一章 アオいハルの憂鬱 その4
* * *
「そんなにも沢山の命を集めて、あ、
一週間ほど前、『かまいたち』はそう問いかけてきた。純粋な興味というよりは、その場
「もう十分でしょう。これ以上、僕が集めなくたっていいはずだ、……いいはずです」
「ミツバチはそんなことを考えずとも、蜜を巣に運び続けるものよ」
「それは、そうかもしれないけど。だからって、千年分も命を集めろだなんて
無理なら死ぬだけなのだけど、とアポトーシスは嘆息する。
かまいたちには、
成瀬は二週間前に契約を更新したばかりだった。僕は約束を果たしましたよね、と達成感すら
「そうね。確かに今のペースでは千年には届かない。二週間
そんな、と
どうやら彼は高校でイジメに遭っているようだった。数分前アポトーシスが彼の前に姿を現したその時も、まさにリンチを受けている最中だった。
その様子を少しの間眺めていたが、彼は一度の抵抗もしてみせなかった。
それではなんのために彼を《フォールド》にしたのか分からない。
「成瀬
アポトーシスは日傘越しに空を見上げた。成瀬もつられて顔を上げる。
そこには、数人の少年達が逆さまに
両足を宙に
「貴方達はあと、どれだけの時間を生きることが出来たのかしらね」
「え?」なにか言いましたか、と成瀬が疑問符を浮かべるが、ただの独り言だ。
アポトーシスがハサミで糸を切るような仕草をすると、それを合図に、逆さまに吊るされた少年達が一斉にプツンと落ちた。
悲鳴は無い。猿轡を噛ませているからだ。恐怖に顔を
少年達はそのまま消えた。ヒトを殺したという感慨は特に無い。
「二百五十八年」
「……え?」
「今、影に
成瀬は少年達の消えた影を見下ろし、それから頭上を見上げ、こちらに顔を向けた。
その表情に浮かんでいるのは畏怖か畏敬か。彼の顔つきが少し変わって見えた。
「確かに、
「初めから大きな一歩を踏み出す必要はないわ。目の前の障害を一つ一つ摘み取っていけばいい。生きるということの本質は、障害を克服することにこそあると私は思うわ」
「でも……、殺すだなんて」
「なにも殺す必要はない。必要なのはチップに換わるヒトの寿命だけ。そうでしょう?
アポトーシスは努めて、甘い言葉だけを選んで
きっかけさえあれば、人は簡単に手を汚す。そしてそのきっかけは偶然に
弱みにつけ込んでもいいし、人質を取るのでもいい。殺すぞ、と脅してもいいだろう。
必要なのは道を作ってやることだ。道を用意して、後ろから追い立ててやれば後は勝手に目的地へと
「そうね。貴方にとっての障害はちっぽけな罪悪感と、自尊心を脅かす恐ろしいいじめっ子達。まずはそれらを克服するところから始めてみましょう」
アポトーシスが隣に目を向けると、そこにはもう一人、少年が
「さあ、見せて頂戴。成瀬
成瀬は、少年に顔を向けた。自分をイジメていた天敵が逆さ吊りになっている様を眺め、彼は一体なにを考えているのだろうか。ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた。
「……そうだ、克服するんだ。僕はもう今までの僕じゃない」
成瀬の手には、仮面が握られていた。彼を『かまいたち』たらしめる異形の仮面だ。
彼は決意を
「でも、ここで力を使ったら、僕が《フォールド》だってバレるんじゃないか?」
「……おかしなことを言うのね。正体を隠すために、その仮面を与えているのよ?」
「そうじゃなくて」と成瀬は語気を強めて否定する。
「今変身したら、あいつは僕の正体を知ることになる。もしも他の人に言いふらされたりしたら、また学校でイジメられる。警察にだって捕まるかもしれない。それは御免だ」
「それなら、口を塞いでしまえばいい。そうでしょう?」
先程語った言葉とは矛盾した提案ではあったが、成瀬は「ああ、そうか」と納得した素振りで
その光景はまさに、彼の言った「変身」そのものだった。
仮面の内から
少年は命の危機を察してかより一層暴れ始めた。影はそんな彼を
ピィィイ、と風が吹いた。たったそれだけで、少年の首が
切断された
銀貨の山が真っ赤に染まっていく様を見下ろし、アポトーシスは口の端を
「上出来よ」
『やってみると確かに、簡単なものだ』
その容貌を一言で表すとすれば〝
『期限はあと、二週間だったか。まあ、なんとかしてみせよう』
「ええ、期待しているわ」
これ以上手を貸す必要はないだろう。後は彼らの仕事ぶりを陰から見守っていればいい。
『アポトーシス。
去り際、成瀬はそう尋ねてきた。
「そうね。太陽、かしら」
アポトーシスは忌々しげに空に浮かんだ太陽を
そして夜が来るのを心待ちにしながら、日傘の影に溶けて消えた。