シーン1 派遣カップル始めました その7

「そっか、鳴瀬くん、彼女いたことないんだ」

「あの、あんまり何度も言わないでほしい……」

「あ、ごめんね、ついうれしくなっちゃって。……変な意味じゃなくてね? 私、彼女ってなったことがないから、経験不足で迷惑をかけたらどうしようって思ってたんだけど、お互い初めて同士だって思ったら少し気が楽になって」

 それを聞いて、俺は再度固まる。……なんか自分が恥ずかしくなってきた。

「ほら何やってんの鳴瀬くん、ボーッとしてないで次だよ次ー」

 そんな状態で練習を再開しろと言われたので、俺はマニュアルの基本姿勢③にある通り比奈森さんの肩をそっと抱き寄せたが、さっき以上に意識してしまってものすごくぎこちない動きになってしまった。

 比奈森さんの髪がふわりと揺れてかすかに甘い香りが漂ってくるし、比奈森さんは俺の肩に頭をそっと置いてさらに密着度も上がるし。……ううう。

「はーやれやれ、ガッチガチじゃないかきみー……」

 所長はそんな俺を見て、本当にやれやれとばかりに首を振る。

 自分でもわかってるだけに、そのダメ出しはキツかった。マジで俺、情けない……。

「す、すいません。やっぱ俺、演技の才能がないから……」

「おいおいなに言ってるんだい。きみは私に才能を見出されてここにいるんだぞ」

 つい弱気な言葉を漏らす俺に、所長は今までと違った真剣な顔になる。

「私を信じなさい。きみには確かに才能があるよ。できないならできるようになるまで私がみっちりしごいてあげるさ。私は見込みのないやつに無駄な時間など使わないからね。それにきみは霧島公平に憧れてるんだろう? だったら音を上げてる場合じゃないよ。なにせ公平もこれと同じ練習をしてたんだから」

「え、そうなんですか!?」

「そうさ。私がここであいつをみっちりしごいてやったんだよ。そのおかげもあって、あいつは今や一流俳優だ。同じ場所に立ってるんだから、へこたれてるんじゃないぞ」

「は、はい」

「きみが上手く演じられないのは変に役を理解し過ぎようとするせいなんだけど、それは決して弱点じゃないよ。とにかくもう一度言うが、私を信じてついてきなさい」

「はい!」

 気づけば俺は、自分でも不思議なくらい力強い返事をしていた。

 才能があるという一言、霧島公平も同じ練習をしていたという事実、そして俺の弱点への理解など、所長の言葉は全て俺を勇気づけてくれて、心の中に熱いものが生まれる。

 実のところ、勢いで契約をしてしまったものの本当にここでの活動で成長できるのだろうかと少し心配だったんだ。ほら、所長はなんかあんな感じで適当というか大雑把だし。

 でも、そんな気持ちも今ので綺麗に吹っ飛んでしまった。

 ……所長はしっかりと俺を見てくれているんだ。

 所長、俺は所長を信じてずっとついて行きますから、よろしくお願いします!

「ふー……、じゃあそういうことで、続きをやっていこうかー」

俺が内心そう宣言していると、所長はまたすぐにもとのダルダルな感じへと戻った。

「いいかい鳴瀬くん、きみはちょっとシャイなところがあるから、もっとこう欲望を全面に出すんだよー。いっそ『は、初めての彼女ハァハァ……!』みたいな思い切ったテンションでいった方がいいねー。じゃあ基本姿勢を続けてどんどんやっていこうか―」

「は、はい……」

 そしてそんなちょっとアレなアドバイス(?)をしてきたので、せっかく固まった所長への信頼が早くもちょっとグラリと揺らぐ。

 ……い、いや、ようするに恥ずかしがるなってことだ。とにかくこれは練習で、カップルもイチャイチャも演技なんだから、意識せずにやるしかない……!

 俺は無理矢理そう解釈して再びマニュアルを見る。すると基本姿勢④は彼女の頭をナデナデ、⑤はお互いにハグ、⑥はおでこをくっつけあって見つめ合う、とあった。

 もうその字面だけで(図解もあるが)頭がクラクラしそうになる。

 だが俺は、それでもとりあえずやるしかないと実行に移す。これは演技これは演技と頭の中で繰り返しながら、とにかく無心でやっていった。

 ナデナデでは、比奈森さんのサラサラの髪と甘い匂いに激しい動悸がして、

 ハグでは、俺の腕の中から上目遣いでこちらを見つめる比奈森さんに悶え、

 至近距離で見つめ合った時は、比奈森さんの瞳に吸い込まれそうな錯覚を陥った。

 とはいえ、それでも俺はなんとか全部やり切ったのだが、

「うーん、なんか雰囲気が固いなぁ。もっとイチャイチャ感を出さないとカップルっぽく見えないよきみー。特に鳴瀬くん」

 と、所長から名指しでダメ出しをくらってしまった。

 だが俺はもう度重なる比奈森さんとの接触でそれどころじゃなかった。ただでさえ女の子に免疫がないのに、相手が比奈森さんみたいな可愛い子なんだからたまらない。

「鳴瀬くん大丈夫? なんだか顔がすごい真っ赤だよ?」

 そう言って俺の額に手を当てて熱を測ろうとする比奈森さんだったが、俺は慌ててブンブンと頭を振って逃れた。今そんなことをされたら余計ひどいことになる。

「だ、大丈夫。それより、もし緊張しないコツとかがあったら教えてほしいかな」

「え? コツって言われても、私は普通にやってるだけだよ?」

 ……いや、その普通にできてるってのがもう既にスゴいことなんですがね。

 咄嗟の質問にキョトンとした顔で答える比奈森さんに、心の中でそう呟く俺。

「あ、でも、彼氏役が必要だって思った時から、ある程度はこういうことを想定してたっていうのはあるかな。カップルだったらこんなこともするよねって感じで。だから、そういう意味では心構えがちょっとはできてたのかもしれないね」

 だが続けて、そんなことをサラリと言ってのける。さっきから比奈森さんが平然と演技しているように見えるのは、そういった心構えができていたからか。

 ……ようするに、比奈森さんはちゃんと全て演技だと割り切ってやってたってことだ。

 なのに俺は経験者だってのに取り乱して……。比奈森さんの方がよっぽど肝が据わってるじゃないか。……くそ、俺も見習わないと。

「動きが止まってるぞー。早く続きをするんだよきみー」  

 比奈森さんの言う通り、俺もカップルならこれくらい当然といった心構えでやらないといけないんだ。そう考え、俺は所長に促されながらマニュアルの次の項目を見た。

「…………っ!?」

 だが次の瞬間、俺はピシリと固まってしまった。

 というのも、次の項目――基本姿勢その⑦に描かれていたのは、カップルがお互いの唇と唇を合わせているイラスト――いわゆるキスシーンだったからだ。

 ……って、き、キス!? キスをしろと!? 今ここで、比奈森さんと!?

 いや、確かにカップルならキスくらい普通のことだ。誰かに見せるのが目的となればなおさら当然の行為なのかもしれない。

 ……けど、けど……! さすがにこれは、い、いいのか!?

 カップルとしては当たり前のことだけど、俺達は本当はカップルじゃないわけで!

 いやでも、カップル役としても当たり前のことか……? ほら、男女がテーマのドラマや映画ならまず普通に出てくるシーンだし……?

 いやいやいや! でもダメだろこれはさすがに! ……いや、けど、演技でキスなんて普通にあるんだから、やっぱりすべきなのか……!?

 俺の喉がゴクリと鳴った。

 俺の中の悪魔が言っている。演技なんだから気にせずやっちまえ、と。

 俺の中の天使が言っている。役者ならキスシーンくらい普通ですよ、と。

 ……って、両方言ってる内容同じじゃねーか! 天使仕事しろよ! 役者の道に魂売りすぎだろ! ちなみにこれは俺の理性の声な!?

 と、こんな感じで俺が凄まじい葛藤に苛まれていると、

「おや? ごめんごめん、これ古いマニュアルだったよきみー。キスとか残ってるし、さすがに派遣カップルでこんなクリティカルなのはNGだからねー」

「だああぁっ!?」

 所長がそう言う声が聞こえてきて、俺は思わずぶっ倒れそうになった。

「どうしたの鳴瀬くん? 大丈夫?」

「……な、なんでもない。でも、そりゃそうだよな。キスなんてさすがに……」

「うん。やっぱりそこまでは、ちょっとね」

 普通にそう返す比奈森さんに、俺はなんだか自己嫌悪に陥る。

 ……俺って、もしかしてすごくヨコシマな人間なのかもしれない……。

「うーん、しかしなー」

 とその時、俺が自分の人間性に頭を悩ませていると、所長がマニュアル片手に腕を組んでなにやら考えている様子だった。……嫌な予感がする。

「……もしかして、やっぱりキスシーンは必要だとか言うんじゃないんでしょうね」

「いやいやー、本人達がやるってんなら止めないけど、さすがにマニュアルでそこまで推奨しないよきみー。でもねー、やっぱりこう、誰から見てもこのカップルはイチャイチャしてるなーって行動も時には必要なんじゃないかってふと思ったんだよねー。……というわけで鳴瀬くん、とりあえず彼女を押し倒してみようかー」

「なに言ってんですかあんたは!?」

 所長を思わずあんた呼びしてしまったが、それくらい発言内容がヒドかった。

「ほら、カップルだったらそういうイチャイチャも時にはありかなーって。インパクトもあるしね。そうだ、それに加えて彼女の服に手を入れるってのもいってみよー」

「いってみよーじゃないですよねぇ!?」

「なんだい鳴瀬くん、最近の若者はただれてるから、そういう本能に身を任せる系のイチャイチャもいいかと思ったんだよきみー」

「ダメに決まってんでしょうが! そういう偏見はやめてくださいよ!」

「えー、そうかなー? 比奈森くんはどう思う? こういうのもありだよねー?」

 所長は不満そうに唇を尖らせながら(子供か)比奈森さんに訊ねる。

 すると比奈森さんは一瞬キョトンとした後、珍しく困惑したような笑顔で口を開いた。

「……すいません。それは、ちょっと、ダメかなと思います」

「はい。というわけでダメです所長。却下です」

「ええー!? きみはどっちの味方だい鳴瀬くん!」

「100%比奈森さんに決まってるでしょうが!」

 ギャーギャーと食い下がる所長に、俺もまた同じような勢いで言い返す。

 本当に、いやマジでこの人についていって大丈夫なんだろうか……? と、さっき築いたばかりの信頼がさらに揺らいだのは――……まあ、言うまでもないことだった。

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