第三巻 第二章 仕事の成果はたまに予想外③

    ***


 傾きかけた晩春の太陽が、海にあかねいろの光を注いでいる。

 治療院へ戻るリーズを見送り、アナリー様印ののど飴を買って店を出た私とレナルドは、長く伸びた影をお供に海沿いの遊歩道を歩いていた。

「今日はありがとう。なつかしい人たちにも会えて嬉しかったわ」

 私が話しかけると、隣を歩いているレナルドが「本当にな」と相槌を打った。

「港でマチューを見かけても別に驚かないが、あの店でリーズに会うとは予想外だった」

「リーズがのど飴の製作販売に携わってるって、あなたも知らなかったの?」

「ああ。人手不足が解消されたことで、治療院が何か新しいことを始めようとしてると、ダミアンから聞いていたが、まさかリーズがその中心にいるとは思わなかった」

「私もビックリしたわ。でも薬師になりたいという夢を教えてもらえて、すごく嬉しかった。……みんな、どんどん成長してるのね」

 リーズだけじゃない。ダミアンたちも自分の頭で必死に考え、前へ進もうとしている。それはすごく素晴らしいことだ。しかし同時に、心の奥底で寂しいと感じている自分にも気づいて、私は唇をキュッとみしめた。

 ダメだわ。前世で経営コンサルタントをしていた時だって、プロジェクトが完了したら、クライアントに必要以上の干渉はしなかった。ここはダミアンやリーズの自立を手放しで喜ばないと。

 そう思うのに、やっぱり寂しさを完全には打ち消せなくてモヤモヤする。そんな私を見て、レナルドが隣で肩をすくめた。

「ダミアンもリーズも本当によくやってると思う。だが、一番の功労者を忘れてないか?」

 え、あの二人以外に? 今の二人があるのは、彼らの努力が実った結果なのに。

 私が不思議に思っていると、レナルドが呆れたようなため息をこぼした。

「その様子、本気でわかってないんだな。ダミアンの工場設立も治療院の経営改革も、全部あんたが最初に始めたことだろう? あんたに出会わなければ、みんなここまで成長できなかったはずだ。違うか?」

「そんな、大げさよ。私がいなかったとしても、きっとみんな何かしらの解決策を見つけていたはずよ。私との出会いは単なるきっかけに過ぎないわ」

 私は本気でそう思ったのに、その答えを聞いたレナルドはなぜか険しい表情で足を止めた。

「あんたはいい加減、自分の価値を認めたらどうだ? 俺は自分の認めた相手を──あんたのことを、あんた自身にも否定されたくない」

「……レナルド?」

「俺はやはりあんたこそ王の器だと思っている」

「でも、私は──」

「違うと言いたいんだろう? その理由として、革命や戦争が起きた時に自分では最良の決断を下せないから、と前に話していたな?」

 レナルドが先回りをするように、私の不安を口にする。困惑する私に向けて、彼は「いいか?」と真剣な面持ちで続けた。

「あんたが言うように、国の非常時には普段と異なる能力が王に求められるだろう。そのせいで不安に思う気持ちもわかる。だが、あんたが玉座にいる間は戦争も革命も起きない……いや、そういったものを起こさせないと、俺は信じている」

「そんな! あなたはいつも私のことを買いかぶりすぎよ!」

 しがない元経営コンサルタントの私に、そんなたいそうな力があるはずないのに。

「なぁヴィオレッタ、戦争や革命はどういう時に生じると思う?」

 私の抗議を無視して、レナルドが話を続ける。

「得てして民は、上の者に窮状を訴えても助けてもらえない時に、思いあまって革命や暴動を起こすものだ。外交に関しても、交渉の末、武力に訴える以外の手段がないと判断して戦争に踏み切ることが多い。だが、あんたが王だとしたらどうだ? あんたならそういう最悪の事態に発展する前に必ず相手の話に耳を傾けて、対応を考えるだろう? 国王試験が始まってからずっとそうしてきたように」

「それは……」

 私は声もなくレナルドを見つめた。

 どんな場合でも、最初に相手の話を聞いて問題の全容を把握し、その対処法を考えていくのは経営コンサルタントの仕事だ。私はただ前世で学んだことを今世でもやってきただけなのに、レナルドの目にはそういう風に映っていたなんて。

 反応に困っている私の肩に、レナルドが手を置く。

「いいか、ヴィオレッタ? あんたの勇気や優しさは連鎖して人を動かす。今日見てきたことが、あんたが成してきたことの答えだ。あんたが王になれば、この国は必ずい方に向かうだろう。だから……王になるんだ、ヴィオレッタ」

 肩に置かれたレナルドの手が、まるでこの国の意思のように感じられて重たい。その重みに耐え切れなくて、私は目を伏せた。脳裏に、前世を思い出してから出会った人たちの顔が次々に浮かんでは消えていく。

 治療院の経営改革とか、石鹼の大量生産とか、どれも最初は本当に、悪役として破滅する未来を避けたい一心で始めたことだった。

 だけど、そのうちみんなが良い方に向かっていくのを見て、もっと力になりたいと願うようになった。損得なんて考えてなかった。気づけば、無我夢中で自分にできることを一つずつやっていた。そう、それはまるで前世でやり残した経営コンサルタントとしての使命を今世で果たそうとするかのように。

 ──私、もっといい仕事ができるようになりたい。

 ──社会的にいい行いをしている人たちを助けたい。

 ──もし生まれ変わることがあったら、今度はもう周りに流されたりしない。何があっても妥協せず、自分の意志を貫いて生きてやる。

 道半ばで途絶えた前世の想いが、今世の想いに重なって胸を熱くする。

 ラルスを捕らえた今、ここはもう彼が望むゲームの世界と同じにはならない。レナルドもリアムもアナリーも、全員が自分の意思でシナリオにはなかった現実と向き合い、懸命に毎日を生きている。私も悪役王女以外の生き方を選べるなら……今世で何がしたい? 私は今世をどう生きたい?

 あの悲惨なゲームのように、飢えと争いに苦しむ人々を見たくなかった。この国の人たちには平和で幸せに暮らしてもらいたい。リーズのように夢を持つ子どもには、その夢を叶えてもらいたい。そして私を必要としてくれる人がいるなら、その想いに応えたい。

 今までは、たとえ破滅を回避できたとしても、王となった自分が判断を誤った時に生じる損害の大きさに恐れをなして、前に踏み出せなかった。そのこわさは今でも変わらない。だけど、それでも私に──元経営コンサルタントの私だからこそ、この国のためにできることがあるというのなら、私は……。

「私が王になって、本当にいいの?」

「ヴィオレッタ……!」

 レナルドが大きく目を見開く。私は意気込んで続けた。

「私は本当に、どこにでもいるような普通の人間よ? 王になってからも迷ったり、自分の決断に自信がなくなったりすることがあると思う。そんな人間だけど……」

「そうやって民のためを思い、何が最善かを悩み続けるあんただからこそ、俺は王になってもらいたい。それに忘れないでくれ、ヴィオレッタ。あんたが王としてすべてを一人で背負う必要はない。隣にはいつも俺がいる」

「レナルド……」

 私はレナルドの顔をまっすぐに見つめ返した。その言葉は何よりも強く私の背中を押してくれた。

 王になっても、私は一人じゃない。今まで大変な時、一緒に知恵を絞って仕事をしてきたように、この先もレナルドが隣にいてくれるなら頑張れる気がした。でも……。

「どうした? まだ何か気がかりなことがあるのか?」

 レナルドが顔を覗き込んでくる。この胸を焦がす不安を口にすべきかどうか、私は悩んだ。でもやっぱりレナルドには本音を打ち明けたくて、ためらった末に口を開く。

「私のことを真剣に考えてくれて、ありがとう。私にとって、あなたは王配として理想的な相手だわ。でも、あなたは本当にそれでいいの?」

「…………?」

 レナルドの眉が不可解そうに中央に寄る。わかってもらえないことがもどかしくて、私は懸命に言葉を探した。

「いい、レナルド? あなたは誰がどう見たって優秀な上に、この国の第一王子という身分まであるのよ? たとえ王にならなかったとしても、あなたの前には様々な道がひらけているわ。それなのに王配という地位に縛りつけることは、あなたが持ってる可能性を狭めてしまうことにならない? それはあなたにとってもこの国にとっても、最良の選択だと言える?」

 エメラルドのそうぼうが驚いたように揺れる。一拍後、その目はひどく優しい笑みの形を作って私を見つめた。

「あんたは優しいな。俺の将来まで心配してくれるなんて。だが、俺は自分の選択を信じているよ。あんたの隣でこそ、俺は自分の力を最大限に発揮できるはずだ」

「……そ、そう? そう言ってもらえたら嬉しいけど、王配になるってことはその、いずれは世継ぎのことなども考えなきゃいけないのに、私が相手で本当に──」

「くどい。俺は女王としてのあんたも、恋人としてのあんたも欲しいと言ったはずだ。反対に、そう言うあんたの方はどうなんだ?」

「え、私?」

「あんたにとって、俺は仕事の相棒としてはよくても、男としては魅力に欠けるのか?」

「そ、そんなことないわ!」

「本当に?」

 レナルドが思い切り疑わしげな目を向けてくる。私は内心で頭を抱えた。

 ううっ、ごめんなさい。ゲームの攻略キャラという点を抜きにしても、レナルドはすごく素敵な人なのに、私の変な態度のせいで、魅力がないかと不安にさせちゃうなんて。

 レナルドは、私が詳しく話すまで引かないつもりらしい。えーと……。私は迷いながら口を開いた。

「私、あなたは素敵な人だと思うわ」

「……具体的に、どんなところが?」

「えっ!? 具体的に!? えーと、例えば……そう! あなたはすごく気がくじゃない? 宮廷でも城下でも独自のネットワークを築いていて視野が広いし、交渉ごとにも強い。特にあなたのやる根回しは、芸術の域に達してるんじゃないかと思うほどよ」

「……やっぱりあんたが興味あるのは、相棒としての俺だけじゃないのか?」

「ち、違うわ! あなたは目的のために手段を選ばないタイプの人間じゃないし、正義感が強くて義理堅いところも尊敬できると思ってる!」

「……………………」

 ああっ、なんかレナルドの視線が冷たいわ。えーと、今話したこと以外に、異性としての彼の魅力っていうと……。

「そうだわ! 今まで私には結婚願望ってなかったんだけど、やっぱり結婚するなら、相手にはずっと自分のことだけ見ていてもらいたいじゃない? その点、あなたはうわとは無縁そうでいいわよね!」

「……つまり、俺の男としての魅力は誠実さだけだと?」

「そうじゃなくて! あなたは意外といちで情熱的だって言いたかったの! 一緒に仕事をしてる時はいつもすごく冷静なのに、二人きりの時には、その……たまにドキドキしすぎて、どうすればいいかわからなくなっちゃう時があって、困るというか……」

「例えば、今みたいに?」

 レナルドがニヤリと笑って、私の手を取る。

「レ、レナルド?」

「こうされても、ただの相棒相手には何も感じないはずだよな?」

「そ、それはその通りかもしれないけど……」

「けど?」

 待って! 何これ!? もしかして私、自分の気持ちを言葉にするように、さっきからずっと誘導されてる!?

 これ以上レナルドと話していたら、また余計なことを口走ってしまうかもしれない。私は慌てて手を振りほどこうとした。しかし、彼は逃がしてくれなかった。熱を帯びた言葉が私の耳をくすぐる。

「もっと聞かせてくれ、ヴィオレッタ。あんたの想いを、あんた自身の言葉で」

「…………っ!」

 バッと顔を上げた私をレナルドが愛おしそうに見つめる。たったそれだけのことなのに、どうしてだろう? 私は呼吸が浅くなって、全身がっていくのを感じた。

 レナルドのような人が、なぜ悪役王女の私を好きだと言ってくれるのか、いくら考えてもやっぱりわからない。でもこうして二人でいると、熱く甘い気持ちがこみ上げてきて、彼の隣にいたい、彼の一番でいたいと願ってしまう。

「あのね、レナルド。私……」

 普段の私なら、きっとこんなことは恥ずかしくて言えない。でも今だけはレナルドの期待に応えたくて、胸の内に生まれた想いを一生懸命言葉にして紡ごうとした。それなのに、レナルドに見つめられていると、喉の奥で熱にからめ捕られたように声が出なくなってしまう。もっとちゃんと向き合いたいのに、視界が潤んだようにぼやけてしまって……。

「ヴィオレッタ……」

 どこか切なさを帯びた声に名前を呼ばれて、頰がじんとしびれたように熱くなる。その熱を感じるように、レナルドの少し冷たい指先がゆっくりと頰を包む。きっとその感触があまりにも心地よかったせいだ。もっと触れてほしくて、レナルドの手に自分の手を重ねる。

 一瞬驚いたように開かれた目が私を見つめた。何か声に出して言うことも、呼吸すらもままならない。ただただじっと見つめ返す私の前で、ふるりと震えたまつが端整な顔に淡い影を落とした。そのまま吐息さえ触れそうなほど近くにレナルドの顔が近づいてきて……。

「おい、レナード! おまえ、そんなとこで何してんだ!?」

「…………っ!?」

 突然背後で上がった声に、私はハッとして閉じかけていた目を開けた。え、今、私……!

 視界いっぱいに広がったレナルドの顔に、声を失って耳まで赤くなる。目の前で形のいい唇が不服そうに曲がり、かすかなため息がこぼれた。

「……せっかくいいところだったのに」

「おい! レナード、聞いてんのか!?」

 怒りを含んだ声がレナルドのつぶやきをかき消す。この声、まさか……!

 恐る恐る振り向いた私は、全身の血がさーっと引いていくのを感じた。今日はよく知り合いに会う日だと思ったけど、よりにもよって最後にこんな最悪のタイミングで会うなんて。

 夕暮れで人通りのなくなった遊歩道を、ダミアンがこちらに向かってツカツカと大股で歩いてくるのが見えた。しかも、その顔にはくっきりとした青筋が浮かんでいる。なんで?

 ダミアンはレナルドの前まで来ると、私の方には目もくれず、その肩をガシッとつかんだ。

「さっきマチューに会って聞いたんだ。おまえに黒髪美女の恋人ができたって。どうせあいつが何か誤解してるだけだと思ってたのに……これはどういうことだよ!? おまえ、お嬢ちゃんを裏切る気か!?」

 え? この様子、ダミアンは私の正体に気づいてないの? 確かに今の私は変装していて、ぱっと見では誰かわかりにくいけど。

「ダミアン、落ち着け」

 レナルドが肩の手をどけようとしたが、逆効果だった。

「これが落ち着いてられるかよ! おまえはそこらの浮かれた王侯貴族とは違う、一途な男だと思ってたのに! お嬢ちゃんを泣かせるなんて、俺が許さないぞ!」

 ダミアンが義憤に駆られた様子でレナルドに迫る。私は意外な思いでその横顔を見つめた。

 ダミアン、あなた……。今まで他人の恋路をからかってばかりで面倒な人だと思っていて、ごめんなさい。こんなにも私たちの仲を心配してくれていたなんて。下町で多くの人に慕われているだけあって、ダミアンはやっぱり頼りになる兄貴肌なのね。

 私は感動して、ダミアンに対する評価を大幅に上方修正した。けれど……。

「確かにあのお嬢ちゃんはおとこにあふれている分、色気の方は……うん、まぁ言わぬが花ってやつかもしれない。しかしだからと言って、他の美女に走るのはダメだろう!?」

「……………………」

 前言撤回。私の中のダミアン株がヒューンと音を立てて暴落していく。

「ダミアン」

 自分のものとは思えないほど低い声が私の口からこぼれた。レナルドがギョッとして振り向いたけど、ダミアンの方はこの異常事態に気づいていない。彼はこちらを見向きもせずに、ぞんざいな口調で言い放った。

「悪いが、俺は今レナードと話してるんだ。あんたにはあんたの言い分があるのかもしれないが、少し黙って──」

「いられるわけないでしょ! 色気がなくて悪かったわね! 私の言い分はそれだけよ!」

「……へっ!?」

 きっと豆鉄砲を食ったはとだって、ここまでは驚かない。レナルドの肩に手を置いたまま、目を点にしたダミアンがぎこちない動作で振り向く。一拍おいて、その顔が真っ青になった。

「その紫の瞳! いつもより何倍もおしとやかな見た目だが……お嬢ちゃんなのか?」

「失礼極まりないコメントだけど、そうよ! 私よ!」

「ってことは、レナードに恋人ができたって、マチューが騒いでた相手は……」

「ヴィオレッタだ」

 レナルドが放ったとどめの一撃に、ダミアンが無言で天を仰いで頭をかきむしる。いや、その反応をしたいのは、彼に変な場面を目撃された私の方なんだけど。

 レナルドの方を見ると、私と同じように一気に疲れたのか、やれやれと肩をすくめていた。

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