第1章・前編(1)
当日。
普通の平日だったので、教室を出ようとしたところで、アプリからの当日連絡が入る。
「マジか……」
一定程度、行く気ではあったが、9割ぐらい本当に連絡が来るとは信じていなかったので、非常に驚いた。それはほぼ行く気ないやつだな?
実際、連絡来た今ですら、無茶苦茶胡散臭い気持ちであって、ほぼ信じてないとも言える。
だが、連絡が来てしまった以上は、仕方なく原見に声をかけ、学校帰りに指定された秋葉原の電気街口に赴く。
「相手の子、どんな子なんだろうね? ドキドキするよぅ」
「なんでお前がドキドキするんだ……超音波検査するか?」
「甲状腺疾患じゃないよぅ!」
バセドウ病かもしれん。
とか、病院の年寄りの会合のような病気話をしながら、アプリ指定の場所に辿り着く。
……と。
一見して、周囲に纏う空気が違うことが分かる。
美しさ。
清楚さ。
可憐さ。
淑やかさ。
それらを全て備えることで生まれる、強く激しい『存在感』──。
そこに佇む少女には、それがあった。
乱れることなく几帳面なほどに切りそろえられた黒髪。
天使の彫像のように整った顔立ち。
セーラー服から長くすらりとした伸びやかな四肢と、僅かに覗く手の甲の印象的な目映い白い肌。
それと対照的な伏し目がちな、深い濃い黒い……寂しい瞳。
周囲から切り離されたような神秘的な雰囲気に、臆さない者はいないだろう。
「よぉ、お前が例の一緒にメシを食いに行くJCか」
俺だって、こんな感じにおっかなびっくりで声をかける始末だ。
「……」
「何で防犯ブザー握りしめてんの?」
「不審人物が来ると思っていたので」
「不審人物が来ると思ってたのに待ってたのか」
不審人物は不審だというのに。
「……頼まれたんです」
JCは不満げに呟いた。
「未来の自分だっていうお婆さんに」
「そんなアホな話に乗せられてきたのか……アホだな」
「渚ちゃんが言うことじゃないよ……」
俺の背中の向こうの方から、原見が呆れた声を出した。
呆れた汁を出すと、ビシャビシャになるし、女子としてどうだろう?みたいな感じになるから、やむないことだと言えよう。
呆れた汁は、脇とかから出るからな。
それはひょっとしたら脇汗かもしれん。
「……まあ、自分でも馬鹿げていると思ってはいますが、お婆さんが……あまりに必死だったので」
ふぅん。
「……良い奴だな、JC。俺がメシでも奢ってやろう」
「お金を出すの、渚ちゃんじゃないけどねー」
「五月蠅いな、原見……」
良い奴と言われたのが照れくさかったのか、陶磁器のように白いJCの頬が少し赤く染まる。
「別に、良いとか悪いとか、そんなのでは……。『アプリの連絡の場所にいって、その人とご飯を食べてきなさい。そうすれば、未来への道は開かれるわ。行かなければ、高校に落ちる』と言われたので」
「普通に脅迫じゃねえか」
というか、それでのこのこ来ちゃうのも可愛いもんではあるが。
「てっきり、脂ぎったおじさんが来て、妖しいお店に連れて行かれるんだと思って、わたしが一歩歩く度に、身体中の毛穴という毛穴から防犯ブザーが鳴り響くようにセットしてありますから」
毛穴から鳴るのか。
本当にお前は地球人類か。
「でも、まさか、普通の男の人……というか、美少年が女性連れで来るとは予想外でした。チャラ過ぎて別の意味でドン引きです」
「可愛い顔して、意外と毒舌だな……。俺はこんなにも爽やかな美少年だというのに」
「爽やかな美少年は自分で爽やかな美少年とか言いません」
「言うわ! メッチャ言うわ! 何だったら、一歩歩く毎に言うわ!!」
と、俺たちの言い合いを見かねたらしき原見が苦笑を浮かべて会話に割って入ってくる。
「一歩歩く度に隣の女の子の防犯ブザーが鳴って『爽やかな美少年』って言う人は、既に爽やかな美少年とは違う属性の生き物だよね……。……ね、それよりも、ご飯を食べに行くんじゃないのぉ?」
「そういえば、そんなこともあったかもしれん」
原見は何とも言い難い距離感の俺とJCの間に物理的に割って入って、えへへと小動物スマイルを浮かべる。
割って入るのが好きなのかな?
「ごめんね、変なお兄さんで。この人は、美澄渚。変わってるけど悪い人じゃないんだよ。変わってるけど。とても変わってるけど。それはそれは変わってるけど」
変わってる変わってる言うな。
体表の色が次々に変わる生命体みたいではないか、俺が。
気持ち悪い生き物だな。
「それで、私は原見桃。渚ちゃんの幼馴染みで、今日は付き添いなの。渚ちゃんは……その……放っておくと、心配な人だから……色々な意味で」
「なるほど……」
原見のふわふわな雰囲気に騙されたらしきJCが、ちょっとだけ刺々しい態度を解いて、軽くだけ頭を下げる。
「
「そっかぁ。私達は2人とも高2なんだよ」
「では、先輩とお呼びしますね」
「うんうん」
「よし! じゃあ、自己紹介も終わったところで、早速、メシ食いに行くか!」
「……ところで、何を食べに行くの?」
ふわふわした感じで原見が聞いてくる。
コイツは大体いつもふわふわしている。
年下の雛鶴の方が地に足が着いている感じだ。
そこへいくと、俺などは削り取った足下の大地ごとふわふわしている人間と言われるので、ビジュアル的には重力系異能力者に近い。
「何を食うかはアプリに知らせてある中から雛鶴が選ぶことになってるな」
「初対面の女子の名前をいきなり呼び捨てとか、やっぱりちょっとチャラいですね……」
やはり毒舌だな、雛鶴……。
「大丈夫だ、幼馴染みの原見を苗字呼び捨てしていることで分かるように、最初は距離感激近だが、仲良くなるに従って段々呼び方を疎遠な感じにしていくぞ?」
「メチャクチャ感じ悪いですね!?」
ビジュアルが感じ良すぎるので、言動でバランスを取らないといかんのだ。
「で? 何食うって?」
「え……そ、そうですね……。じゃあ……」
と、雛鶴がスマホを手に、アプリにリストアップされている店をスクロールさせて、う〜んと唸り、それを俺と原見が覗き込む。
「じゃあ……この、鉄板焼き、で」
指さす雛鶴に『ほう』と言いかけた俺の顔をぐにゃりと押しのけ──。
「お肉だね!!」
──原見が叫ぶ。
肉が食える。
そう発覚した瞬間から原見が反応するまでの時間、僅か0・000001秒。
「早く行くよ!! お肉を食べに!!」
声からゆるふわ要素が完全に消えただけではなく、人相が変わった原見に、雛鶴がドン引きで、俺に救いを求める視線を送ってくる。
そして、俺は……。
初対面の人にとっては衝撃的な、しかし、俺にとってはちょいちょい出くわす出来事の解説をせねばなるまい。
「原見は……、原見桃という人間は……」
原見桃は、その風貌と普段の言動とは裏腹に、恐ろしいまでの肉食女子だ。
この場合の肉食女子というのは、性的な意味では全くなく、食事的な意味での肉食だ。
肉大好きや肉至上主義などという生やさしいものではない。
肉の為に、他人の命を賭けることに躊躇しない。
そういう他に類を見ない肉の化身、それが原見桃なのだ。
一説には、生まれて最初に発した言葉が『ロース』だったと言われる程である。
説明を終えると、俺は大きくため息を吐く。
「ああ、お肉が好きなんですね」
「……」
大体こんな感じの冷めたリアクションが待っているからだ。
「分かっていないようだから付け加えると、原見は『主食は焼き肉』『ハンバーグは飲み物』『牛丼で乾杯』『身体は唐揚げ、頭脳は豚カツ』と言い放つとも言われるレベルの肉の帝王だ」
「……」
まだ信じてない感じだな……雛鶴。
「何してるの、2人とも! ぐずぐずして! 鉄板焼きを舐めてると焼かれるよ!!」
「熱した鉄板だからな……」
人タン焼きになってしまう。
「ほれ、雛鶴。原見に肉と一緒に鉄板で焼かれる前に、行くぞ」
「は、はい……」
完全に先陣を切って進んでいく原見に続いて、店の方へと俺と雛鶴も小走りに駆けていく。
……のだが。
『家族以外の誰かと一緒にご飯、か』
と、ほんの小さな呟きが、囁きが、独り言が──。
雛鶴から聞こえた気がして──。
ふと、見下ろした隣の少女の表情は──。
──一瞬、ほのかな哀しさが宿っていたような、そんな気がした。
「何ですか、先輩? 人の顔をじろじろ見て……ロリコンですか」
「お前の育ちっぷりでロリは無理だろ……」
毒舌を放つ雛鶴の、過剰に育ったおっぱいに視線を落とした瞬間、雛鶴が大量虐殺者みたいな面構えになったので、少量虐殺者に留めるため、俺は目を逸らして店に歩を進めた。
──秋葉原にそびえ立つ肉の塔。
この街を訪れる者で、知らぬ者はない、七十年を超える店構えの貫禄。
秋葉原における肉の要石、それが『肉の
神田川を渡る万世橋の袂から見える、ビル最上階に燦然と輝く『万世』のロゴと牛さんのマーク。
普通のビルとは一線を画す威厳がそこにはある。
不思議と楽しげな雰囲気の1階をテクテクと奥へ進み、2基あるエレベータの1つに乗り込むと、闘気を身にまとった原見が、不意に口を開いた。
「秋葉原肉タワー」
「……?」
急に原見が変な単語を言い放ったので、雛鶴が怪訝そうに顔を上げる。
「地下1階ビアホール、1階カツサンド、2階ステーキハウス、3・4階ハンバーグステーキしゃぶしゃぶビーフシチューすきやきetc,etc洋食、5階焼き肉、7階懐石料理、そして、最上階10階鉄板焼き──」
エレベータの階数表示を指さしながら、原見が呟く。
「お肉を食べる者ならば、全フロア制覇したい夢の塔。けれど、上の階に行くに従って、お料理の値段は上がっていき……」
その時、小さな音と共にエレベータの扉が開いて──。
「最上階ともなると、そのお高さは最高潮に達するよ」(※渚・注 2020年6月現在、肉の万世秋葉原本店は1階から5階までの営業となっております。我々の訪問当時の10階まで営業時の雰囲気をお感じ下さい。営業階はどうあれ、美味しいお肉が食べられます。突然敬語になると人々はドキドキする、俺もドキドキする)
ラグジュアリー感がダダ漏れている雰囲気の店の雰囲気に、思わず、扉の閉じるボタンを押そうとした雛鶴の手を、ぐわし!と原見がつかむ。
「なに鉄板焼き食べずに帰ろうとしてるの? 潰すよ?」
「え、こわい、なんで!? さっきまでゆるふわしてたのに……!?」
「だから、原見は肉が絡むと人が変わると言っておるだろうが」
そのまま半ば放り出されるように、原見によってエレベータの外に押し出された雛鶴が、動揺した声を出す。
「と、というか、ててててて、鉄板焼きというのは、なんかお好み焼きとか出して来るようなお店じゃないんですか!?」
声が震えまくっとる……完全にプレミアム感に気持ちで負けてるな……。
しかし……。
半泣きで両手をバタバタさせる様子を見ていて思う。
やはり、藤間雛鶴って女の子は、さっき一瞬魅せたような陰のある顔が本質じゃない。
多分、きっと……今はしゃいでいるテンションが彼女の本当の姿なんだろう。
そう思うと、雛鶴の陰を払ってやりたいな、という気にもなる……が、余計なお世話ってやつだろうな。
……ただ、俺という奴は、余計なことをするなと言われると、余計なことをしたくてたまらなくなる性分でな。
たとえば、近所の老人ホームの慰問で、『僕は幽霊だよ。他の人には見えてないんだ。実はお母さんが昔作ってくれたバナナジュースの味が忘れられなくて成仏出来ないんだ』とあちこちのご老人に言って回りたい欲望にかられ、先生に相談したら『お前、そういう余計なこと絶対やるなよ!!』と厳しく釘を刺された為、ウキウキしながら実行して、後日、その老人ホームで未曾有のバナナジュース量産お供え事件が起こったと聞く。(バナナジュースは俺が責任を持って美味しく頂きました)