一章 アオいハルの憂鬱 その5
* * *
「ふざけやがってクソがッ!」
アポトーシスとの取引を終え、
騒々しい音と共に空き缶が散らばり、タール色の液体がアスファルトに広がった。
同じ制服を着た学生が遠目に見ていた。
アポトーシスという存在は、春樹にとっては理不尽以外の何物でもなかった。
「なにが千年の命だ。んなもん、一ヵ月で集められるわけねえだろうが!」
百年分の命を支払う。荒唐無稽とも言える契約を果たした春樹に対して、アポトーシスは更なるノルマを課した。それも前回の十倍、千年分の命だ。
そうなる気はしていた。その前の支払い日もそうだったからだ。まずは試しに十年から始めましょう。その次は五十年。その次は百年。そして千年。アポトーシスの要求は徴収の度に
ふざけるな。冗談じゃない。
せいぜい空き缶を蹴り飛ばすくらいが関の山だ。馬鹿らしい、そして情けない。
ふと
「あのな小夏。そんなのはお前がやらなくていいんだよ、ほっとけ」
「……でも、ハルがやったから……」
一つ一つ空き缶を拾っては、腕の中に
「小夏お前、あのチップなんで渡したんだよ」
「……だって、ハル……死んじゃうかと……」
「あれはお前にやった命だろ。いざって時のためのへそくりだって、そう言ったろ」
「……いざ、だった……」
小夏は「いざ!」と意気込むような口ぶりだったが、むしろ
春樹はゴミ箱を取って来ると、空き缶を拾った
「まあ、それはいい。で、あとどんだけ残ってる?」
なんのこと? と、小夏は首を
「お前の寿命だよ。それ以外ねえだろ」
小夏はようやく思い当たった素振りで顔を上げると、指を立てて数え始めた。そして、いち、にぃ、さんと指を立て、そこで止まった。
「三日ってお前……っ、まさか持ってる分、全部
小夏は慌てて首を振って、自分の口で言った。
「……違っ……三十、年……!」
「すぐバレる
春樹は小夏の額を指でぺちんと
小夏には、日々稼いだ命を少しずつ預けていた。普通の人間ならば自分の命を取り出したり、反対に蓄えたりすることは出来ないが、彼女にはそれが出来た。いわば小夏は春樹専用の貯金箱だった。小夏はそれを遣って、春樹を助けようとしたのだ。
たとえ三十年あった寿命が、残り三日になろうとも。……少し払い過ぎの気もするが。
「……ごめんなさい……」
「もういい。良くはねえけど、仕方ない。お前に助けられたのは事実だ」
そう言うと小夏は、まるで自分が救われたかのように顔を綻ばせた。
小夏は、春樹が自分を
缶を拾い終え一息
「なにがだよ」
「……ハルの、寿命……」
「さあな。普通の人間はな、自分があと何年生きれるかなんて考えないんだ。知らぬが仏、ってやつだよ。分かったら、手、洗いに行くぞ」
話が違う、と
俺の命はあと、六日と十八時間三十九分十一秒。十、九、八……。
無意識に寿命を数えている自分に気付き、春樹は小夏には聞こえぬよう舌打ちをした。
自分の寿命が見えるというのは、なんと不便なことだろう。
そんな真実を春樹が知ったのは二ヵ月前、アポトーシスと契約を交わした日のことだ。
それは
「これから
などという訳の分からない理屈で
春樹にしてみれば、タイマーの作動した時限爆弾を手渡されたようなものだった。しかもそれは心臓に結び付けられて外れないものだから、気が気でない。
そのデジタルクロックが
もしかしたらそれはアポトーシスの
その勇気があったならば今頃は、命を稼ぐ怪物になどなってはいなかったはずだ。
しかし幾ら後悔しても時間は戻らない。今の自分に出来ることは、一秒でも多くの寿命を死守することと、一秒でも長く生き残るために
「まずは、かまいたちの野郎に奪われた分を取り返す。後のことはそれからだな」
決意を新たに、春樹はコンビニのトイレを後にした。
『かまいたち』が再び出現したのはその直後だった。手を洗うために立ち寄ったコンビニを出て、すぐに悲鳴が聞こえた。一日で二度も悲鳴を聞くことなどそうは無いと思っていたが、春樹はすぐに「奴だ」と
「待て、小夏!」
小夏は前回と同様、悲鳴が聞こえた方に駆け出そうとしていた。春樹は彼女が動くより早く腕を
「今から行ったところで間に合わねえだろ。さっきと同じだ」
「……でも……」
「それより、今はかまいたちを見つける方が先決だ。どうせ現場に行ったって
納得はしていないようだったが、
「……でも、どうやって……?」
「考えてもみろ。奴の目的は俺達と同じだ。幾らかまいたちが見つからないよう狩りをしたところで、チップを回収する手段は必ず必要になる。あの時、チップはどうなったよ」
小夏はほんの一時間前の記憶を遡って、空を見上げた。
「……空を、飛んでた……」
「そうだ。そのチップが飛んで行った先に奴はいる」
「……でも、また、逃げられる……」
「追い掛けるから逃げられるんだ。尻を追って逃げられるなら、向かう先で網を張って待ってりゃいい。大方、どっか高いとこから見下ろしてるんだろう」
そう言って
「……っ、ハル……!」
「お前はそこで待ってろ! 勝手にどっか行くなよ、いいな!」
そう叫びながら春樹は赤信号を突っ切って行く。二人分の鞄を抱えポツンと