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昼は貴族たちの活気でにぎわう王宮も、夜になるとわずかな衛兵を残して眠りに就く。
王宮の正門で馬車を降りた私は、寒々とした廊下をレナルドと二人で歩いていた。リアムはいない。一日の疲れがどっと出たのか顔色の悪くなった弟をレナルドは先に部屋へ戻し、代わりにこうして私のエスコートを申し出てくれた。
レナルドの横顔をそっと仰ぎ見る。彼とマティアスの関係について聞きたくて、二人きりになる機会を待っていた。それなのに、いざこうしてレナルドのつらそうな表情を前にすると、どう切り出したらいいかわからない。
ちらちらと様子を窺いながら廊下を歩いているうちに、私の部屋に辿り着いてしまった。
「おやすみ、ヴィオレッタ。また明日」
レナルドが背を向ける。やっぱり今日話すのは無理か。しょうがない。
私は挨拶だけして別れようとした。でも、できなかった。いつものレナルドじゃない。少し丸まって見えるその背中は、孤独と痛みに必死で耐えている子どものように感じられたんだ。
いくら完璧に見える人にだって、耐えられないことはある。今がきっとそうだ。こんな状態のレナルドを一人にしてはいけない。そう感じたのは私の本能だろうか。
去りゆくレナルドの上着を、私はとっさに後ろから引っ張っていた。
「ヴィオレッタ? 急に何を……」
「大丈夫よ、レナルド。私もリアムもあなたのそばにいるわ。だから、なんでも一人で抱え込まないで、つらい時はつらいと教えて。私にできることであれば、なんでも協力するから」
「………………」
レナルドが額に手を押し当て、横を向く。あからさまな拒絶に胸がチクッと痛んだ。最近、仲良くなってきたとはいえ、やっぱり元悪役王女の私が相手じゃ頼りにならないか。
つかんでいた上着をそっと放す。視界の端で、レナルドの肩が小刻みに震えて見えた。
「レナルド? 急にどうし……」
「……俺のせいなんだろうか?」
「え?」
「マティアスがあそこまで変わってしまったのは、やっぱり俺のせいなんだろうか?」
「どういうこと? あなたとマティアスの間で、過去に何があったの?」
レナルドが自分を落ち着かせるように深く息を吸い、こちらを向く。私はドキッとした。深い後悔を秘めた瞳が、どんな涙よりも雄弁に彼の傷ついた心を語っているように思えたから。
戸惑う私に向け、レナルドが伏せた睫をわずかに震わせながら口を開く。
「あんたは覚えているか? 前に俺が話した友人のことを」
「え? 友人って……あなたが離宮にいた頃、仲良くしていた下働きの少年のこと? 確か身分にうるさい家庭教師の手で、無理矢理仲を引き裂かれたと言ってたわよね?」
「その友人こそ、マティアスなんだ」
「…………!」
私は驚きすぎて何も言えなかった。だって、そんな偶然ってある? 何年も前に泣く泣く別れた友人が枢機卿となって目の前に現れるなんて。
「あんたさえ嫌でなければ、聞いてほしい。あいつと離宮で過ごした日々のことを」
私に断る理由はない。私はレナルドを部屋に招き入れ、並んでソファーに腰掛けた。レナルドが膝の上で祈るように手を組み、目を伏せる。
「マティアスと出会ったのは、離宮に越して間もない頃のことだった。当時の家庭教師は俺とまるでそりが合わず、ことあるごとに俺の言動を否定してはダメ出しを繰り返していた。そのせいで、ある日何もかも嫌になった俺は授業が終わるなり庭に飛び出し、そこで……」
「マティアスに出会ったのね?」
「いや、出会ったというか、目の前の木からあいつが落ちてきたんだ」
「は?」
なに、その映画みたいにドラマチックな出会い! でも、現実に人が突然目の前に降ってきたら慌てるか。妙に納得した私を見て、レナルドがクスッと笑う。
「とんでもない奴だろう? 実際、俺もそう思ったよ。あいつは腹が減ったんで、こっそり庭のリンゴをもいで食べようとしていたらしい。俺は離宮の主として、あいつを叱ろうとした。だが、昼食を抜いていたせいで腹が鳴ってしまい」
「わかった! そのリンゴを分けてもらったことで、友達になったのね!」
「違う。あいつは俺の前で、一個しかないリンゴを堂々と食べ始めたんだ」
「え? 王子のあなたがリンゴに熱烈な視線を注いでいたのに?」
レナルドが「ああ」とうなずき、くすぐったそうに笑う。
「あいつはリンゴを完食した上で、唖然としている俺に宣った。『自分の欲しいものは自分で取りに行かなきゃダメだろう? 待っているだけじゃ、何も手に入らない』と」
「それで、あなたはどうしたの?」
「当然、木に登ったよ。年の近い相手からそんな風に煽られて黙っていられるほど、大人じゃなかったんでね。とはいえ、木登りなんて初めての経験で、落ちそうになったところを何度も助けてもらった。あいつは口ではなんだかんだ言いつつも、面倒見が良かったからな」
「あのマティアスが? 信じられない」
しかしレナルドにとっては、そっちのマティアスの方が自然だったのだろう。当時のことを思い出したのか、なつかしそうに目を細めている。
「木の上から見下ろした離宮は、俺の知っている鬱々として閉じられた世界ではなかった。そこは、どこまでも広がる大きな世界の一部に過ぎなかったんだ。視点一つで世界が変わって見えることを、俺はあの時、初めて実感した」
……ああ、だからか。レナルドの価値観や考え方は、他の王侯貴族とかなり異なる。きっとそういった子ども時代の経験が大きく影響しているのだろう。
「あの日のリンゴは、今までの人生で食べたリンゴの中で一番おいしかったよ。リンゴなんて食べ慣れていたはずなのに、不思議だよな。俺はあの味が忘れられなくて、それから家庭教師の目を盗んではマティアスと一緒によく木登りをするようになったんだ」
「そこで、今度こそあなたはマティアスと友達になったのね?」
「ああ、やっとな。あいつは俺が王族だと知っても態度を変えなかった。それどころか、いつも兄貴風を吹かせたがっていた。俺はあいつからいろんな遊びを教わったし、時には二人でイタズラもした。そんな俺たち悪ガキの後始末を、あいつの親父さんはいつも嫌な顔一つせずに手伝ってくれたんだ。俺はあいつも親父さんのことも好きだった。それなのに……!」
レナルドが拳を握りしめ、下を向く。
「離宮で働いていたあの親子がなぜ救貧院に入ったのかは知らない。だが、もし俺が家庭教師の脅しに屈せず、あいつと友人関係を続けていたら、きっと困っているあいつを助けられた。そうしたら親父さんが早死にすることも、あいつの性格があんなに冷たくなることもなかったかもしれないのに……!」
レナルドの指が掌にきつく食い込む。私は見ていられなくて、その上に自分の手を重ねた。
慰めの言葉は思いつかないし、下手に何か言いたくもない。でも、これだけは伝えておかなければならない気がする。
「レナルド、落ち着いて。あなたの最後の話はすべて仮定よ。必ずしもそうなったとは限らない未来の話だわ」
ともすれば冷たく感じられる発言に、レナルドの動きがピタッと止まる。私は彼の手を握りしめて続けた。
「あなたが言うように、家庭教師があなたとマティアスの仲を裂かなければ、あの親子には別の未来があったかもしれない。それでも現在につながる道を選んだのはマティアス自身よ。他人のすべての選択に対してあなたが責任を感じるのは、ちょっと傲慢だと思うわ」
「だが、俺は……」
「あなたがマティアスに負い目を感じる気持ちもわかるわ。大切な友達だもの。でもそう思うなら、よりいっそう今できることに目を向けましょう! マティアスのような人をこれ以上出さないためにも、今の私たちにはできることがあるはずよ!」
マティアスには鼻で笑われた言い分だし、きれい事だってわかってる。だけど、今まで必死で破滅を回避しようと努力し続けてきた私は身をもって知っているんだ。過去を変えられないのであれば、未来をどうにかするしかないと!
レナルドの反応を窺う。彼はまるで珍獣でも目にしたかのように私の顔を凝視していたけれど、やがてその口元にフッと笑みを浮かべた。
「あんたは強いな……。教会でマティアスに自分の意見を全否定されたあとでも、そうやって前を向き続けていられるなんて」
「え、そう? あの時は私もへこんだけど……やっぱり自分にできることがあるなら、やりたいじゃない? あとになってから『ああすればよかった』と後悔する人生は嫌なのよ」
前世の最期でも誓ったからね。もし生まれ変わることがあったら、今度はもう周りに流されたりしない。何があっても妥協せず、自分の意志を貫いて生きてやるって。
思わず力説した私を見て、レナルドが苦笑する。
「たとえ落ち込むことがあったとしても、そうやって再び行動できる人間のことを『強い』って言うんだよ。……なぁ、ヴィオレッタ」
「ん? なぁに?」
「あんたの強さを分けてくれないか?」
意味がわからず、首をかしげる。そんな私の肩に、レナルドがトンッと頭を乗せた。
「レ、レナルド? 急に何を……」
頬がカーッと熱くなる。レナルドにそういう意図がないのはわかっていても、鼓動が跳ね上がるのを止められない。前世と今世を通じて、私は恋愛に免疫がないんだから!
ああ、もう! 私はレナルドの頭を引き剥がそうとして……やめた。なんだか今、彼の顔を見てはいけない気がしたから。
昔の友達と再会できたと思ったら、相手は身分も性格も激変していて、あまつさえ後ろ暗い噂までついてきたんだよ? きっと私が考えている以上に、レナルドもショックを受けているのだろう。今だって泣き顔を見られたくなくて、こんなことをしているのかもしれない。
しょうがない。私でよければ、肩くらい貸してあげるわ。
ちょっとだけ全身の緊張を緩めて、肩先から伝わってくる熱を受け止める。
前世を思い出したばかりの頃、私の目にレナルドは完璧な王子様に映って見えた。でも、今は違う。彼は強さも弱さも併せ持つ一人の人間なんだと、今さらながら意識する。彼が私を助けてくれたように、私も彼の力になりたい。そのためにも、まずは教会をどうにかしないと。
明日からのことに思いを馳せる。その思考はノックの音で現実に引き戻された。うわっ!
互いの身体から反射的にパッと離れる。いや、別にやましいことは何もしてないんだけどね! 思わず距離を取った私たちの耳に、侍女の声が聞こえてきた。
「ご歓談中に失礼いたします。スヴェン先生が訪ねていらっしゃったのですが、こちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」
「え、先生が? こんな夜中に?」
驚いてレナルドの方を見る。……あ、いつものレナルドに戻ってる。その瞳からは迷いが消え、代わりに思案する様子が見て取れた。
「先生が夜中に王族の私室を訪ねてくるなんて、よほどのことだろう。会おう」
「かしこまりました。お呼びしますので、少々お待ちくださいませ」
レナルドの指示を受け、侍女が扉から離れる。それからすぐにスヴェンが入室してきた。
「夜分遅くに申し訳ございません。おや、レナルド様もいらっしゃるとは、これはこれは」
「先生は何がおかしいのでしょう? 私がここにいては、何か問題でも?」
「すみません。私のこの顔は地顔でして。お気を悪くされたのであれば、謝ります」
いつもと変わらないスヴェンの笑みを、レナルドがどこか冷めた目で見る。
「えっと、先生もどうぞお掛けください。今夜はどういったご用件でしょう?」
「実は火急でヴィオレッタ様にご確認いただきたいものがあり、こちらに参りました」
スヴェンはそう言うと、私の勧めたソファーには目もくれず、まっすぐこちらに歩いてきた。その懐から取り出した紙を手渡される。なんだろう? 手紙を四つ折りにはしないだろうし。
不思議に思いながら紙を開くと、中には見慣れた文字が並んでいた。……えっ!?
『お疲れ様です、ヴィオレッタ様。ゲームの一周目をクリアなさったことで、そろそろ教会イベントが始まった頃でしょうか? マティアスはお気に召しましたか?』
私は愕然として手元の文面を凝視した。こんなふざけた手紙を書いてよこす相手には、一人しか心当たりがない。しかし彼は今、監獄に囚われているはずで……。
手紙を持ったまま思案する。その時、私はふと視線を感じて顔を上げた。スヴェンがじっとこちらの反応を窺っていた。その顔は笑みをたたえていても、目が笑っていない。なんで?
私はスヴェンと手紙を見比べ、ハッと息を吞んだ。この手紙、日本語で書かれてるんだ!
この世界で生まれ育ったはずの私が、日本語を理解できるはずがない。スヴェンがなぜ私を試すような真似をしたのかはわからないけれど、この手紙の感想を答えてはダメだ。
「あの、ここに書かれているものは文字でしょうか? 初めて見ます」
私の答えは不自然に聞こえなかっただろうか? 内心ドキドキしている私と対照的に、スヴェンの表情が少しだけ緩んで見えた気がする。これはセーフ、だよね?
「実は今日の午後、ラルスの尋問を行った際にこの手紙を渡されたのです。彼は『ヴィオレッタ様にこれを渡せば、自分の意図が伝わる』と言っていましたが、私にはなんのことだかさっぱりわからず……念のため、こうして確認していただいた次第です」
ラルスめ! 投獄されてもなお私を陥れようとするなんて、いい根性してるじゃない!
「ヴィオレッタ様にも解読できなかったということは、やはりすべてラルスのでまかせだったのでしょう。困ったものです」
「本当ですねー。実に迷惑な人だこと」
「しかし、なぜラルスはヴィオレッタにこんなものを見せようとしたんだ?」
横から手紙を覗いたレナルドが首をひねる。お願い! そこは深くつっこまないで!
「ラルスの真意は私にも理解しかねます。尋問と並行して、手紙の調査も進めましょう」
正直、私は手紙を前にして生きた心地がしなかった。けれど、幸いにして今夜はもう遅い。スヴェンは私の手から問題の手紙を回収すると、すぐに部屋を出て行った。
レナルドも夜中に女性の部屋に長居する気はなかったらしい。少し名残惜しそうにしつつも、「また明日」と言い残し、スヴェンのあとに続いて帰って行った。
一人になった途端、私はどっと疲れてソファーに身を投げ出した。こ、恐かった……!
私があの手紙を読めると知ったら、いくらあの二人だって、私とラルスの共犯を疑うだろう。せっかく破滅を回避できたと思ったのに、今さら振り出しに戻るなんて冗談じゃないわ!
まぁ、ラルスとしてはそれが目的で私に手紙を書いたんだろうけど、それにしてもその内容が引っかかる。
教会イベントって、私たちが教会の監査に入ったことと何か関係があるの? しかも、このタイミングでラルスがマティアスの印象を尋ねてきたのは偶然だろうか?……ああ、もう!
こみ上げてくる苛立ちと疑問を抑えきれず、近くにあったクッションをバシバシたたく。その時だった。ふと、前世の友人と交わした会話が脳裏によみがえった。
そう、あれは友人から借りた「グランドール恋革命」というタイトルのゲームを、就活の合間にちまちまプレイしていた時のことだ。
『ねぇ茉莉、グラ恋の攻略状況はどう? 二周目にもう突入した?』
『二周目? って、なんで同じゲームを何度もプレイするの?』
『え、知らないの? キャラを全員攻略できたら、二周目以降でとっておきの隠しキャラの出てくるルートが開くんだよ!』
『へー、そうなんだ。でも私、革命の起きるストーリーが好きなだけで、恋愛イベントにはあまり興味ないからなぁ』
『乙女ゲームをプレイしておきながら、何その塩対応! 最後までプレイしないなんて、絶対損してるよ! 何しろ隠しキャラはレナルドの幼馴染みで、すごいイケメンの……』
それ以上の会話は覚えていない。しかし、それで十分だった。
「まさかマティアスも攻略キャラの一人なの?」
つぶやくと同時に、ゾワゾワとした悪寒が全身に広がっていく。
もし本当にマティアスが「グランドール恋革命」の隠しキャラだとしたら、彼の登場はゲームが二周目以降に突入したことを意味していて……そんな! 確かめないと!
少しでも不安を取り除きたくて、机の奥から取り出した破滅対策用のノートに思い出したことを次々に書き出していく。しかしその行為は、破滅の足音が再び近づいてきていることを私に確信させるだけだった。
だってマティアスがゲームの隠しキャラだとしたら、彼がレナルドたちに負けず劣らず整った顔立ちをしていることにも、このタイミングで私たちと会ったことにも、すべて納得いく気がしたんだもの。
前世の、ましてやゲームのことをレナルドたちには相談できない。気兼ねなく話せる唯一の相手がラルスだなんて、ひどい冗談だ。この状況下で、私は今後どう動けばいい?
信じている人にも秘密を共有できない孤独感と将来への不安に耐えきれず、クッションに顔を埋める。独りの夜は慰めもなく、ただ悶々と過ぎていった。
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