<三>婚約者に慣れるには②

 廏舎の吹き抜けになった中庭には、たっぷりの日差しが差し込んできている。

 黒狼のいる奥のぼうにも窓はいくつもあるが、外から見られることをけいかいしてかてんじよう近くの窓もすべよろいが下りている。そのため馬房の中は一日中、オイルランプがともされていた。

 オレンジ色の暖かみのある明かりの下でうずくまる黒狼は、ただまどろんでいるだけに見える。

「次はどうすればいい?」

 クライドが聞いてきた。その口調は以前よりずっと気安い。

 アシュリーもまた、考えてから思ったことを前よりもくだけた口調で口にした。

「クライド様が子どものころに、黒狼様は一度目覚めたんですよね?」

「そうだね」

「では、その時と同じことをしてみたら、再び目を覚ますのではありませんか?」

「そうすると、だれか死ぬかもしれないから無理なんだ」

(死ぬの!?)

 そんな危機的なじようきようだったなんて思いもしなかった。しようげきで固まるアシュリーに、クライドが笑った。

「でも死にそうだっただけで、誰も死ななかったからだいじようだよ」

「それはよかったです……!」

「うん。本当に」

 気楽に笑うクライドに、ジャンヌとハンクが驚いた顔をした。

 アシュリーは気を取り直して、次の方法を考えた。

「好きな食べ物を目の前に置いてみるとか。美味おいしそうなにおいで目を覚ますかもしれません」

 黒狼は食べることも好きだったから。

 そこでハンクが、うーんとうなった。

「さすがに何か食べないと体がたないんじゃないかと思って、何度もえさをやってみたんですよ。高級な鹿しかにくから、その辺りにいたネズミの肉まで。でも目を覚ますどころか反応すらしませんでした」

「無理に口を開けて、にくへんほうり込んだりもしましたが、でしたね」

 顔をくもらせたジャンヌに、ハンクが思い出したように明るく笑った。

つかまえたウサギの肉をやったこともありましたけど、結果はいつしよでしたね。そういや、あの時のジャンヌの怒りようったらなかったな。なんであんなに怒ったんだよ?」

「あの時のことは、一生かかっても絶対に許さないわ。絶対にね!」

「……俺、そこまで怒られることしたか?」

 アシュリーも大きくうなずいて、賛同の意を示した。後ろでクライドが笑っている。

 けれど違うのだ。黒狼が好きなのは肉ではない。そこで提案した。

「黒狼様がお好きなのは野菜です。野菜をあげましょう」

「……狼なのに?」

「……にくしよくじゆうじゃないんですか?」

 黒狼は野菜が好きなベジタリアンだった。芽キャベツ、ラディッシュ、アーティチョーク。塩をかけて美味しそうにバリバリかじっていたことを思い出す。

 にんじんも好きだったと聞く。野菜だけであれほどきんこつりゆうりゆうとした体をし、なおかつ強い黒狼。黒ウサギはなぜ自分とこれほど違うのか、巣穴の中でしんけんに考えたものだ。

「肉じゃないのか」

 クライドが驚きつつ、おもしろそうな顔をした。

 動物ではなくぞくなのだ。人間の常識で考えてはいけない。

「よし。野菜をやろう」

「では畑にいってってきます。いくわよ、ハンク」

りようかい

 アシュリーもついていこうとしたら、ジャンヌに笑顔で止められた。

「アシュリー様はここで待っていてください。私たちが穫ってきますから」

「でも──」

「大丈夫ですよ。そんな重労働ではありませんから。ここで、クライド様とゆっくりお待ちになっていてください」

 完全なる善意に、いやだと思いながらも首を縦にるしかできない。

 二人きりになり、アシュリーはおそる恐るクライドに視線を向けた。

 金のかみと緑色の目。何も感じないとは言えないが、こわくてたまらないわけでもない。勇者とは別の人だと、もうわかっている。

 ユーリに言った言葉がかんだ。『俺が必ず守ってみせるよ』──。

 こくろうに向けたものだとわかっているけれど、それでも嬉しかった。前世での死にぎわ、誰か助けて、と強くいのった。だが誰も助けてはくれなかった。黒ウサギはどくに死んだ。

 あの言葉を聞いて、六百年ぶりに初めて救われたような気がしたのだ。

 きゆう殿でんでも助けてもらった。おうえつけんの間で、一生を棒に振る場面を救ってくれた。

(助けられてばかりだわ)

 出会ってからずっと。だから──。

 体のわきで両手を強くにぎりしめ、おずおずと話しかけた。

「クライド様、あの、今まで色々と申し訳ありませんでした……」

 クライドがおどろいた顔をした。アシュリーが初めて自分から話しかけたからだろう。

「それでその、以前夕食の席でも申し上げたことですが、私、クライド様に慣れようと思います」

「……俺に慣れる?」

「はい」

 慣れたい、と思ったのだ。黒狼を大事に思う味方で、こんやくしや。そして助けてくれた人──。

 クライドは目を見開いてアシュリーを見つめていたが、

「そうか」

 とゆっくり目をせて笑った。

「ありがとう。よくわからない部分もあるけど、アシュリーがそう思ってくれたことはすごく嬉しいよ」

 やさしい返答にホッとした。よかった。とりあえず最初の一歩である。

「じゃあ、これからよろしく」

 いきなり右手を出された。友好のあかしにあくしゆを求められたとわかる。

 だが決意とは裏腹に、固まってしまった。慣れると宣言しておいてなんだけれど、こんなすぐに求められるとは思っていなかった。

(大丈夫、大丈夫よ)

 自分に言い聞かせ、アシュリーも右手を出そうとした。

 だが、どうしても右手が動かない。やる気はあるのに本能がきよしているという感じか。

 右手を小刻みにふるわせながら一人でかつとうするアシュリーを見て、クライドがつぶやいた。

「ここまでは無理か──じゃあまずは、そうだね。ためしに見つめ合ってみる? 婚約者らしく」

 驚いたものの、いや、と考え直す。れるのは怖いけれど、きよを置いて見つめ合うだけなら大丈夫かもしれない。

 きんちようしながら顔を上げた。すぐ目の前にクライドの顔がある。切れ長の形のいい目、スッととおった鼻筋。見まごうことなき美形。つうの女性ならほおを赤くして見とれるところだ。

 けれど、

(……無理、じゃない?)

 足元から震えが走る。みついたきよういつちよういつせきに消えるものではないとさとった。

 限界が来て、思いきり顔をそらした。

「アシュリー、こっちを向いて」

「むっ、無理です」

 やっぱり無理かもしれない。早くも自信を失いかけたその時、

「じゃあいっそショックりようほうでも試してみる?」

「……ショック療法?」

「そう。なかなか馬に乗れない者がいるとするだろう。そうしたら無理やりにでも乗せて、とにかく一周走らせてみるんだ。そうするといつの間にか馬に乗れるようになっていた、というやつだね」

 聞いたことがある。だがアシュリーの場合に当てはめると、どうなるのか。

「いっそ強くきしめてみようか? 最初にここへ来た時みたいに。そうしたら、すぐに慣れるかもしれないよ」

 考えただけでゾッとした。申し訳ないとは思うけれど、勢いよく首を横に振る。

「無理です!」

「そう? いい方法かもしれないよ?」

「絶対に無理です」

 そんなことをされたら失神する自信がある。

「そうか。じゃあやっぱり、少しずつ慣れていくしかないね。はい、もう一度こっちを向いて、俺を見て」

 クライドの態度がいつもとちがわないか、と思ったけれど、それ以上考えるゆうがない。慣れると自分から言ったのだ。おなかに力をこめて、恐怖をおさえ込んだ。

 思いきり目を見開き、クライドをぎようする。

 クライドもまっすぐ見つめ返してきた。が、しばらくして口元を右手でおおい、うつむいた。アシュリーのあまりに必死な様子に笑うのをこらえているのだとわかったが、それについてどうこう思う心の余裕も、やはりない。

だいじよう。怖いのなんてげんそうよ。いや、でも怖いんだけど……いいえ、大丈夫よ!)

 感情が激しく上下する。ふるふると震え、なみだになりながら、必死に見つめた。

 笑っていたクライドが、ふと真顔になった。えらく真剣な目でアシュリーを見つめる。

 ちょうどそこへ、

「野菜を持ってきましたよー」

 畑のしゆうかく物をかかえて、ジャンヌとハンクがもどってきた。

(天の助けだわ!)

 け寄るアシュリーに、ジャンヌが満面のみを浮かべた。

 どっしりとしたカボチャに、いろいブロッコリー。何層にもなった表面がつやめくアーティチョーク。キャベツのような形のカーヴォロに、丸々としたジャガイモ、玉ねぎ、セロリ。

(立派な野菜。これで黒狼様が反応してくれるといいけど)

「さっそくキッチンメイドにたのんで料理してもらおうか」

「はい。やっぱり温かい料理がいいんですかね」

 みなで言い合いながら、野菜を台所へ運んだ。

 白のエプロンをつけたキッチンメイド長が驚いた顔をした。

「クライド様にアシュリー様。それに魔術師の方々も。どうされました?」

「悪いが、この野菜を調理してもらいたいんだ。メニューは任せるよ。なるべくかおり高い料理で頼む」

「承知いたしました。失礼ですが、先ほどお昼をし上がったばかりですよね? ──ひょっとして量が足りませんでしたか?」

 キッチンメイド長の顔色が変わった。

「いや、そうじゃないよ。俺たちが食べるんじゃないんだ」

「ではお客様がいらっしゃるのですか? でしたら、きちんとしたお食事の用意をいたします」

 クライドが答えるより早く、ハンクが口を出した。

「お客じゃないんで大丈夫です。ちょっと黒い動物が食べるだけです」

「えっ?」

「ハンク!」と、ジャンヌが頭をはたく。

 同時に、クライドがハンクを自分の後ろに追いやり、笑顔でごまかした。

「実は新しいじゆつを覚えようと思ってね。それに必要なんだよ」

「──さようですか」

「頼むね」

 数時間後、注文どおりの料理ができあがった。しおでしたブロッコリーと、のうこうなカボチャスープ。中身を茹でて、オリーブオイルでいためたアーティチョーク。そしてカーヴォロとジャガイモ、玉ねぎ、セロリをぐつぐつとんだ熱々のポトフである。

美味おいしそう)

 思わず笑みがかぶ。いいにおいにつられて黒狼が目覚めてくれるといいけれど。

 きゆうしやに戻り、さっそくねむる黒狼の鼻先に料理の入った皿やなべを置いた。いのりながら待つものの反応はない。

「もっと匂いを届けるために、あおいでみましょうか」

 ハンクが言い、ぼうはしにある道具箱から古いせんを取り出した。ポトフの鍋からたちのぼる湯気をあおぎ、こくろうの鼻先へ届ける。

「私も」とジャンヌもカボチャスープの入った小鍋を持ち、黒狼の鼻先でらした。

 アシュリーもまた塩茹でブロッコリーをフォークにして、黒狼の鼻先で小さく回した。

(お願いです。目覚めてください)

 魔術師二人とれいじようしんけんな顔で、じゆうの前で扇子をあおぎ、鍋を揺らし、フォークを回す。

「──みたいですね」

 ぴくりともしない黒狼に、ジャンヌが息をいた。

「やっぱり、こんなふざけた方法では無理なんじゃないっすか」

 ハンクがへらへらと笑いながら失礼なことを言った。

 駄目だったのか。落ち込むアシュリーに、クライドは無言で皿を手にした。左手で黒狼の口を開け、炒めたアーティチョークをすべほうり込む。そして、

「はい。もぐもぐ」

 とよくようのない声で、口の上下を持って無理やりみ合わせた。

こわいわ……!)

 魔王の側近だった気高き黒狼にこんなことができるとは、さすが勇者の子孫である。

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