<三>婚約者に慣れるには①
今日は朝から快晴である。アシュリーはぐうっと伸びをしてから廏舎へ向かった。
クライドのことは相変わらず
廏舎に着き、正面の
(ジャンヌさんかハンクさんが出てきてくれるといいなあ)
心の中で願うも、
「おはよう、アシュリー」
出てきたのはクライドだった。
アシュリーは
「クライド様」
と、
異変を察したクライドが、アシュリーをかばうように扉の外に出た。
(どうしたのかしら……?)
不安になり、少しだけ開いた扉の
クライドと
「やあ、クライド兄さん」
(この方はもしかして──)
背筋が冷たくなった瞬間、クライドのため息混じりの声が聞こえた。
「ユーリ、今度はお前か」
「
「この前は貴族院長、その前は王室長官がやってきたぞ。一体、
「兄上はクライド兄さんを心配してるんだよ。それに今回来たのは、それだけじゃないよ。婚約したと聞いたから、ぜひお相手に会ってみたくてね」
自分の話題が出て怯えながらも、やはり彼はクライドの弟なのだと思った。そして勇者の子孫──。
「女性からは引く手
子孫が二人に増えて怖い。出てきて
しかし「ユーリ」と呼びかけるクライドの声は
今まで聞いたことのない、
ユーリの顔が
「まだ言うんだ。僕たち兄弟を敵に回してまで守る必要がある?」
「その理由は、前に、お前たちと兄上にだけ話しただろう」
「まあね。でもとても信じられないよ。だいたい、昔この国を
当然だと言うべき口調に、アシュリーの胸が苦しくなった。
今世は人間なので、これがトルファ国民として
けれど前世の自分が
どちらが悪いかと聞かれたら、それはわからない。どちらも悪かったのだとも思う。考えても答えは出なくて、ただ胸が
(そういえば、クライド様はどういう立場にいるの?)
今まで自分や黒狼のことでいっぱいいっぱいで、クライドの立ち位置について考えたことがなかった。
王族なのに黒狼を助けようとするクライドは
「このまま王室からの命に
アシュリーの考えを助長するかのようなユーリの言葉に、
アシュリーのいる扉の隙間に向かって、かすかに
まるで「仕方ない」と達観しているような、
(どうして……)
胸が
クライドがユーリに向かって静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「
「兄さん……!」
「ごめんな。お前には悪いと思ってるよ」
クライドがユーリの頭をなでた。ユーリが
「……もう子供じゃないんだけど」
「そうだな。大きくなったよ」
気軽な口調は、
「せっかくきたんだ。お茶でも飲んでいくか?」
「飲んでいく──と言いたいところだけど、今日は帰るよ。兄上から、すぐに結果を報告しろと言われてるから」
(『兄上』ということは……国王陛下だわ!)
三人目の勇者の子孫。
「父上と母上が
兵士、という言葉に、まざまざと前世の記憶がよみがえった。黒ウサギを見つめる兵士たちの冷たい目。
(嫌……!)
前世の自分と、殺されてしまうかもしれない黒狼とが重なる。
おまけに目の前には、勇者と同じ金の
目を閉じて耳をふさぎ、その場に座り込みそうになるアシュリーの耳に届いたのは、クライドのはっきりとした声だった。
「魔獣は絶対に殺させない。兄上にも、お前たちにも、誰にも。絶対にだ」
(えっ……?)
まさかそんな──。はじかれたように顔を上げると、クライドの広い背中が見えた。そして、
「俺が必ず守ってみせるよ」
信じられない言葉だ。
熱い思いが
グッと
「ユーリ、今まで言わなかったが、魔獣を守りたいのにはもう一つ理由があるんだ」
「もう一つ?」
「確かに魔族は人間の敵だ。六百年前、彼らがこの国に
クライドが続ける。
「もちろん今、どこかの誰かがこの国に攻め込んだら、国民を守るために俺は剣を
こんな人がいるのか。
人間でありながら、魔族も公平に見ることができる人。しかも王族で──。
不意に強い風が
勇者と同じ髪と目を持つ人は、勇者と全く違うことを言う。
(別人だわ……)
勇者とは別人だ。子孫であっても全く違う人。
今までも理解はしていたし、そう思いこもうともしていた。けれど今、初めて
ユーリが
そして何かを考えるようにうつむき、やがて顔を上げて小声で言った。
「でもやっぱり、あれは国の敵だよ」
「そうだな」
答えるクライドの表情は見えないけれど、寂しそうに笑ったのだと見当がついた。
「──じゃあ帰るよ」
「ああ。気をつけて」
ユーリが護衛の兵士たちを連れて去っていく。
アシュリーはその後ろ姿を見送ってから、
そっと横顔を見上げると、クライドは何か考え込んでいるようにも、
しばらくして、
「ユーリの言っていたことは事実だよ。今の俺の立場は反逆者に近い」
「……はい」
「全て俺のわがままなんだ。それにハンクとジャンヌも巻き込んでいる。責任は取るつもりでいるけど、ごめん。アシュリーも巻き込んだ」
こちらを見てかすかに笑った。胸が痛くなるほど寂しい
(どうして謝るの)
「私は
気がつくと大声を上げていた。
「……嬉しい?」
いぶかしげに聞き返すクライドに、しまったと思ったけれど言葉は止まらない。この込み上げる思いを、なんとかして伝えたい。
「黒狼様を助けられることが、ものすごく嬉しいです。……理由は言えませんが、だからクライド様が同じように考えてくれていて安心したというか、味方ができた気がするんです! だから、すごく嬉しいです」
「味方……?」
「はい。黒狼様を守る、黒狼様の味方です。もしクライド様が黒狼様を助けようとしていなかったとしても、私は助けます。絶対に助けたいからです。だからクライド様が反逆者であることが私は
一気に言い、息を切らすアシュリーに、クライドが大きく目を見張った。
そのまま一言も発しない。
やがて、ゆっくりとまばたきをして、
「そうか……」
右手で顔を
長い指の間から、込み上げる思いを刻み込むように、強く唇を噛みしめたのが見えた。
「……俺も、本音で味方になってくれた人は初めてだよ」
右手を顔から
そして、ゆっくりと笑った──。