プロローグ 「付き合っている」は、突然過去形に変わる その5

   ◆◇◆


 プロムナードの表通りを通っていくと目立つので、別の経路を通って駅まで向かう。

「…………」

 改札を通るところで、鷹音さんが鞄から腕時計を出して時間を確かめる。

 少し見えた感じだと、文字盤に動物キャラの絵が描かれている。控えめに言っても可愛らしいデザインで、やはり意外だと感じてしまう。

「あともう少しで来る時間です」

 ここまで送ってきて終わりというのでいいのだろうか。さっきのこともあるし、電車に乗るところまでが見送りということになるか。

「じゃあ、ホームまで行こうか」

「っ……」

 鷹音さんは何やら慌てている――入場のために最短区間の料金を払うことになるので、それを気にしているようだ。

「駅の中にある店を見ていこうかと思って。うちの家族が好きなお菓子が売ってるからさ」

「……シュークリームですか? いつも行列ができてるのを見ます」

「うん、そうそう」

 言ったからには買わなくてはと思うが、まあうちの家族はいつでも喜んでくれるだろうから良しとしておく。

 俺が入場券を買うときも、鷹音さんは静かに後ろをついてくる。

「…………」

 じっと見守られている――と、落ち着かなさを感じて振り返ると、鷹音さんが財布を取り出していた。

「気にしなくていいよ。俺の仕事は鷹音さんを無事に電車に乗せることだから」

「でも……」

「できれば元気が出たところを見て安心したいけど、急には無理かな」

 ここまでほとんど話せていないし、鷹音さんもすぐには気分を切り替えられないだろうと思う。

 少し困っている様子の鷹音さん。彼女は財布をしまわず、俺をじっと見つめたままだ。

「……こういうことは、ちゃんとしておきたいので」

 鷹音さんは財布から小銭――ではなく、カードを出してくる。

「え、えーと……鷹音さん、これは受け取れないかな」

「っ……私のカードでは駄目ですか?」

「駄目っていうか、俺がこれを使ったりしたら怒られると思うよ」

「あっ……そ、そうですね。すみません、私、お金を持って歩く習慣がなくて。学食などでは必要になると思うので、明日は用意してきます」

「それだと俺がお金を持ってこいって脅してるような……」

「っ……ち、違います。そういうことではなくて……」

 慌てる鷹音さんを見ているうちに、俺は申し訳なく思いながらも笑ってしまっていた。

「……世間知らずだと思いましたか?」

「ごめん、ちょっとだけ。でも、悪い意味で笑ってるわけじゃないよ」

「悪い意味じゃなかったら、どういう意味でしょうか……?」

「鷹音さんは、すごく真面目なんだなって思って」

「……そ、それは……やっぱり悪い意味じゃないですか」

「そんなことないよ。たった百円ちょっとなのに、絶対返したいって思ってくれて……」

「金額は関係ありません、お金は大事なものですから」

 やはり、彼女の真面目さが俺には好ましく思える。まだ俺とは知り合ったばかりで、それでカードを渡してしまおうとするのは危なっかしくもあるけれど。

「これはクレジットじゃなくて、お小遣いの金額がチャージしてあるんです」

「そうなんだ……いや、でも大丈夫。そろそろ行かないと、時間もあるし」

「……あっ」

 電光掲示板を見た鷹音さんが声を出す。どうやら、乗るはずの電車が出てしまったらしい。

「次は逃さないようにしないと。そろそろ行こうか」

「は、はい……すみません」

「俺は暇だから大丈夫だけど、鷹音さんは? これから用事とか……」

「習い事がありますが、次の電車に乗れば間に合います」

 教室で彼女が言っていたことを思い出す。本当なら家に戻って一息ついてから、習い事が始まる予定だったのだろう。

 改札をくぐると帰宅時のラッシュで、人がかなり多い。鷹音さんとはぐれてしまいかねないくらい――と思ったが、彼女はしっかり俺の後ろについてきている。

「……あ、あの、鷹音さん?」

「す、すみません。人が多くて、離れてしまいそうだったので」

 人混みを抜けたところで、鷹音さんはまた俺の肘あたりをちょこんとつまんでいた。パッと手を放してくれたが、申し訳なさそうに俯いてしまう。

「……恥ずかしいですよね、人前で掴まったりして」

 鷹音さんはまだ不安が残っていて、それで俺に掴まっているだけなのだ。そういうことなら、安心してもらうために言うべきことは言わなくては。

「俺は鷹音さんを置いていったりしないし、心配しなくていいよ」

「……っ」

(……って、何をますます恥ずかしいことを言ってるんだ……っ)

 気を抜いていたからか、普段の自分なら言いそうにない台詞が出てしまった。俺の腕くらいならいくらでも掴まっていいよ、とかそれくらいの感じで――いや、それはそれで何か軽薄な気がしなくもない。

「……分かりました。見失わないように、ついていきます」

 これから数え切れないほど利用する駅で、何か冒険でもするような会話をしている。

 今度はさっきよりも自然に笑った。鷹音さんもそろそろと顔を上げて、笑顔になる。

 頬にかかる髪をかきあげるその姿が、あまりに絵になりすぎていて。

 こうやって目を奪われるのは、今日で二度目だ。いつも落ち着いた振る舞いだから、滅多に見せない笑顔が強く印象に残った。

 けれど、鷹音さんとこんなふうに話せる機会はきっと今だけだ。

 今日が終われば、学校では同じクラスだというだけで、話したりすることはない。今までずっとそうだったんだから、きっとそのままでいるのが自然だ。

 ホームまで辿り着いて、次の電車まではあと数分。

 最後にどんなことを話そうかと考えても、思いつくのはありふれた世間話だけだった。

「……あれ?」

 振り返っても鷹音さんがいない。後ろをついてくると言っていたのに――と思ったところで。

 また、制服の肘のところを引かれる。振り返ると、鷹音さんが立っていた。

「これ……帰りにでも飲んでください」

「あ、ありがとう……」

 鷹音さんが差し出してくれたのは缶コーヒーだった。四月とはいえ少し今日は蒸し暑いので、冷たい飲み物は正直言って嬉しい。

「また、改めてお礼をさせてください。今日は、何から何までお世話になってしまって……」

「これだけで十分だよ。また困ったことがあったら、俺で良ければ相談に乗るから。ああ、でも……今日みたいなことは、先生にも相談してみた方がいいか」

「はい。今度は、こういう形じゃなくて……」

 彼女が言いかけた途中で、ホームにアナウンスが響く。線路の向こうに、走ってくる電車の姿が見えた。

「……本当に、ありがとうございました。また明日、千田くん」

「また明日、鷹音さん」

 鷹音さんは小さく手を挙げて、はにかんだ微笑みを見せてから、到着した電車に乗り込んでいった。

 電車の中からも、鷹音さんはこちらを見ていた。やがて電車が動き始めて、最後に俺たちはもう一度手を振り交わした。

 電車が遠くなったところで、もらった缶コーヒーの蓋を開けて、一口だけ飲む。やけに甘く感じて、けれどその甘さが今は丁度良かった。


   ◆◇◆


 書店で取り置きしてもらった本を買い、近くに停めていた自転車に乗って帰ってくると、先に姉が帰ってきていた。

「それで、連絡先も聞かないで帰ってきちゃったの?」

 俺が買ってきたシュークリームを食べながら、姉さんが聞いてくる。好物を貢いであげたというのに、彼女は今日何があったかに興味津々で、俺を逃がす気がなかった。

ねえ、粉砂糖が口についてるぞ」

「そんなことはいいの。なっくん、そういうときは男の子の方から聞いてあげないと。そうしたら、今夜だってなっくんとお話しして安心できたかもしれないじゃない」

「いや、何を話せと……」

「強引な先輩から助けたんでしょ? やっぱり、ふと思い出して不安になっちゃったりもするじゃない。そこでなっくんが僕がついてるからって言ってあげたら、もう好き! ってなったりしない?」

「しない」

「えー」

 不満そうにしながら流々姉はシュークリームの二つ目に手を――伸ばしかけて、両親の分を残しておいてくれた。姉の威厳を辛うじて保ってくれたようだ。

 流々姉はリビングのソファに座っている俺の後ろにやってきて、肩に手を置いてくる。これはまだ話が聞きたいというときの態度だ。

「なっくん、他にも何か内緒にしてない?」

「え……」

「機嫌は良さそうなんだけど、時々落ち込んでるみたいな、そんなふうに見えるのよね。お姉ちゃんで良ければ相談に乗ってあげようか?」

「この年になって姉ちゃんに相談するのもな……」

「あ、その言い方でわかった。なっくん、霧ちゃんと何かあったんでしょ」

 何故それを――なんて、ベタなリアクションはせずにすんだが、乙女の勘というものの恐ろしさを痛感する。

「霧ちゃんのことより、その鷹音さんが気になってきちゃったとか……?」

「……朝谷さんにはフラれたんだよ」

 なるべくサラッと言ったつもりだったが、自分の声が落ち込んで聞こえてしまう。

「なっくんがそう思ってるだけじゃなくて、霧ちゃんがそう言ったの?」

「あ、ああ……持つべきものは友達だって言ってたよ。それってつまり、そういうことだろ」

「あー……それはちょっと、なっくんも自分のこと男の子として見られてないって思っちゃうわよね」

「遠回しに言ってくれたんだよ。友達っていうだけでも、全然俺は……」

「またそんなやせ我慢しちゃって。なっくん、昔からそうだよね」

「……ショック受けたとか、そういう顔もできないだろ。だから、普通にしたいんだ」

 肩に置かれた手が一旦離れる。そろそろと後ろを窺ってみると――姉が腕を広げて身構えていた。

「流々姉、さすがにこの年でそれは……」

「ちっ、こういうときくらい、お姉ちゃんに甘えてくれたらいいのに」

「舌打ちするなよ……と、とにかく。俺は別に落ち込んでないし、鷹音さんは同じクラスっていうだけだから」

「それはこれからのなっくん次第なんじゃない? 高校入ってまだ一週間なんだから、出会いは大切にしないと駄目だよ。一期一会って言うでしょ?」

 やたらポジティブな流々姉を見ていると、落ち込むにも落ち込んでいられなくなる。まったく、持つべきものは無限に大らかな姉だ。

「あ、笑った。あとは霧ちゃんのテレビ見ても動揺せずにいられたら合格ね」

「あのな……ちょっと感謝したい気分になったのに、台無しだろ」

「じゃあ、感謝したい気持ちをお風呂掃除に込めてね。私はご飯の用意するから」

 流々姉は髪をシュシュでまとめ、エプロンをつけて台所に立つ。

 千田、それが流々姉のフルネーム。しかし下の名前をそのまま呼ぶと、キラキラっぽいから禁止と言われる。

 そんな姉だが、俺の様子の変化には敏感だ。本当はフラれたとか簡単に話すべきじゃないと思っていたが、話して少し楽になったのも確かだった。

「流々姉、ありがとな」

「えー、なにー?」

「何でもない」

 掃除をするために風呂場に向かう。その途中で数時間ぶりにスマホを見て、朝谷さんから連絡が来ていることに気がつく。

(うわっ……ヤバい、この時間って、駅にいたときじゃないか)

 何の連絡だったかわからないが、電話の着信が残っていた。

 まったく朝谷さんが何を考えているか分からない――彼氏のときは連絡がほとんどなくて、今になってというのは、どういう心境の変化なのか。

 結局タイムアウトを承知で『ごめん、何かあった?』と返信したものの、その日のうちには既読がつかず、悩ましい夜を過ごすことになってしまった。


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試し読みは以上です。


続きは2021年5月1日(土)発売

『高嶺の花の今カノは、絶対元カノに負けたくないようです』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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