一章 アオいハルの憂鬱 その5

   * * *


「ふざけやがってクソがッ!」

 アポトーシスとの取引を終え、はるなつと共に来た道を戻っていた。口を開く余裕もなかった。だが、通り魔に遭った現場に差し掛かったところでんでいた怒りが爆発した。気付いた時には、自販機の横にあったプラスチックのゴミ箱を蹴り飛ばしていた。

 騒々しい音と共に空き缶が散らばり、タール色の液体がアスファルトに広がった。

 同じ制服を着た学生が遠目に見ていた。とう高校の生徒だ。春樹が睨むと、そそくさと逃げて行く。触らぬ神にたたりなし、ということだろう。しかし触らずとも祟りの方から寄ってくることもあるのだ。それも事故のように突然に。

 アポトーシスという存在は、春樹にとっては理不尽以外の何物でもなかった。

「なにが千年の命だ。んなもん、一ヵ月で集められるわけねえだろうが!」

 百年分の命を支払う。荒唐無稽とも言える契約を果たした春樹に対して、アポトーシスは更なるノルマを課した。それも前回の十倍、千年分の命だ。

 そうなる気はしていた。その前の支払い日もそうだったからだ。まずは試しに十年から始めましょう。その次は五十年。その次は百年。そして千年。アポトーシスの要求は徴収の度にがっていく。はてさて、千年の次は一体何桁の命を要求されるのか。

 ふざけるな。冗談じゃない。たぎるほどの怒りが腹の内でくすぶっている。だが、その怒りを本人にぶつけることも出来ない。力の差はすでに何度も思い知らされているからだ。

 せいぜい空き缶を蹴り飛ばすくらいが関の山だ。馬鹿らしい、そして情けない。

 ふとなつに目をやると、彼女は地面に散らばった空き缶を拾い集めていた。

「あのな小夏。そんなのはお前がやらなくていいんだよ、ほっとけ」

「……でも、ハルがやったから……」

 一つ一つ空き缶を拾っては、腕の中にめこんでいく。あふれた一つがカランと転がって、小夏はそれを追い掛ける。カランコロン。また空き缶がこぼれる。……要領が悪い。

「小夏お前、あのチップなんで渡したんだよ」

「……だって、ハル……死んじゃうかと……」

「あれはお前にやった命だろ。いざって時のためのへそくりだって、そう言ったろ」

「……いざ、だった……」

 小夏は「いざ!」と意気込むような口ぶりだったが、むしろはるの肩からは力が抜けた。

 春樹はゴミ箱を取って来ると、空き缶を拾ったそばから放り込んでいく。この方が早い。

「まあ、それはいい。で、あとどんだけ残ってる?」

 なんのこと? と、小夏は首をかしげた。

「お前の寿命だよ。それ以外ねえだろ」

 小夏はようやく思い当たった素振りで顔を上げると、指を立てて数え始めた。そして、いち、にぃ、さんと指を立て、そこで止まった。

「三日ってお前……っ、まさか持ってる分、全部やつに渡したのかよ!」

 小夏は慌てて首を振って、自分の口で言った。

「……違っ……三十、年……!」

「すぐバレるうそくんじゃねえよ。それは俺がお前にやった分だろうが」

 春樹は小夏の額を指でぺちんとはじいた。「あうっ」と小夏がうめく。

 小夏には、日々稼いだ命を少しずつ預けていた。普通の人間ならば自分の命を取り出したり、反対に蓄えたりすることは出来ないが、彼女にはそれが出来た。いわば小夏は春樹専用の貯金箱だった。小夏はそれを遣って、春樹を助けようとしたのだ。

 たとえ三十年あった寿命が、残り三日になろうとも。……少し払い過ぎの気もするが。

「……ごめんなさい……」

「もういい。良くはねえけど、仕方ない。お前に助けられたのは事実だ」

 そう言うと小夏は、まるで自分が救われたかのように顔を綻ばせた。

 小夏は、春樹が自分をかばって傷付いたことを気にしていた。それ以外にも彼女の抱えた罪悪感は色々とあったが、彼女の小さな背中に載った重石おもしの一つは取り除けたようだ。

 缶を拾い終え一息いたところで、「ハルは?」と小夏が尋ねてきた。

「なにがだよ」

「……ハルの、寿命……」

「さあな。普通の人間はな、自分があと何年生きれるかなんて考えないんだ。知らぬが仏、ってやつだよ。分かったら、手、洗いに行くぞ」

 話が違う、となつは不服そうだったが、はるが歩き始めると慌てて後ろをついて来た。

 俺の命はあと、六日と十八時間三十九分十一秒。十、九、八……。

 無意識に寿命を数えている自分に気付き、春樹は小夏には聞こえぬよう舌打ちをした。


 自分の寿命が見えるというのは、なんと不便なことだろう。

 そんな真実を春樹が知ったのは二ヵ月前、アポトーシスと契約を交わした日のことだ。

 それはまぶたの裏を見るような感覚で、意識を内側に向けると見えてくる。一秒ごとにせわしなく時を刻むデジタルクロック。それこそが寿命なのだと、アポトーシスは言っていた。

「これから貴方あなたは命を稼ぐのだから、自らの寿命が分からないというのは不便でしょう?」

 などという訳の分からない理屈での五感に六番目を追加出来る辺り、アポトーシスという存在が常識のらちがいにあることを実感する。「寿命が見える」という奇跡のわざも、やつにとっては銀行口座を開設する程度の手続きに過ぎないのだろう。

 春樹にしてみれば、タイマーの作動した時限爆弾を手渡されたようなものだった。しかもそれは心臓に結び付けられて外れないものだから、気が気でない。

 そのデジタルクロックがゼロになった時、本当に自分は死ぬのだろうか。

 もしかしたらそれはアポトーシスのたわごとに過ぎず、死なないかもしれない。そう考えたこともある。だが、試してはいない。

 その勇気があったならば今頃は、命を稼ぐ怪物になどなってはいなかったはずだ。

 しかし幾ら後悔しても時間は戻らない。今の自分に出来ることは、一秒でも多くの寿命を死守することと、一秒でも長く生き残るためにの命を奪うことだ。

「まずは、かまいたちの野郎に奪われた分を取り返す。後のことはそれからだな」

 決意を新たに、春樹はコンビニのトイレを後にした。

『かまいたち』が再び出現したのはその直後だった。手を洗うために立ち寄ったコンビニを出て、すぐに悲鳴が聞こえた。一日で二度も悲鳴を聞くことなどそうは無いと思っていたが、春樹はすぐに「奴だ」とつぶやいていた。ツイてる、とさえ思った。

「待て、小夏!」

 小夏は前回と同様、悲鳴が聞こえた方に駆け出そうとしていた。春樹は彼女が動くより早く腕をつかんだ。小夏が振り返る。どうして、と眉をひそめる。

「今から行ったところで間に合わねえだろ。さっきと同じだ」

「……でも……」

「それより、今はかまいたちを見つける方が先決だ。どうせ現場に行ったってやつはいないんだ。それなら犯人を見つける方法を考えるべきだ、そうだろ? そうすれば盗まれた命だって奪い返せる。要は優先順位の問題だ」

 納得はしていないようだったが、なつは小さくうなずいた。それからすぐに首をかしげた。

「……でも、どうやって……?」

「考えてもみろ。奴の目的は俺達と同じだ。幾らかまいたちが見つからないよう狩りをしたところで、チップを回収する手段は必ず必要になる。あの時、チップはどうなったよ」

 小夏はほんの一時間前の記憶を遡って、空を見上げた。

「……空を、飛んでた……」

「そうだ。そのチップが飛んで行った先に奴はいる」

「……でも、また、逃げられる……」

「追い掛けるから逃げられるんだ。尻を追って逃げられるなら、向かう先で網を張って待ってりゃいい。大方、どっか高いとこから見下ろしてるんだろう」

 そう言ってはるは小夏にかばんを預けた。中には財布とまみれのブレザーが入っている程度だったが、荷物は少ないに越したことはない。小夏はきょとんと手渡された鞄を見下ろして、ハッとした素振りで顔を上げた。その時にはすでに、春樹は走り出している。

「……っ、ハル……!」

「お前はそこで待ってろ! 勝手にどっか行くなよ、いいな!」

 そう叫びながら春樹は赤信号を突っ切って行く。二人分の鞄を抱えポツンとすくんだ小夏の姿は、まるで孤島に一人置き去りにするような哀愁があり、少しだけ心が痛んだ。

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