一章 アオいハルの憂鬱 その8

   * * *


 なるしゆんは風の中に居た。

 人々が逃げ惑う姿を竜巻の内から高みの見物。アポトーシスに支払う分はすでに手中に収めてあり、これ以上ヒトの命を巻き上げる必要は今のところはない。

 こうして竜巻を発生させている間は、成瀬の命もまた失われている。命を賭けて命を稼ぐという基本原則に従い、寿命を指し示すクロックはガリガリと高速ですり減って逝く。

 だが、それすらも気にならないほどに、今の成瀬は命を持て余していた。

 銀色にきらめく無数のチップが、自身をたたえるように空に舞い上がる。竜巻が忠実なしもべとして成瀬に従い、忠義を示さんと命を携えてすり寄って来る。

 後先考えずに散財するのは実に気持ちがよかった。なにせ遣った分以上の命がかえってくるのだ。生と死をコントロールしているような万能感が、成瀬を増長させていた。

 初めからこうしていればよかった。成瀬は自身が歩んできた十八年の人生をしようする。

 成瀬は幼少の頃から今日に至るまでイジメの標的にされ続けてきた。理由は分からないが、そういうものだと自分でも諦めていた。自尊心は日ごとに摩耗し、暴力と嘲笑の渦にとらわれたまま、灰色の青春時代を送るのだと信じて疑わなかった。

 しかし今では違う。卵の殻を破り、生まれ変わったような気分だった。

 生きているという実感が腹の底から湧いてくる。成瀬は大仰に腕を広げ、叫んだ。

『さあ、もっとせ。俺の力を世に示す時だ!』

「そうはさせない!」

 不意に、太陽が正面で光を放った。ゆうは今、成瀬の背後へと沈んでいる。

 沈みゆく落日とはまた別の、人の意志で黄金に輝く太陽が天へと昇って来るのだ。

 高速で空をしようし、一筋の流星と化したブレイズマンのとつかん。両腕を正面でクロスし、「ぬぅううん!」力任せに竜巻をぶち抜いた。

『──ッ!』成瀬は、ブレイズマンに押し出される形で竜巻からはじき出された。

 全身を道路にこすりつけながら何度も転がり、胸を打った衝撃にあえぐ。痛くて苦しいのか、胸から飛散したチップがそう思わせるのか。ともあれそれは失われてはならない感覚だ。

 苦痛にうめきながらもなるは立ち上がり、悠々と地上に降り立った怨敵をにらみつけた。

『ブレイズマン……、やはりお前が最大の障害となるか』

「そして最強のとりでだ。そうやすやすと越えさせはせんよ、かまいたち少年」

『少年?』上から目線の一言が、成瀬の闘争心に火をつけた。『めるな!』

 成瀬は二柱の竜巻を左右に出現させ、両腕を正面に振り切った。

 右車線と左車線とを平行して突き進む二柱の竜巻は、まさにりゆうごとく。ミキサーのように螺旋ヘリコみだす龍の顎がアスファルトをむしり、そのままの勢いをもつてブレイズマンに牙を立てた。左右かららい付いた竜巻に対し、ブレイズマンは両腕を盾にしのいでいた。しかし同時に、ブレイズマンの肉体からは飛沫しぶきと共にチップがほとばしった。

『ブレイズマン、お前の命は一滴残らずいただいていく。アポトーシスもそれを望んでいる』

 成瀬は自分こそが強者なのだと優越感に浸っていた。ブレイズマンの肉体からごっそりと命がこぼちるのを見て、勝利を確信していた。だが、

「やらん!」と一喝。そして一蹴。ブレイズマンは両腕を振り払った。

 たったそれだけの動作で、龍の顎が砕かれ、二柱の竜巻はただの風となって霧散した。

 がくぜんと立ち尽くす成瀬へと、ブレイズマンは一歩二歩と距離を詰める。

やつには一滴たりともやるつもりはない。奴は、にいる?」

『お前の相手は俺だろう。どうせお前はここで死ぬんだ、教える道理もない』

「そうか。ならばキミが奪ったその命、天にかえしてもらおう」

『それも断る!』

 成瀬はありったけのチップを砕き、ほうこうと共に竜巻を解き放った。今度は四柱の竜巻で、迫り来る敵を迎撃する。四つの開かれた顎がブレイズマンに襲い掛かった。

 しかしブレイズマンは迎え撃つでもなく、真正面から向かって来るのだ。

 ブレイズマンは竜巻の合間をくぐけ、しようする。そしてそのまま、左のてのひらを正面にかざし、右の掌を牙のように開いて腰まで引き絞った。

 太陽のマスクにともった真紅の瞳は、にらったゆうに負けず劣らずの朱を宿していた。

 その時、成瀬は理解した。

 ……ああ、俺は、俺達じゃあこいつには勝てない。


SEIZEサイズ THE DAYデイ!」


 ブレイズマンの突き放った掌が、成瀬の心臓をつらぬいた。刺し貫かれた背中から致死量のチップが宙に噴き出し、地面の上に降り積もっていく。身体からだから腕が引き抜かれると、胸からもだくだくと血液とチップとが零れ落ち、成瀬は膝から崩れ落ちた。

『……ごぼ、ッ……!』

 異形と化したなるの肉体は、ポロポロと崩れ始めていた。

 手のひらを見下ろすと、指の先からチップへと変換されていくのが分かった。

『ああ、待て、駄目だ……それは駄目だ』

 成瀬はこぼちたチップにすがりつくようにして、それらを拾い集める。だが、すくげようとした手のひらもまたチップとなって落ちた。生きるために必要な命の分だけ肉体を換金し、それでも足りないから消えて逝く。それが《フォールド》の在り方だ。

 まぶたの裏に浮かんだ寿命は、非情にも死のカウントダウンを刻み始めていた。

『助けてくれ、ブレイズマン。いや、助けてください。こんな、こんなことになるなんて俺は……僕はただ、蜜を運んでただけなんです……』

「だとすれば、命の味など覚えるべきではなかったな」

『……それは……ああ、そうか……僕が……』

 そこにはもう、成瀬の姿はなかった。『りゆう』の装束は解け、肉体はジャラジャラと別の何かに変わり果て、最後に残った仮面だけが彼の存在を唯一証明する物になった。

 ブレイズマンはその成れの果てを片手に拾い上げると、そっと胸に抱いた。

「憂いに暮れた魂に、また朝日が昇らんことを」

 パリン、と仮面はささやかな音を立てて、拳の中で灰となって消えた。


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試し読みは以上です。


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