<三>婚約者に慣れるには①

 今日は朝から快晴である。アシュリーはぐうっと伸びをしてから廏舎へ向かった。

 クライドのことは相変わらずこわいけれど、こくろうを起こす目的がわかったことで少しだけきようがなくなった気がするのだ。まあ、ほんの少しだけれど。

 廏舎に着き、正面のとびらを力いっぱい叩いた。結界が張ってあるため、魔力のないアシュリーは扉を開けられない。

(ジャンヌさんかハンクさんが出てきてくれるといいなあ)

 心の中で願うも、

「おはよう、アシュリー」

 出てきたのはクライドだった。

 アシュリーはせいいつぱいの笑みでこたえたつもりだ。けれどクライドがしようしたから、成功はしなかったようだ。複雑な気持ちで中へ入り、後ろ手に扉を閉めようとした。その時、

「クライド様」

 と、しつのフェルナンがやってきた。いつもおだやかな笑みを浮かべているのに、めずらしく顔をくもらせている。

 異変を察したクライドが、アシュリーをかばうように扉の外に出た。

(どうしたのかしら……?)

 不安になり、少しだけ開いた扉のすきからおそる恐る外の様子をうかがった。

 クライドとたいしているのは、フェルナンが案内してきた相手である。

「やあ、クライド兄さん」

 きんぱつあざやかな緑色の目に息をんだ。アシュリーと同じ年くらいの男性である。クライドほど整った顔立ちではないけれど、甘い口元が人をきつける。

(この方はもしかして──)

 背筋が冷たくなった瞬間、クライドのため息混じりの声が聞こえた。

「ユーリ、今度はお前か」

いやだな。久しぶりに会うんだから、もっと喜んでよ」

「この前は貴族院長、その前は王室長官がやってきたぞ。一体、だれの差し金だろうな」

「兄上はクライド兄さんを心配してるんだよ。それに今回来たのは、それだけじゃないよ。婚約したと聞いたから、ぜひお相手に会ってみたくてね」

 自分の話題が出て怯えながらも、やはり彼はクライドの弟なのだと思った。そして勇者の子孫──。

「女性からは引く手数多あまたなのにちっとも興味を示さないクライド兄さんが、婚約したと聞いたから驚いたよ。でもちっともきゆう殿でんに連れてきてくれないから、自分から会いにきたんだ」

 子孫が二人に増えて怖い。出てきてあいさつをしてくれ、と言われたらどうしよう。

 しかし「ユーリ」と呼びかけるクライドの声はかたい。「何度来ても答えはいつしよだよ。俺は魔獣を助けたいんだ。このまま死なせたくない」

 今まで聞いたことのない、つかれたようなこわだ。アシュリーは驚いてクライドの背中を見つめた。

 ユーリの顔がゆがむ。

「まだ言うんだ。僕たち兄弟を敵に回してまで守る必要がある?」

「その理由は、前に、お前たちと兄上にだけ話しただろう」

「まあね。でもとても信じられないよ。だいたい、昔この国をしんりやくしようとした敵だよ? 魔獣は弱っていて、このままほうっておいてもすぐに死ぬんだろう? じゃあそれでいいじゃないか。わざわざ世話をして助ける必要はないよ」

 当然だと言うべき口調に、アシュリーの胸が苦しくなった。

 今世は人間なので、これがトルファ国民としてつうの考え方だと理解できる。

 けれど前世の自分ががんとして異を唱える。トルファ国だって魔族を殺し、さらにはほろぼしたではないか、と。

 どちらが悪いかと聞かれたら、それはわからない。どちらも悪かったのだとも思う。考えても答えは出なくて、ただ胸がくようなさびしさとむなしさが込み上げるだけだ。

(そういえば、クライド様はどういう立場にいるの?)

 今まで自分や黒狼のことでいっぱいいっぱいで、クライドの立ち位置について考えたことがなかった。

 王族なのに黒狼を助けようとするクライドはたんだろう。ぞくおくがあるアシュリーからしたらうれしいけれど、トルファ国側からしたら裏切り者にほかならない。

「このまま王室からの命にそむいてじゆうを保護し続けるなら、王族としての地位があやうくなるよ。それどころか、国に対する反逆こうとみなされてもおかしくない」

 アシュリーの考えを助長するかのようなユーリの言葉に、がくぜんとした。たまらなくなりその背中をぎようすると、視線に気づいたのか、クライドがり返った。

 アシュリーのいる扉の隙間に向かって、かすかに微笑ほほえむ。

 まるで「仕方ない」と達観しているような、さみしげな笑みだ。

(どうして……)

 胸がまる。クライドは自分の立場を投げ捨ててまで、黒狼を助けようとしているのか。なぜ、そこまでするのか。

 クライドがユーリに向かって静かに、しかし断固とした口調で告げた。

すべてわかってるよ。でも悪いな。なんと言われても、俺は自分の行動を変える気はない」

「兄さん……!」

「ごめんな。お前には悪いと思ってるよ」

 クライドがユーリの頭をなでた。ユーリがまゆを寄せてその手を振りはらう。

「……もう子供じゃないんだけど」

「そうだな。大きくなったよ」

 気軽な口調は、めんどうのいい兄を感じさせた。今までもきっと、こういう態度で接してきたのだろう。ユーリの眉根にげんを示すしわが増えていくが、それでも表情はどこかねているものに変わったから。

「せっかくきたんだ。お茶でも飲んでいくか?」

「飲んでいく──と言いたいところだけど、今日は帰るよ。兄上から、すぐに結果を報告しろと言われてるから」

(『兄上』ということは……国王陛下だわ!)

 三人目の勇者の子孫。

「父上と母上がくなってから、兄上はクライド兄さんを一番たよりにしているんだよ。クライド兄さんがサージェント家に養子にいくと決めた時、僕と弟も寂しかったけど、最後まで反対したのは兄上だから。今からだっておそくないよ。この家をぐのは、他の人だっていいじゃないか。──このままだと、兄上は実力行使に出るかもしれない。兵士たちを乗り込ませて、すぐにでも魔獣を始末させるかもしれないよ」

 兵士、という言葉に、まざまざと前世の記憶がよみがえった。黒ウサギを見つめる兵士たちの冷たい目。ようしやなくり出されたけんには、果てしないにくしみがこもっていた。

(嫌……!)

 前世の自分と、殺されてしまうかもしれない黒狼とが重なる。

 おまけに目の前には、勇者と同じ金のかみと緑色の目を持つ者たちがいる。恐怖のうずに引きずり込まれそうだ。息が吸えない。

 目を閉じて耳をふさぎ、その場に座り込みそうになるアシュリーの耳に届いたのは、クライドのはっきりとした声だった。

「魔獣は絶対に殺させない。兄上にも、お前たちにも、誰にも。絶対にだ」

(えっ……?)

 まさかそんな──。はじかれたように顔を上げると、クライドの広い背中が見えた。そして、

「俺が必ず守ってみせるよ」

 信じられない言葉だ。のうめていた死にぎわの記憶がぼやけていく。

 熱い思いがのどもとまで込み上げて、泣きそうになった。

 グッとくちびるみしめた時、クライドが静かに言った。

「ユーリ、今まで言わなかったが、魔獣を守りたいのにはもう一つ理由があるんだ」

「もう一つ?」

「確かに魔族は人間の敵だ。六百年前、彼らがこの国にめ込み、トルファ国民を容赦なく殺したことは事実だ。だから祖先である勇者は魔王をち取り、魔族を滅ぼした。トルファでは勇者のえいゆうたんとしてだけ語られているけど、魔族にもせんとう員はたくさんいただろう。だから、これは悲しい歴史でもある。たがいに殺し合った、ただの悲しい歴史なんだよ。それを忘れてはいけないと思う」

 クライドが続ける。

「もちろん今、どこかの誰かがこの国に攻め込んだら、国民を守るために俺は剣をく。命をけて戦う。けれど過去の歴史を、六百年った今も片側だけからとらえ続けるのはちがうと思う。それは国を導く俺たち王族が、誰よりもきちんと考えないといけないことだと思うんだ」

 こんな人がいるのか。じゆんすいおどろいた。

 人間でありながら、魔族も公平に見ることができる人。しかも王族で──。

 不意に強い風がき抜けた。クライドの金の髪が風にう。ここからは見えないけれど、緑色の目はまっすぐユーリを見つめているはずだ。

 勇者と同じ髪と目を持つ人は、勇者と全く違うことを言う。

(別人だわ……)

 勇者とは別人だ。子孫であっても全く違う人。

 今までも理解はしていたし、そう思いこもうともしていた。けれど今、初めてなおにそう思った。

 ユーリがぼうぜんとクライドを見つめる。クライドの考えをこれほどきちんと聞いたのは初めてなのか、ショックを受けたような顔をしている。

 そして何かを考えるようにうつむき、やがて顔を上げて小声で言った。

「でもやっぱり、あれは国の敵だよ」

「そうだな」

 答えるクライドの表情は見えないけれど、寂しそうに笑ったのだと見当がついた。

「──じゃあ帰るよ」

「ああ。気をつけて」

 ユーリが護衛の兵士たちを連れて去っていく。

 アシュリーはその後ろ姿を見送ってから、きゆうしやの外に出た。身動きせず立ち続けるクライドの近くまで、ゆっくりと寄っていく。

 そっと横顔を見上げると、クライドは何か考え込んでいるようにも、つかれているようにも見えた。

 しばらくして、

「ユーリの言っていたことは事実だよ。今の俺の立場は反逆者に近い」

「……はい」

「全て俺のわがままなんだ。それにハンクとジャンヌも巻き込んでいる。責任は取るつもりでいるけど、ごめん。アシュリーも巻き込んだ」

 こちらを見てかすかに笑った。胸が痛くなるほど寂しいみだ。

(どうして謝るの)

 くやしいような、もどかしいような気持ちがいた。謝る必要なんてない。むしろアシュリーは嬉しいのだから。クライドがいなければ、こくろうは生きてはいなかっただろう。クライドは黒狼をずっと守ってくれていたのだ。

「私はうれしいですよ!」

 気がつくと大声を上げていた。

「……嬉しい?」

 いぶかしげに聞き返すクライドに、しまったと思ったけれど言葉は止まらない。この込み上げる思いを、なんとかして伝えたい。

「黒狼様を助けられることが、ものすごく嬉しいです。……理由は言えませんが、だからクライド様が同じように考えてくれていて安心したというか、味方ができた気がするんです! だから、すごく嬉しいです」

「味方……?」

「はい。黒狼様を守る、黒狼様の味方です。もしクライド様が黒狼様を助けようとしていなかったとしても、私は助けます。絶対に助けたいからです。だからクライド様が反逆者であることが私はほこらしいですし、味方ですから私に謝る必要もありません!」

 一気に言い、息を切らすアシュリーに、クライドが大きく目を見張った。

 そのまま一言も発しない。

 やがて、ゆっくりとまばたきをして、

「そうか……」

 右手で顔をおおった。

 長い指の間から、込み上げる思いを刻み込むように、強く唇を噛みしめたのが見えた。

「……俺も、本音で味方になってくれた人は初めてだよ」

 右手を顔からはなし、アシュリーを見つめる。

 そして、ゆっくりと笑った──。

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