第1章・中編

 これまでのあらすじ。

 原見が店のメニューを否定した為、若干空気が悪くなった。

 しかし、お店の人は寛容なので、特に気にした様子もない。


 ──程なくして。

「前菜の盛り合わせでございます」

 と持って来られた料理の数々。

 生ハムとイチジクのなにか。

 揚げたレンコン的ななにか。

 うにと海鮮のなにか。

 などが並ぶ。

 基本的になにか、なのは、何なのか聞いても今ひとつよく分からない小洒落感だからであり、要するにあんまりなじみのない感じの食べ物で耳から滑るんだよ……。

 ……ではあるのだが。

「うま!」

 エプロンを着け、『いただきます』と手を合わせ、一口食べて、丁寧に作られたなにかなのは一発で分かった。

 非常に美味い。

「生ハムとイチジクのやつ美味いな……」

「……」

 コクコク、と雛鶴が頷く。

「生ハムだけでいいよね」

「そういうこと言うなよ……」

 原見が極めて真面目に言うので、若干怖い。

 他のなにかも美味い……が、学生向きではないな……。

 きっと、オトナはこういうのつまみながら酒飲んだりするってことなんだろな。食前酒とか。

「前菜も肉だけでいいのにね」

「ハムだけで我慢しろよ……」

 メリハリっつーもんがあるだろうからな。

 とはいえ、原見は真面目にそう思っているっぽいので、そこそこ怖い。


 ……などと思っていると。

「サラダです」

 店員さんが各々の席の前に小さなサラダを置く。

 見る間に原見のテンションが下がっていくのが分かる。

「もう野菜はいいよ……」

「お前は青果店の娘なのに……」

「サラダもお肉だったらいいのにね」

「いや、意味分かんねえ」

 原見は文句言いつつもテンション低くサラダを食った。

 別に野菜嫌いではないからな……。


 その間に、シェフがやってきて、赤いその物体を見せてきた。

「本日入荷のオマール海老です」

「「おお───────────っ!」」

 活きたままうごうごと動く、まさに活オマール海老を前にして、俺と雛鶴が思わず声を揃えて、歓声を上げる。

 なお、原見は全く興味を示さない。

 オマール海老っていったって、ザリガニの仲間みたいなもんでしょ?という認識に違いない。

「オマール海老っていったって、ムカデの仲間みたいなもんでしょ?」

「そんなにか」

 そんなにも、魚介に興味がないのか。

 いや、知ってたけども。

 その一方、雛鶴は、ハサミの所にゴムをかけられて開かないようにされているオマール海老をジッと見つめる。

「これが……」

 オマール海老を見るのは初めてなのだろう。

 まあ、俺も初めてだが。

「これが、差額5000円……」

「お前、もう、値段を気にするのはやめろ。なんか、目が死んできてるぞ?」

 動くオマール海老がハサミをジタバタさせながら、厨房の方に消えていくのに対して、雛鶴が半ば死んだ目で『さようなら……さようなら5000円……』と呟きつつ手を振っていた。

「やめろよ……食いにくくなるだろ……」


 もぐもぐとサラダを食べている間に、先程のオマール海老が戻ってくる。

 縦に半分にかち割られて。

「これ、子供見たら泣くやつだな」

「そうですよね……」

 雛鶴に続いて、原見もうんうんと頷く。

 ちょっと落ち着きを取り戻して人間らしい感覚が蘇ってきたか。

「お肉が来るのかと思ったら、海老だもんねえ。泣くよねえ」

 特に人間らしい感覚は蘇ってなかった。

「ていうか、まあ、海老頼んだんだから、海老来るわな……」

 勢いで高い方頼んだものの、こうまで執拗に海老をdisられると、肉だけでよかったような気もしてきたぞ……。


 とか、考えながら、海老の切られた半面が鉄板で焼かれるのを見ていると、さっきまで動いていたのにな……と、命を頂くことへの神妙で真摯な気持ちにさせられる。

「……メッチャ良い匂いするな!!」

 真摯な気持ちに、食欲が勝った為、海老頼んで良かったなという感想で脳が埋め尽くされた。

 ジュウジュウといい音を立てて焼かれた後。

「お待たせしました」

 と、オマール海老がどりゃあ!と提供される。

 早速、目の前の海老を口の中へと運ぶ……と。

「うま!! うまあああああ!!」

「お、美味しいですね……!!」

 身がぷりっぷりで、口の中でジューシィな海老のうま味が弾ける。

 シンプルな調理法だけに、新鮮さと素材の良さが際立つ。

 更に言うなら、火の通り加減が絶妙で、そこはシェフの腕というか経験というものなのだろう。

 値段のことで頭がいっぱいだった雛鶴も、この美味しさに頭をがーん!と殴られたような感じで、目をパチクリさせて、俺に美味さを訴える。

 流石の原見もこれには感動物だろうと、俺と雛鶴が、ぶわっ!と凄い勢いで、原見を見る。

 ……と。

「あー、うん、海老だねー」

「「反応うっす!!」」

 なんだったら、顔も薄味にリファインされている節すらある原見だ。

「あげるよー」

 と言って、1口2口食った残りの海老を、俺に押しつけてくる始末である。

「……本当に興味ないんですね、オマールなのに」

「オマールなのになー」

 オマールを連呼しつつ、俺と雛鶴はオマールを食べた。オマール言いたいだけ状態だといえよう。




 そうして、オマールを食べていると……。

「本日のお肉はこちらになります」

 木のまな板のようなプレートに乗せられて、これでもかと差しの入ったピンク色の分厚い肉をシェフが持ってくる。

『ひゃっはー! お肉きた─────────────────っ!!』

 てな具合にハイテンションになるかと思われた原見だが。

「……」

 急に神妙な面持ちになり、手を合わせて肉に祈り始めた。

「宗教ですか」

 雛鶴が冷静に突っ込んだ。

「!!……お肉教を立ち上げたら、世界宗教狙えるんじゃない!?」

「良いこと閃いたみたいに言ってんじゃねえ」

 どこまで本気か分からないが、どこまでも本気だろうな、原見……。

「お肉は世界を救う、だよ」

「まあ、ある意味、救うかもしれんが……」

 そんな宗教論争をしている間に、シェフは鉄板で付け合わせの野菜と、ニンニクを焼き始める。

「い、いかにも、お、お高そうなお肉ですね……」

 ビクビクする雛鶴が肉をこわごわ覗き込む。

「襲っては来ないから安心しろ」

 襲ってくるとしたら原見の方だが、段階としては肉を奪いに来る場合であるから、まだ今ではない。

 獣か原見。

「ニンニクを炒めた油でお肉を焼くと、お肉の臭みが抜けて、良い風味が付くんだよ」

 獣ではないことの証明として、唐突に肉の講釈をたれる原見に、へぇと雛鶴が素直に頷いた。

 ちなみに、特にオチはないらしい。


 ニンニクの焼ける香ばしい匂いに食欲をそそられた後。

 遂に、肉が鉄板の上で焼かれ、原見が俺と雛鶴にハイタッチしてきた。


 ちなみに、途中、旬の焼き野菜なども来るは来たのだが、大体、サラダと同じ展開だった為、自主的に割愛した。

 いや、美味いは美味かったけどな、焼き野菜。

 なんか、チンゲンサイ的なものとか、しいたけ的なものとか。

 雛鶴なんかは、『お野菜ひとつでもこんな美味しかったりするんですね』と言っていたが、原見はもう全く見向きもしないで虚無を食っているぐらいの態度だったので、シェフがキレるんじゃないかとちょっと心配になるレベルだった。


 しかしまあ、肉が焼かれ始めて、良質の脂とタンパク質の焦げる、この世の最高峰の香りが漂ってきて、原見が恋する少女みたいな感じになってきたので、シェフも恐らく溜飲を下げたに違いあるまい。

 肉の一挙手一投足を見逃すまいとする原見の前で、シェフがなんか、金色のドーム状の物体を肉に被せる。

 肉の一挙手一投足って意味分からんけどな。

 シェフの一挙手一投足には、原見は特に興味ないみたい。

「心憎いね」

「なにがですか……?」

 うっひょーという感じでウインクしてくる原見に、訳が分からんとばかりに雛鶴が額に汗を浮かべた。

「一旦隠すことで我々の高揚感を増幅させる作戦だよ!」

「蒸し焼きにする為なんじゃないんですか?」

「素人はそこ止まりだよね」

 ドヤ顔の原見。

 なんだ、お前はプロなのか。

「原見プロはさー」

「え、私、何のプロ?」

「蒸し焼きだよ?」

「餃子屋さんだよぅ!!」

 餃子も肉の一種なので、原見は妙に嬉しそう。


 何故か鉄板焼き屋に来て餃子の話をする一団がいるらしいが、そんなことを余所に、両面の表面にこんがりと焼き色が付いたところで、シェフは肉を半分に切る。

 切られた肉が横にされると……。

「断面!!」

 原見が少年漫画の剣技の必殺技を叫ぶ人みたいになった。

 俺の微妙なリアクションから、心を読んだのか、雛鶴が苦笑しつつもテンション高めに口を開く。

「でも、言いたくなるの分かります! 綺麗⌇⌇⌇に層になってますもん、お肉!」

 焼かれている両面の端っこ、焼き目の付いた部分。

 その少し内側、火が通って色の変わっている部分。

 そこからミディアムレアなピンクのグラデーションを経て、レアっぽい色をした肉の一番内側の部分。

「芸術的だね! モナリザ界のシャトーブリアンだね!!」

「狭い世界来たな……」

「モナリザ界、基本的にモナリザしかいませんよね?」

 あと、モナリザ関係なくシャトーブリアンだけどな……。


 そこで。

 では……、と、シェフがニヤリと笑う。

「「「?」」」

 俺達の疑問に答えるように、シェフは酒瓶を取り出した。

「写真を撮るなら、準備して下さい。行きますよ」

 シェフに言われるがままに、各々スマホを構える。

 ……と。

 酒瓶と火をつけたマッチ棒を構えたシェフが、肉に酒瓶の中身を注ぎ、そこへ火を近づけた。

 その瞬間。

 ぶわっ!!

 と鉄板の上で炎が上がる。

「フランベ!!」

 原見がゲームキャラクターの愛機のロボの名前を叫ぶ人みたいになった。

 天井近くまで立ち上ったオレンジの綺麗な炎柱を、反射的にパシャパシャとスマホで撮影する。

 雛鶴は動画撮影しているようだ。


 フランベ。


「フランベっていうのは、アルコールの強い酒を振りかけて着火して、一気にアルコール分を飛ばす調理法で、香り付けに使う方法なんだよ。旨みを閉じ込める意味もあるらしいね。お肉だとブランデーを使うことが多いんだよね」

 原見が解説をしてくれる。

「鉄板焼きの華、って感じだね〜」

「嬉しそうだな、原見……」

「……」

 一方。

 雛鶴は目をまん丸にして、フランベを見つめていて、一瞬の炎が静まっても、動画撮りっぱなし状態になっている。

 そして。

 ふるふると震える手でエプロンをゆっくり引き上げ、目だけ出してこちらを見てきた。

「お前は火を恐れる原始人か……」

「……これが……これが、3万4000円の炎」

 あー、思い出しちゃったかー、値段。

 ぶるぶると震えながら、『3万4000円だと燃えてやばいです』とハンドサインだけで会話をしてこようとする雛鶴だ。

「いや、9000円でも多分燃えてたぞ?」

「???」

 なんか、違うことをハンドサインで伝えようとしていたみたい。

 分かんねえよ、ハンドサイン……。


 などと、アホな会話を前にして、シェフは冷静に肉を切り分け、俺たちの前に置かれた皿に、それらが置かれる。

「着皿!!」

 原見が変身する特撮ヒーローみたいになった。

「どう見ても見るからに美味しそうな、もう美味しいに決まってるビジュアルのお肉を焼いた物体」

 原見が俺の台詞を代弁してくれる。

「それに添えられたパリッと焼かれたニンニクチップ」

 うっとりと恋する乙女の瞳になる原見。

「もうこの2つだけでいいよね。ううん、この2つだけがいい」

 もうお前のコメントだけでいいんじゃねえかな……。

 俺のコメントいる?

「特製タレ、塩わさび、おろしポン酢でお召し上がり下さい」

「塩わさび!! 脂の載った良いお肉はまず塩わさびだよ!!」

 シェフの台詞に食い気味で原見が言う。

 原見が言うからには、という感じで、まずは、と雛鶴がわさびと塩を付けて、熱々の肉を口に運ぶ。

「……」

「……」

「……」

 一瞬の沈黙。

 ……の後。

「⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇⌇っ!!」

 声にならない叫び声を上げる雛鶴。


「ウマ!! コレ! ウマイ! オマエラ、モ、クエ!!」

「完全に原始人になってんな……」

 不完全に原始人になった場合は、腕には腕時計の跡がある。

「クエ! クエ!!」

 原始人が何か怖くなってきたので、俺と原見もわさびと塩を付けて、肉をむしゃりと食べた。

「……」

「……」

「……」

 一瞬の沈黙。

 ……の後。

「ウマ!!」

「ウマ! ウマウマ!!」

「先輩たちも原始人になってるじゃないですか……」

 止まらない感じで更に、もう一切れ。

「美っっっっっ味───────いっ!!」

「お、美味しい……美味しすぎます……!!」

「いい……」

 三者三様のリアクションだが、俺も、雛鶴も、原見も、それぞれ肉の美味さに強かに打ちのめされていた。

「何ですか! これ! お肉! 溶けます!」

 と言う雛鶴がくにゃくにゃした動きになっている。

「お前が溶けかけてんぞ……」

「あははははは、やばいです! 脂と一緒に溶けそう!」

 きゃらきゃらと笑う雛鶴。


 しばらくそうして笑って。


 笑って。


 笑って。


 はたと、その笑顔が陰る。


「……」

 そして、少し俯き加減になってから、ため息を吐くようにゆっくりゆっくりと言葉を漏らす。

「……誰かといて」

 その瞳の奥には具体的な誰かがいるように思えた。

「こんな風に笑うの」

 笑った自分を、自分の中の異質なもののと、雛鶴は捉えている。

 そう感じたのは、雛鶴の囁き声と、声を発する表情に、彼女の感情が透けて見えたからに他ならない。

「こんなに笑うの、久しぶり、です」

 呟く笑顔は、けれど、先程とは違い、何だか寂しそう、だった。

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