<一>婚約と黒ウサギ④

 ウォルレット家は、国南部の海沿い、第二の都市トリタンにある。

 そこから国の中心地である王都カタリアまでの鉄道が開通したばかりだ。

 もくもくと黒いけむりく満員の機関車にられて一ぱくした後で、アシュリーは馬車に乗り込んだ。荷物持ちの使用人たちといつしよにサージェント家に着いた頃には、とっぷりと日が暮れていた。

 婚約の手始めとして、クライドのしきにしばらくたいざいすることになった。けれど──。

(ああ、帰りたい。今すぐげ出したい……)

 前世のまわしいおくがまざまざとよみがえり、吐き気すらする。

「着きましたよ」

 絶望をさそう言葉に、アシュリーはのろのろと顔を上げた。

 サージェント家は広大なしきに建つ、しらかべにグレーの屋根のだいていたくだった。

 裏に林が広がる三階建てのおもと、通路でつながったべつむね。それにレンガ造りの立派な二階建てのきゆうしやが、放牧場の中と、敷地の奥にそれぞれ一つずつある。

 長旅と不必要なづかれとで、アシュリーはつかれ切っていた。

 けれどまずは、侯爵本人に会わなければならない。

 客用の応接室には、アイビーのつた模様が細かく織り込まれたじゆうたんかれている。アシュリーは、背もたれとひじきにしんちゆう製のかざりがついたソファーに、おずおずとこしを下ろした。

 きんちようと不安から、ひざの上で組んだ両手がふるえる。なんとか止めようとするけれど無理だ。

 とびらがノックされ、ゆっくりと開いた。

「お目にかかるのは二度目ですね、アシュリーじよう

 聞き覚えのある声に、おそる恐る顔を上げる。

 目の前でにっこりと微笑ほほえむ婚約者は、父が言ったとおりとてもうるわしい。そして勇者ゆずりのきんぱつと緑色の目をしていた。足元から恐怖が這い上がる。けれど、

(この方は……!)

 なんときゆう殿でんで助けてくれた青年ではないか。

(この方がサージェント侯爵で、おうていのクライド殿下なの?)

 なんたるぐうぜんとつに救われた時のあんかんを思い出し、手の震えが止まった。

(あら? もしかして、意外と大丈夫かしら?)

 想像もしなかった希望に、胸がき立つ。

 そのしゆんかん、金の髪と緑色の目が視界いっぱいに広がった。

(いいえ、無理だわ!!)

 クライドはまごうことなき勇者の子孫なのだ。

 前世で勇者の顔はよく見えなかったけれど、一体どういう顔をしていたのか。似顔絵は今もたくさんあるが、何しろ六百年も前のことだ。言い伝えでえがかれているため、絵によって顔がちがう。

(もしかしてクライド様は勇者に似ているのかしら?)

 自分を殺せと命じた、勇者の顔と。そんなことを考えたら恐怖が骨のずいまでみ込んできた。

 ああ、今すぐ家に帰りたい。慣れ親しんだ自室のベッドで、すべてを忘れて毛布にすっぽりとくるまってねむりたい。

「アシュリー嬢?」

 固まったまま現実とうをしているアシュリーに、クライドがけげんな顔をした。

「どうかした? ああ、もしかして長旅で疲れた? そうだよね。しんしつへ案内するよ」

 アシュリーのかわかばんを持ち「こっちだよ」と階段を上り始める。

 主人自らありがたいことだが、せめて案内は使用人にたのんでほしかった。泣きたい気持ちで後をついていきながら、

(助けてくれた……助けてくれた……)

 と、心の中でり返した。

 アシュリー用にしつらえられた部屋は、母屋の中央階段を上ってすぐの二階、窓から庭が見下ろせる二部屋だった。一方が寝室、もう一方が居室になる。

 クライドがとびらに手をかけて開けたまま「どうぞ」と中へ通してくれた。

「疲れただろうから、ゆっくり休んで。それとうちの敷地内にある廏舎だけど──放牧場の中にある廏舎ではなく、奥の赤い屋根の廏舎ね。あそこには絶対に近寄らないで欲しい。もし近寄ったら──命の保証はできない」

(命!?)

 勇者の子孫にそんなことを言われては、さらに震え上がるしかない。

「わかりました! 絶対に近寄りません!」

「──そう。よかったよ。ゆっくり休んでね」

 クライドが出て行くと、アシュリーはふらふらとソファーに座りこんだ。

(限界だわ……)

 一緒にやってきたウォルレット家のメイド二人とぎよしやは、すでに三階の使用人用寝室へ行ってしまった。

 このままここでやっていけるだろうか。精神的なろうも相まって、心細いことこの上ない。

 泣きたい気持ちで部屋を見回した。かべぎわに大きなてんがい付きのベッド。ビロード地の茶色とベージュの二色のカーテンが、タッセルのついた組みひもで留められている。

 小さなテーブルには、アシュリーの目の色に合わせてくれたのか、むらさきのライラックの花が飾られていた。白い壁にはあわい色合いの絵画がけられ、しよくだいのやわらかなオレンジ色の明かりで照らされている。

(なんだか落ち着く気がする。心地ごこちがいいというか……)

 サージェント家のメイドたちが用意してくれたのだろうか。

 ゆっくりと深呼吸したら、気分がやわらいだ。

 少し元気が出てきて、手早くえた。カーテンと同じがらもうとんにもぐりこむ。

 まくらからほんのりラベンダーのかおりがした。め物の一部に、かんそうさせた花びらを入れてあるのだろう。心地ここちよい香りに頭ごと包まれ、緊張ときようでこわばっていた体から力がけた。

 横を向いて体を丸めた。

(不思議だわ)

 ここへきたら眠れる日はないかもしれないとかくしていたのに。

 目を閉じたたん、引きこまれるように眠りについた。


 翌朝、実家から一緒にやってきたメイドたちにたくを手伝ってもらっていると、扉がノックされた。

 ツイードの黒のスーツを着たしつが、落ち着いたみをかべて一礼した。

「おはようございます、アシュリー様。当家の執事を務めておりますフェルナンと申します。昨夜はよく眠れましたか?」

「はい。枕からラベンダーのいい香りがして、すぐに寝てしまいました」

 フェルナンがうれしそうに笑う。

「それは、ようございました。ここだけの話、実はアシュリー様に少しでもリラックスしていただけるようにと、だん様からの申し付けにございます」

(クライド様本人だったんだわ)

 おどろいた。やはりクライドは宮殿で助けてくれたとおり、やさしい人なのだ。

「こちらはハウスメイド長のロザリーです。アシュリー様のお世話をいたします」

 白いまるえりがついたサージのワンピース、その上からエプロンをつけたロザリーが微笑んで頭を下げた。少し垂れた目が親しみやすさを感じる。

 アシュリーも笑顔を返した。

「食堂はこちらでございます」

(緊張してきたわ)

 クライドに会うことが、である。

 先ほどのフェルナンの言葉と宮殿でのことから、優しい人だとわかっている。だがやはり、前世のおくのせいでこわいと思ってしまうのだ。くつではない。

 庭に面した明るい食堂は、アシュリーの私室のちょうど真下にあたる。白を基調とした室内、壁際に置かれたたなには、よくみがきこまれた銀器がずらりと並んでいた。

「おはようございます……」

 恐る恐る足をみ入れた。けいかいしてばやく中を見回すが、クライドの姿はない。

 よかった、とホッとして大きく息をく。

 けれどロザリーも、きゆうをするキッチンメイドたちも、クライドの姿が見えないことにアシュリーがらくたんしたとかんちがいしたようだ。一様に顔をくもらせた。

「申し訳ありません、アシュリー様! 旦那様は昨晩おそくから、奥の廏舎にこもりっきりなのです」

「決して、アシュリー様に冷たい態度をとっているわけではないのです。ただ、あの廏舎は旦那様にとって特別と申しますか、その──」

「いえ、だいじようですよ」

 ウサギなら体をひねりながら陽気にジャンプしているところだ。クライドに会わないで済むなら、むしろ気が楽になった。

「朝食、いただきますね」

 鼻歌でも歌いたい気分で長テーブルに着いた。十人は座れそうな大きさだ。

 テーブルの中央には、しんせんな果物がった銀製のスタンドと燭台が置いてある。その横にはワインを飲む時に使うデカンター。

 そしてアシュリーの前には、とりにくと数種類の野菜をのうこうなソースでんだものや、焼きたてのパン、しぼりたてのオレンジジュースやミルクなどが並んでいた。

 クライドがいない──外に出ているのではなくしきの中にいるのに出てこない──ことへのおびのように、ずらりと並べられた朝食を、アシュリーは笑顔で口に運んだ。

 その様子を、またも無理していると勘違いしたのか、メイドたちが痛々しそうに見つめた。

「旦那様は今朝だけでなく、最近ずっと奥のきゆうしやにこもりきりでして……」

 おかわりのオレンジジュースを注ぎながら、メイドの一人が代わりのため息をいた。

 クライドが、決して近づくな、と言っていた廏舎である。そこまでするからには──。

「その廏舎で飼っているのは馬ではないんですね。何を飼っているんですか?」

 アシュリーの質問に、ロザリーとメイドたちが顔を見合わせた。

 示し合わせたように小声で答える。

「私たちも近づいてはいけないと言われているので、何もわからないんです。ゆいいつ、フェルナンだけは許されていますが、それでも決して中へは入りません」

「前に言いつけを破って近づいたお調子者の庭師は、すぐにかいされました。廏舎の中へ入れるのは、旦那様とじゆつ様たちだけです」

「魔術師?」

「はい。国王陛下のきゆう殿でんからいらしている魔術師様たちです」

 この世界で魔術師は貴重な存在である。六百年前はそうでもなかったが、ガス灯の発明や鉄道の開発など、文明が発達するにつれて魔力を持つ者が激減した。だから魔力があるとわかると宮殿に集められる。そして国王のもと、国のためにその力を使うのだ。

 そんな貴重な魔術師たちが、あの廏舎にけんされているのか。

(魔術師たちは廏舎で何かの世話をしている、ということ? ひょっとして、その何かも魔力を持っているのかしら?)

 なつかしい魔族の姿が浮かんだ。けれど、

(そんな訳ないわよね)

 思わずしようした。しように包まれた魔王の治める魔国は、すでにほろびたのだから。

(あら、瘴気といえば……)

 ふと頭のはしに引っかかった。最近、瘴気について何かあったような──。

「アシュリー様、デザートのプディングです」

 できたてのプディングが目の前に置かれた。ほわりと立ちのぼる温かい湯気に、アシュリーはいつしゆんで、考えていたことを忘れた。

 甘いものは好物である。嬉しくなっていそいそとスプーンで割ると、中からリンゴのソースがあふれ出た。ごろごろと入っている果肉もやわらかくて甘い。

「すごく美味おいしいです!」

「ありがとうございます。そういえば、アシュリー様。新鮮なウサギの肉が手に入りましたので、昼食にお出ししようかと思いますが、いかがでしょう?」

(ひい──っ!!)

 とりはだものである。

「いいえ、ウサギは結構です! 私、苦手で。絶対に出さないでください。お願いします」

「そうですか? ひき肉状にして、原形をとどめずお出しすることも──」

「いいえ、無理です! 目の前に出されたら、おそらくそつとうします」

 実家のウォルレット家でも、アシュリーが前世を思い出してからウサギ肉は出ない。

 今でも思い出す。アシュリーが十一歳の冬、父がりでウサギをってきた。それまでは美味しく食べていたから喜ぶと思ったのだろう。すでに血抜きされた白ウサギの両耳を持ち、父はほこらしげにアシュリーの目の前にき出した。

 ぶらんぶらんとれる白ウサギの体。

 あの時のしようげきといったら、今思い出しても血の気が引く。

 結果、アシュリーは白目をむいて気を失い、医者を呼ぶさわぎになった。

「……そうなのですね。承知いたしました」

 アシュリーのたましいさけびともいえるはくに、メイドたちがじやつかん引いている。

(ウサギさん、どうか安らかに)

 アシュリーは肉にされたウサギに、心の中でがつしようした。

 そして昼食の席にもクライドの姿はなかった。ウサギ料理も、だ。メイドたちのいたわしげな視線に気づかず、ますます気が楽になったアシュリーは満面の笑みで食事をした。

 昼食後はカーテンを閉め切ったうすぐらい図書室で、ソファーにそべって本を読む。

 お詫びの意なのか、メイドたちがこまめに紅茶やら焼きやらを運んでくれた。

「そんなに気をつかってもらわなくても大丈夫ですよ」

 逆に申し訳ない。だって今、こんなにも楽しいのに。

 だが彼女たちはがんとして首を横にった。泣きそうな顔をしている者までいる。

(天国だわ)

 こんな生活ならだいかんげいである。アシュリーは笑顔で、バターたっぷりの焼き菓子をほおった。

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