第一章:『剣の都』-④



 3




「まず、アイルちゃんの敵手ライバルを紹介するね!」



 そう口にするベルお姉さんに連れられて、僕は《剣の都》の中央大広場へと来ていた。

 日の光を浴びてキラキラと輝く巨大な噴水。隙間一つないくらいびっしりと敷き詰められている石畳。そして、溺れてしまいそうになるほどの人の波。

 景観を楽しむ余裕すらない状況の中、僕は前を歩いているベルお姉さんの背中だけは見失わないようにと必死に歩く。

 しかし、進むにつれて歩くのは段々と楽になっていった。


 圧倒的な存在感を放つ人物 ──ベルシェリア・セントレスタの存在に、人々が気付き始めたためだ。

 ベルお姉さんが歩くとそこには勝手に道ができていく。人が勝手に道を譲ってくれる。

 代わりに殺到するのは「羨望」や「憧れ」といったものを孕んだ眼差し。それらを一身に受けて歩く蒼銀の背中に、僕はベルお姉さんが立っている場所の遠さを再び思い知らされる。


「ええーっと、今日はここら辺でやるって言ってたんだけどなー」


 辺りをきょろきょろと見渡しながら呟くベルお姉さん。

 すると突然、一際大きな歓声が近くで弾けた。


「おっ、あそこかな。行くよ、アイルちゃん!」


 その歓声の発生源へと進路を変更して進みだす背中。僕は慌ててそれを追う。


「ねえ、アイルちゃんはどうしてここが《剣の都》って呼ばれてるのか、知ってる?」


 唐突に投げかけられる問い。

 しばらく考えた挙句、素直に「分からない」と答える。するとベルお姉さんはピッと指を立てて話し始めた。


「ここが《剣の都》って呼ばれている理由。それは、双方の合意の上ならいつでもどこでも剣を用いての決闘が許されているからなんだよ」


 開ける視界。人混みを抜けた僕たちは、その光景を目にした。

 そこにあったのは ──地に伏す屈強な戦士と、その戦士へと剣の切っ先を突き付ける一人の少女の姿。

 目の前の光景の中における『主役』と呼べる存在は、明らかに後者。

 僕はその『主役』側に立つ少女へと、ゆっくりと視線を向ける。


「……っ」


 そこにいたのは、硝子細工を思わせる繊細な印象の少女だった。

 最大級の純度を誇る白髪に、蒼穹を彷彿とさせる瞳。そして僅かに幼さの残る美貌。

 物語の中から飛び出してきた雪の妖精なのではないかと本気で思ってしまうほど現実離れしたその容姿に、僕は思わず立ち尽くしてしまう。


「わたしの勝ちです」

「っ、ああ、参った」


 そして、割れんばかりの歓声が広場中に轟いた。


「おいおい今ので何連勝目だ?」「つか、何連戦してんだよ」「あれでまだ《深度クラス》【Ⅱ】って、いったいどんな《硬度ポテンシャル》してんだよ」「《種子の世代第五世代》候補の中でも頭一つ抜けてやがる」「やっぱり新人ニュービー共を先導できるのはこの子しかいねーな」


 耳に入ってくる言葉の殆どが、少女を褒め称えるもの。


 主役の卵。超新星。次世代の先導者。《種子の世代第五世代》候補筆頭。種をまく者。

 そして ──【じん】ベルシェリア・セントレスタの唯一の弟子。


「名前はシティ。 ──【しゆく】シティ・ローレライト」

「シティ……ローレライト」


 ベルお姉さんの口から出たその名前と共に、目の前の光景を脳みそに刻み込む。


「あの娘が、この先ずっとアイルちゃんの前に立ち塞がることになる存在」

「っ」

「私の、一番弟子」


 ゴクン、と生唾を飲み込む音がやけに鼓膜に染み込む。

 喝采をその一身に受けて立つ純白の少女。それはまるで、物語の一幕のように見えた。

 今少女の立っている場所に自分が並び立っている未来を想像してみようとするが、全くできない。今の僕には、ただ目の前の光景を目に焼きつけることしかできない。


『 ────…………』


 時間が経つにつれて周囲の熱が引いてゆく。

 ベルお姉さんは視線がこちらに集まりつつあることを確認し、その口を開いた。


「おーい、シティ!」

「……師匠?」


 ハッとなって振り返る純白の少女 ──シティさん。

 彼女はベルお姉さんを視界に捉えると、尻尾を振り回す子犬のようにしてこちらへと駆け寄ってきた。表情の変化はほとんど感じられないけれど、その雰囲気は先ほどまでとはまるで別物だ。


「わたし勝ちました。今ので一九勝目。次で二〇勝です」

「おっ、やるじゃーん!」

「は、はいっ。それで ──」

「あ、待って。話の前にこの子の紹介だけさせて」


 シティさんの声にかぶせるようにして言うと、ベルお姉さんは僕の肩を強くたたく。

 そして、


「今日からシティの弟弟子になる男の子 ──アイルちゃんです!」


 辺り一帯に響き渡るほどの声でそう言い放った。


「…………は?」


 唐突に切り出されたそんな話に、シティさんの整った顔がピシィと音を立てて凍りつく。

 周囲にはどよめきが走り、多くの視線が僕一人へと殺到してきた。


「弟、弟子」


 ギギと潤滑さを失った玩具のような動きでこちらに顔の正面を向けてくるシティさん。

 そして僕と視線がぶつかり合った瞬間、その表情が再び凍り付いた。小さな唇がわなわなと震えだし、驚愕交じりの呟きが落ちる。


「あ、アナタは、あの時の」

「え?」「凱旋道で吐いていた人……!」


 今度はこちらが凍り付く番だった。

 思い出さないようにしていた凱旋道での記憶が無理やり掘り起こされる。


 もしかしてこの人は、あそこにいたのだろうか。いや……いたのだろう、この反応は。

 彼我の間に何とも言えない空気が流れ、沈黙が落ちる。永遠に続くのではないかとすら思える気まずい沈黙。

 そんな空気を破ったのは、やっぱりベルお姉さんだった。


「仲良くしてあげなよ」

「嫌です」


 即答。シティさんは「ふぅぅぅ」と大きく息を吐くと、鋭い視線をこちらに向けてきた。


「アナタなんかに、師匠の……【じん】の弟子が務まるなんて、思えませんッ!」


 その目に宿るのは明確な敵意。独り占めしていたお気に入りの玩具を横取りされようとしている子供のような顔で、シティさんはこちらを睨んでいる。


「認めません、絶対に!」

「あ、え」

「こんな間抜けな顔をしてる人が師匠の弟子なんて、嫌です!」


 それはもう、散々な言われようだった。


「私が決まりって言ってるんだから決まりなの!」

「嫌! 嫌ですから! こんなどこの馬の骨かも分からないような人!」

「アイルちゃんとはシティより昔からの仲なんですけどー! 馬の骨はどっちかなア?」

「なっ」


 純白のまつ毛が小刻みに震え、シティさんの視線に宿る敵意が一気に膨れ上がる。

 二人に挟まれている僕はどうしていいか分からずに狼狽えていた。


「とにかく、嫌ですから!」

「むむむ」


 目の前で睨み合う二人。

 そして張り詰めた空気の中、先に「はあ」と観念したようにため息を吐いたのはベルお姉さんの方だった。


「分かったよ。一番弟子の意見とあっちゃあ、仕方ない」

「師匠……」


 ベルお姉さんは、ホッとした様子で顔を上げるシティさんへと手を伸ばし、


「 ──なぁんてのはうっっっそだよーっ!」


 その純白の脳天へと思いきり手刀を打ち込んだ。


「いたい!」


 頭を押さえて蹲るシティさん。

 ベルお姉さんはそれを満足げな顔で見下ろしながら、僕の腕を掴んでくる。


「私の言うことが聞けないなら弟子なんてやめちゃえ! アイルちゃんに吠え面かかされてから泣きついてきても知らないから! 馬鹿馬鹿バーカ! いこ、アイルちゃん!」

「え、えええええええええええええええええええええええええええええええええええ」


 こうして、姉弟子との初対面は最悪と言っていい形で幕を下ろしたのだった。



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