<二>厩舎にいるモノ④

 クライドは視線を感じてり返った。馬房のすみにいるアシュリーと目が合う。

 たんに、怯えたように顔をそむけられた。

(わからないな)

 なぜけられるのか、が。何しろデビュタントが行われたきゆう殿でんで初めて会ったのだ。

 それまでクライドはアシュリーの存在を知らなかった。クライドが自分の存在をかくしていたため、アシュリーも同じだろう。だからいやがられる理由がわからない。

 今まで女性から嬉しそうな顔をされたことはあっても、怖がられたことはない。

 怖いと言えば、まず魔獣を世話していることだろう。けれどアシュリーは逆に、魔獣には会えて幸せそうな、まるであこがれの人を見るような顔をする。

(なんなんだ)

 なぜこくろうを知っているのか大きな疑問だし、わからないことだらけだ。それでも──。

おもしろい)

 黒狼にせっせとブラシをかけている姿を見ていたら、いつの間にか微笑ほほえんでいる自分に気がつく。重苦しい心が、少しだけ軽くなっているから不思議だ。

 昨夜の夕食の席と同じだな。そう思い、向かいにいるジャンヌに言った。

「ハウスメイドが、差し入れにと焼きをくれたんだ。そこの道具箱の上にある小さなふくろだ。みなに配ってくれないか?」

「わかりました」

 かみぶくろの中には、一口大に切られたシンプルなケーキがたくさん入っている。

 ジャンヌがしゆんじゆんしつつ「どうぞ」と、最初にアシュリーにケーキをわたした。

 その光景にクライドは驚いたが、すぐになつとくした。

 用のたらいをハンクと取りに行き戻ってきたら、アシュリーとジャンヌの間にある空気が今までと違った気がしたからだ。いや、二人の間というよりは、ジャンヌがアシュリーに向けるものが。

(さすがアシュリー、と言うべきか)

 このれいじようは自分では気づいていないようだが、知らぬうちに他人をいやしている。

 だから他人は、彼女のために何かしたいと思うようになるのだ。クライドのように。

 クライドの見つめる前で、くせなのか、アシュリーが渡されたケーキのにおいをいだ。

 オレンジがかった色のケーキ。その正体がわかったのかアシュリーの顔がかがやいた。満面の笑みで口に運ぶ。よかった。気に入ったようだ。

「クライド様、黒狼の首を支える役目を代わりますよ」

 両手にケーキを持ったハンクがやってきた。

 先ほど黒狼の耳が動いてからは、一度も反応しない。そろそろ潮時かと思いながら「だいじようだよ」と返した。

「クライド様は食べないんですか? なかなか美味うまいっすよ」

「俺はいいよ。その分をアシュリーにやってくれ。好みの味だろうから」

 ハンクはぴんときたようだ。

「じゃあこのケーキは、クライド様がこの味で作ってくれと、わざわざメイドにたのんだものなんですね?」

 察しがいい。やさしい甘さの中に、すりおろしたにんじんの風味がかおるケーキ。前日の夕食でアシュリーが美味おいしそうに人参スープを飲んでいたから、きっと好きだろうと思ったのだ。

こんやくしやへの愛っすね」

「そんなのじゃないよ」

 苦笑した途端、ふと以前にかけられた言葉がのうかび、胸の内が重くなった。

『クライド殿でんはトルファ国のことなど、どうでもいいと思っておられるのですか』

 敵意のこもったひびきに、今でも気持ちが暗くなる。四年前のことだ。サージェント家の前当主がくなり、クライドが正式にあとぐことになった。

 養子に入ることは幼い頃から決まっていた。当時からこうれいの前当主には子どもがなく、しんせきの男子にも、結界を張れるほどのりよくの持ち主はいなかったからだ。

 けれど名乗りを上げたクライドに、兄弟たちも王室関係者たちも反対した。

 直系王族の、しかも次男だ。もっとほかに適任がいるだろうと。

 反対意見に屈さず強行したのは、クライド自身だ。じゆうを死なせたくなかった。

 これまでも王室内で、先祖の敵である魔獣を生かしておく必要はないという意見はあった。

 けれど生態のわからない魔獣を下手へたげきして何か起こっては危険だ、というおんけん派の意見の方が強かった。危険がおよぶくらいならサージェント家に任せておいて遠巻きに見ていたほうがかしこい、というのが彼らの本音であろう。

 他にも、せっかく生き残った魔族なのだから研究に使えばいいという意見や、国の武力のためにその強大な魔力をかせばいい、という意見もあった。

 だが結局、二百年間黒狼は目覚めなかった。そういった意見は宙に消えせ、魔獣の存在は宙ぶらりんになった。

 役に立たないのに危険なやつかいもの。そしてトルファ国の憎き敵。

 それが魔獣に対するにんしきで、このまま寿じゆみようを終えて静かに死ぬのを今か今かと待っている。それが王室関係者や兄弟たちのいつしたおもわくなのだ。

 だから王室の意見に背き、あまつさえ国の敵を保護しようとするクライドに、彼らの目は冷たかった。

『何を考えているんだ。王族としてのきようはないのか』

『兄上、おかしいですよ。どうされてしまったのです?』

『クライド様は魔族をでる、たんの王族ですな』

 心無い言葉もかけられたし、ちようしようも受けた。それは今も続いている。

 もちろん彼らの言い分はわかる。魔族は忌むべきものだし、六百年前にたくさんのトルファ国民が魔族に殺されたのも事実だ。助ける理由はない。

 自分が異端だとも、王族失格だともじゆうぶんわかっている。

 それでも望みをかなえたいのだ。

 黒狼に、子どものころの恩返しがしたい。

 そのためにこの四年間、王族としての自分の立場を無くしても、したってくれる弟たちの反対にあっても、突き進んできた。味方はどこにもいない。

 かくしていたことだ。それでも張りめた毎日につかれていた──。

 クライドは顔を上げた。ジャンヌのとなりで、アシュリーが目を細めて人参ケーキをほおっている。

 小さな口で少しずつ、しかし食べる速度は速い。マナーはいいし食べ方もれいなのだが、好きなものを前にすると無心になってしまうようだ。

(本当に小動物みたいだな。タヌキ、リス? いや、ウサギか)

 微笑ましくて、気がつけば笑みが浮かんでいる。疲れもなやみも忘れて、おだやかな気分になっているから不思議だ。

(黒狼のことも光が見えてきた)

 何しろ初めて反応したのだ。信じられなかった。

 かもしれないと、歯を食いしばって悩んでいた日々がうそのようだ。

(アシュリーのおかげだな)

 特に気に入って婚約者に選んだわけではない。たまたまだ。

 それでも今は、もう放したくない──。

「なんだかクライド様、楽しそうですね」

 ハンクが不思議そうに言った。

「そうか?」

「そうですよ。でもジャンヌをほうっておいて大丈夫ですか? あいつ気が強いし、アシュリー様に対して、結構きつい態度をとってますよ。……あれ、でも今はおとなしい気がしますね。なんでだろう?」

 ハンクは首をかしげながら、少しはなれたところにいるジャンヌのほうに寄っていった。

 ハンクとジャンヌはきゆう殿でんからけんされた魔術師である。

 魔獣の世話けんクライドの護衛というのはただの名目で、実際は国王がクライドに魔獣の保護をあきらめさせるため送り込んだスパイかと、最初はけいかいもした。

 しかし、そうではなかった。貴重といえどただの魔術師に王室のごたごたを知らせたくなかったのか、はたまた二百年間もねむり続ける魔獣をクライドが起こすなんてできないと高をくくっているのか、二人は何も知らなかった。

 保護しているものが魔獣だとも知らず、ここへきた当初は絶句していた。

 けれどクライドの頼みどおり、熱心に魔獣の世話をしてくれる。この四年間でしんらい関係もできた。とても心強い。

 けれど彼らの立場を考えると、信頼し過ぎてはいけないと自分をいましめてもいる。

 彼らが今仕えているのはクライドだが、本来は国であり、国王である。だからそれらに歯向かうクライドに心底味方をするわけにはいかないし、またさせるわけにもいかない。

 協力してくれることには心から感謝している。彼らがいなければこくろうの世話は立ち行かない。

 けれどやはり、どこまでいっても自分は一人きりだ。真の味方はどこにもいない──。そんな思いがぬぐえない。

 ふと顔を上げると、顔を真っ赤にしたジャンヌがハンクにぶちぎれていた。

「ハンク、あんた鹿なんじゃないの! 何をふざけたことを言うのよ。私がどれだけまんして、考えないようにしていたと思ってんの──!」

(また余計なことを言ったな)

 ため息をき、心の中でハンクの言葉をはんすうする。『ジャンヌがアシュリーにきつい態度をとる──』。

(大丈夫だよ)

 確信を込めて微笑ほほえんだ。

(相手がアシュリーだからな)


    〇 〇 〇


 ジャンヌが人参ケーキを食べるアシュリーを見つめていると、ハンクが近寄ってきた。その顔に浮かぶ笑みから、ろくでもないことを言ってくると予想する。案の定、

「なあ、アシュリー様ってなんか小動物っぽくないか?」

 激しくどうようした。ハンクは適当な性格をしているくせに、意外にするどい。

 けれどジャンヌはそれを認めるわけにいかない。

「何を馬鹿なことを言ってるのよ。そんなわけないでしょう」

「いや、絶対にそうだって。イタチ? タヌキか? いや、ちがうな」

「ちょっと、やめ──!」

「あれだ。ウサギだ!」

 なんたる直球。いつさいしもできないストレートな言葉に、ジャンヌはぶち切れた。

「ハンク、あんた馬鹿なんじゃないの! 何をふざけたことを言うのよ。私がどれだけ我慢して、考えないようにしていたと思ってんの──!」

 アシュリーがどこかウサギに似ていると、ジャンヌが一番わかっている。

 クライドに近づかれて全身をふるふるとふるわせたり、にんじんケーキを小さな口でばやく食べる仕草が、ウサギをほう彿ふつとさせるからだ。

 今もそうだ。とつぜんおこり出したジャンヌにアシュリーは目を見張ったが、それでも人参ケーキは食べ続けたままだ。無意識なのか。貴族れいじようなのに。それほどケーキが好きなのか。

 どんかんなハンクが感心したように首をひねった。

「アシュリー様は甘いものがお好きなんですねえ」

「好きです。でも人参も大好きで、だからその二つが合わさったこのケーキは最強です」

 人参が好きだなんて、やっぱりウサギじゃないの。そんなことを思った自分がいやになる。

 ジャンヌはクライドが好きなのだ。四年前にサージェント家に派遣されて以来、ずっとあこがれている。

 他に類を見ないほどのぼうりよくも身体能力も高く、頭もいい。けれどそれにおごることなく努力家で、自分で決めたことをつらぬき通す強さを持っている。

 そんなクライドに夢中にならないわけがない。

(でも──)

 だがそんなクライドよりも、ジャンヌには好きなものがあった。そう、ウサギである。

 ふわふわの毛に、ぴんと立つ長い二本の耳。つぶらなひとみに、ころんと丸い尻尾しつぽ。小さな鼻をヒクヒクさせて二本足で立ち上がったり、体を丸めてふるふると震えていたりするのだ。

 これほど可愛かわいいものはほかにない。

 けれどだれにも言ったことはない。サバサバ系美女の──と自分で思っている──ジャンヌがウサギ好きだなんて似合わないからだ。

 だからこっそりと、ウサギの形をしたイヤリングをつけたり、下着にウサギをしゆうしたり、部屋にウサギの絵をかざったりしている。

 もちろんイヤリングはかみかくし、刺繍は見えないところにあしらい、絵はその上から違う絵を飾っている。

 そんな時、突然クライドがこんやくしやを連れてきた。おどろいたし、ショックだった。当のアシュリーがどこから見てもへいぼんな女性だからなおさらだ。

 さらに気にくわないのは、アシュリーがクライドを嫌がっているふりをすること。

 わざとおびえたふりをしてげて、クライドの気を引こうとしている。

 クライドを嫌がる女性なんて存在するわけがないのに。

かいな方だわ)

 そう思ったから、馬鹿にした態度をとった。

 それなのに、アシュリーはジャンヌを見ると逆に安心した顔をする。おかしい。

 いらちとまどいから、きゆうしやそうにいつもより力が入った。元々綺麗好きなこともあり、ゆかだけでなくかべすみずみまでみがく。ぴかぴかになったぼういつしゆん満足するも、中央にそべる黒狼に目をやるとすぐに気持ちが暗くしずんだ。

 どれほどがんっても、出口の見えない黒狼の世話に疲れていた。

 派遣された当初はわからなかったけれど、今ではクライドが国にたていていて自分たちが間違ったことをしているとわかっている。

 だからこそ結果が欲しかった。黒狼が目覚める兆候でもいい。どんな小さなことでもいいから、何か実感できれば頑張れた。

 けれど黒狼は眠ったまま、何の反応もなかった。四年間ずっと。

 自分の進むべき道がどんどん見えなくなっていく。苦しい毎日だった。

『でも、この馬房はぴかぴかですよ──』

 アシュリーの目を丸くした表情がかんだ。手放しでめてくれた。認めてくれた。

 本来なら、じゆうの世話をするジャンヌたちをべつするはずの貴族のお嬢様に。

 胸が熱くなり、なみだが出そうになるのを必死にこらえた。

 心が動くとは、ああいう時を言うのだろう──。

(私は嫌みな態度をとったのに)

 自分の心になおになれば、ただただアシュリーへの申し訳なさしかない。

 ジャンヌはゆっくりと顔を上げた。

 目の前で、アシュリーはまだ人参ケーキを食べ続けている。一口サイズだからすぐ食べ終わりそうなものだが、すぐなくならないように大事に食べているらしい。

 そんな姿を見ていたら、今までの自分が情けなくてたまらなくなった。

 祖父のえいきようで、ジャンヌはどう精神も持ち合わせている。だから戒めを込めて、

ざん──っ!!」

 と、思いきり自分のりようほおたたいた。

 馬房中にものすごい音がひびいた。アシュリーもクライドもハンクも驚いていたが、なんでもない。悪いことをしたら自分をばつせよ、だ。

「アシュリー様、今まで申し訳ありませんでした!」

 平身低頭してびた。

 ひどい態度をとった。許されなくても仕方ない。そうかくしていたのに──。

「申し訳なかった、って何のことですか?」

 と、きょとんとした顔で返された。

(えっ、これは本音……だわ。うそでしょう。今までの私の嫌みが、本気でわかっていらっしゃらなかったの?)

 なんて大きな方だ、とだつぼうした。さすがウサギに似ている方だ。


 その夜、ジャンヌはキッチンメイドから台所を借りた。

 小麦粉をていねいにふるいにかけ、卵とバターと砂糖を混ぜる。そこへ人参を細かくすりおろして加え、オレンジ色になったを平たくばした。

 作っているのは、人参クッキーである。

 生地を一つ一つウサギの形に整えながら、そういえばお作りは久しぶりだなと思った。

 しゆの一つであり、結構得意なのだ。それでも今までは黒狼を目覚めさせることにいっぱいいっぱいで、こんなことをする心のゆうがなかった気がする。

(喜んでくれるかしら?)

 不安になったけれど、甘いものと人参が大好きだと言っていたからだいじようなはずだ。わたした時のアシュリーの顔を想像して、心の中がくすぐったくなった。

 クライド様にも少しおすそわけしよう。そしてハンクには絶対にあげない。

 そんなことを考えながら、ジャンヌはがおでせっせとクッキーを焼いた。

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