正式な挨拶をする前に教会上層部の面々と遭遇してしまった私たちは、気まずい雰囲気の中教会に所属する修道院の応接室に案内された。
目の前には今、教会の上層部を構成する面々が並んで座っている。右から順に無表情のマティアス、瘦せぎすのバチスト、そしてふくよかなもう一人の枢機卿と光の乙女だ。
バチストともう一人の枢機卿は、先ほど私たちの前で見せた失態の影響や、レナルドとマティアスの関係が気になっているのか、落ち着きがない。そんな二人と対照的に、光の乙女は顔に穏やかな笑みを浮かべながら、おっとりした口調で私たちに話しかけてきた。
「王族の皆様には、乙女の代替わりを前にこのような交流の場を設けていただき、感謝します」
「こちらこそ今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます。王族がこちらの教会にお邪魔するのは三年ぶりだと聞いていますが、教会の皆様はお変わりございませんか?」
私の発言に、バチストともう一人の枢機卿が顔を引きつらせた。そりゃまぁラルスのような反逆者を出したのだから、お変わりありまくりだよね。その反応は正しいよ。
逆に私は「おかげさまでつつがなく過ごしております」と返した光の乙女や、無表情を貫いているマティアスの方がよほど気になった。本心が読めない仮面の下で、この二人は何を考えているんだろう? それに、マティアスとレナルドの関係は?
先ほどからレナルドは明らかにマティアスのことを意識しているのに、公の場のせいか話しかけることはなかった。マティアスの方も同じだ。その微妙な距離感がじれったい。
ただ、いくら二人の関係が気になっても、今は他に話すべきことがある。
「今日は折り入って教会の皆様にご相談したいことがあり、こちらへ参りました」
「まぁ、どのようなご用件でしょう?」
光の乙女がことりと首をかしげる。私は背筋を正し、意を決して続けた。
「皆様もご存知のように、陛下は今後一年以内に王座を退かれるおつもりです。私たち王族は教会の皆様と足並みをそろえながら、乙女の代替わりも同時に実現できると考えていました。しかし残念ながら、そう信じていたのは私たちだけだったようです」
「それは、いったいどういう……」
「あの事件が私たちに与えた衝撃は、それほど大きかったということです。ラルスは捕まりましたが、それでもまだ私たちは完全に安心することができずに困っています」
「……ヴィオレッタ様は、ラルスの背後に我々教会が控えているとお考えなのでしょうか?」
静かな怒気をはらんだ声が上がった。バチストだ。彼は高位の聖職者でありながら、割と直情的な性格をしているらしい。あからさまに警戒している彼に、私はイエスでもノーでもなく、スヴェンを真似た笑みを向けた。
「乙女の代替わりを控えている今、王族と教会の間で生じた誤解は即刻解消されるべきです。そのためにも王族と教会の交流を増やしたいと思うのですが、いかがでしょう?」
「……ヴィオレッタ様は、具体的にどのような交流をお望みなのでしょう?」
「そうですね。私たち王族が教会内を自由に見て回ったり、聖職者の皆様と話したり、教会の保有している書物を好きに読んだりする許可をいただけたら、幸いです」
「そ、それは、もはや監査ではございませんか!」
うん、監査だよ。……と正直に答えたくても、ここは我慢だ。愕然としているバチストを刺激するわけにはいかない。うーん、どう答えようかと悩んでいるとレナルドが口を開いた。
「失礼ですが、監査という言い方は誤解を招くため控えてもらえませんか、バチスト?」
「で、ですが、ヴィオレッタ様は教会のすべてをご覧になりたいとおっしゃって……」
「それは、あなた方を信じているからです」
「……は? 信じているとおっしゃるなら、何もそのようなことをなさらなくても……」
あくまでねばるバチストを、隣の枢機卿が「頑張れ」と目で応援している。ただ、彼の激励もレナルドの前では意味をなさなかったらしい。
「バチストは、初代国王と光の乙女の逸話をご存知ですか?」
レナルドの突然の話題転換に、バチストが眉をひそめる。しかし、それは私も同じだ。急にどうしたのかと訝る中、レナルドはテーブルの上で優雅に手を組み、にっこり続けた。
「初代国王の時代、他国の謀略により、王と乙女の絆にヒビが入りかけたことがありました。そのことを問題に感じた乙女は王を教会へ招き、隅々まで自由に見て回ることを許可しました。しかもその間、乙女は一番の忠臣であったナタンに命じて、自らの身体を柱にくくりつけさせていたそうです。そうすることで、教会は何も隠していないと王に訴えたのです」
「ええ、その話は存じています。ですが、それはあくまで言い伝えであって……」
「逸話とは誇張されて伝わるものですし、あなた方にそこまでのことは求めていません。ただ、現代でも初代国王と乙女のような絆を築きたいと願っている私たち王族に対し、乙女の後継を謳うあなた方教会がどのように対応なさるおつもりか、気になっただけです」
さすがレナルド、うまいな。バチストが頭を抱えているよ。
仮にラルスの件ではシロだとしても、教会にだって隠しておきたいことの一つや二つはあると思う。それでも今の逸話を聞いたあとで王族の監査を拒否すれば、現教会は王族との関係を軽視していると公言するのも同然だ。権力の根拠を王と乙女の絆に見いだしている教会としては、受け入れがたい話だろう。さて、バチストはどう出るか?
「レナルド様は具体的にどれほどの期間、我々と深い交流をお望みなのでしょうか?」
テーブルの端の方から、落ち着いた口調で質問が投げかけられた。発言の主は、意外にも黙って様子を窺っていたマティアスだった。
「失礼ですが、ある程度具体的なご意向を伺わなければ、教会としても判断ができません」
「……それもそうだな。すまない」
藍色の瞳をまっすぐに向けられ、レナルドがわずかに目を逸らす。いつもの交渉慣れした彼らしくない。さっきからマティアスを相手にするとこうだ。二人は知り合いのように思えるけど、いったいどういう関係なんだろう?
私が心配して見ていると、気を取り直したレナルドがよそ行きの笑みを顔に戻して続けた。
「交流期間については、ラルスのような不届き者はもう教会にいないと確信が持てるまで。最低でも一ヶ月、場合によっては数ヶ月ほど時間をもらえたら嬉しいですね」
「くっ……!」
バチストともう一人の枢機卿が苦虫をかんだような顔になる。マティアスは対照的に眉一つ動かすことなく、光の乙女の判断を仰ぐように視線をすっと横向けた。
乙女は先ほどから一言も発することなく、おっとりした様子で顎に手を当て思案している。
お飾りの要素が強いにしても、一応教会のトップだよね? こんな調子で大丈夫?
私は人ごとながら心配になったけど、それでも彼女が教会の代表であることに変わりはない。皆が答えを待つ中、乙女はにっこり微笑んで決断を下した。
「ラルスのような反逆者はもう教会におりませんし、やましいこともございません。私たちの誠意が初代乙女に劣らぬことを実感していただくためにも、私は王族との交流を望みます」
「お、乙女……!」
バチストがガタッと椅子から立ち上がり、蒼白になって叫ぶ。しかし、彼にもこうする以外の道がないことはわかっていたらしい。最後には渋々私たちの提案を受け入れてくれた。
「では、王族の受け入れが決定したところで、次は細かい取り決めについて話しましょう」
淡々と話を進めるマティアスは、その彫像のような見た目通り、感情が欠落しているのだろうか。それとも心を隠す術に長けているのか、バチストのように悔しがることすらない。
そんな彼のことを、レナルドはさっきからもの言いたげな様子で見つめている。その瞳には迷うような光が浮かんでいても、今は王族としての義務を優先する気らしい。それはリアムも同じだ。彼も逃げることなく、一生懸命に話を聞いている。うん、私も頑張らなきゃ!
「今回の取り決めについてですが、私たち王族としては……」
私は気合いも新たに口を開くと、レナルドと一緒になって教会との交渉を再開させた。
***
気の抜けない会談を終えてから約十分後。応接室をあとにした私は、レナルドたちと一緒に足取りも軽く教会の回廊を歩いて……いられたら、よかったんだけど。
私は前を行くマティアスの様子を窺い、陰でこっそりため息をこぼした。
教会との交渉結果には概ね満足している。こちらの要望はほぼ受け入れられ、教会内での自由な行動を許可されたから。唯一の難点は、バチストがマティアスを私たちの案内役、もとい監視役に命じたことだ。
マティアスは優秀な枢機卿かもしれない。でも、人には向き不向きがあるようで……。
「皆様、この先は墓地です。ここが墓地となったのは四百九年前。埋葬者は九百三名です」
愛想と愛嬌の死滅した説明を耳にして、私は頭を抱えた。たとえゾンビだって、もう少し明るい声で墓地の説明をしてくれそうな気がする。この鬱々とした案内に、私はどう応じればいいんだろう? リアムなんて、空気の重さに負けてフラフラしてるよ。
思わず途方に暮れ、天を仰いだ。その時、レナルドが少し緊張した面持ちでマティアスの隣に進み出た。どうやら先陣を切って、この空気をどうにかしようと考えてくれたらしい。
「マティアス、案内もいいが、私は久々の再会を嬉しく思っているよ。まさか君が枢機卿になっているなんて驚いたが」
「……レナルド様と最後にお会いしてから、私もいろいろございましたので」
おおお! マティアスが初めて普通の人っぽいセリフを口にした! この感じ、やっぱり二人は知り合いだったのね。
まともに言葉を交わせたことで、レナルドも少し肩の力が抜けたらしい。彼は口元をフッと緩め「そういえば」と続けた。
「親父さんは元気か? できれば今度、久し振りに会いたいな」
「申し訳ございません。父は他界しました」
「……………………」
レナルドの表情がピシッと固まる。あああ、なんて微妙な話題! でも長い間会っていなかったのなら、知らなくても仕方ないよね。どうやらマティアスも同じ感想を抱いたらしい。
「レナルド様、どうか父のことはお気に病まないでください」
「だが……」
「さぁ、この先は騎士たちの練兵場です。今は訓練中だと思いますので、お静かに願います」
マティアスが一方的に会話を打ち切り、回廊の突き当たりで足を止める。彼は困惑しているレナルドの前で扉に手をかけた。……うっ、まぶしい!
思わず手をかざして目をすがめる。次の瞬間、私は飛び込んできた光景に目を奪われた。
すごい……。抜けるような青空の下、何十人もの騎士たちが一糸乱れぬ動きで青いマントを翻し、天に向かって剣を幾度も突き上げている。そういえば、光の乙女の就任式では剣舞が披露されると聞いた。その練習をしているのだろうか。
息をするのも忘れ見入っていると、ふと舞をやめ、その場でひざまずく騎士が現れた。大聖堂の前で最初に私たちを迎えてくれたユーゴだ。異変に気づいた他の騎士たちも何事かと動きを止め、こちらを向く。その中心から騎士団長が慌てた様子で飛び出してきた。
「王族の皆様! マティアス様も! このような場所までご足労いただき、光栄です」
団長が私たちの前まで来てひざまずく。それを目にした部下たちも慌てて膝をついた。
はぁぁぁー。五十人はいそうな騎士たちから一斉にかしずかれるとか、壮観だわ。まるで自分が偉くなったみたい。……って、私も一応王女だけど。
ビクッと震えたリアムが兄の後ろに隠れる。レナルドの方はめずらしく鈍い反応で、何も言わない。どうやらさっきのマティアスとのやりとりを引きずっているらしい。一方のマティアスは何事もなかったかのように片手を上げ、感情の欠けた声で騎士団長に話しかけた。
「王族の皆様は、ありのままの教会をご覧になりたいと仰せだ。どうか訓練を続けてくれ」
「はっ! 寛大なお心遣いに感謝いたします! では、早速続きを」
騎士団長の返事に続いて、残りの騎士たちも立ち上がる。
「王族の皆様はどうぞこちらへ」
私たちはマティアスの案内で、練兵場の端に設けられた観覧席へ移動した。野外であることを考慮した結果か、石造りの頑強なベンチが六脚ほど並んでいる。
「あ、ヴィオレッタ、座るのはちょっと待って」
「リアム? 急にどうしたの?」
不思議に思って振り向くと、リアムがポケットの中をゴソゴソ探って、中から清潔そうな水色のハンカチを取り出した。それをそのまま広げて、ベンチの上に敷いてくれる。
「あの、今日は寒いし、せっかくのドレスが汚れちゃっても悲しいから」
「リアム……! わざわざありがとう!」
「すまない、リアム。考え事をしていたせいで、気が回らなかった」
「兄さんが気にすることないよ。それよりほら、剣舞が再開されるよ」
照れ隠しなのか、頬を染めたリアムが早口で言って練兵場を指さす。その先では、ちょうど騎士団長が手を上げたところだった。それを合図として、騎士たちが一斉に剣を掲げる。
私はワクワクして前のめりになった。剣舞を観るのは初めてだもの。せっかくだし、楽しまなきゃ。……と思ったのに、なんだかさっきと比べて、みんな動きに切れがないような。
私たち王族が観ているせいで、緊張したのかもしれない。中には、舞の途中でちらちらとこちらに視線を投げかけてくる者まで出る始末。うーん、これは完全に邪魔になってるわね。
マティアスも同じことを感じたのか、五分ほど見学したところで早々に席を立った。
気づいた騎士たちが慌てて練兵場の出口に並ぶ。さすが騎士だけあって、お見送りの敬礼はビシッと決まっている。でも、なぜだろう? 彼らの顔に浮かんでいる社交用の笑みがぎこちなく感じられる。てっきりワガママ王女と悪名高い私がいるせいかと思ったけど、違う。
騎士たちの視線の先にいるのはマティアスだった。彼らの目には侮蔑とも嫌悪とも取れる光が宿っている。枢機卿であるマティアスは彼らにとって上司のような存在なのに、なぜ?
「次は大聖堂へご案内いたします」
扉を閉めたマティアスが淡々と告げる。私はモヤモヤした気持ちを持て余して、その仏頂面を見つめた。確かにマティアスはお世辞にも親しみやすい性格とは言えない。それでも枢機卿に対してあんな態度を取るのは、さすがに変だ。
私は後ろ髪を引かれる思いで、練兵場へ続く扉を振り返り……やっぱりダメだ。気になる。
「ヴィオレッタ、どうしたの?」
「ごめんなさい、リアム。せっかく借りたハンカチを観覧席に置いてきちゃったみたい。取りに戻るから、みんなは先に大聖堂に向かっていて」
「え? ヴィオレッタ!」
対人恐怖症のリアムと、調子の悪そうなレナルドに迷惑をかけるわけにはいかない。私だって、教会内を自由に見て回る許可を光の乙女からもらったわけだし、騎士たちに少し話を聞くくらいなら問題ないよね。自分にそう言い聞かせ、足早に回廊を戻って行く。
案内途中で時間もない。私はひと思いに練兵場の扉を開けようとした。その時だった。
「さっきのあれ、どう思う? 養父殺しが王族の案内とは……」
「まったく、救貧院の出身者がよくもここまで出世したもんだぜ」
「クレマン様の愛情を利用しやがって、許せねぇよ」
扉越しに聞こえてきた声に、心臓がドクンと跳ね上がる。
王族の案内って、マティアスのことよね? それが養父を殺したとか、救貧院の出身だとか、どういうこと? さっきの騎士たちの微妙な視線と何か関係があるのだろうか?
会話の内容が気になりすぎて、つい扉に耳を寄せてしまう。そんな私の肩に、突然後ろから手が置かれた。ひゃっ! 何!?
反射的に振り向く。あ……。
私は顔をこわばらせた。なぜなら、そこに立っていたのは冷たい彫像のような面持ちで静かにこちらを見下ろすマティアスだったから。
「ヴィオレッタ様、ここで立ち止まっていらっしゃっても、忘れ物は飛んできませんが」
うっ、それはそうだけど。そもそもハンカチを忘れたっていうのは、私が練兵場に戻るため適当に言った口実で……。しかも今、練兵場に入るのはちょっと……って、ああ!
私が止める間もなく、マティアスが扉を無造作に開けて中に入って行く。その瞬間、笑い声とざわめきに満ちていた広場がシーンと静まりかえった。
「忘れ物を取りに来ただけだ。皆はどうか気にせず、訓練を続けてくれ」
ねぇ、マティアスの発言はわざとなの? それとも本当に空気が読めていないだけなの?
この微妙な状況下でも、マティアスだけは顔色一つ変わらない。彼は騎士たちの困惑した視線も気にせず、無言で観覧席へ向かうと、手ぶらのまま私のもとに帰ってきた。
「失礼ですが、ヴィオレッタ様は本当にハンカチをお忘れになったのでしょうか?」
「え? 確かに忘れたと思ったんだけど……ごめんなさい。自分でも無意識のうちに、ドレスのポケットにしまっていたみたい」
うん、わかってるよ。これがどれほど苦しい言い訳かってことは。
マティアスからじっと見下ろされ、背筋を冷たい汗が伝い落ちていく。しかし彼は私の下手な言い訳を追及することなく、こちらに背を向けスタスタと先に回廊へ戻っていった。
マティアスの後ろをついていきながら、肩越しにそっと振り返る。騎士たちは私たちの背中に敬礼を送っていたものの、練兵場を満たす空気は今までの何倍も居心地が悪くなっていた。