一章 アオいハルの憂鬱 その7

   * * *


 かまいたちは死ぬはずだった。いや、彼らの立場を思えば殺すべきだったと言うべきか。隊員達の胸中にはめ損なった、という後悔が渦巻いていた。

 対《フォールド》を想定して警察内部に組織された特別任務機動隊カウンターユニツト。通称、特務課。

 彼らの銃口はほんの数分前まではかまいたちを捉えていた。標的の姿を視認するや否や引き金を引き、銃弾は目標の脇腹に命中した。防護ジャケットに身を包んだ隊員が数名で隊列を組み、膝を突いてうめくかまいたちの前に立ちはだかった。

『……ッ、どいつもこいつも邪魔ばかり。これだからは嫌いなんだ』

「構えッ!」部隊長の号令と共に、隊員達の銃口が一斉に目標をにらんだ。

 射殺命令はすでに下っていたのだから、後は引き金を引くだけで良かった。油断していた訳ではないが、手負いの獣が秘めた生存本能は想像をはるかに超えていた。

 はくいろの瞳が強く光を放ち、「撃て!」と叫ぶのと同時、かまいたちがひようへんした。

 風が、爆発した。かまいたちを中心に吹き荒れた暴風は隊員達をばし、それは渦となって空へと立ち昇った。嵐を一本の支柱に巻き付けたような、強大な渦だ。

 そして目の前には今、巨大な竜巻がそびっている。

「狙撃班、配置に就いた。だがこの風だ、あまり期待するな」

「構わん。こうなった以上、俺達に出来るのは時間を稼ぐことだ」

 竜巻は依然勢力を増しながら、片側二車線の道路を我が物顔で南下していた。

 特務課もまた場所を移し迎撃の準備を整えていた。仕切り直しだ、と誰もが意気込む中、慎重ともていかんとも取れる上官同士のやり取りに、狙撃班の一人から舌打ちが漏れる。

「五分でいいわ。それだけの時間、全身全霊で守り抜いて!」

 インカム越しに背中をたたく上司の声に、各員は「了解」と意思を統一し、市街地をなお進攻する竜巻を前に、彼らは再び銃口を掲げた。

「総員構え! ──撃てッ!」

 そして、すぐさま銃声が響き渡った。無数の銃弾が空に向かって放たれる。それらは全て竜巻の壁を通過し、渦にまれて隊列を崩し、本体にかすること無く役目を終えた。

『無駄だ。もはやお前達では障害にもならんよ』

 暴風渦巻く嵐の中、その声は天から降り注ぐように耳に届いた。

 無機質も有機物もまとめて巻き上げる暴力の化身。竜巻の中心に、怪物の姿を視認した。

 緑の龍鱗うろこ。金糸の体毛。さんのように枝分かれした角に、はくいろの瞳。たけだけしくもしなやかな尾を背後に揺らし、威風堂々と空にたたずむ『りゆう』のシルエット。

 かまいたちは、まるで雷鳴を自らの意志で降らせるかのように片腕を振り下ろした。

 すると、彼を取り巻いていた渦から、更なる渦が吐き出された。新たにきつりつした竜巻が公道を疾走し、なおも引き金を引き続けていた隊員達へと襲い来る。

「──退避!」そう叫んだ時にはすでに遅い。地上で防衛戦を演じていた隊員は皆、激流のごとき渦にまれてしまった。その力はすさまじく、隊員達を宙へと運び去り、弄ぶのに飽きると、ビルの側面やアスファルトに向かって無造作に投げ飛ばした。

 竜巻の渦の内部には、隊員達からむしったチップが無数に輝いていた。

 ビルの屋上や高所の窓から狙撃を試みようとしていた隊員達も、うなりを上げて襲い来るつむじ風にはじき出され、特務課は瞬く間に壊滅状態へと追い込まれていった。


   * * *


 前から走ってきたサラリーマンと肩がぶつかった。男は謝ることなく、はるの顔をいちべつするとすぐに走り去って行った。彼の目には恐らく春樹の顔の火傷やけど痕すら映ってはいなかったことだろう。誰も彼もが必死の形相で、北から南へと駆けている。

 皆、突如出現した巨大竜巻から逃げていた。いつだったかこんなシーンを映画でたことがある。自然の脅威を前に引き裂かれた家族が再会を果たし、滅びかけてる街を背景にカップルがキスをする。そんな内容だったか。結局、人類は竜巻には勝てなかった。

 はるなつを探して、竜巻の方へと向かっていた。

 かまいたちの犯行現場にも小夏はいなかった。入れ違いになったのだろうか。それとも体格の小さな小夏のことだ、この暴風にさらわれてしまったとも考えられる。

 辺りにはガラス片や空き缶、街路樹からむしられた樹木や公園のベンチ、果ては屋上で見た広告看板までもが飛び交っている。だがそれ以上に目を見張る光景があった。

 チップだ。数えきれないほどの銀色の塊が、空に舞い上がり、竜巻へと吸い寄せられていく。それは一体何年分になるのだろう。チップにはお金のようにその価値が刻まれている訳ではないから、膨大な、としか言い様がない。ただ経験上、空には千年を超える命が漂っている。かまいたちはそれだけの寿命をヒトから奪ったのだ。

「これだけ用意してやれば、アポトーシスも満足してくれるのかね」

 むしろこれだけの偉業を果たしてようやく、とも言える。それに春樹の場合は自分の支払いだけじゃなく、小夏の分も集めなくてはならないのだ。占めて二千年分。

 目眩めまいがする。背負ってしまった重荷の大きさを改めて思い知った。

 どれだけの間、空を眺めていたのか。彼女の声が耳に届かなくなるほどにはぼうぜんとしていたらしい。どすん、と背中に誰かがぶつかった。振り返るとそこに、小夏はいた。

「小夏、お前行ってたんだ。探しただろ!」

「……ハルを、探してた……!」

 小夏は走り回っていたのか呼吸が荒く、肩で息をしていた。ほおがほんのりと赤い。

 すでに散った桜の花びらでも探していたのだろうか。今は冗談を交える体力もない。

「お前がちゃんと待ってりゃその必要もなかったんだ。まあいい。それよりさっさとここから逃げるぞ。巻き添えは御免だからな」

 きびすを返す春樹に対し、「えっ」と小夏が意外そうに声を漏らした。

「なんだよ?」

「……っ、止めないと……!」

 聞き間違いでなければ、小夏はそう言った。

「止める? なに言ってんだ。あれをよく見ろ。どうやって止めるってんだ」

「……死んじゃう、人が……!」

「それは俺らも同じだろ。お前、自分が三日しか残ってねえの忘れたのか? それは三日生きられるってことじゃねえんだ。無事で済めば三日生きられるってだけの話だ。石ころ一つで死ぬことだってある。それともなにか、俺に死んでこいって言うのか?」

 小夏はぶんぶんと首を振って否定する。だが一緒に逃げようともしない。

「いいかなつ。あいつも俺も、お前だって同じ《フォールド》だ。認めるのはしやくだけどな、同じなんだよ。これは生きるために必要なことなんだ。だから俺にはあいつを止める権利はない。第一、止められるか? お前はあいつに死ねって言えるのかよ。言えないだろ? だったらこの話はここでしまいだ」

 有無を言わさずまくてるように説き伏せると、小夏はそれ以上口を開かなかった。

 納得はしていないのだろう。今にも泣き出しそうで、それでも泣くのはズルいなと歯を食いしばり、瞳の奥でわんわんと泣き叫ぶ。そんな顔を、彼女はしていた。

「ほら、行くぞ。こんなとこでお前に死なれちゃ困るんだよ」

 はるは小夏の手を取った。小夏の指が春樹の指と絡まり、それが、するりと解けた。

 視界の隅に、逃げ遅れた老夫婦の姿があった。

 じいさんは八十代後半といったしわだらけのろうで、ばあさんの方が多少若く見える。

 転んだのか力尽きたのか諦めたのか、ともあれその二人は頭上から降って来る死を眺めていた訳だ。竜巻に巻き上げられちて来る一台の車を。ともすれば後はぺしゃんこになるのを待つばかり。神に祈っている素振りはない。無神論者なのかもしれないし、迫り来る死を前に神様の存在など頭からすっぽ抜けてしまったのかもしれない。

 まあ実際のところ、祈ったところで神様が助けてくれることもないだろう。

 人を助けるのはいつだって、ただの人なのだ。

 だからこそ、とつに飛び出して行った彼女の背中はとても尊いものに見えた。

「──馬鹿、小夏ッ!」

 小夏は老夫婦の前に立つと、そっと自分の顔に手のひらをかざした。ノイズが走ったかのようにその表情がゆがみ、手の内に〝仮面〟が出現する。

 小夏は顔を老夫婦に、背中を車へと向けていた。恐らくは、老夫婦はその一部始終を目に焼き付けたことだろう。その奇跡は瞬く間に起きたのだ。

 ドゴンッ! という衝突音が宙で響いた。

「……え、っ……?」

 困惑の色をにじませ小夏が振り返ると、今まさに頭上に迫っていた車の底面はすでに無く、遅れてガシャンと路肩に着地した車があるばかり。

 なにが起きたのだろうと小夏が見上げた先、そこには、太陽が輝いていた。

「素晴らしい勇気だ、桃色少女。キミの勇気が奇跡を起こした」

 西へと沈みかけたゆうを背に、彼はマントをなびかせ、ゆっくりと地上に降り立った。

 真っ赤なタイツに身を包み、金色のグローブとブーツを身に着けた筋骨隆々のその男。腰には黄金色に輝くベルトが巻かれており、同じく黄金色の光をまとったマスクには太陽を模した角飾り。露出したくちもとが魅せるスマイルと、鼻先から顎にかけて漂うナイスガイ。

 グッ、とサムズアップを掲げるヒーローを前に、小夏はその名前をつぶやいた。

「……ブレイズ、マン……?」


「そうとも。私こそが生命いのちの番人、──ブレイズマンだ!」


 その時、世界の空気が変わった。

 全身タイツのマスクマンが現れただけだと言うのに、それだけで全てが救われたかのような錯覚が生まれた。運命や幸運といった目に見ることの出来ないスピリチュアルな概念を五感に捉えた高揚感。「ああ、今ならイケる」と流れをわしづかみにしたような感覚だ。

なつ!」はるは、遅れて小夏の元へと駆け寄った。

 ぼおっと突っ立ったままの彼女を、ブレイズマンなる者から強引にがす。しかし彼はそんな春樹の態度に気を悪くすることなく、微笑ほほえましそうに相好を崩した。

「さあ、行きたまえ。ここから先は私の出番だ」

 ブレイズマンはマントを翻すと、地面をはじいて空に飛び立った。翼も無しにロケットのようにしようする彼の背中は、迷うことなく巨大竜巻の方へと向かって行った。

 小夏は、その背をずっと眺めていた。目を輝かせ、口を半開きにして、神に祈るように手を合わせている。

 彼女だけじゃない。ブレイズマンの登場に、周囲からは熱狂的な歓声が上がっていた。

 もはや誰一人としてこの場から逃げようなどと思う者はいない。彼の活躍を目に焼き付けようと、誰もが子供のようなまなしで、誰もがヒーローの存在に目を奪われていた。

 しかしはるだけは、全く別の心境に立たされていた。

 ブレイズマン。それは絶対正義の象徴。怪物の脅威から人類をまもる絶対無敵のヒーロー。

 そして《フォールド》にとっては最も忌むべき天敵。完全無敵のゲートキーパーだ。

 だとすればそれは、いずれ自分達の前に立ちはだかる障害に他ならない。

なつ、ちゃんと見とけ。──あれが俺達の、敵だ」

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