第一章 ダンジョン内転移の覚醒 その2
迷宮資源を売却した後、電車に乗って自宅の最寄り駅に帰ってきた。
夕凪ダンジョンの攻略を短時間で終えたため、まだ日は高い位置にある。
帰宅の途中、よく見慣れた場所に足を止めた。
この町では最も大きな公園である
約三年前、公園内に出現したEランクダンジョン――【紫音ダンジョン】を攻略しにきた者たちだろう。落ち着きのない奴が多いし、あまり場慣れしていないのかもしれない。
「確か俺が初めて挑んだダンジョンもここだったんだよな。Eランクなだけあって難易度もダンジョンの中では最低レベルだし、初心者に適してるって感じだけど……」
ただ、その分だけ得られるものも少ない。出てくる魔物が弱い代わりにもらえる経験値はかなり少ないし、レベルアップ報酬も1レベルのみ。ある程度力をつけた冒険者にとっては、一切挑む価値がないような場所だ。俺も最初の数回くらいしか入ったことがない。
「ちょっと寄っていくか」
時間に余裕があるということもあり、紫音公園に足を踏み入れてみた。
別に挑戦するつもりがあるわけではない。一週間のスパンもあるし。
ただ、少し懐かしくなっただけだ。
ダンジョンの入り口手前まで行くと、そこにいたダンジョン管理人が小さな機器をこちらに向けてくる。
「冒険者カードを確認いたします」
「はい」
俺は免許証サイズの冒険者カードを取り出すと、その機器にピッと当てた。
冒険者カードとはその名の通り、冒険者資格を手に入れた者に与えられるカードである。名前と年齢、それから過去に攻略したダンジョンのランクなども載っている。
ダンジョンに入る際は必ず持っていなくてはならず、入場時と退場時にはこうして記録を取られることになっている。
言ってしまえば、ダンジョン内で事故とかがあって帰らぬ人になった時、誰がそうなったかを確認する必要があるというわけだ。
ちなみに、この確認を取ってくれる人のことをダンジョン管理人という。
政府系の組織であるダンジョン協会から派遣されており、入退場記録を取る以外にも、冒険者に様々なサポートをしてくれる。
「ご協力ありがとうございます。十分にお気を付けください」
管理人の言葉を背に受けて、俺は地上に一部だけ飛び出た、塔のてっぺんにある入り口から中に入った。すると下に続く階段があったため、そのまま下りていく。
そうして辿り着いたのは、長方形の大きな空間だった。
この空間は帰還区域と呼ばれており、正確にはダンジョンの中ではない。そのため、当然ダンジョン内転移も発動することはできない。
帰還区域は全てのダンジョンに必ず存在するが、その用途はたった一つ。
ダンジョン攻略後に発動する転移魔法による、帰還先として使われているのだ。
もちろん、さっきの夕凪ダンジョンでもそれは同じだった。
「まあ、それはともかくっと」
俺は周囲を見渡すのをやめると、まっすぐ前を向く。
そこには、ダンジョンの中に入るために必ず通らなければならない入り口――ゲートが存在していた。このゲートの先からが、本当のダンジョンとなっている。
俺はゲートにまで足を運び、中に入ろうと試みる。しかし、
「やっぱりこうなるよな」
目には見えない力に阻まれ、中に入ることができなかった。
ゲートにはダンジョンに入るための基準に達していない低レベル者を拒絶する効果もあるが、Eランクダンジョンである紫音ダンジョンにはそもそもその基準が存在しない。冒険者でなかったとしても、誰でも中に入ることができるのだ。
となると、今の俺がゲートを通れないのは間違いなくスパンのせい。
分かってはいたことだが、ため息の一つでもつきたくなる。
「はあ、このスパンってやつがなければ、どんどん色んなダンジョンを攻略してレベルアップしていくのに……」
ちなみに、過去に同じことを考えた冒険者も数多くいたらしい。
ゲートを通るのが無理ならばと、隣にある壁を破壊しようとしたらしいが、どれだけ強力な魔法でも傷一つ付けられなかったとか。
スパンを無視して攻略報酬を得ることは、それほどまでに不可能なことなのだ。
と、不意に俺は、とあることを思いつく。
「そうだ、もしかしたらダンジョン内転移で中に入れたりしないか?」
今回のレベルアップで、条件が今いるダンジョン内から、足を踏み入れたことのあるダンジョン内に変わった。
ゲートさえ通らなければ、中に入ることは可能かもしれない。
「いや、まあ実際は無理なんだろうけど……試すだけならタダだよな」
ちょうど周りに誰もいないこともある。
俺はさっそくダンジョン内転移を使ってみることにした。
イメージするのは、紫音ダンジョンのゲートを通ってすぐの場所。
距離は1メートル。発動にかかる時間は1メートル×2の二秒。
全く期待しないまま、その時間が過ぎ去るのを待つ。
そして――
「うそ……だろ」
――俺は驚愕に目を見開くこととなった。
だって今俺がいるのは、紛れもなく紫音ダンジョンの中だったのだから。
「成功したのか!? 本当に!?」
絶対に成功なんてしないと思っていた。でも、現にこうして俺は中にいる。
驚愕と興奮が胸の中でせめぎ合い、形容しがたい感情が生まれる。
これからは攻略後のスパンを気にする必要がなくなる……?
つまり、レベルアップの効率が何倍にも膨れ上がる!
「いや、待て、落ち着け。問題はここからだ。中に入れたのはいいが、肝心のレベルアップ報酬がもらえないようじゃ意味がない……!」
そう、喜ぶのはまだ早い。
俺は何度も深呼吸して無理やり興奮を鎮める。
「よし、行こう」
気合を入れた後、俺は最下層を目指し歩き始めた。そして10レベルもあればソロ攻略が可能とされている紫音ダンジョンを、一時間足らずで攻略した。
『ダンジョン攻略報酬 レベルが1アップしました』
そして、見事レベルアップ報酬を受け取ることにも成功する。
「ははっ……やった!」
今度ばかりは何の遠慮もいらない。俺はその場で、全力で喜んだ。
これは本当にとんでもないことになったかもしれない。
ダンジョン内転移のおかげで、世界中で俺だけが、レベルアップ報酬の恩恵を際限なく受けることができる!
EランクダンジョンやDランクダンジョンを繰り返し攻略するだけでも、Aランクダンジョンの強力な魔物を相手にするより、圧倒的に効率良く成長することができるんだ!
「よし、そうと分かれば――!」
その後、俺は興奮収まらぬまま、何度も何度も紫音ダンジョンに挑戦した。
そして日が暮れるまでの間に、合計で9レベルもアップするのだった。
◇◆◇
いくらでもレベルアップするのが楽しくなり、気が付いた時には日が完全に落ちていた。
俺は急いで自宅に帰る。
「た、ただいま」
恐る恐る扉を開けて中に入った、次の瞬間。
「もう、遅いよお兄ちゃん!」
「うおっ」
目の前にお玉が突きつけられる。
その先には艶のある黒髪のポニーテールを揺らす、可愛らしい少女が立っていた。
「悪い、華。つい攻略に夢中になって」
「まあいいけど。それより晩ご飯温めるから、早く手洗いうがいしてきてね」
言い残して、その少女――俺の三つ年下の妹、天音華はリビングに戻っていく。俺はすぐに手洗いうがいを済ませ、華の後を追った。
食卓には美味しそうな料理が並んでいた。さっそく頂こう。
「いただきます。うん、美味い。やっぱり華の料理は世界一だな!」
「……どうしたの急に? きもちわるいよ」
「うっ!」
鋭利な言葉が、心に深く突き刺さる。
手で胸を押さえて痛みに耐えていると、目の前に座る華は柔らかい笑みを浮かべた。
「それで、何かいいことでもあったの?」
「いきなりどうした?」
「お兄ちゃんがいきなり意味分かんないこと言いだしたり、珍しく帰りが遅かったりするから気になっただけだよ」
「なるほど……確かに、いいことはあったな」
それも、とんでもなくいいことが。
「そのいいことっていうのは、ダンジョン関係?」
「ああ。今まで冒険者として頑張ってきてよかったって思えるくらいのことだったよ」
「そっか。なら、よかった」
俺の言葉を聞いた華は、安堵したように表情を緩めた。
華はずっと前から、俺に冒険者としての才能がないことを知っている。だからだろう、以前からよく、俺がダンジョンでうまくやれているか問いかけてくることがあった。
妹として兄を心配してくれる華に、俺は心から感謝していた。
……なんせ、俺にとって華は唯一の家族だからな。
数年前、俺たちの両親は海外旅行中に事故に巻き込まれて、行方不明になった。
今は二人が残してくれたお金で生活しているが、決して贅沢して暮らせるような額があるわけではない。
俺が冒険者になってからは、ダンジョンで稼いだ金も生活費として使っているが……冒険者は装備などを整えるのに金が必要だということもあり、EDランク程度では、実はそこまで儲からなかったりする。
それでも幼い頃に抱いた夢のために冒険者を続けたいという、俺の身勝手な意思を尊重してくれる華には頭が上がらないのだ。もっと稼げるようになったら、華には色々と恩返ししなくちゃいけないなと思っている。
「で、そんないいことがあったお兄ちゃんは、そろそろCランクダンジョンに挑めるくらいには強くなったのかな?」
物思いにふけっていると、華はいたずらっぽく笑いながらそう言った。俺のレベルが200前後だと知っているはずなので、ちょっとした冗談のつもりなのだろう。
ダンジョンはCランクから一気に難易度が上がる。具体的な数字を挙げると、最低でも500レベルが必要とされているのだ。
俺がこれまでの調子でレベルアップをしても、軽く一年以上かかってしまう。
だからこそ、華は冗談めかして言ったんだろうが……。
今の俺はダンジョン内転移のおかげで効率良くレベルアップできる。
それを使えば一か月と経たずに、そこまで辿り着けるはずだ。
「聞いて驚け、実はな――」
途中で俺は言葉を止めた。理性がこれを言うべきではないと告げていた。
だってそうだ。
俺が新しく得た力は、世界中の冒険者にとって共通の障害とされるスパンを無視するためのもの。それを使って効率的にレベルアップすることを、周囲の者たちはきっと良くは思わないだろう。場合によっては、嫉妬や怒りから襲われることもあるかもしれない。
華が周りに言いふらすような人だとは思っていないが、どこから情報が洩れるかは分からない。このことは、俺だけの秘密にするべきだろう。
「? どうしたの、お兄ちゃん。急にぼーっとして」
「いや、なんでもない。残念だけど、Cランクになるまではまだしばらくかかりそうだ」
「うん、知ってた」
「なら訊かないでもらえるかな?」
くすくすと笑う華。その笑顔を見たら、何でも許せそうな気がした。
その後、俺と華はとりとめのない会話をしながら箸を進めていく。
こんな何気ない日常の時間が何よりも大切だと、そう思うのだった。