薬の転売撲滅を宣言してから二週間が過ぎた日のこと。その日も私は朝から商家の娘風の格好に着替え、街に出た。向かった先は治療院じゃない。前に薬の転売を目撃した店だ。
私が店内に入ると、カウンターで新聞を読んでいた店主がちらっと顔を上げ、「いらっしゃい」と無愛想に応じた。間違いない。彼はこの間、エリクから薬を買い取っていた男だ。
「こんにちは。今、少しよろしいでしょうか?」
私がカウンターの前まで来たことに気づいて、ようやく店主が不機嫌そうに新聞を閉じた。
「なんだい? まだ若いのに、どこか悪くしてるのかい? それとも誰かの使いか?」
「いいえ。私は売りに来たんです。アナリー様が治療院で作った、腹痛用のお薬を」
店主の顔つきが一瞬にして変わった。用心深くなった視線が、私の頭から爪先までじろじろと観察する。ちょっと嫌だけど、ここは我慢。
私がおとなしく待っていると、やがて店主がカウンターを指でトントンとたたいて言った。
「持ってきた薬をここに置きな。続きは中身を見てからだ」
よかった。とりあえず話を聞く気になってくれたらしい。
私が言われた通りにすると、店主はすぐ薬包を手に取った。中から出てきた粉の匂いをかいだり、指先につけてなめたりする。本当にアナリーが作った薬だと知っていても、結果を待ってる間はなんだか緊張する。やがて一通り確認を終えた店主は、じろりと私を見て言った。
「あんた、うちのことは誰に聞いたんだ?」
「エリクさんに教えてもらいました」
「なるほど、あの男がね」
知り合いの名前まで聞いて、やっと少し警戒を解いたのか、店主の表情が和らぐ。
「これはアナリー様の調合した薬に違いない。使っている薬草の種類に特徴があるから、すぐにわかる。それにしてもあんた、どうやってこの薬を用意したんだ? 最近じゃあ、エリクも他の連中も簡単には薬をもらえなくなったっていうのに」
「私にはちょっとしたつてがありまして」
表面上は曖昧に答えつつも、店主の発言に転売防止策の効果を実感し、私は内心で親指をグッと立てた。この二週間というもの、私もアナリーもすごく頑張ったのよ。
転売防止策の一環として、私はまず治療院でカルテを作成したんだ。患者さんの情報を管理することで、少しでも怪しい素振りを見せた人には薬を渡さないよう、アナリーに頼んだの。
それから薬の無償配布をやめ、最低でも薬の原価に相当する金額を払ってもらうようにした。もちろん、患者さんの中には日々の暮らしに事欠いている人もいる。そういう人たちには薬草畑の手入れや洗濯などを手伝ってもらうことで、薬代の代わりとしたんだ。
こうして元手がかかるようになれば、転売で得られる利益も少なくなる。その結果、転売は割に合わない商売だと感じるようになったのか、転売用に薬をもらいに来る人も減ったんだ。
「それで、いかがでしょう? こちらの薬にご興味を持っていただけましたか?」
私は営業スマイルを崩さないように気をつけながら、店主に尋ねた。彼は悩んでいたようだが、それでも薬が欲しかったのだろう。割とすぐにうなずいてくれた。
「アナリー様の作る薬は効能が確かで売れ行きもいいからな。できれば、あんたとは定期的に取引を続けたいんだが、今後も治療院から薬をもらってくることは可能か?」
「そうですね。それでしたら私が薬をお持ちするより、もっといい方法があります」
「なんだ、それは?」
「薬の調合法について、契約を結ぶのです」
「……は? あんたは薬を転売しに来たんだろう? それがどうして調合の話になる?」
「先ほどお見せした薬はあくまで見本であって、私が本当に売りたかったものは別にあります。そのお話をするため、私は今日アナリー様の代理として、こちらに参ったのです」
アナリーの名を聞き、店主が再び警戒を露わにする。私は気づかなかった振りをして、カバンから取り出した書類をカウンターの上に置いた。
「アナリー様はご自身で考案なさった調合法を、多くの方に安価でご提供したいとお考えです。具体的な調合法はこちらに書かれています。薬の転売品を購入なさるより、こちらの書面通りの調合をご自身でなさった方がお互いの利益になると思いますが、いかがでしょう?」
店主は私の出した書類を食い入るように見つめている。かかった、と私は思った。
私の聞き込み調査によると、この店主はアナリーの薬を入手できなくなったにもかかわらず、お客さんの中には薬を欲しがる人がいて困っているという。ここで彼が調合法を買う契約に同意すれば、転売品の薬を無理に購入する必要もなくなるわけだが、どうだろう?
私がじっと答えを待っていると、やがて店主の口からかすれた声がこぼれた。
「契約は考えてもいい。だが、その前にこの調合法が本物かどうか確認させてもらえないか?契約したあとに偽物だとわかったら、大変だからな。ダメか?」
「承知いたしました。どうかご確認ください」
書類を店主の前に差し出す。彼の目つきが変わった。もしかしたら、契約せずに初見で調合法を暗記しようとしているのかもしれない。だけど、残念! それじゃあ、薬は作れない。
「おい! この調合法は未完成じゃないか! ここに書かれている薬草Ⅹとはなんだ!?」
店主の悲鳴に、私は内心でニヤリと笑った。予想通りの行動に嬉しくなっても、素直に喜んではいけない。私は有能な交渉人を装い、淡々と説明を続けた。
「こちらの薬草Ⅹとは、アナリー様が栽培なさっている特殊な薬草です。薬の調合に当たっては、この薬草Ⅹを追加でご購入いただく必要があります。本日中にご契約いただけるようであれば、初回分の薬草Ⅹは無料で差し上げますが、いかがいたしましょう?」
「あくまで薬草Ⅹの正体は教えず、アナリー様から直接買わないと調合できない仕組みを作ることで、調合法の無断使用を抑制するというわけか」
当たり! いくら契約書の中で、「薬の調合量に応じて使用料を支払ってください」とか、「他の方に調合法を教えるのはやめてください」とか書いておいたところで、調合法を暗記されたら最後、契約を破棄されるリスクは避けられない。
その点、キーとなる薬草を治療院から提供するようにしておけば、いくら調合法を暗記されても、調合はできないものね。
「ただのお人好しの聖女様かと思いきや、なかなか面白い仲間がいるんだな」
「お褒めにあずかり、光栄です。契約はいかがいたしましょう? やめておきますか?」
「……………………」
スヴェンみたいにニコニコしながら店主の答えを待つ。彼は私の笑顔をじっと見つめ、突然盛大に吹き出した。え、なんで? 私、何か変なことをした?
戸惑う私を尻目に、店主は「あーあ」とつぶやき、両手を肩の辺りまで上げた。
「負けたよ、降参だ。薬屋の俺では太刀打ちできない。そうだな。まずは試しに調合百回分で契約を結ばせてもらおうか。それでうまく行ったら、長期契約に移らせてくれ」
「ありがとうございます! 早速ですが、明日アナリー様と一緒に百回分の調合に応じた薬草Ⅹを持って本契約に参りたいと思います。明日もどうかよろしくお願いいたします」
「ああ、わかった。あんたは将来、いい商人になりそうだな。今後ともよろしく頼むよ」
店主が苦笑しつつ、私の前に手を差し出してくる。結局、なんでさっき笑われたのかはわからずじまいだったけど、とりあえず契約が取れたから、よしとしよう。
私は店主と固く握手を交わしてから店を出た。その直後のことだった。
「ヴィオラ様って、本職は詐欺師だったんですか?」
「……はい?」
いきなりの失礼な発言に足を止め、思わず眉をひそめる。発言の主は、店の外にいたラルスだった。万が一、交渉中に店主が逆ギレした場合に備え、こうして待機していてくれたんだ。
「あんなスムーズに人を言いくるめられるなんて、その技術をどこで習得したんです? そもそも転売阻止が目的であれば、アナリー様の薬をあの薬屋に卸すだけでもよかったのでは?」
「そうね。でも、それだとアナリーの疲れは溜まる一方ね」
私の答えに、ラルスが「あっ」と小さく声を上げる。私はうなずき、説明を続けた。
「ねぇラルス、アナリーの望みはなんだったか思い出してちょうだい。彼女は薬を必要としている人のもとに必要なだけ届けたいと願っているわ。とはいえ、彼女が一人で薬を作り続けたら、きっとまた過労で倒れてしまう。そこで、これの出番というわけよ」
私は調合法の書かれた紙をラルスの前でヒラヒラと振って見せた。
「これさえあれば、アナリーと同じ調合でたくさんの人に薬を作ってもらえるわ。しかも、治療院には調合法の使用料も入ってきて、脱赤字を目指せるの。いいことずくめじゃない?」
ニッと笑って、書面をカバンの中にしまう。私を見るラルスの顔に苦笑が浮かんだ。
「とりあえず、あなたを敵に回さない方がいいということだけは、よくわかりましたよ」
「あら、ありがとう。では疑問が解消したところで、次の商談に向かいましょう。薬の転売品を扱っていた店は他にもあるんだから」
ラルスがやれやれと肩をすくめる。私は契約成立の高揚感に背中を押されるようにして、ずんずんと先に道を進んでいった。
◆◆◆◆◆◆◆
翌朝早くから、私は足取りも軽く治療院へ向かった。昨日は薬の転売品に手を出していた薬屋をラルスと順に回り、最終的に五軒の店と調合法のライセンス契約を結べたんだ。
出だしは上々。仕事も楽しい。ただ、今の私にはちょっとした悩みがあった。
「おはようございます、お姉様! 今日もお早いですね」
治療院の扉を開けた途端、アナリーが顔をぱぁっと輝かせ、私のもとに駆け寄ってくる。一時の過労状態から解放された今、その肌は薔薇色に輝き、可憐さを増している。
こんな美少女に慕われて、すごく嬉しい。嬉しいけど、これが目下の私の悩みでもあった。
「おはよう、アナリー。そのお姉様って呼び方、まだ続けるの?」
「お嫌ですか? 私はお姉様のことを本物のお姉様のようにお慕いしているので、つい」
「いや、別にその呼び方が嫌いってわけじゃないのよ。ただ、私には似合わない気がして」
「そんなことありません! お姉様は世界一のお姉様です!」
アナリーが胸の前で手を組み、上目遣いで力説する。私は「うっ」とひるんだ。
なんで私、一週間前に「お姉様」呼びを許可しちゃったんだろう?
それがそもそもの間違いだった。アナリーのような美少女から「お姉様」と呼ばれ続けていたら、なんだか今にいけない世界の扉を開いてしまいそうになる。今だって、ほら。
「お姉様とのお出かけ、ずっと楽しみにしていたんです」
アナリーが外出用の帽子を手に取り、私の方を見てはにかむ。
「ああ、うん。お出かけと言っても、今日の目的は契約書の締結だけどね」
「それでも構いません。お姉様と一緒に出かけられるなら、私はどこでも嬉しいです」
なに、このかわいい生き物! 私が攻略キャラなら、今のセリフで確実に落とされてるよ。
ヒロインがかわいすぎて困るって、私の立場的にはどうかと思う。そんなルート、ゲームには存在しなかったし、この関係が今後ゲームにどんな影響を与えるかもわからない。
ただ、それでも私はアナリーを突き放す気にはなれなかった。一度走り始めたプロジェクトを途中で放り出したくなかったし、何より私は頑張っている彼女の助けになりたかったんだ。
「昨日も話したけど、今日は本契約のために薬屋を五軒回るわ。忙しいけど、頑張るわよ!」
「はい、お姉様! どこまでもついて行きます!」
アナリーの素直でかわいい反応に、またもや私の頬が緩みかけた、その時、治療院の扉が開けられた。外で馬車の用意をしていたラルスが帰ってきたのだ。
「お二人とも、出発の準備が調いました。どうかおいでください」
「ラルス、ありがとう。お姉様、一緒に参りましょう!」
アナリーが私の手を引いて外に出る。玄関前に、彼女が支援者から借りたという荷馬車が停められていた。その荷台には、契約相手の薬屋に配る薬草Ⅹが束になって積まれている。
「段差がありますから、お気をつけください」
馬車を前にして、ラルスが当然のように手を差し出してきた。さすがゲームの攻略キャラ。こういうところが女性にモテるわけだ。私も治療院に通うようになってから気づいたことだけど、患者さんの中には明らかにラルスを狙っている女性も多いんだよね。
「ヴィオラ様? どうかなさいましたか?」
あ、いけない。今は悠長に観察してる場合じゃなかった。私はラルスにお礼を言って、彼の手を取ろうとした。その時だった。
「おーい、おまえら! どこへ行くんだ?」
急に大声で呼び止められ、声のした方を向く。私は思わず「げっ!」とうめきそうになった。なんであの男がここにいるわけ?
悪質なナンパ男にして転売ヤーのエリクが、こちらに向かって手を振りながら歩いてきたのだ。しかも、その手にはなぜか棍棒が握られている。そんな物騒なものを持って、どうした? 薬の転売ができなくなったことを逆恨みして、治療院に殴り込みに来たとでも言うの?
私と同じことを考えたのか、ラルスがアナリーを背中に庇い、身構える。エリクはその反応を面白がっているのか、顔に嫌なニヤニヤ笑いを浮かべながら話しかけてきた。
「そうビビるなって。俺は今日、アナリーに頼み事があって来ただけだからさ」
「なんでしょう? 残念ながら、エリクさんにお薬をお出しすることはもうできませんが」
アナリーが気丈にもきっぱりと断る。エリクはその態度が面白くなかったのか、「ケッ」と吐き捨て、棍棒で肩をトントンたたきながら続けた。
「今日はおまえのところの場所代を回収しに来たんだよ。この川辺に店を構えている代金として、今月はダミアンさんに十万ラールを納めな」
は? 場所代? って、固定資産税でもあるまいし、なんのつもり?
疑問に思ってエリクを見ると、彼はなぜか胸を張って話を続けた。
「ダミアンさんっていうのは、ここら一帯を治めてる元締めだよ。おまえの治療院では今までもうけさせてもらってたから、その礼として場所代を免除されてたんだ。だが、薬によるもうけが出なくなった今、もうお目こぼしは期待できないぜ」
……この男、そういうわけか! エリクの発言に、私は今までのからくりを理解した。
エリクは薬の転売で得た利益をすべて自分の懐にしまっていたわけじゃない。その一部を上納金として元締めのダミアンに渡していたのだろう。
しかし、私たちが転売防止策を講じたせいで、今までのような利益を上げられなくなった。その不足分を、今度は場所代として巻き上げるつもりなのかもしれない。
「場所代は税金のようなものだぜ。痛い目に遭いたくなかったら、十万ラールよこしな」
「そんなこと、急に言われても……」
「なら、どうする? 場所代の代わりに、その清らかな身体でも売るか……いたっ!」
私は心の中で合掌した。どうやらエリクには学習能力がないらしい。彼が話している間に、その背後に回り込んだラルスが後ろから腕をひねり上げたのだ。
「アナリー様、場所代を払う必要はありません。こいつの戯言に耳を貸してはダメです」
「放せよ、ラルス! ダミアンさんに逆らって、ただで済むと思うのか!?」
「黙れ、人語を解する豚が。ここは、おまえのような薄汚い人間が来ていい場所じゃない」
こ、恐っ……! ラルスのその絶対零度の眼差しで射貫かれたら、再起不能になるよ。
これには、さすがのエリクもビビったらしい。ラルスが手を放した瞬間、五メートルほど先までダッシュで逃げた。しかし、そこで完全に立ち去らないのがエリクという男だ。
「薄汚い人間はラルス、おまえの方だろう? 俺は知ってんだぜ。おまえは本来、教会の騎士になれるような、ご立派な人間じゃないってな」
安全圏まで逃げたエリクが挑発の言葉を投げかける。どうせまた適当なことを言っているんだろうと、私は思った。だけど、あれ? それにしてはラルスの様子がおかしくない?
ラルスはエリクをにらんだまま、微動だにしない。その表情がこわばって見えるのは、気のせいだろうか。エリクはそんな彼の反応に満足したのか、愉快そうに続けた。
「その様子、やっぱり噂は本当だったのか。おまえの母親は旅の舞姫なんだろう? それが男爵に一夜限りの情けをかけられ、生まれたおまえを男爵家の前に捨てて消えた。そんな誰からも望まれない人間が騎士として乙女候補のそばにはべっていいと……うわっ!」
「もう一度侮辱してみろ! その口を二度と開けないようにしてやる!」
エリクとの距離を一瞬にして詰めたラルスがその胸ぐらをつかんで叫ぶ。
「ラルス、落ち着いて! エリクさん、息できてますか!?」
アナリーが慌てて仲裁に入る。ラルスは不本意そうだったが、それでも最後には理性が勝ったのか、渋々手を放した。その一瞬の隙をついて、今度こそエリクは完全に逃げてしまった。
あとで塩でもまいておこうかしら? エリクにはもう二度と来ないでほしいわ。
ラルスの方を心配して見ると、彼はつらく苦しげな様子でエリクの去った先を見つめている。彼の過去に何があったか知らないけど、相当なダメージを受けたらしい。
ただ、ラルスが傷ついていることはわかっても、私は踏み込んで何かを言うことができなかった。その背中が一切の慰めを拒絶しているように思えたから。
その後、私とアナリーはラルスが御者を務める馬車で薬屋巡りを開始した。幸い調合法の契約は順調に進んだものの、私たちのそばでラルスは一日中ずっと暗い顔をしていた。