第1章・前編(2)
話が大幅に逸れた。
俺は話が大幅に逸れるのが好きだからな。
それはさておき、高級鉄板焼きだ。
フロアに着くや否や、店員のお姉さんがスッと寄ってきたので、何と説明したものかな……?と思いながら、話しかける。
「あのー、実は俺たち……」
「事情は伺っております、美澄様ですね」
「バレてる!!」
「何で悪事を働いた風の驚きなんですか……」
俺がショックを受けていると、雛鶴が冷ややかに俺に言う。
「ていうか、あのジジイ、事情を店に話してあるのか、正気か」
どう考えても、控えめに言って話を持ちかけた時点で、頭おかしいと思われると思うんだが……。
と思考する俺の頭の中を読んだかのように、原見がポンと俺の肩を叩く。
「そこを敢えて……、敢えて引き受ける。それが、お肉を扱う者の度量の広さだよ」
「いや、肉関係ねえだろ」
「お肉は関係するよ!! 何にでも関係するんだよ!! 万物の根源はお肉なんだよ!!」
「お前はソクラテスか何かか」
ともあれ、事情を聞いている割には普通にニコニコして迎え入れるプロフェッショナルな店員さんに導かれ、エレベータ前から、席の方へと移動していく。
……と。
「おお……!」
思わず、声を出してしまうぐらいの光景が広がっていた。
ガラス窓の向こう側には、真っ直ぐ伸びる、秋葉原のメインストリート・中央通りがずっと向こうの方まで見える。
その眺めの良さは、この街を知る人間である程、ちょっとした感動を禁じ得ない。
それぐらいの眺めの良さがまず1番目にインパクトを食らわせ、次に、エレベータ前から続く落ち着いた内装のラグジュアリー感が更なるインパクトを食らわせる。
それらのインパクトに気圧され、雛鶴などは完全に腰が引けている。
多分、これ以上引くと腰が砕ける。
「あの……やっぱり、私、帰……」
「すげえな!! 無茶苦茶テンション上がるなこれ!!」
一方の俺はといえば、ロケーションの良さにテンションが鰻登りだ。
しかも、こんなに腰が引けている人間が随伴していると分かると、更にやる気が出てくる種類の人類だからな、俺は。
「よっしゃ! 鉄板ぺろぺろするぐらい味わい尽くすぞ!」
「だから、何の拷問ですか、それは……」
異常な乗り気を見せる俺に、何故か雛鶴はドン引きである。
そんな俺らを余所に、原見は原見で爛々とした瞳でスクワットをしていて、何を始める気なんだろうな、こいつは……?
三者三様の俺たちに、店員さんは『特等席ですよ、どうぞ』と一番見晴らしの良い席に案内してくれる。
コの字型をした分厚いテーブル。
その中央には、年代を感じさせながらも丁寧にぴかぴかに磨き上げられ、大事に受け継がれたことが素人目にも分かる、風格のある鉄板が鎮座している。
それを囲むように並ぶ椅子も、がっしりとした造りのどっしりとした安定感と豪華さを醸し出していた。
椅子を引かれて、座るように促され、銘々が着席する。
そして、メニューを渡されて告げられた。
「お飲み物、お決まりになりましたら、お呼び下さい」
「ハンバーグで」
「ハンバーグは……」
即答した原見に、店員さんが心底当惑する。
「ウーロン茶3つで」
放置すると、ハンバーグ飲み物論争が始まるので、会話をインターセプトして、俺自らがささっと飲み物を注文した。
「お食事は、メニューのこちらの方で、コースを選んで頂きます」
と、めくられたメニューを見つめる俺達。
そこに綴られた写真と文字列と数字──。
『ステーキコース』
国産牛ヒレ 200g ¥14,000
黒毛和牛 150g ¥17,000
黒毛和牛シャトーブリアン 200g ¥20,000
A5ランク黒毛和牛 200g ¥23,000
そして……。
「『A5ランク黒毛和牛シャトーブリアン 200g ¥29,000』!!!!!!!」
雛鶴が叫んで気を失った。
「おい、雛鶴、起きろ。今寝たら、置いて行かれて、勘定お前持ちになって食った分払いきるまで皿洗いさせられるぞ」
「はっ!?」
耳元で囁くと、雛鶴は失神状態から復帰した。
「あははははは、変な夢を見てしまいました」
現実逃避してんな……。
そして、再び現実という名のメニュー表を見て、無言で涙目になって俺の方を睨んできた。
「いや、俺に凄まれてもな……」
「このメニューを、どう責任取るつもりなんですか、先輩!」
「俺の責任でメニュー表が作成された訳ではない。あと、鉄板焼き選んだの、お前だからな?」
「ああ───────────っ!! もっとよく考えてお店選べば良かった……っ!!」
頭を抱えて雛鶴がクネクネし始めた。そんなにか。
「2人とも、ちょっと静かにして」
冷静に原見に怒られた。
確かにちょっと騒ぎすぎたな。
はしゃぎすぎというか……。
「真剣にお肉に向き合って、オーダー決めないと、殺すよ?」
冷静に原見に殺される。
ある意味、一番冷静にはしゃいでいるのは、原見だな……。
原見に殺されると嫌なので、改めてメニューを見る。
「一番お安いコースでも、きゅうせんえん……」
白目をむく雛鶴だが、しかし……。
「落ち着け、どうせ、俺らが払う訳じゃないぞ」
「そ、それはそうなんですけど……」
まあ、値段が値段だからな……ビビるのも無理はないが。
「あ、そ、そうだ……そうですよ。よくよく考えたら、もっとリーズナブルなコースが別にあるんですよ、そうですよ、そうに違いありません」
自分に言い聞かせるようにする雛鶴が、うんうん頷きながら、ページをめくる。
……と。
『ステーキ&活オマール海老コース』
国産牛ヒレ 200g ¥19,000
黒毛和牛 150g ¥22,000
黒毛和牛シャトーブリアン 200g ¥25,000
A5ランク黒毛和牛 200g ¥28,000
そして……。
「『A5ランク黒毛和牛シャトーブリアン 200g ¥34,000』!!!!!!!」
雛鶴が叫んで泡を吹いて気を失った。
「落ち着いて、藤間さん!」
「はっ!?」
原見に鋭い声で諭され、雛鶴がハッと我に返る。
「そ、そうですよね、まだ、メニューを全部見た訳じゃないですもんね」
「違うよ、海老なんかどうでもいいから、その辺のメニューはあってなきが如しなんだよ」
「海老なんか言うな」
お高いオマール海老様に対して、何と言う口の利き方かと思ったが、原見に言うと、肉と海老のカースト制度ランキング具合に関して小一時間説き伏せられるので、言うのをやめた。
「海老? なにそれ美味しいの? って感じだよ」
「そりゃ美味しいんだろ……オマールだし」
「鉄板焼きに来て海老とか、お肉に対する冒涜だよ」
「いや、メニューにあるんだし、海老食う人もいるだろ……いいじゃねえか、その辺は好き好きだし……アワビとか出てくる店もあるんだろ?」
「知らないよ、海産物風情のことなんて」
「風情言うな……」
何故か喧嘩腰気味の原見とのやりとりは疲れるな……。
「シーフードコースとかもありますね……1万5800円ですけど……」
「しっ! 雛鶴、今、海産物風情の話をするな。消されるぞ」
「先輩も風情とか言ってるじゃないですか……」
しかし、まあ、そうすると、ステーキコースを頼むってことになる訳だが……。
「……」
メニューと睨めっこをしてうんうん唸る雛鶴を眺めることしばし。
ばたむ!!と雛鶴が力強くメニューを閉じる。
「もやし(500円)で!!」
「……」
カッ!!
と目を見開いた原見が、(●)(●)こんな感じでジッと雛鶴を見つめてきた。
「……」
「こ、怖いです怖いです……!! 美澄先輩、何とかして下さい……っ!!」
「……え? ああ、なんだ、死にたいのかと思った。原見に瞬間的に焼けた鉄板に押しつけられないだけ有情だぞ、お前」
「こわい」
学生だけの集団はさぞかし珍しいのだろう。
様子を窺っていた店員さんが、苦笑して言う。
「あの、お客様、単品だけのご注文は承っておりませんので……」
「そうだよ、今度注文したら、焼くよ?」
「こわい」
目が据わっている原見から、雛鶴が若干の距離を取った。
「だから、肉で人が変わってる原見に迂闊なことを言うなとあれほど……」
「人が変わりすぎじゃないですか……!?」
「基本的に、殺人傭兵団の鬼軍曹か、殺戮マッドモンスター集団のベテランシリアルキラーみたいになるから気をつけろよ?」
「なんでそんなことに!?」
『魚を食ったり野菜を食ったり出来なくしてやる』とか言われるからな……。
もやしが却下された為、うーんと再度唸る雛鶴。
やや時間を置き、若干目を逸らしつつ、おっかなびっくりという感じに雛鶴はメニューを指さす。
「あ、あの……私、この、お子様鉄板ハンバーグセットで……」
1800円か。
「申し訳ありません、お客様、そちら、お子様だけのメニューでして……」
「雛鶴お前、そのおっぱいでお子様ハンバーグは無理だろ……」
「……っ!!」
瞬時に顔が真っ赤になった雛鶴に、キッ!!と激しく睨まれて、その勢いでおっぱいが横にぼいんっと揺れた。
「雛鶴、お前、色々動揺しすぎだろ」
学生だけで来るには、中学生にはこのロケーションと値段は確かにセンシティブな内容を含んではいるが。
……んん? 待てよ? よく見たら、キッズメニュー、これ15歳までOKだ……度量が広いな、肉の万世……。
一応、雛鶴、こいつ、14歳とかだったから行けると言えばいける……いけるが……店の人も多分高校生だろうと思ったぐらいだからな……。
だが、しかし、このおっぱいでキッズを名乗らせてキッズメニュー食わせるのは犯罪めいたアトモスフィアすら感じる……本人は気づいていないようだし、ここは黙っておこう。
「だって、値段ヤバイですよ!? 怖いし!! 何ですか、2万とか3万って!? 何が出てくるっていうんですか!?」
「肉だろ」
「お肉だよ」
当初のキャラが崩壊しつつある雛鶴に、俺と原見が冷静に告げる。
「そもそも、もやしだって500円ですよ!? 500円!? どんだけ出てくるんですか!? スーパーで一袋特売10円ですよ!? 50袋ですか!? 箱で出てくるつもりですか!?」
「いや、もやしの腹づもりなんか分からねえよ……」
エキサイティングしてんな、雛鶴。
「つーか、もやしが安すぎてもやし業者が廃業に追い込まれる問題が発生してるんだから、もやしだって高くもなるだろ」
「そーゆー問題じゃないんですよ!!」
何で分からないのかと、くねくねする雛鶴。
……と。
「ねえ」
不意に原見が冷たい声を出す。
「鉄板焼きに来て──、お肉のメニューを前にしてー」
原見の目が人殺しの目だ。
「──なにさっきからもやしの話してるの? 舐めてるの? 殺すよ?」
「すみませーん、ステーキ&オマール海老コース・A5ランク黒毛和牛シャトーブリアン200gを3つでー」
素早く俺自ら注文をした。
その横で、雛鶴は泡を吹いて失神していた。(15分ぶり2度目)
店員さんは、そんな激反応を微笑ましく見つめつつ、注文を通す。
「かしこまりました。ステーキ&オマール海老コース、シャトーブリアン3人様で」
微笑んでいるというよりは、苦笑いかもしれない。
と、気を失っていた雛鶴が、ハッと意識を取り戻す。
「3まん4000えん! かける! 3! おわる!!」
「大丈夫か? 壊れたラッパーみたいになってんぞ?」
「だって、全部でじゅじゅじゅじゅじゅ、じゅうまんにせん円まんえんですよ!?」
「黒烏龍茶3つ頼んだから、1980円プラスだぞ?」
「キィ!!」
雛鶴が壊れたロボみたいになってきた。
「もう値段のことは気にするな、胃に悪いぞ。どうせ、爺さんが出してくれるんだし
さ……」
良い人風なことを言ってみた。
良い人風言うな。
「そうわおっしゃいますけれども!! けれども─────!!」
……なんかもう、目がグルグルし始めてる。
もはや、そっとしておいた方がいいのかもしれんな……。
あとさっきから、原見が『海老いらねえ』という顔をしている。
お店の手前、流石に顔に出す程度で留めているが。
「海老いらねえ」
原見がお店の手前、流石に口に出す程度で留めているが。
口に出してんじゃねえか。