一章 アオいハルの憂鬱 その6

   * * *


 それが『かまいたち』であることは、すぐに分かった。

 かまいたちは屋上の縁に立ち、風をでるように指先を動かしていた。

 屋上で待ち構える奴の元に、チップの群れが風に乗ってやってくる。ビンゴだ。

 空を飛んできたチップは、次々と奴の胸に吸い込まれていく。どれだけの寿命を奪ったのかは見ただけでは計りようもないが、奴は一言『こんなものか』と言った。

『随分と便利な力持ってるじゃねえか。お仕事は全部風任せか?』

 春樹が声を掛けると、かまいたちは驚いた素振りで振り向いた。

『誰だ!』

 かまいたち、と聞いて思い浮かぶのはやはりイタチの姿だろう。尻尾に鎌が付いていて、悪戯いたずらにヒトの肌を斬り裂いて回るはた迷惑な妖怪だ。だが、振り返ったそれはどう見てもイタチには見えず、どちらかと言えば日本昔話に出てくる胴長の〝りゆう〟が近い。

 全身が緑の龍鱗うろこに覆われており、金糸の体毛で装飾が施されている。頭部にはさんのような角があり、はくいろをしたひしがたの瞳はそれ自体が宝石のようだった。

『お前は、いや、お前もまさか《フォールド》か?』

『ただのカツアゲ仮面だよ。そういうあんたは、かまいたちさんだな』

『ああ、そうだ。他に仲間がいることは知っていたが、会うことはないと思っていた』

 かまいたちは警戒こそしていたが、それが仮面をかぶった仲間であると分かると、握手でも求めてくるかのような態度になる。対してはるは、敵を前に身構えていた。

 もし本当に心許せる仲間であれば、初めから仮面など被って会いには来ない。

『俺も驚いたよ。まさか同業者に襲われるとは思ってもみなかったからな』

『……なんのことだ?』

『あんたが奪ったチップの中に、俺の分が混じってるって言ったら分かるか?』

 かまいたちは数秒考え込んだ後、ややあって『ああ、そうか』とうなずいた。

『なるほど。お前は取り返しに来たわけだな。命を』

『話が早くて助かる。とりあえず俺から奪った十六年ちょっと、返してくれるか』

『そうは言われてもな。あいにくとお前の顔に心当たりがない。試しにその仮面を取ってみてくれないか。そうすれば思い出せるかもしれない』

『馬鹿か。そう言われてあんたは仮面取るのかよ』

 またもや少しの間があった後、『取らないな。取るわけがない』と答えた。

 どうもペースが乱される。その落ち着き様は余裕の表れなのか、それともただ考えてからしやべっているだけなのか。自分自身の焦りが浮き彫りになるようで、いらちが募る。

『で、返すのか返さねえのか。俺が聞きたいのはそれだけだ』

『その話なら、断る。これは俺が一度手にした命だ。返す道理が無い』

『そうかよ。だったら話は終わりだ』

 キンッ、とはじかれたチップが宙を駆ける。不意の一撃にかまいたちは動けなかった。それが凶器であることにすら、やつは気付いていなかった。

にでも吐き出させてやる』

 春樹が指を鳴らすと同時、ボンッ! とチップが爆発した。

《フォールド》には特異な力がある。それは命を稼ぐために必要な仕事道具と言い換えてもいい。そしてその技能や手口は《フォールド》によって随分と異なる。

 アポトーシスが影を操るように、かまいたちが風を従えるように。

 春樹は、チップを爆弾に換えることが出来た。

 直撃だった。不意に起爆した爆弾を前に身体からだらすことすら出来なかったかまいたちは、目の前で咲いた爆炎に胸を焦がし、しかし平然と立っていた。

 かまいたちは驚いているようだった。想像を大きく下回る爆弾の火力に、だ。

 はるはじいた爆弾は、かまいたちからチップを十数枚巻き上げただけに終わった。

『今のがお前の全力か?』

『……いいや、六分の一くらいだ』

 春樹は寿命を頭でカウントする。六日弱あった命が五日に減っている。足りない一日分の命はどこに行ったのか。それはたった今チップとなって、爆散したばかりだ。

《フォールド》がヒトに恐れられる所以ゆえんは、ヒトには無い力を持っているからだ。

 例えばそれは刀で斬り合う戦場に機関銃を持ち込むような、地上を駆ける歩兵隊に空爆を仕掛けるようなきよう染みた力ではあったが、その反面《フォールド》にしか知り得ない大きなデメリットもあった。

 それも、力の代償に寿命を消費する、という大き過ぎるデメリットが。

『命を賭けて、命を稼ぐ。それが《フォールド》の基本原則だ。死に近づくことを恐れていては、生きていくことは出来ないぞ』

『誰かさんにそのチップを奪われちまったからな。あいにくと元手がない』

『ならば代わりに見せてやろう。力というのは、こうやって遣うものだ』

 瞬間、それが来た。

 かまいたちが腕を振り払うのに合わせて突風が吹いた。春樹は正面から襲い来る〝風〟の形を目撃した。かまいたちを不可視の通り魔たらしめる、風のやいばだ。

 春樹は視覚を頼りに身をかがめ、ヘッドスライディングの要領で風をくぐった。

 背後でなにかが切断される音が聞こえた。振り向くと、屋上に設置された広告看板の足場が真っ二つになった。鉄骨の支えを失った看板は、派手な音を立てて崩れ落ちた。

『どんだけのチップを遣えば、それが俺にも出来るんだ?』

『今のは警告だ。次は当てる』

『なにが警告だ。けなきゃ当たってたぞクソが』

 言ってる間にもかまいたちは次を構えている。春樹も次の一手に出ていた。

 春樹は再びチップをとうてきする。今度は一枚だけでなく、十数枚のチップだ。

『芸の無い。まとめて吹き飛ばして──』

 かまいたちは先程の爆発を見て、その威力を覚えていた。宙で散らばったチップをはらおうと距離感を測り、一斉に突風を解き放つ。だがやつはその距離感を見誤っていた。

『ボンッ』

 チップの散弾はなんの前触れもなく爆発した。先程の十倍の規模で膨れ上がった爆炎がかまいたちをみ、十倍の威力をもつて奴を屋上から場外へとばした。

 春樹はかまいたちを追って、屋上の縁から地上へと飛び降りた。

 かまいたちは、ビルとビルの合間の路地に落ちていた。しばらく爆発と落下の衝撃にうめいていたが、身体からだからポロポロとチップをこぼしながらも、ようやく立ち上がった。

『お前……ッ、力を隠していたな。チップは無い、って。きようだぞ……!』

『そっちが素か? 見た目の割に小物臭いやつだな』

 はるの爆弾は《フォールド》の基本原則に従って寿命を消費する。だが、それはなにも自分の寿命にこだわる必要はない。春樹は最初の一投でかまいたちがこぼしたチップを回収し、それをまとめて爆弾に換えていた。一年ちょっとの命だったが、火力としては十二分。

《フォールド》の戦い方はメダルゲームにも似ている。一枚のメダルはやりようによっては十にも百にも化ける。命もメダルも、要は遣い方次第という訳だ。

『こいつは返してもらうぞ』

 路地には大量のチップが散らばっていた。半数以上は爆発に巻き込まれ使い物にならなくなってしまったが、それでも奪われた以上の命がそこにはある。

 チップを前に皮算用を始めた、その時だった。

『もうじき千に届くんだ。お前なんかに邪魔されてたまるか!』

 かまいたちを中心に突風が巻き起こり、春樹はあっさりと吹き飛ばされた。情けなく地面を転がり、顔を上げた時にはかまいたちの背中が見えた。逃げたのだ。

『またそれかよ!』

 今度こそ逃がすものかと春樹は勇んで駆け出した。が、数歩進んだ先で立ち止まった。

 チップの山を振り返る。捨て置くには惜しい宝の山だ。こればかりは無視出来ない。

 春樹はかまいたちを追うことを諦め、チップを拾い始めた。これでいい。優先すべきはふくしゆうを果たすことではなく、アポトーシスに支払う二千年の命を稼ぐことなのだから。

 結果として、その判断は間違っていなかった。

 銃声が響いた。パンッ、という乾いた銃声とは違い、タタンッ、とリズムを刻むような銃声だった。路地の角を曲がった先から、「動くなッ!」という怒声も聞こえた。

 かまいたちが撃たれたのだ。ヒトに危害を加える害獣は駆除されるのが世の常だ。

 そしてそれは、決してごとなどではない。

『チッ、流石さすがにお巡りさんまでは相手にしてらんねえな。退散だ』

 春樹は拾えるだけのチップを拾い集めると、銃声がした方とは反対方向に立ち去った。

 背後でもう一度銃声が鳴ったが、春樹は振り返らなかった。


   * * *


 コンビニに戻ると、なつの姿が無かった。春樹は思わず頭を抱えた。

「あの馬鹿、待ってろって言ったのに!」

 普段はおっかなびっくりとした仕草で春樹の半歩後ろをついて来る彼女だが、こういう時だけ無駄な行動力を発揮する。見ないフリをする、ということが出来ない性質なのだ。

 行ったところでなにも出来ない癖に、と内心悪態をいた。

「ったく、あと三日しかねえんだぞ。勝手にどっかでくたばってなきゃいいが」

 なつの行き先には大体見当が付いている。早いところ見つけ出して合流しなくては。見つけたその時にはデコピンの一つでもしてやろう。そう思い、はるは横断歩道を渡った。

 空は夕焼けに染まりつつあった。随分と急ぎ足で、雲が流れていく。

 春樹が空を見上げた矢先、突風が吹いた。それは季節外れの春一番、といった風だった。

 周囲から悲鳴が上がる。突風にあおられ転んだ人や、とつかがんで風をやり過ごそうとする人が見えた。春樹は転ぶことも屈むこともなく、中途半端な姿勢でそれが過ぎるのを待った。だが、それはいつまでっても治まる気配がない。

「なにあれ、ヤバいって!」

 女子高生の悲鳴とも歓声とも知れない声に、春樹はなんとかまぶたを開いて顔を上げた。

 そして言葉を失った。春樹だけでなく、その目撃者は漏れなく息をんだ。

 大通りがつらぬくビル群の一角。そこに、巨大な竜巻がうなりを上げて渦巻いていたのだ。

 先も見通せぬほどに渦巻く灰色の竜巻は、のように回転を続けながらビルの側面を削り取り、天高くそびっている。あの辺りはさっきまで自分がいた場所ではなかったか。かまいたちと戦った場所だ。だとすればあの竜巻は、まさか。

「……まさかあれ、かまいたちか?」

 答える者はいなかったが、灰色の竜巻の中心には確かにその姿があった。

 もはや誰もそれを『かまいたち』と侮ることはない。天高くから地上を見下ろし、威風堂々たるたたずまいで空に立ったその異形は、まさに『りゆう』そのものだった。

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