旦那様、とか?」
口に含んでいたお茶を、ぶぼっと吹き出しそうになった。
「真面目な顔して、何言ってんの!? そっちの方がもっと恥ずかしいよ!」
「ねぇ。ダーリン?」
「バカップルか」
「つれないなぁ……ご主人様ぁ」
「それはもはや意味が違う!!」
最初こそ恥ずかしがっていた結花ちゃんだけど。
掛け合いをしてるうちに、テンションが上がってきたのか。
はたまた、声優の血が騒ぎ出したのか。
段々と演技に拍車が掛かっていって──。
「私──結花はぁ。ご主人様のために、今日も頑張ってご奉仕するにゃあ☆」
それから数分後。
そこには「勢いでやり過ぎた」と、机に突っ伏して落ち込む少女の姿が。
「ったく。調子に乗ってはしゃぐから」
「うぅ……恥ずかし……」
学校とのギャップが
「色々試してみて、満足した?」
「んー……でもぉ……」
ここまでやって、まだご不満なのか君は。
「俺は別に、『遊くん』でいいよ。それでも特別感あるし」
「──『結花ちゃん』には」
「ん?」
「『結花ちゃん』には……特別感がないもん」
落ち込んでいたと思われる結花ちゃんが、急にハイテンションで立ち上がった。
そして、俺のことをビシッと指差して。
「女子でそう呼んでくる子もいるし。なんかすっごい、普通!」
「普通じゃ駄目なの?」
「だめっ! だって、私と遊くんは……いつか結婚するんだから」
ハイテンションだったかと思えば、今度はか細い声で顔をしかめちゃって。
まるでジェットコースターみたいに、ころころと変わる表情。
中の人とは思えないほど、ゆうなちゃんそのもの。
元気でドジっ子で、やりすぎちゃってからずーんと落ち込んで。
あー……駄目だな。
ゆうなちゃんとかぶるから、そういうのを見ると──なんか
「──『結花』」
「へっ!?」
目を丸くする結花に、俺は穏やかな気持ちで言った。
「結花、だったらどう? 少しは特別感、出たりしないかな」
「あ、あう! あうあう!!」
なんか言語を失った結花が、こくこくと
そんな素直で、ちょっと抜けてる結花に、俺は声を出して笑いながら。
「じゃあ改めて……よろしくね、結花」
「遊くん」
「うん?」
「遊くん遊くん」
「なぁに、結花?」
「呼んでるだけだよー。遊くん、遊くん、遊くん……えへへっ」
繰り返し、繰り返し。
結花は意味もなく俺の名前を呼んで、楽しそうに笑う。
ただ、それだけのやり取りなんだけど。
なんだか意外と──悪くないなって思った。
「遊くん遊くん! 遊くん遊くん! 遊くん? ゆうくーん!! ゆ、遊くん……!?」
「なんで最後、死んだみたいになってんの?」
やっぱりやり過ぎなのが、玉にきずなんだよな。この子は。
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第1巻試し読みは以上です。
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『【朗報】俺の許嫁になった地味子、家では可愛いしかない。』
でお楽しみください!
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