第1章・後編(1)

「人生はさ……」

 少しの沈黙の間を挟み、俺こと美澄渚は口を開いた。

「人生は……鉄板焼きなんだよ」

「???」

 雛鶴は首を捻った。

「???」

 シェフも首を捻った。

「……」

 原見はうんうんと頷いて肉を食っていた。

 俺は、真顔で言葉を続ける。

「つまりさ」

 俺はテーブルの上の物を指し示す。

「鉄板があり、肉がある」

「……はい」

「鉄板がないと、肉が焼けないだろ?」

「はい」

 神妙に雛鶴は頷く。

「そういうことだよ」

「全然分からん!!」

 雛鶴がクワッ!と目を見開いて、シェフがビクッとなった。

 原見は肉を食っていた。

 コイツ、ずっと肉食ってんな。


「〆のガーリックライスお作りしましょうか?」

 会話の流れが重くなったり軽くなったり、乱高下が激しいのを感じ取ったのか、シェフが気を遣ってくれたのかもしれない。

「それとも、お肉など、追加されますか?」

「追加で!!」

 俺達が反応するより速く、何だったら、『されますか?』の『さ』が発音されたかどうかぐらいのスピードで、原見が言い放った。

「A5ランク黒毛和牛のロースとヒレを食べ比べます」

「食べ比べ!?」

 メニューを暗記しているのであろう原見の言葉に、雛鶴が声を裏返す。

「分かりました」

「分かりました!?」

「3人前ずつで」

「3人前!?」

 雛鶴が自動追尾叫ぶマシンになってきた。




 程なくして、再び、肉が鉄板の上で焼かれ始めた。

 雛鶴は変な笑いを浮かべている。変なの。

 あと、さっきとは別の方向性で、目の光が失われている。

「雛鶴はさー」

「?」

 次の肉が来る前にと、先に焼かれたサーロインの残りをむしゃりと食べながら、俺は、もういない『あの人』のことを──。

 嘗て俺の側にいた、今はもうどこにもいなくなってしまった人のことを思い浮かべ、鼻の奥をツンとさせる。

「雛鶴がいなくなったことの意味が欲しいの?」

「え……」

「たとえば、残った3人の友達が、雛鶴がいなくなったことで……人間関係のバランスが崩れたりとか潤滑油を失ったりで、気まずくなって仲悪くなってるとか、そういうことを望んでるのか?」

「まさか……!! 私は、ただ……」

「だったらさ」

 『あの人』がこの場にいたなら、きっと言ったであろう言葉を……。

「だったら、良いじゃん」

 俺は言う。

「ずっと一緒にいようと、変わってないみたいであろうと、完璧に同じじゃいられないもんだからさ、人間同士、なんてもんは」

 少なくとも俺はそう教わった。

「安っぽい台詞だけどな、生きてりゃまた会えるんだ」

 そう、生きてさえいてくれたら。

「3人には経験の出来ないこと、いっぱい体験して、そんで、いつか大人になって前みたいに一緒にいられるようになったら、その時、笑いながら話してやればいいんだよ。そういう日が来た時の為の、ま、言ってみれば、今は鉄板で焼いてる時間、みたいなもん、てことさ」

「つまり、美味しく焼けたら、一緒に食べれば良いってことだね」

 肉食ってるだけだと思っていた原見が急に俺に相づちを打ってきたので、俺は『なんだと!?』みたいな顔をした。

「……」

 その隣で、雛鶴は固まった様子で目をまん丸にして俺を見、しばらく無言になった後、ゆっくりと口を開く。

「先輩……」

 一言発して、雛鶴の肩から少し力が抜け……。

「急に真面目なこと言わないで下さい」

 そして、呆れたように言う。

「悪い物でも食べたのかと思うじゃないですか」

 やっぱ、こいつは口が悪い……。

 そこへ、『悪い物でも食べた』というキーワードに、原見が反応する。

「焼き野菜とか食べるからだよ」

「お前───っ! お前の分も食わせただろ、俺に! 焼き野菜!!」

 軽蔑の眼差しで見てくる原見に、ほうれん草(800円)を注文してやった。

「なんてことするの!? 酷い! 残酷すぎるよ!!」

「いや、お前、野菜も食えよ……臭くなるぞ?」

「偏見だよぅ!!」

「偏見じゃねえだろ……」

「じゃあ、嗅いでみてよ!!」

「やめろよ……本当に臭かったら、幼馴染みが臭いとか割とショッキングな出来事なんだからさ……」

「私の方が直接的なショックだよ!!」

 ていうか、食い物屋でする話か、これが。


 ……とか、シェフに苦笑いされていると。

「ぷっ……」

 雛鶴が心身共に堪え続けた笑気を、遂に、という感じで噴き出し……。

「あはははははははははははははははは!!」

「……」

「……」

 俺と原見が見つめる前で。

 行儀悪く椅子の上で、お腹を抱えて笑い転げまくる。

「あは……!! あはははっはははははははっ!! あっはっはっはっはっはっはっはっははははははははははははははははっ……っえほっ!! げほっげほっげほっ……うぐっ、ぐえっ、はぁはぁはぁ……あはっ、ははははは……、ふぅ……」

 途中、女の子がしてはいけないような音が発生していたが、しばらく笑ってようやく体内に溜まった笑いを吐き出しきったのか、深呼吸をして息を整えてから、雛鶴は良い笑顔で言う。

「確かに、人生は鉄板焼きですね」

 と。




「いや、そんな夜中に公園で全裸徘徊したけど、見つからなかったわ!みたいな顔を向けられても……」

 俺の渾身の『してやったり』というドヤ顔を見て、原見が失礼なことを言い放ったので、思わず野菜を食わせそうになった。

 あと、夜中に公園で全裸徘徊は、意外と見つかるのでやめた方がいい。


 ともあれ。

 そのタイミングを見計らったかのように、シェフが焼けたばかりの新しい肉を置いてくる。

「こちらがヒレで、こちらがロースになります」

「概念だね!!」

 原見がテンションに任せてよく分からないことを言った。

「……概念?」

 そして、よせばいいのに、雛鶴が尋ねる。

「ロースとかヒレとかどこの部位であれ、ロースだって身体の外側に近づいていくにつれヒレになっていく訳だし、ヒレだって身体の中心部に行くに従ってロースに近くなっていく訳で、つまりロースとヒレは、最終的には1つに溶け合って、1つのお肉になるからね!」

「……なるほど???」

 殊勝にも雛鶴はうんうんと頷いた。

 その上で、こっそりと俺に尋ねてくる。

「どういうことですかね?」

「俺に聞くなよ……」

 それはそれとして、肉を食わずに放置すると、原見が今にも肉をねじ込んできそうな蛮族の素振りを見せてくるので、食った方が良いぞと雛鶴に忠告すると、はわわとかなって熱々の肉を頬張る。

「……美味しい!」

 雛鶴に倣って、俺もまずはロースを口に運んだ。

 なお、原見は俺達とは無関係に既にどっちもガンガン食っている。

「おー、美味いな! さっきのとはまた違った美味さだな!」

「ですねー。何が違うんでしょうね、これ? あ、こっちもです。よく分からないですけど、どっちも美味しい」

 と言いつつ、ヒレとロースを両方食う雛鶴。

「……」

 ……を、信じがたい馬鹿か、信じがたい氈鹿を見る目で、原見が凝視していた。

 とにかく、信じがたいみたい。

「そんな……」

 そして、声を震わせて……。

 肉を食った。

 肉を食うんかい。

「そんなことも知らずに、秋葉原に来たの……?」

 肉を食って落ち着いたらしく、しかし、それでも声を震わせたまま、雛鶴にそう尋ねてきた。

「いや、秋葉原関係ねえだろ」

 思わず、突っ込んでしまった俺だが、雛鶴は暢気に肉をパクつきつつ、のほほんと聞き返す。

「何が違うんですか、これ?」

「部位だよ!!」

「部位……お肉取る位置が違うってことですかね?」

「それ以外の何が違うって言うの!? 血!? 血の色が違うの!? 緑色の血が流れてるっていうの!?」

「こ、怖いです……原見先輩、怖いです……」

 俺は時々、原見に緑色の血が流れているんじゃないかと思う時があるよ?

「いい!? 牛の部位は、こうなっています!!」

 と言いながら、原見はブラと胸の間に挟んであった折り曲げられた紙片を取り出し、巨大に展開して見せる。

 そこには、紙一杯に描かれた牛の図と、その牛のどこの部分がどう呼ばれるかを図解された、たまに焼き肉屋のメニューに描いてあるやつがあった。

「……それ、いつも持ち歩いているんですか?」

「原見は持ち歩いてるどころか、寝る時も枕の下に敷いてるよ」

「お肉の夢が見たいんですか!?」

「そりゃ見たいよ!!」

 普通は好きな人の写真とかを敷いて願掛けするものらしいがな……。

 まあ、原見だからな……。

「風呂入る時も、天井からべろーんって、その絵を垂れ下げてるぞ」

「何かの妖怪みたいですね!!」

 肉の妖怪だと思う。

「とにかく! ロースはここ! 高いステーキとか鉄板焼きに使うのは肩ロースじゃなくて、リブロースが多いので、こっちの肩よりも胴に近い方!」

「何が違うんですか?」

「リブロースの方が、お肉のキメが細かくて、サシが入りやすいんだよ!」

 バシバシと牛の図を叩きながら、原見が説明する。

「何でお前全部の台詞が叫んでんの?」

「サシってなんですか?」

「赤身と赤身の間に白い筋みたいな模様があるでしょ? あれがサシだよ! 細かい脂身の部分だね!!」

 俺との会話はスルーされた。

「だから、リブロースは、柔らかい部位のお肉で、脂身の甘みもしっかり感じられるんだよね!」

 活き活きしてんな、原見の奴。

「そのリブロースからもも肉の方に向かっていった、リブロースのお隣が、その名も高きサーロインだよ! 余りに美味しすぎてSirの栄誉称号を与えられるぐらいだったと言われていて、称号を与えたのは、イギリス国王ヘンリー8世ともチャールズ1世とも2世とも言われているね!」

「称号を与えるのが好きなんですね、国王たち」

「国王だからな……」

 というか、雛鶴の感想が段々頭が悪くなってきつつある。

 お前、そんなキャラだっけ……?

 単に肉食いながらだから集中出来てねえのか。

「ちなみに最初に食べたシャトーブリアンは……。あ、A5ランクシャトーブリアン、もう1人前ずつ追加で。シャトーブリアンは、ヒレ肉の中でも、その中心部で、ほとんど取れない希少部位なんだよ!」

「追加!?」

 会話の途中、原見がさらっと肉を追加したので、雛鶴がふわわ!?となっていた。

 俺もふわわ!?となっていたし、店員さんも急に言われてふわわ!?となっていた。店員さん可愛いな。

 まあ、俺の方が可愛いが。

「ヒレ肉は牛肉全体の3%、その中の更に真ん中の部分だけがシャトーブリアンだから、お高いのも仕方ないんだよ!」

「なるほど……」

 金額だけにビビり続けていた雛鶴も、納得いった風に頷いたが、それはそれとして、と怖ず怖ずと小さく手を挙げてくる。

「あの……私、そろそろ、お腹がいっぱいになってきたんですけど……」

「大丈夫だよ? シャトーブリアンは別腹だよ?」

「ケーキ感覚で!?」

 どっかの攻略本の帯ばりに大丈夫じゃねえな……。

 あと、最初のシャトーブリアンが200g、追加のヒレとロースが150gずつで、トータル既に500g食ってるからな、俺ら……?

「シャトーブリアンが素晴らしいのは、脂身がほどほどで、とても柔らかくてお肉の旨みが強く感じられるからなんだけど、A5ランクだと、その中でも脂身がそれなりに入っていて、赤身と脂身の美味しさが最高に感じられると言われるからでもあるんだよね!」

「A5ランク……」

「AとかBとかのランクは、可食部位の多さによって決まるんだよ。だから、Aランクだと食べる所が沢山あるってことだね。骨は勿論だけど内臓もこの可食部位には含まれないからね。そういう訳だから、食べる側にとっては、ランクがAでもBでも実はあんまり関係ないんだよね。でも、当然、肉付きの良い牛さんの方が、美味しいことが多いから、美味しいお肉はAランクって感じになりやすいよ」

「へぇ」

「つまり、重要なのは数字の方。1〜5の等級だね。これは4つの項目の善し悪しで決められるんだよ。『霜降りの度合い』『お肉の色つや』『お肉のきめの細かさ』『脂肪の色つやと質』──これらが優れているお肉がランク5のお肉になれるんだけど……」

「だけど?」

「霜降り牛ブームの頃から、サシが入りすぎる傾向が続いて、今ではA5ランクは脂っこすぎる、なんて話を聞くようになったね」

「ていうか、お前、霜降りブームの頃、幾つだよ……?」

「そうだ。丁度良いから、A5ランクじゃない、普通の黒毛和牛シャトーブリアンを頼んで食べ比べてみよう。すみませーん! 黒毛和牛シャトーブリアン3人前追加、お願いしまーす」

「追加!?」

 雛鶴の声が裏返った。

 例によって俺のツッコミ会話は流されている。


 結果。

 俺達の前には、シェフによって丁寧に焼かれた、A5ランクとそうじゃないシャトーブリアンがそれぞれ200gずつ並んでいる。

 それを雛鶴が呆然と見下ろしながら、誰にともなく

「あの……私達、これ、今、どれぐらいお肉食べてるんでしょう?」

「これで700かな……」

「700万円ですか!?」

「何でだよ。一頭買いかよ」

 いよいよもって、胃に血を持って行かれて、脳が酸欠になってきてんな、雛鶴。

「こちらが黒毛和牛シャトーブリアン、こちらはA5ランク黒毛和牛のシャトーブリアンです」

 スルー力の高いシェフが、淡々と自分の仕事をこなして、肉をどらどらと皿に盛ってくる。

 そして、何故か、ドヤ顔で原見が言う。

「若いんだからどんどんお食べ」

「いえ、そんな変わらないですけど、原見先輩と」

 お前は、脂っこい物が食えなくなって、若い娘にA5ランク肉代わりに食べさせて悦に入るパパ活のおっさんか。

 と思ったが、口に出すとテンプルを殴られるので、やめておく。

「お前は、脂っこい物が食えなくなって、若い娘にA5ランク肉代わりに食べさせて悦に入るパパ活のおっさんか、ぐえっ!!」

 口に出して、殴られた。

 最後の『ぐえっ』は、萌えキャラを目指した語尾ではなく、原見からレバーに一撃を加えられた為に発せられた俺の悲鳴である。

「おま……い、今は、レバーはよせ……出ちゃうだろ……口からエクトプラズムとか

が……」

 今回のエクトプラズムの正体は主に肉。

 それはエクトプラズムじゃなくて、肉じゃないだろうか。

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