第三巻 第二章 仕事の成果はたまに予想外①

「すごいわ、レナルド! 海よ!」

 熟練の侍女の手で変装を施されてから約一時間後、レナルドと一緒に馬車を降りた私は、目の前に広がる海に歓声を上げた。

 今世で海に来たのは今日が初めてじゃない。しかし、それは治療院の場所代を巡ってダミアンのアジトに乗り込んだ時とか、ラルスから逃げるために海沿いの倉庫街を爆走した時とかで……うん、今ここで海に関する思い出を上書きした方がいいと思う。

 私は海岸に沿って整備された遊歩道の真ん中で腕を広げ、潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。春の陽光を受けて銀色に輝く海は、見てるだけで心が洗われそうで……あっ、危ない!

 私は慌てて頭を押さえた。突然の海風に、かぶっていたウィッグが飛ばされそうになったのだ。よかった。いくら周囲に人がいないとはいえ、油断は禁物だもの。

「大丈夫か、ヴィオレッタ? そうやってはしゃいでると、まるで子どもみたいだな」

 何それ? ムッとして顔を上げると、楽しそうに笑うレナルドと目が合った。

「久々の外出で私も嬉しいのよ。まさかまたお忍びで城下に来られるとは思ってなかったから。しかも今日は国王試験の最中と違って、スヴェン先生の監視や採点もないわけだし」

「ああ、そうだな。俺も私用で街に出るのは半年振りくらいだが、やはりいいな」

 レナルドが嬉しそうに目を細める。その姿はレナードを名乗っていた頃と変わらない。平民にしては上品でも、大仰すぎない服装に身を包んでいる。一方の私は、すみれ色の瞳以外はほぼ原形をとどめていない仕上がりになっていた。

 瓶詰め工場が放火された晩、私は民衆の前で王女だと名乗ってしまったからね。商家の娘ヴィオラとして街を出歩くことは難しくなってしまった。だけど、そんな私でも特徴的な赤髪を黒のウィッグで隠して化粧をすれば、あら不思議。別人の振りをして外出できるというわけだ。……まぁ、中身は全然変わってないけど。

「はぁー、海の青さが目にしみるわー」

 私が雄大な自然に癒やされていると、隣でレナルドが意外そうな顔をした。

「あんたがそこまで海好きだとは知らなかったな。知ってたら、もっと早く連れてきたのに」

「ありがとう。でも今日、視察のついでに海を見られただけで満足よ」

 本心からそう思って、レナルドに笑いかける。すると、彼はなぜか不服そうに唇の端をムスッと曲げた。え、なんで?

「仕事でないと、俺はあんたと一緒に海に来てはいけないのか?」

「え?」

「俺はあんたの喜ぶ顔が見たいし、あんたの好きなことももっと知りたい。それじゃあ、ダメなのか?」

「…………!」

 何この反応! 普段は知的で冷静なレナルドがすねてる。その姿はなんだかやたらと新鮮でかわいくて……。

「ヴィオレッタ、返事は?」

 レナルドが上目遣いに聞いてくる。うわぁぁぁー。目が合った瞬間、ムズムズとした照れくささがこみ上げてきて、私はとっさに顔を背けてしまった。

 レナルドの言葉はそりゃまぁ、嬉しかったよ。とはいえ、ここで素直に「私のことをもっと知って」と言えるようなら、転生前からもっと器用に仕事も恋もこなしている。ああ、でも「結構です」と断って、レナルドを傷つけるのも嫌だし……!

 レナルドは、私が答えを出すまで逃がさないつもりらしい。というか、私の反応を面白がってない? さっきまで不満そうに曲がっていた唇が、今は愉しそうにつり上がって見える。

 こ、こういう時はどう返すのが正解なの……!?

 思わず頭を抱えた私の耳に、その時、ガヤガヤとしたけんそうが聞こえてきた。何かと思って後ろを向くと、港のある方からこちらに向かって大勢の人たちが歩いてくるのが見えた。レナルドの意識もまた私から逸れて道の先を見る。今だ!

「ねぇ、レナルド! 港に客船が着いたのかしら?」

 私は無駄に大きな声を出して、遊歩道の先を指さした。

「せっかくだし、私たちも見に行ってみましょう!」

「待て! そんなに急ぐと危ない!」

 この状況から逃げたい一心で素早くきびすかえした、その瞬間、私の視界はぐらりと傾き──。

「ギャッ!」

「ヴィオレッタ!?」

 私は色気のかけらもない悲鳴を上げて倒れ込んでいた。それも、レナルドの腕の中に。

「急に動いたら危ないだろう! 今日はいつもより高いヒールを履いてるのに!」

「ご、ごめんなさい」

「本当に、あんたというやつは……」

 レナルドがあきれたように言って、私の身体からだから手を離す。

 私は二重の意味でホッとした。助けてもらったことには感謝しても、あのままくっついていたら、異様に速くなった鼓動に気づかれてしまいそうだったから。そんなことになったら、恥ずかしさのあまり王宮まで走って帰るところだったわ。

「えーと、それじゃあ、改めて港の方に……っ!?」

 再び歩き出そうとした私は、ビックリして息が止まりそうになった。レナルドが不意に私の手をつかんだのだ。

「あ、あの、レナルド? これは……」

「港を見たいんだろう? 行くぞ」

 レナルドが私の手を握って歩き出す。

 待って! レナルドは、私がまた転ばないように心配してくれてる……わけじゃないよね? どちらかといえば、これは恋人同士の手つなぎデートみたいで……自分の発想に耳まで熱くなる。

 どうしてレナルドはこういうことが自然にできるんだろう? 手をつないで海辺を歩くなんて、私はものすごく照れちゃうのに。

 気になって、レナルドの横顔を盗み見る。私は目をみはった。前を向いたレナルドの耳がわずかに赤くなっているように見えたんだ。

 もしかしてレナルドも内心では照れてるの? それでも私と手をつなごうとするなんて……あぁぁー、もうっ!

 ほのかに赤らんだレナルドの横顔を見ていると、胸の奥がキュッと締め付けられるように甘くうずいて、無性に叫び出したい気持ちになる。それなのに、手を放すことは不思議とできなくて……私たちは互いにうまい言葉を見つけられないまま、並んで港に向かった。


    ***


 今日は特にイベントもない普通の日なのに、港は人でごった返していた。

 この世界では、外洋に出る船こそ蒸気船に置き換わりつつあるものの、国内各地を結ぶ商船は未だに帆船が主流らしい。前世の映画でしか見たことのないような船がずらーっと並んでいる光景に、私は一気にテンションが上がった。

 すごい! 我が国は島国のロワール王国に次いで高い海運力を誇ると、本で読んだのも納得の光景だ。

「こうして船着き場を見学するの、あんたは初めてか?」

 レナルドに聞かれて、私は勢いよくうなずいた。

「ダミアンとの打ち合わせで近くまで来ることはあったけど、こんな間近で見るのは初めてよ。あ、あっちに泊まってるのは客船かしら?……あれ? でも客船にしては、大型の荷物を大量に積み込んでない?」

 前世で見たコンテナの代わりだろうか。大きな木箱をいくつも運び入れている帆船を目にして、私は首をかしげた。停泊場所によって客船と貨物船を分けてるのかと思いきや、そうでもないのだろうか?

「あれは客船と貨物船の中間タイプだな」

 私がじっと船を見つめていると、気づいたレナルドが教えてくれた。

「地方から王都に来る時は満席の船も、帰りに乗客が減った状態で運航するのはもったいないだろう? そういう場合、客席に積み荷を載せられるように、船の仕様を変更するんだ」

「へぇー、賢いやり方ね」

「気になるなら、もっと近くで見てみるか?」

「いいの?」

「ああ、作業の邪魔にならなければ問題ないだろう」

 やった! さっきから気になってしょうがなかったのよね。

 私はウキウキしながら、レナルドと並んで船に近づいて行き、その途中でふと目を眇めた。あれってまさか……。

 積み荷の中身が何か、すぐわかるようにするためだろう。木箱の表面に、赤いペンキででかでかと文字が書かれていた。「瓶詰め」と。

「ねぇレナルド、あの木箱って」

 私が積み込まれていく荷を指さした、その時だ。

「おい、レナード! そこにいるのはレナードじゃないか!」

 へ? 突然の声かけに、私はビックリして足を止めた。声の主は商人らしき男だった。彼は船に荷を積んでいる男たちのそばを離れ、こちらに向かって歩いて来た。

 レナルドのことをレナードの名前で呼んだってことは、下町の商人? この顔、私もどこかで見た気がするけど……。

「マチュー、久し振りだな。コルト地方へ瓶詰めを運ぶのに船を雇ったのか?」

 レナルドが商人に向かって軽く手を振る。

 思い出した! 彼は、魚の瓶詰めを地方へ売り込むために、レナルドが声をかけた商人だ! コルト地方で豚の伝染病が流行はやりそうだとレナルドに聞いて、代わりのタンパク源となる魚の瓶詰めを大量に買い付けてくれたのよ。うわぁー、なつかしい。

 私がマチューと会ったのは一度だけ。それも一年近く前のことだ。今の変装中の私を見て、あのヴィオラだと気づくことはないと思うけど、それでも緊張して、マチューが近づいてくるのを待つ。

 彼は満面の笑みでレナルドに手を振っていたが、その動きが途中で止まった。

 え!? もしかして私の正体に勘づいた!?

 焦って一歩下がる。その耳に、マチューが声を張り上げるのが聞こえた。

「レナード! おまえ、しばらく会わないうちに恋人ができたのか!?」

 ……ん? この人は急に何を言って……あっ!

 マチューの視線がレナルドの手元に向けられていることに気づいて、私はハッとした。

 私、レナルドと手をつないだままだった! こんな場面を知人に見られるなんて……!

 慌てて手を振りほどこうとする。その手をレナルドがギュッと握りしめた。

「余計なこと言うなよ、マチュー。彼女は恥ずかしがりやなんだから」

「かーっ、見せつけやがって! どんな女にもなびかないと思ったら、本命がいたのかよ」

 マチューが楽しそうに軽口をたたいて、私たちの前まで来る。彼はその瞳に隠しきれない好奇心を宿しながら、ニコッと笑いかけてきた。うっ、嫌な予感……。

「美しいお嬢さん、はじめまして。お名前は?」

「え、名前? 私の?」

「…………? お嬢さん以外にいないよ」

 そりゃそうだ。この場にいる女性は、どう見たって私一人。……じゃなくて!

 まさかこんなところで知り合いに会うと思わなくて、偽名を考えてこなかった。ヴィオラと面識のあるマチューを相手に、ヴィオラを名乗るわけにもいかないし、どうしよう?

 焦る私に、マチューは違和感を覚えたらしい。その眉がわずかにひそめられた、その時だ。つないでいた手をレナルドが急に引っ張った。今度は何!?

 問い質す間もない。驚いてる私をレナルドが自分の方に引き寄せ、背中に隠す。

「悪いがマチュー、あんたに彼女の名前は教えられない。こう見えて、俺は独占欲が強い方なんでね」

「レ、レナ……ード!? 何を言って……!」

 思わず頰がぶわっと熱くなる。

 ああ、ほら! マチューもあつにとられたのか、口をポカンと開けてるじゃない!

 一拍おいて、彼はやれやれと肩をすくめた。

「はぁー、お熱いことで。いくらお嬢さんが美しいからって、おまえが相手じゃ最初から勝ち目なんてないんだから、口説きゃしないよ」

「納得してもらえたようで、何よりだ」

 レナルドがマチューにニッと笑いかける。私は内心でもだえした。

 今のは私の正体がバレないように、マチューをはぐらかしてくれたんだとわかってる。それでもあんな極甘のセリフを堂々と口にされて、冷静でいられるはずがない。しかもマチューは私たちの仲が気になって仕方ないのか、妙にニヤニヤした顔でこっちを見てるし!

「ところでマチュー、瓶詰めの売れ行きは最近どんな感じだ?」

 きっとまた私を気遣ってくれたんだろう。レナルドが何気ない風を装って話題転換を図る。

「ダミアンの話だと、だいぶ在庫がはけてきたようだが」

「あっ! そうだ、瓶詰め! おまえに会ったら、話そうと思ってたことがあんだよ!」

 やっぱりマチューは根っからの商人らしい。レナルドが商品の話題を振った途端、顔つきが変わった。彼はホッとしている私には目もくれず、興奮した様子で話を続けた。

「コルト地方で豚の伝染病が流行るかもしれないって、去年おまえが教えてくれただろう? おかげで事前の対策もできて、畜産業界への被害も軽微で済んだんだが、それでもやっぱりタンパク源が少し不足してさ」

「それで、仕入れた瓶詰めをすべて売り切ることができたのか?」

「ああ、しかもそれだけじゃない」

 マチューがフフッと意味ありげな含み笑いを口元に浮かべる。

「正直、俺は去年だけでも売れてくれればいいと思ってたんだが、これが意外にも好評でさ。コルト地方では、一般家庭でも瓶詰めを保存食として買い置きするようになったんだよ。おかげで、今年は瓶詰めの在庫を確保する方で苦労してるくらいだ。ダミアンの奴、王都以外の都市にも工場を建ててくれたら、輸送費を削減できていいのになぁー」

 最後の方は愚痴っぽくなっていても、マチューは自分の仕事に満足してるらしい。誇らしげな顔つきで胸を張っている。その姿を私は食い入るように見つめてしまった。

 今の話、本当なの?

 ダミアンの帳簿を見ることで、瓶詰めの販売数が伸びてることは知っていた。それでもやっぱり、商人から聞く生の声はインパクトが全然違う。転生したばかりの頃、わらにもすがる思いで始めた事業が今では多くの人に受け入れられ、喜ばれてるなんて……。

 目頭がじんと熱くなって下を向く。すると、レナルドがつないだままでいた手をギュッと握りしめてきた。その顔には「よかったな」という優しい笑みが浮かんでいる。

 もしかして今日レナルドが私を海に連れてきたのは、この話を聞かせるためだったの? いや、でもここでマチューに会ったのは偶然よね? それなら、なんで……。

「ダミアンのとこでは、この間から肉の瓶詰めも作り始めただろ? あれは俺がにらんだ通り、船乗りに人気が出たな」

 私の内心に気づくはずもなく、マチューは熱心にレナルドと会話を続けている。

「最近、俺たち商人の間ではレモンスカッシュも話題になっていてさ。俺もこの間、同郷の仲間にあの店を紹介してやったぜ。その中の何人かは、王都へ来たついでに店まで足を運んで、実物を試したみたいだ。うまい上に身体によさそうだって、喜んでたぞ」

 ……ん? マチューの説明に、私は首をひねった。あの店って、どこのことだろう?

 私にはわからなくても、レナルドには話が通じてるらしい。満足そうにうなずきながら、マチューの話に耳を傾けている。なに、この疎外感。

 私は今すぐマチューに質問したかった。けれど、今の私はヴィオラじゃない。商売の話に食いついて正体がバレてもいけないし……うーん!

 私が一人でモヤモヤしていると、船に瓶詰めを積んでいた男がマチューを呼びに来た。報告を受けたマチューが、こちらを向いて残念そうに眉尻を下げる。

「悪い、レナード。荷積みが完了したらしい。俺はもう行くが、また会えるよな?」

「ああ。最近は忙しくてカフェに行く機会も減ったが、これが今生の別れというわけじゃない」

「だな! いい商売の話があったら、またいつでも声をかけてくれ! おまえなら大歓迎だ!」

 マチューが笑顔で手を振りながら、桟橋の方へ去って行く。その姿が船の中へ消えるのを待って、私はようやくレナルドに話しかけた。

「ねぇ、さっきマチューが話してた店って何? あなたは行ったことがあるの?」

「ああ。その店こそ、まさに今日あんたを連れて行こうと思ってた場所だ」

「え?」

 レナルドがなぜかイタズラっぽく笑う。彼はそれ以上私に質問する隙を与えず、手をつないだまま歩き出した。

「ちょっ! レナルド!?」

 どうやら今日一日、レナルドは私を放す気がないらしい。いくら抗議しても、固く握られた手が離れることはなかった。ううっ……。

 触れた体温を意識しては、何度も耳まで赤くなってしまう。そんな私を愉しそうに眺めながら、レナルドは足取りも軽く港を出て行った。

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