第三巻 第二章 仕事の成果はたまに予想外④

    ***


「お嬢ちゃんもレナードも、さっきは変な勘違いをして悪かった!」

 ダミアンがそう言って、顔の前で手を合わせて頭を下げる。向かいの席に座った私とレナルドは、その姿を生暖かい目つきで見守っていた。

 私たちが今いる場所は、海辺の遊歩道ではない。そこから歩いてすぐの距離にある、レモンスカッシュ工場の二階だった。

「ダミアン、貸し一つだな」

 レナルドがぼそっと告げた。その声の低さにダミアンがビクッと震え、顔を引きつらせながら「ああ」とうなずく。

「悪いな、レナード。事前に状況を知っていたら、俺もあんな野暮なはしなかったんだが。それにしても、ついにあのお嬢ちゃんがレナードとなぁ……」

 私の方を向いたダミアンが、今度はニヤニヤとした含み笑いを口元に浮かべる。

 ううっ……! なんだろう、この拷問? さっきから死ぬほど気恥ずかしいんだけど!

 大声で抗議したくても、そのせいでダミアンに余計からかわれることになっても嫌だし……やっぱりここは修行僧の心になってやり過ごすべきだろうか? ダミアンのごとに一切耳を貸さず、心を無にして遠く一点を見つめ……。

「ダミアン、あんたは何か勘違いしてるようだが、俺たちは海で遊んでいたわけじゃない」

 私が悟りの境地に達する前に、レナルドが横から訂正を入れてくれた。

「あん? でも、さっきはおまえたち──」

「あれは視察の帰りだったんだ。あんたが海沿いに作った店を見学したあとの」

「は? もう二人で見に行っちまったのかよ? せっかく俺がお嬢ちゃんを案内して、驚かせようと思ってたのに」

 すっかり気を逸らされたダミアンが、今度はすねた子どものように口をとがらせる。しかし彼はすぐに機嫌を直すと、ワクワクした様子でテーブルに身を乗り出した。

「で、どうだった? お嬢ちゃん、あの店を見てビックリしたか?」

「ダミアン……あなた、別に私を驚かせるためにあの店を始めたわけじゃないでしょ?」

「そりゃまぁ、そうだが」

 私のつっこみに、ダミアンが少し残念そうに肩を落とす。見た目はごつい海の男なのに、しょんぼりした姿が妙にかわいらしくて、私はクスッと笑ってしまった。

「大丈夫よ、ダミアン。あなたのお望み通り、私は十分ビックリしたわ。工場の経営だけでも大変なのに、あんな風に販路の開拓までしてるなんて、すごいじゃない!」

「ま、まぁ、俺たちもお嬢ちゃんに頼りっぱなしでいたんじゃ、みっともないからな。自分たちでできることはやってかないと……って言っても、お嬢ちゃんがあの店を見るまでは緊張して落ち着かなかったんだが」

 ダミアンがめずらしく照れたように笑って、頭をかく。

「ダミアン、あなたは商人として確実に成長してるわ。このままいけば、あなたの工場で作った商品をグランドール王国中……ううん、遠い異国の地でも、いずれ見ることができるようになるんじゃない?」

「そうか? じゃあ、お嬢ちゃんが即位した暁には、うちの商品を王室ようたしとして取り立ててくれよ。女王陛下の後ろ盾があれば、世界中どこへ行ったって恐いものなしだ」

「ちょっと! 人が褒めたからって、調子に乗りすぎよ! そんなこと言ってたら、今に商売敵に足をすくわれて……」

 ん? ちょっと待って。ダミアンは今、女王陛下って言った?

 私は違和感を覚えて、続く言葉を止めた。王宮では、私が即位すること前提でいろんな話が進められている。でも国王試験の結果はまだ一般に公表されていないはずだ。せいの人たちは、極悪王女の私が王に指名されたと知らないはずなのに……。

「ねぇダミアン、あなたはなぜ私が女王になると思ってるの?」

 もしかしたら、ダミアンは単なる身びいきでそう言っただけかもしれない。しかし私の質問を聞いた彼は、心底不思議そうな顔になった。

「なぜって、みんな言ってることじゃないか。次の王はお嬢ちゃんだって」

「みんなって、誰が?」

「新聞にも書かれてたし、下町は今その話題で持ちきりだぜ」

「え……」

 私はレナルドと顔を見合わせた。

「レナルド、これって……」

「ああ。自称記者が好きなことを適当に書いているだけならいいが、違う場合には厄介だな」

 含みを持ったレナルドの発言に、私は胃の辺りがすっと冷たくなるのを感じた。

 我が国では、新聞の発行に特別な許可を必要としない。誰でも自由に情報を発信できるのはいいことだけど、代わりにその正確さはぎよくせきこんこう──というより、新聞の多くは政治への不満をあおったり、王侯貴族をこき下ろしたりするタブロイド紙の類いで、しっかり裏を取っているものはあまりない。

 その手の新聞が、私の即位を面白半分にネタとして扱ってるだけならいいけど、もし違う場合には……王宮の情報が外に漏れてる?

「ダミアン、私の即位について書かれた新聞を持ってるようなら、見せてもらえない?」

「は? いや、でも、あれはお嬢ちゃんの見るようなもんじゃねぇし……」

 ダミアンが急に言葉を濁して目を泳がせる。その理由を私はなんとなく察した。

 私がヴィオラとして関わった人たちの中には、リーズやダミアンのように、彼ら自身の目で見た私を信じてくれる人もいる。しかし市井に住む多くの人々にとって、私はワガママ放題で強欲な極悪王女のままだ。きっとその新聞には、ヴィオレッタ王女へのぼう中傷がたっぷり載っているんだろう。

 自分の悪口を好き好んで読む趣味は、私にはない。でもここで現状把握を怠ったせいで、あとからより厄介な問題に発展したら大変だ。

「ダミアン、お願い」

 手を合わせる私を前にして、困ったダミアンが目でレナルドに助けを求める。その時だ。ガシャーンというハデな音が突如として階下で上がった。な、何事!?

「チッ! またかよ!」

 勢いよく立ち上がったダミアンが部屋を飛び出す。とっさの事態に、私もレナルドも動けなかった。

「またかよ」って……そういえば、数ヶ月前にも似たようなことがあったと、一拍遅れで思い出す。あの時は、救貧院の人たちの雇用に反対した市民が工場を囲んで……。

「まさかまた暴徒と化した人たちが工場を襲いに来たの!?」

 自分の発言に青ざめて立ち上がる。そんな私に向かって、レナルドは静かに首を横に振った。

「襲撃にしては破壊音が一度きりで、続く怒声も乱闘もないのはおかしくないか? ダミアンだって、これが襲撃だと考えたら、もっと違う反応をしてただろう」

「……それもそうね」

 ダミアンは王都で長年元締めをやってきただけあって、意外と用心深い一面を持つ。暴徒が工場に押し寄せてきた場合には、無防備に一人で飛び出すことなく、私たちにもなんらかの注意を促したことだろう。

「俺は様子を見てくる。あんたは」

「私も行くわ」

 キリッと表情を引き締めた私を見て、レナルドが無言になる。やがてその口から、あきらめにも似たため息がこぼれた。こういう状況で私を止めるのは難しいと、今までの経験から学習してくれたのだろう。

「じゃあ俺が先に行くから、あんたは後ろからついてきてくれ」

「わかったわ」

 私はレナルドの足手まといにならないように気をつけながら、慎重に階段を下りていった。

 レナルドが私の方を一度向いてから、作業場に続く扉を開ける。果たしてその先には、険しい表情で立ち尽くすダミアンがいた。

 従業員たちはもう帰ったあとなのか、辺りに人の姿はない。代わりに、割れた窓のそばで、床に散らばったガラスの破片がゆうを浴びてキラキラ光っていた。

 どうやらさっきの物音は、誰かが工場に石を投げ込んで、窓ガラスを割った音らしい。ダミアンの手の中には拳大の石と、それを包んでいたとおぼしき、しわくちゃの紙が握られている。

「ったく! 連中も本当に飽きないな!」

 ダミアンが空いている方の手で頭をガシガシかきむしって、忌々しげに吐き捨てる。

「そのセリフ、石を投げ込まれたのは今日が初めてじゃないの?」

「お嬢ちゃん!?」

 ダミアンが振り返る。いつも他人の気配に敏感な彼が、私が声をかけるまで気づかなかったなんてめずらしい。それだけ手元の紙が気がかりだったということか。

「ねぇ、その紙は何? 救貧院の人たちを雇ってることに対する苦情?」

「いや……、お嬢ちゃんが気にするほどのことじゃねぇよ」

 ダミアンが持っていた紙を後ろに隠そうとする。いや、そういう態度を取られると、余計気になるんだけど。

 どうやらモヤモヤしたのは私だけじゃなかったらしい。無言でダミアンの後ろに回ったレナルドが、その手から紙を取り上げる。

「おい、レナード!」

 ダミアンが抗議しても、もう遅い。しわくちゃの紙をレナルドが広げる。私も横から覗き込み──その内容に目を疑った。

『ヴィオレッタ王女出資の工場は今すぐ閉鎖しろ。王女は人殺しだ』

 ……何これ? まさかゲームのシナリオを脱したはずの今もなお、人殺し呼ばわりされるとは思わなかった。しかもわざわざ工場まで投げ込みに来るなんて、よほど私に強い恨みを持つ人の仕業だろうか?

「ダミアン、あなたはこの犯人に心当たりが……ダミアン?」

 ダミアンの様子がおかしかった。私は知ってることを教えてもらおうとしただけなのに、気まずそうに視線を逸らされる。なんで?

「ダミアン、何を隠してる?」

 レナルドがダミアンに詰め寄る。

「ヴィオレッタが人殺しなんてしないことは、あんたもよく知ってるはずだ。それなのに、犯人について聞かれて、なぜそんな困った顔をする? まさか犯人は親しい相手なのか?」

「いや、そういうわけじゃねぇけど……」

「何か知っているなら、教えてくれない? 出資者の一人としても、この状況は放っておけないわ」

「……………………」

 私とレナルドの二人に迫られて、ダミアンが途方に暮れた顔であとずさる。しばらく経って、その口から「はぁー」と深いため息がこぼれた。

「わかった、俺が知ってることは話すよ。だから、ちょっと待っててくれ」

 ダミアンが気乗りしない様子で工場の奥に向かう。

 やがて戻ってきた彼の手には、先週の日付が印刷された新聞が握られていた。それも『グランドールの真実』なんていう、すごい名前の新聞だ。

「誹謗中傷の源はたぶんこれだよ」

 ダミアンが私の方をちらちらと気にかけながら、新聞を広げる。

「大丈夫よ、ダミアン。悲しいけど私、自分のことを悪く言う人には慣れて……っ!?」

 ごめん、前言撤回。新聞の一面に躍る見出しを見て、私は言葉を失った。

『ヴィオレッタ王女、即位に反対する平民を殺害指示か?』

 何これ? どういうこと? 前世を思い出す前の私であれば、こういうことをしてもおかしくないけど……まさか私、国王試験が始まる前に何か指示を出してた?

 いやいや、いくら私でもないわ! でも、それならなぜこんな根も葉もない噂を新聞に書き立てられたんだろう?

 レナルドも看過できない事態だと感じたのだろう。眉根をきつく中央に寄せ、新聞をにらんでいる。

「個人が発行してる新聞の中には、王侯貴族の醜聞を好き勝手にねつぞうするものもあるというが、それにしてもひどいな。……ちなみに、これはこの新聞だけの主張なのか?」

 え……。レナルドの質問に、私は背筋が薄ら寒くなった。否定の言葉を求めて、ダミアンを見上げる。彼は私の方を困ったように見やってから、実に言いにくそうに答えた。

「残念だが、お嬢ちゃんを人殺しに仕立てようとしてるのはこの新聞だけじゃねぇ。俺が見ただけでも、十紙くらいで似たような内容が書き立てられてた」

「どうしてみんな、急にそんなひどい噂を……」

「今から二週間くらい前だったか? 新王はお嬢ちゃんだって噂が最初に流れた頃、反王女派で有名な商人が何者かに殺害されたんだよ。しかも立て続けに別の商人も殺されてさ。どうやらそいつもお嬢ちゃんの即位に反対してたらしいって、あとからわかって。そのせいで、お嬢ちゃんの即位に反対する運動が盛り上がっちゃってよ」

「そんな……! 完全な言いがかりじゃない!」

 私はたまらず叫んでいた。

 前世を思い出す前の私しか知らない人たちが、私の即位に反対するのは仕方ないと思うよ。でも人殺し呼ばわりするのは、さすがにやりすぎでしょ。しかも、この展開はまるであのゲームのようで……。

「大丈夫だ、お嬢ちゃん。俺たちは、お嬢ちゃんが人殺しを指示するような人間じゃないって知ってる」

 動揺してる私を安心させるように、ダミアンが力強く断言してくれた。

「こういう根も葉もない噂を書き立ててる連中は、瓶詰め工場の成功とか救貧院の改革とかが気に入らなくて、お嬢ちゃんにいちゃもんをつけてるだけだと思うぜ」

「俺もダミアンの意見に賛成だ。なぜこのような記事が出回ったのか、その経緯は調べる必要があるにしても、あんたが気に病む必要はない」

 落ち込んでいる私を慰めるように、レナルドが肩に手を回し支えてくれる。

「レナルドもダミアンもありがとう」

 二人の気遣いが嬉しくて、私は笑顔を返そうとした。だけど、できなかった。一度芽生えた疑念が、どす黒いシミのように心と頭を侵蝕していくのを感じる。

 ラルスを捕らえたことで、私は悪役王女として破滅する未来を回避できたはずだ。そのあとも獄中からちょっかいをかけてきた彼のわなをかいくぐり、ゲームとは異なる未来を手に入れた。

 それなのに、どうしてまた破滅の足音が聞こえてくるの? ここが「グランドール恋革命」というゲームの世界である以上、どれだけ足搔あがいても私はその世界観から──ゲームのヴィオレッタ王女に用意された未来から逃げることができないの?

 絶望的な想像にとらわれて、息をするのも苦しくなる。その時、不意に工場の呼び鈴がチリンと鳴る音が聞こえて、私は全身をこわばらせた。

「悪い、来客だ」

 申し訳なさそうに言ったダミアンが入口に向かい、来訪者を連れて戻ってくる。その顔を見た途端、レナルドの眉がピクリと跳ね上がった。

 こういう下町の工場には似合わない、落ち着いた物腰と上品な服装をしている。その男はレナルドの従者だった。

 なぜ彼がここに? 王宮で何かあったの?

 よほど急いで来たのか、肩で息をした従者がレナルドに向かって一礼する。主人の許しを得て、彼が何か耳元で告げた、その瞬間、レナルドの顔から血の気が引いていった。

「レナルド?」

「悪いがダミアン、急用ができたので俺たちは帰る。その新聞については、今度またじっくり話を聞かせてくれ」

「お、おう。それは構わないが……」

 困惑したダミアンが、目で私の意向を尋ねる。私はうなずいた。レナルドが青ざめるなんて、よっぽどのことだもの。まさかお父様の身に何か起きたんじゃ……。

「帰るぞ、ヴィオレッタ」

 レナルドが嫌な予感におびえる私の手を取って、工場の前にめていた馬車に乗り込む。

「レナルド、何があったの? まさかお父様が倒れたとか──」

「いいや、陛下はご無事だ。だが……」

 向かい合わせに座った私を見て、レナルドがめずらしく言いよどむ。

 なんだろう、この嫌な感じ。お父様のことじゃなければ、いったい何が……。

 やがて固唾を吞んで待つ私の肩に、レナルドが思い詰めた様子で手を置いて告げた。

「いいか、ヴィオレッタ。落ち着いて聞いてくれ。奴が──ラルスがろうから逃げ出した」

「……え?」

 一瞬頭の中が真っ白になって、私は何も言えなかった。

 脱獄したの? あのラルスが?

 じゃあ、彼は今王都を自由に動き回ってるの? 私が悪役としての運命を享受するように、裏でいろいろ画策していた時のように?

「ブルドン侯爵の指示で、早々に追っ手が出されたそうだ。奴が捕まるのは時間の問題だと思うが、念のため俺たちにも緊急招集がかかって……ヴィオレッタ? おい! 大丈夫か!?」

 レナルドが心配そうに肩を揺さぶる。私はやっぱり何も答えられなかった。

 意識はあるのに目の前が真っ暗になって、何も耳に入ってこない。それなのに、心の中ではあの夜聞いたセリフが鋭い痛みを伴って思い出されていた。


『ゲームのシナリオから完全に逸脱しましたね、ヴィオレッタ様。この展開を、あなたはいずれ後悔することになるでしょう』


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