***
朝議を終えたあと、私たち王位継承者はすぐ控えの間に下がった。その直後のことだ。レナルドが行く手を阻むように壁にトンッと手をつき、端整な顔を近づけてきた。
「ヴィオレッタ、あんたはいったい何を考えている?」
「あ、あの、レナルド? 顔が近……」
「逃げようとするあんたが悪い」
え、この体勢、私のせいなの? いやまぁ朝議が終わるなり、そそくさと図書館に向かおうとしたのは私だけど、それは教会について調べたかったからで……。
結果として私は壁際に追い詰められ、レナルドの腕の中に上半身を閉じ込められている。イケメンは間近で見てもイケメン……じゃなくて! レナルドの吐息が首筋にかかってくすぐったいし、なんかいい匂いまでするんだけど!
「ヴィオレッタ? どうかしたのか?」
いつもと違う私の反応を不審に思ったのか、眉をひそめたレナルドがさらに顔を寄せてくる。
待って! レナルドは意識してなくても、壁ドン初体験の私には刺激が強すぎるから!
思わず目を逸らし、バクバクと脈打つ心臓の上に手を重ねた。その時だった。
「兄さん、ヴィオレッタをいじめるのはそのくらいにしなよ」
レナルドの腕を、リアムが後ろからクイクイと引っ張った。
「いじめ? 俺はヴィオレッタと話をしたいだけだが」
「なら、もっと離れて。もう少し適切な距離を取った方がいいよ」
「………………」
レナルドがなんだか複雑な表情で私と弟を見比べ、腕の檻を解く。よ、よかった……。リアムのアドバイスが少しでも遅れていたら、私の心臓は爆発するところだったわ。
私はリアムにお礼を言おうとし、途中でピタッと動きを止めた。あれ、リアム?
彼は私とレナルドの間に立ったまま、めずらしく唇をツンととがらせている。
「あのね、ヴィオレッタ。僕だって、さっきのことはちょっと怒ってるんだよ。事前の相談もなく、勝手に僕たちを見届け人に願い出るなんて」
「うっ……、ごめんなさい。でも、ちょうどいい機会だと思って」
「どこがだ? あんたは迂闊すぎる。即位直前で、公爵に足をすくわれたらどうする気だ? しかも、教会にはラルスの共犯が残っているかもしれないんだぞ? そんな場所へ、奴の計画を潰した張本人のあんたが乗り込むなんて、いくらなんでも危険すぎる」
レナルドが苦々しい顔つきで吐き捨てた。ただ、そのきつい口調とは裏腹に、彼の目は真剣そのもので、私の無鉄砲な行動を心の底から心配してくれているらしい。
ラルスとの共犯を疑われたあとでも、本気で私を王に推し続ける気なんだ。つまり、それだけ私のことを信頼してくれているわけで……。
「何を笑っている? 俺は真面目な話をしているんだが」
「ごめんなさい。あなたとリアムの真剣な様子を見ていたら、なんだか嬉しくなっちゃって」
「は?」
「だってあなたたち、私がラルスと共謀していたなんて微塵も疑っていないでしょう? 二人とも信じてくれてありがとう。大好きよ」
「………………」
レナルドとリアムが一瞬、意表をつかれたように固まる。一拍後、二人して毒気を抜かれたように深いため息をこぼした。レナルドが口をへの字に曲げ、私の頬に手を伸ばしてくる。
「痛っ! なんで急に引っ張るのよ!?」
「人の気も知らずに、のんきにヘラヘラ笑っている姿を目にしたら、むかついただけだ」
「兄さん……。そんなこと言って、耳が赤くなってるよ」
「…………っ!」
レナルドが私の頬からパッと手を離して横を向く。
え、もしかして今のって照れ隠しだったの? わかりづらいなぁ……。おまけに痛いし。
ちょっと赤くなった頬をなでながら、恨みがましくレナルドを見上げる。彼はそんな私の方をちらっと見返し、真顔に戻って続けた。
「朝議の場で王命を承ったからには、教会に赴かなくてはならない。これ以上変に疑われる前にさっさと教会を掌握して、身に降りかかる火の粉を払うぞ」
「うん。僕もできる限りのサポートをするから、一緒に頑張ろう」
「レナルドもリアムも、ありがとう!」
ああ、やっぱり私はこの二人が大好きだ。破滅を回避する中で二人と向き合い、今のような関係を築けたことが誇らしく、嬉しい。
にやつく私を前にして、レナルドが再びムスッと口元を引き結ぶ。その隣で、素直なリアムはちょっと照れたようにはにかんでいた。
レナルドたちと別れたあと、私は早速図書館へ向かい、教会について調べることにした。
教会の上層部は光の乙女と、彼女を支える三人の枢機卿で構成されている。たとえ王族であっても、彼らの意向を無視することはできない。光の乙女は神に選ばれし存在で、唯一国王と対等な立場にあるという建前のせいだけではない。教会上層部の承認がなければ、私たち王侯貴族は結婚も離婚も、果ては養子縁組や相続も行えないからだ。
さらに教会上層部には、悪逆非道な王令に抵抗する権利が与えられていて……。
私が夢中になって資料を読んでいると、その横にどさっと音を立てて追加の本が置かれた。
「教会について勉強なさるのであれば、これらの本にも目を通された方がいいですよ」
「スヴェン先生!」
さすがは家庭教師。何かお願いする前から、私のことを気にかけて様子を見に来てくれたらしい。私はスヴェンの配慮にお礼を言おうとして、途中で言葉を吞み込んだ。
彼の笑顔はいつもと変わらない。でも、その下の本心はどうだろう? ラルスの尋問を担当している以上、やっぱり内心では私を疑ってるんじゃないのかな?
「ヴィオレッタ様、いかがなさいましたか?」
「あ、いえ、その……」
返答に困る私を見下ろし、スヴェンがなぜかフッと笑みを深くする。
「ヴィオレッタ様はわかりやすい方ですね。ご安心ください。私はあなたがラルスの共犯だなんて思っていません。教え子であるあなたのことを信じていますよ」
……キラキラ全開の笑顔で言われても、かえってうさんくさく感じるのは私だけだろうか?
いっそう警戒を強めた私の反応など一切気にせず、スヴェンが向かいの席に腰掛ける。
「もしお時間をいただけるようでしたら、少し本の説明をしてもよろしいでしょうか?」
「……はい。ぜひお願いします」
スヴェンが家庭教師らしく、持ってきた本の概要を手短に話し始める。そこにいつもと変わった様子はない。……うん、いつも通りのエグい課題量だわ。
説明を聞くだけでゲッソリしてきた私を見て、スヴェンがにっこり告げる。
「残念ながら今回、私は皆様に同行できません。教会で王族として恥ずかしくない振る舞いをなさるためにも、どうか最低限の知識は身につけておいてください」
「先生は、その……やっぱり最近は、ラルスの尋問でお忙しいのでしょうか?」
「実は今、私は別件の調査にも時間を取られているせいで、少々多忙なんです」
「何かあったのですか?」
私としては、なんとなく聞いた質問だった。だが次の瞬間、スヴェンの纏う雰囲気がすっと真剣味を帯びたものに変わった。……え? 何かまずいことを聞いちゃった?
スヴェンが慎重に辺りを見回す。彼は戸惑う私の耳元に顔を寄せ、「レナルド様とリアム様以外の方には、まだ他言せずにお願いします」と前置きをしてから続けた。
「最近、王都では貧しい平民の青少年を狙った誘拐事件が多発しているのです。私が把握しているだけでも、すでに百名ほどが行方不明になっています」
「そんなにたくさん!? 警吏はいったい何をして……って、警吏が何もしないからこそ、事件の調査が先生に託されたのでしょうか?」
「ご明察の通りです。今回の事件も身寄りのない青少年が被害者ということで、訴えがあっても警吏がまともに取り合わず、そのせいで発覚が遅れました」
「あー、そうですよねー」としか、私は答えようがなかった。警吏は平民のことなんて、そこら辺の虫と同レベルにしか考えていないからなぁ……。
「ここまで大規模な事件であれば、裏で大きな組織が動いている可能性も高いため、私の出番となったのです」
「そうなんですか。でも、なぜ今その話を私に?」
「それは、ヴィオレッタ様が教会へ赴かれるからです。教会には、付属の養護院と救貧院がありますよね?」
スヴェンが意味ありげに笑う。私はポンと手を打った。
前に文献で読んだことがある。養護院の保護対象が十二歳以下の子どもたちであるのに対し、救貧院ではそれ以上の年齢で職がなく、衣食住に困っている人たちを保護していると。
「私は教会で養護院と救貧院の現状を確認してくればいいんですね? 困っている青少年をこれらの施設で保護できれば、今後誘拐されるかもしれない人の数自体を減らせますから」
「その通りです。王都の誘拐事件を早期に解決するためにも、ご協力いただけますか?」
もちろん私に断る理由はない。私のちょっとした努力で誘拐の件数を減らせるなら、それに越したことはないもの。
「わかりました、先生。私、頑張ります!」
「ご協力、ありがとうございます。では、追加でこちらの本も」
いったいどこにそんな大量の本を隠し持っていたのだろう。もともと高くなっていた本の山に、スヴェンが追加で何冊も載せていく。
「ヴィオレッタ様は実に優秀な生徒です。今後も成長に期待していますよ」
この課題の量からして、期待値が高すぎるように思えるけど……。スヴェンの輝く笑顔を前にして、私にはすべてを受け入れる選択肢しか残されていないようだった。
***
朝議から一週間後の昼下がり、私はレナルドとリアムの三人で教会の本部へ向かった。
緊張のあまり朝からソワソワしているリアムと、気を引き締めた様子のレナルドと向き合い、馬車で揺られること一時間。窓の外を眺めていた私は、突如として現れた光景に息を吞んだ。
すごい、本物の大聖堂だ! まるで前世のヨーロッパに来たみたい!
晴れた空の下、高い尖塔を有する大聖堂のステンドグラスが幾色にも輝いている。この大聖堂を中心として、辺りには教会関係の建物がいくつも並び、一つの区画を形成していた。
「皆様、ようこそお越しくださいました。私は教会の騎士で、ユーゴと申します」
大聖堂の前で馬車を降りた途端、鳶色の髪と目をした青年がひざまずき、出迎えてくれた。青い布地に金のラインが入った騎士の制服を着ていなかったら、聖職者と見間違えたかもしれない。ユーゴと名乗った騎士は、それほど優しげな風貌をしていた。
「私は第一王子のレナルドだ。今日はよろしく頼む」
レナルドが手を差し出す。その瞬間、ユーゴがピシッと音を立てそうな勢いで固まった。
まさか王族からこんな気さくに握手を求められるとは思っていなかったらしい。まぁ、下町によくお忍びで通っているレナルドは、王族の中でもかなり特殊な方だと思うけど。
「こ、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!」
ユーゴが尊敬と緊張の入り交じった目でレナルドを見上げ、恐る恐る手を取る。その顔になんとも嬉しそうな笑みが浮かんだ。同じ騎士でも、ラルスと違って純朴そうな人だな。こういう人が相手なら、教会でもうまくやっていけそうな気がする。
そう思って私が肩の力を抜いた、その瞬間の出来事だった。いかにも騎士といった風貌の筋骨たくましい男が、緋色のマントをなびかせながら、大聖堂の奥から現れた。
「これはこれは王族の皆様、お忙しい中、ようこそお越しくださいました」
「あ、騎士団長」
ユーゴが慌てて敬礼する。目立つマントを羽織っていると思ったら、騎士団のトップらしい。
「ユーゴ、ご苦労だった。おまえはもう退がっていいぞ」
「え? ですが、あの、今日は私が皆様のご案内を承って……いえ、失礼いたしました」
騎士団長からジロッとにらまれ、ユーゴが口をつぐむ。何か連絡の行き違いでもあったのだろうか。不思議に思っていると、団長がユーゴを押しのけて私たちの前に進み出てきた。
「僭越ながら、本日は私が皆様を会場までご案内いたします。どうぞこちらへ」
うーん、これは……。団長の笑顔を見上げて、なんとも言えない気持ちになる。悪名高いワガママ王女の噂でも思い出したのか、団長の目は私を値踏みするように探っていた。
個人的には、人をそういう目で見なかったユーゴの方に好感が持てたけど、団長の決定を無視して、彼を案内役に指名するわけにもいかない。そうよね?
レナルドに目で問うと、彼はうなずき、さっきからフリーズしているリアムの肩に手を置いた。リアムがハッと我に返って、不安そうに私たちの顔を見回す。
そうだよね。リアムはただでさえ人と話すのが苦手なんだから、こういう場所は特に緊張するよね。
私はリアムを安心させるように横に並ぶと、レナルドと二人で彼を守るようにして団長のあとに続いた。そんな私たちのことを、ユーゴは少し寂しげに敬礼しながら見送ってくれた。
てっきり私は憧れの大聖堂に案内されるんだと思って、ワクワクしていた。だけど、残念。騎士団長は大聖堂の入口で横に曲がると、中庭に面した石造りの回廊に私たちを連れ出した。
石柱の間から垣間見える庭には冬でも青々とした草木が茂り、無機質な石の回廊と対照的な生の世界を生み出している。これはこれで、中世ヨーロッパみたいですごくいい。つい嬉しくなって辺りを見回していたら、気づいたレナルドに「おい」とたしなめられた。その時だった。
「貴様! 光の乙女に対し、なんと無礼な仕打ちを!」
突如として響いた怒声が荘厳な静けさを切り裂く。え、何事?
「私が様子を見て参ります。皆様はこちらでお待ちください」
騎士団長が慌てた様子で一礼し、回廊の角を足早に曲がって行く。
「ねぇ、レナルド。今の声って……」
「光の乙女に付き従っている男のものだろうか?」
「でも兄さん、聖職者の言葉にしてはちょっと……その、乱れていなかった?」
リアムのやんわりとした指摘に、私たちは三人して顔を見合わせ押し黙った。
回廊の曲がり角はすぐ先だ。少し顔を出して様子を窺うくらいなら、動いたうちに入らないよね?……よし。石柱に手をかけ、曲がり角の先をそっと覗く。
最初に視界に飛び込んできたのは、上品そうな顔立ちをした四十歳くらいの女性だった。亜麻色の髪を後ろで緩くまとめ、白地に金のラインが入ったローブの上から、緋色のマントを纏っている。その指には、遠目にもわかるほど大きなアクアマリンの指輪がはめられていた。
知ってる。あれは「グランドール恋革命」の最後で、光の乙女となったアナリーが先代の乙女から受け継ぐ指輪だ。彼女の瞳と同じ色をしている上に、ゲーム中のスチルで見て普通に欲しいなと思ってしまうほど好みのデザインをしていたから印象に残っているのよね。
今乙女の前には、瘦せぎすで目つきの悪そうな男が立っていた。漆黒のローブに青いマントという出で立ちは、彼が聖職者であることを示しているはずだけど……。
「よりにもよってこの大事な日に乙女に汚水をかけるなど、おまえは何を考えている!?」
男がツバを飛ばしながら、乙女の足下に向かって叫んだ。
そこには真っ青な顔で震えながら、濁った水たまりの中心でひざまずいている少年がいた。ひっくり返した掃除の水をかぶってしまったのか、腰から下がずぶ濡れになっている。
「あの、バチスト様、少々お言葉が……」
近づいた騎士団長がバチストと呼んだ男を諫める。まぁ、王族が聞き耳を立てているそばで、この暴言はまずいよね。だけど、興奮している彼の耳には届かなかったらしい。
「貴様を処罰する! そうだな、今は冬であるし……」
私は嫌な予感に襲われた。まさかこのずぶ濡れの状態で、少年に罰を与えるわけじゃないよね? いくら王都の冬は前世の日本より暖かいとはいえ、そんなことをしたら風邪を引いてしまう。光の乙女は部下の暴走を止めないの?
私は期待を込めて乙女を見た。しかし、彼女は頬に手を当てながらオロオロしているだけだ。
ここは助けに入った方がいい気がする。でも、私のような王族が出しゃばっていいのかな?
迷っている間にも、バチストは少年を指さし、顔に底意地の悪い笑みをひらめかせている。
「よし、決めた。貴様の処罰だが……」
まずい! ここはやっぱり止めないと!
私は王族の立場も忘れ、石柱の陰から飛び出そうとした。まさにその時だった。
「バチスト様、お待ちください」
語気は鋭くないのに、有無を言わせぬ迫力の声が回廊の反対側で上がった。バチストが声のした方をにらむ。私もつられて視線を向け、思わず目を瞠った。
すごい。レナルドたち攻略キャラ以外にも、こんなイケメンが存在するなんて。
年の頃は、私やレナルドとさして変わらないだろう。青みがかった銀髪の下から覗く青年の顔は、大聖堂に飾られている彫像のように冷たく整っている。
「マティアス、私に何か意見をする気か?」
「いいえ、私ごときが首席の枢機卿であるバチスト様にご意見など、とんでもございません」
ちょっと待って! 枢機卿って、光の乙女に次ぐ教会のトップじゃない。
マティアスと呼ばれた青年は私たちの存在に気づかなかったのか、こちらには目もくれず、バチストの前まで来て立ち止まった。その優美な唇の端が皮肉げにつり上がる。
「僭越ながら、バチスト様の頭にはすでに多くの知識が詰まっているため、新しい物事を記憶する容量が不足していらっしゃるご様子。故に養護院と救貧院の責任者が誰であるかということを折に触れて進言し、失われた記憶を補完させていただく必要があると愚考した次第です」
「なっ……!」
バチストの額にピキッと青筋が走った。遠回しに言ってるけど、それってつまり……、
「貴殿は、私が他人の領分を侵す耄碌じじいだと言いたいのか?」
「バチスト様は、ご自身をそのようにお考えなのですか? それは、それは……」
マティアスがしれっとバチストを煽る。この人、クールな見た目に反して、かなりいい性格をしているらしい。彼はバチストから殺意の籠もった目でにらまれても臆することなく、その場に膝をついて、水たまりで震えている少年に手を差し伸べた。
少年がハッとした様子でマティアスを見上げる。私は石柱の陰で胸をなで下ろした。
一瞬危ない人に思えたけど、マティアスはバチストと違ってまともな聖職者らしい。彼が少年を助けてくれるなら、私の出る幕はない。そう思ったのに……、
「光の乙女の衣を汚した罪は重い。罰としておまえに一日の絶食と、礼拝堂で一晩寝ずに立ったまま神に赦しを乞い続けることを命じる」
「えっ!? そこは優しく助ける場面じゃないの!?」
……あ、いけない! 私は慌てて口を手で押さえた。しかし、この時すでにその場にいた全員が私の方を向いていた。
「ヴィ、ヴィオレッタ様? レナルド様とリアム様まで、いつからそちらに?」
どうやらバチストは、私たち王族の顔を知っていたらしい。醜態を目撃されたと知って、真っ赤な怒り顔が一瞬にして真っ青な困り顔に変わる。
そばにいた騎士団長が「だから言わんこっちゃない」と言いたげな表情をしているが、すべてあとの祭りだ。だけどまぁ、それはとっさにつっこんでしまった私の方にも言える。
こうなっては仕方ない。私は意を決し、マティアスの前に進み出た。
「はじめまして、私はヴィオレッタ・ディル・グランドールと申します。マティアス、先ほどあなたが少年に下した罰の内容を聞いたのですが、いささかやり過ぎではないでしょうか? 今は冬ですし、礼拝堂で神に赦しを乞うにしても、せめて一時間程度にしてはいかがです?」
本音を言えば、今の季節は暖かい場所で座ったまま神様にお祈りを捧げてほしい。でも、さすがにそれじゃ罰にならないと思って、私なりに譲歩したんだけど……。
「お初にお目にかかります、ヴィオレッタ様。市井の噂からは想像もつかないほどのお優しいご配慮、痛み入ります。ですが、養護院と救貧院に属する者たちの処遇は、責任者である枢機卿の私に一任していただきたく存じます」
枢機卿? こんなに若い人が?
驚く私を、藍色の冷めた双眸が見下ろす。蒼白になって震えだしたバチストと対照的に、その目は「部外者はすっこんでろ」と如実に語っている。……うん、言いたいことはわかるよ。だけど、私もずぶ濡れの少年を目にしてしまった以上、放ってはおけない。
「差し出がましいとは重々承知ですが、やはり少年相手に過度の体罰はよくありません」
「貴重なご意見をありがとうございます。ですが、王族には王族の作法がありますように、教会には教会の流儀がございます。この程度の処罰は、教会や市井においては普通のことです」
え、そうなの? 前世の記憶を持つ私にとって、体罰はどんな時でも絶対にダメだ。それはこの世界でも同じだと思ってたけど……レナルドとリアムなら、わかってくれるよね?
不安に駆られ、二人に意見を求めようとする。しかし、振り返った私の口から疑問が紡がれることはなかった。……レナルド?
限界まで大きく見開いた目で、レナルドがマティアスの顔を凝視している。その唇から、かすれた問いかけがこぼれた。
「マティアス、君がなぜここに……?」
答えはない。代わりに、マティアスの口元に一瞬寂しげな微笑がよぎって消えた。それを見たレナルドが無言でそっと目を伏せる。
なに、この意味深な反応! まさか二人は知り合いなの?
隣を見ると、リアムにも事情がわからないらしく、不安そうに兄たちの顔を見比べている。
二人の関係を知りたくても、軽々しくは聞けそうにない。冷たく無機質な回廊の中、静かに向き合うレナルドとマティアスの二人を、私とリアムは黙って見守ることしかできなかった。