プロローグ:『端役』アイル・クローバー

えい‐ゆう【英雄】


 ① 傑出した才能を持ち、常人にできないことを成し遂げた人。


 ②  ──【英雄録】にその名前を刻んだ人。




 ──えいゆうのようになりたいと、心からそう思ったんだ。

 

 きっかけは本当に些細なこと。

 村の子供たちの間で行われていた遊び。

 英雄譚の登場人物たちを演じて遊ぶソレを、僕たちは英雄ごっこと呼んでいた。

 その中で、僕はいつも『端役』だった。いつまで経っても『主役』を演じさせてもらえることはなかった。


 僕は聞いてみた──どうして僕に『主役』をやらせてくれないのか、と。

 そしたらみんなは口々に言った──臆病者は『主役』に相応しくないからだ、と。


 悔しかった。悔しくて、泣いた。子供らしく、みっともなく喚き散らした。

 そんな僕を見て、みんなは「臆病者がまた泣いている」と笑った。

 そして周りは僕を仲間外れにするようになった。


 だけど。

 独りぼっちだった僕にも、たった一人だけ遊び相手がいた。


 当時、五歳かそこらだった僕と一〇も歳の離れたお姉さん。名前は、ベルお姉さん。

 ベルお姉さんは優しかった。その上勉強ができて、料理もできて、運動もできて、男の子にも女の子にもモテモテで……とにかく完璧な女性だった。

 ベルお姉さんは仲間外れにされていた僕にいつも声をかけてくれた。文字が読めない僕に、色々な英雄譚を読み聞かせてくれた。英雄ごっこに混ざることのできない僕を、村の外へと連れだしてくれた。


 僕は言った──いつか臆病を治して、お姉さんを守れるような主役になるから、と。

 彼女は言った──うん。楽しみにしておくね、と。


 それから程なくして、ベルお姉さんは村から出ていった。

 この娘はただの村娘に収まる器ではない。そう考えた村長が、ベルお姉さんを外の世界へと解き放ったのだ。鳥籠の中で育った鳥を、大空へと放つように。

 もちろん、その突然の別れに、泣き虫だった僕が耐えられるはずがなかった。

 別れ際、僕は「行かないで」と泣き叫びながら縋りついた。

 そんな僕に向かって、ベルお姉さんは言った。


『今の私と同じ歳になったら、追いかけて来て』

『そして、その時にもまだ気持ちが変わっていないのなら、私を守ってくれる主役になるって約束を果たしてくれる?』


 はっきりとは覚えていないけど、幼かった僕は「嫌だ」みたいな言葉を繰り返し叫んでいたような気がする。

 優しくて世話焼きなベルお姉さんのことだ。僕がこのまま駄々をこね続けていれば、結局はいつものように「もう、しょうがないなあ」と言って折れてくれるだろう。心の中でそう思っていたんだ。

 だけど、ベルお姉さんは村を出て行った。

 僕の頭をポンポンと叩くと、困ったような笑みを浮かべたまま出て行ってしまった。

 遠ざかっていくその背中を、僕は呆然と眺めることしかできなかった。


 そして、それから約一年後。

『【英雄録】の一頁に、ベルシェリア・セントレスタの名前が刻まれた』

 僕たちの村に、その一報が届けられた。




 ──【英雄録】

 それは、に生まれた全ての英雄譚が記されている唯一の書物。

 英雄たちの残した数々の物語がちりばめられた短編集。

 未だ完成に至っていない世界最古の書冊。

 世界の「観察者」である精霊によって、その書物は綴られる。


 精霊は世界中に散らばっている主役たちの生き様を観察し、その輝かしい物語を一冊の書物に書き記すのだ。英雄たちの紡いだ物語が色褪せてしまわぬようにと。


『世界で最も有名な書物』

『世界中の人々の憧れが詰まった結晶』

『有史以降に生まれた英雄たちの栄光が綴られた宝』


 誰もがそれに憧れる。その書物に名を残したいという夢を抱く。


「【英雄録】に名を刻む」ことは、そのまま「歴史に勇名を刻む」ことになるから。

「【英雄録】に物語を刻む」ことは、そのまま「歴史に偉業を刻む」ことになるから。


 つまり、ベルお姉さん──ベルシェリア・セントレスタは【英雄録】へと名前と物語を刻んだことで名実ともに主役となった。英雄の定義を満たし、誰もが憧れてやまないその場所へと至ったのだ。


「僕も、ベルお姉さんのようになりたい」


 ベルお姉さんの軌跡に魅せられた僕は、当然のようにそう考えるようになった。

 身近だった存在が実際に物語の世界へと羽ばたいていったことで、幼い僕は「もしかしたら自分も」なんて淡い期待を抱いてしまったのだ。

 だけど、その期待も長くは続かなかった。


『お前には無理だ』『身の程を弁えろ』『お前なんかいつまで経っても端役のままだ』

『お前はベルシェリア・セントレスタとは違って、誰からも期待されていない』


 それは、分不相応な夢を語っていた僕に浴びせられた言葉の数々。

 容赦なく襲いかかってくる剥き出しの現実に、僕の心は摩耗していった。

 周囲の蔑むような視線に、幼い僕が抱いていた期待は粉々に打ち砕かれていった。


 それからだ。ベルお姉さんが讃えられるたびに、自分のことが嫌になりだしたのは。

 それからだ。ベルお姉さんの名前を耳にするたびに、胸の奥がズキリと痛みだしたのは。

 それからだ。ベルお姉さんの名前が刻まれた【英雄録の写本】が《本の都》から届けられるたびに、心が萎みだしたのは。


 村から生まれた主役──ベルシェリア・セントレスタ。

 目にも留まらないほどの速度で遠ざかっていくその背中に、嫉妬も、羨望も、焦燥も、劣等感も、何もかもが追いつけなくなっていた。

 彼我の距離は離れるいっぽう。ただ、無為な時間だけが過ぎてゆく日々。




 そして──




 ベルお姉さんと別れた日から約一〇年が経った、今日。

 最後に見たベルお姉さんと同じ一五歳になった日の朝。

 差出人の欄に『ベルシェリア・セントレスタ』と綴られている一通の手紙が、僕のもとへと届けられた。


『気持ち、変わってない?』


 封筒の中には、そう書かれた羊皮紙と一枚の地図。


「……気持ち」


 気持ちなんてとうに変わっている。

 主役になるなんて大層な夢、叶えられるはずがない。そんな臆病者の考えが、心の奥底に根付いてしまっている。


「っ」


 だけど、気がつくと僕は旅に出る準備を始めていた。

 滅多たに使わない革のバッグを引っ張り出し、コツコツ貯めてきた貨幣をその底に押し込み、その上に衣服や水袋、そしてベルお姉さんから送られてきた手紙と地図を詰め込む。


 ──ここで踏み出さなければ、僕は一生『端役』の人生を歩むことになる。

 直観的にそう思った。

 そんな人生に身を捧げるくらいなら、今、向こう見ずに足を踏み出してやる。


「よし、行こう」


 そして僕──アイル・クローバーは、ベルお姉さんの待つ場所に向かって歩き出した。

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