第一章 転職先は悪役王女?①

 私、本当にこの仕事がしたかったのかな?

 会社からの帰り道、私は暗い気持ちでため息をこぼしながら歩いていた。

 二年前に新卒で外資系のコンサルタントぎように就職できた時は、「憧れの仕事に就けた!」と思って、本当にすごくうれしかった。それなのに、最近は目の前のタスクをこなすことにいつぱいで、なんだか目標を見失っている気がするんだ。

 仕事である以上、自分の理想とかやりたいこととかは二の次だって言われるかもしれない。だけど、たった一度の人生をそんな風にきよう続きで過ごしたら、こうかいしない?

「私、もっといい仕事ができるようになりたい」

 ぼそっとつぶやいた。その瞬間、私の背中を押すように、信号が青に変わった。

 うん、そうだよね! 一度きりの人生、もっとやりたいことを追求した方がいいよね!

 さつそく明日、仕事のやり方についてせんぱいに相談してみよう!

 そう決意すると、たんに気が楽になって、私は足取りも軽く横断歩道を渡ろうとした。まさにその時だった。まばゆい光がとつぜん、私の視界をおおった。

「危ないっ!」

 誰かの悲鳴に重なって、キキーッとブレーキをむ音が間近で上がる。その時すでに私の身体からだは宙をっていた。

 熱いとか痛いとか感じる間もない。全身を勢いよく地面にたたきつけられ、呼吸が止まる。

 ……私、死ぬのかな?

 遠のいていく意識の中で、ぼんやり思った。心の中は後悔でいっぱいだった。

 もし生まれ変わることがあったら、今度はもう周りに流されたりしない。何があっても妥協せず、自分の意志をつらぬいて生きてやる。そうちかったことが、前世での最後の記憶になった。


「そっか。私、本当に生まれ変わったんだね」

 国王試験が始まった翌朝のこと。私は自分の部屋の鏡を見て、しみじみとつぶやいた。

 鏡に映っていたのは、上質のルビーをかしたような赤い髪と、んだすみれ色のひとみを持つきつめの美人。この国の第一王女、ヴィオレッタその人だった。

 転生してから十六年間もいつしよの顔だから、当然のように見覚えも愛着もある。でも、それだけじゃない。私は自分以外でもこの顔を見たことがある気がして、首をひねった。

 前世でた映画や海外ドラマの中かな? この顔って、どこか外国の悪役っぽいし。

 私がまじまじと鏡の中の自分を観察していると、部屋のとびらがノックされた。

「ヴィオレッタ様、おはようございます。お加減はいかがでしょうか?」

 じよが扉しに聞いてくる。そういえば、昨日たおれてから今までばくすいしてたんだっけ。

「おはよう。昨日はめいわくをかけたわね。もう大丈夫よ」

 私が答えた瞬間、部屋の外で息をむ気配がした。ん、なんで? 気のせいかな?

 いつぱくおいて、侍女がクロワッサンとカフェオレのったトレイを持ちながら、おずおずと入ってきた。彼女は、ベッドから出ている私を見て驚いたらしい。

「あの、朝食はいつものように、ベッドにお持ちしてよろしいのでしょうか?」

「え? ベッド?」

 私は一瞬ポカンとして、すぐになつとくした。以前の私は毎朝ベッドの上で朝食を取っていたんだった。それはとてもりよく的な提案に思えたけど、前世の社会人経験を思い出した今、平日の朝からそんなたいな生活を送ることには、さすがにていこうがある。

 私は侍女にニコッと笑いかけ、彼女の前に手を差し出した。

「いつも朝食を運んでくれて、ありがとう。トレイはここで私が預かるわ」

「え……」

 侍女が固まる。その手からトレイがすべり落ちた。「危ない!」と思った時にはもう、熱々のカフェオレがしんじゆうたんにまだら模様のシミを作っていた。

「も、申し訳ございません! お許しを……!」

「それより大丈夫!? はない!?」

 私はあわてて侍女の手を取った。カフェオレがかかってしまったのか、指先が少し赤くなっている。火傷やけどまでいかなくても、ほうっておけない。

「ここはもういいから。すぐに手を冷やして、薬をってちょうだい」

 私の指示に、侍女はなぜか無反応。なんで? まさか何も言えないくらい痛いの?

 心配して見ると、彼女の顔はそうはくを通り越し、紙のように白くなっていた。

「どうしたの? やっぱり手が」

「い、いえ! あの、私はシミきの手配をして参ります!」

 私が手を放した、その一瞬のすきをつき、侍女はだつのごとく部屋を飛び出していった。真昼にゆうれいを見たって、きっとここまでのげ方はしない。急にどうしたんだろう?

 私は首をひねり……ややあって、ポンと手を打った。

 そうだ、今の私はヴィオレッタだった。今までの私なら、ぜんぜんは当たり前。絨毯にシミがついたことをおこって、侍女をせんなぐるくらいのことは平気でしていた。

 いやぁ、実に過激でいやな性格だったわ。前世に幕を引く直前に、「生まれ変わることがあったら、今度こそ好きに生きよう」と思ったよ。それでも、この性格はないわー。

 こうして前世を思い出すまでは考えたこともなかったけど、実は私、あちこちでうらみを買いまくってるんじゃないかな?

 案外、レナルドが王位にいた途端、今までの私に対するうつぷんや不満があちこちで爆発して、私は幽閉されたりしよけいされちゃったりして。……いや、まさかね。私、一応王女だし。

 でも待ってよ! ヴィオレッタの処刑、本当にあるかもしれない!

 私は嫌な予感にき動かされ、再び鏡を見た。

 この悪役顔に見覚えがあると思った時から、みようむなさわぎがしてたのよ。しかも、光のおとを探し出すという国王試験の内容に、どこかで聞いた設定の数々。ここはまさか……、

「ゲームの世界?」

 そう、あれは前世で私が就活につかれていた時のこと。大学の友人が「気分てんかんになるよ」と言って、「グランドールこい革命」というタイトルの乙女ゲームを貸してくれたんだ。

 あのゲームとまったく同じだ。グランドール王国という国名も同じなら、光の乙女をしんこうしている教会が存在する点も、ゲームの設定といつしている。

 この王国で新しく王になる者は、教会が選び教育した「光の乙女」候補の中から、自らの代の「光の乙女」を選び、彼女の手でおうかんさずけられることになっているんだ。

 あのゲームのヒロインは、そんな乙女候補の一人だった。彼女は弱者救済に消極的な教会のあり方に反発して教会を飛び出し、下町で薬局を開く。そこへおしのびでやって来たレナルドたち王子様や、護衛のたちと恋に落ち、様々なイベントに巻き込まれていくのよ。

 中でも最大のイベントは、ラストの革命よね。ヒロインは、王宮を追われた王子様に協力して王位だつかんを目指す。その過程で、彼女は光の力に目覚め……って、ゲームの最後で倒されるラスボスにして悪役王女が私、ヴィオレッタじゃない!

 私は試験で王を目指すものの、レナルドたち兄弟に敗れてしまい、自分を王に選ばなかった父王をさかうらみしてぎやくさつ。王位さんだつの末に兄弟を王宮から追放し、圧政をいたせいで革命を起こされるのよ。しかも、そのさいは処刑にざんさつに暗殺にごくと、実にバラエティに富んでいて、「乙女ゲームのくせに、さんな最期のショールームか!」とつっこみたくなるほどだった。

 せっかく来世に転職した途端、殺されるせんたくしかないなんて、ひどすぎない?

 そんなの絶対に嫌よ!


    ◆◆◆◆◆◆◆


 その日の午後、私は重たい足を引きずり、王宮の西さいよくにある王立図書館へ向かった。

 目的はただ一つ。本を読んで、ゲームのしようさいを思い出すための手がかりを探すのだ。

 ろうを奥へ進んで行くと、突き当たりにじゆうこうな絹張りの扉が現れた。そばにいた衛兵が一礼し、扉を開けてくれる。中に入った私は、思わずかんせいを上げそうになった。

 ここの図書館って、こんなに広くて立派だったっけ?

 同じ王宮内にありながら、ここに来るのは、実は数年ぶりだった。前世を思い出す前の私は、活字を読むとそつこうちするというとくしゆ体質の持ち主だったから。……まぁ、勉強がきらいで、ダンスや人のうわさばなしばかりしていたわけよ。

 でも、前世を思い出した今はちがう。私はき抜けのてんじよう近くまで並んでいるほんだなを見上げ、胸をときめかせていた。読書の何がいいって、知識や感動を得られることはもちろんだけど、本をめくる時の指先の感覚とか、あのちょっとかわいた紙のにおいもすごく好きなんだよね。

 はぁー、やっぱり図書館はいいわー。

 私は本のかおりをむねいつぱいに吸い込もうとして、はたと動きを止めた。

 目が合ってしまったんだ。こちらに向けられた、ものすごくろんげなまなしと。調べ物の最中だったのか、本をかかえたレナルドがしやくぜんとしない様子でこちらを見ていた。

 こうしつぼうの持ち主とでもいうのかな。あわい金色のかみは上品な色合いをしており、ごくじようのエメラルドのような瞳には、十七歳とは思えないほど落ち着いて理知的な光が宿っている。その瞳が今、無言で語っていた。「ヴィオレッタ、君はここで何をしている?」と。

 だんあまり図書館に来ない女が本をながめて「はぁはぁ」している様をもくげきしたら、今の彼みたいにあやしみもするよね。変なところを見せて悪かったかもしれない。でも、ここはスルーするのが大人のゆうだと思う。

 私はコホンとせきばらいをし、レナルドに向けて一礼した。この国の貴婦人らしく、両手でスカートをつまみ、りようひざを軽く折って微笑ほほえみかける。

「ごきげんよう、レナルド。今日もいいお天気ね」

 レナルドの手から、高価そうなかわりの本がどさどさっと落ちた。

 ちょっと! 図書館の本はていねいあつかわなきゃダメでしょう!

 私はけ寄り、ゆかに膝をついて本を拾おうとした。しかし、それらの本は目の前でレナルドにうばわれてしまった。

「自分で拾うからだいじようだ。そもそも君は、おうぎより重たいものは持たない主義だろう?」

 じようだんめかして言っていても、レナルドの目はちっとも笑っていない。

 本を拾おうとしただけで、ここまでけいかいされるってなかなかよ。もっとも、彼と私の今までの関係を思えば、それも仕方のないことかもしれないけど。

 今までの私はワガママざんまいで、本当にひどいことばかりしてたからなぁ……。レナルドみたいにゆうしゆう従兄いとこと対立したって、いいことなんて一つもないのに、何を考えてたんだろう?……いや、何も考えてなかったからこそ、あんないができたのかもしれないけど。

「どうしたんだ、ヴィオレッタ? まだ調子が悪いのか?」

 急にだまり込んだ私をいぶかしく思ったのか、レナルドがまゆを寄せ、聞いてくる。私は立ち上がり、首を横に振った。

「体調はもうすっかり元通りよ。それより昨日は助けてくれて、ありがとう。たおれた私をあなたが部屋まで運んでくれたのよね?」

「別に礼を言われるほどのことじゃない。私は人として当然の行いをしたまでだ」

「ううん、当然じゃないわ。今までの私には、できなかったことだもの」

「……………………」

 あ、まずい。レナルドの不信感がアップした気がする。その目が「君は何を言いたいんだ?」といらっているように見える。だけど、ここで引く気にはなれない。

 私は精一杯の誠実さを込め、レナルドに向かって頭を下げた。

「ヴィオレッタ? 急に何を」

「今までたくさんめいわくをかけて、ごめんなさい。昨日、一人になってから反省したの。私の言動は王女失格だったと。これからは心を入れえ、あなたのようにだれに対しても手を差しべられるかんだいな人間になりたいわ。今後はどうか私とも仲良くしてもらえないかしら?」

「……ああ、王位けいしよう者同士が親しくするのは、国のためにもいいことだ。だが、今日はあいにく時間がない。先に失礼するよ」

 レナルドはぜんとした態度でそう言うと、さつそうと図書館を出て行ってしまった。

 今の提案はやっぱり難しかったか。今までずっと敵対的だった女の態度が急になんしたら、誰だってしんに思うよね。よりにもよって、今日は国王試験が発表された翌日だし。

 失った信用を、これからどうやって回復していこう?

 私はぜんの多難さを思って、ため息をこぼした。その時、クックッと笑う声が耳に届いた。

「ごしゆうしようさまです。レナルド様に完全に振られてしまいましたね」

 うっ、つらい……。胸を押さえ、声のした方を見ると、本棚のかげから、今あまり会いたくない人が現れた。年のころは、まだギリギリ二十代だったと思う。しつこくの髪を後ろで一つに束ね、大学の卒業式で着るような黒いガウンを羽織り、銀縁の眼鏡をかけている。

 彼の名は、スヴェン。最年少で王立学院の博士号を取得した秀才にして、私とレナルド、そしてリアムの家庭教師としてやとわれている学者だ。とはいえ、私とはあまり面識がない。勉強嫌いの私は、いつも彼から逃げ回ってばかりいたからね。

「ヴィオレッタ様が図書館にいらっしゃるとは、おめずらしい。国王試験について、何か質問でもございましたか?」

 スヴェンはがおのままなのに、その青みがかったグレーのひとみには警戒の色がかんで見える。彼と向き合う私も気を引きめた。

 レナルドと同じように、私はスヴェンとも対立したくない。どちらかといえば、彼には勉強を教えてもらいたいくらいで……そうよ! それでいいじゃない!

「ヴィオレッタ様、いかがなさいましたか?」

 急に押し黙った私を心配してか、スヴェンが近づいてくる。私は彼に向かって頭を下げた。

「お願いです、スヴェン先生! この国のことについて、私にいろいろ教えてください!」

「……………………」

 スヴェンは器用にも笑顔のまま、あっけにとられているようだった。今までの私を知っている人なら、そうなる気持ちもわかるよ。だけど、前世を思い出した今はもう違うんだ。

「さっきもレナルドに言いましたが、私は自覚したのです。今までの私が王女としていかに真面目まじめで不勉強であったかを。スヴェン先生には今まで多大なごめいわくをおかけしました。今さら虫のいい話だとわかっていますが、どうかご指導ごべんたつのほど、お願いいたします!」

 私の急な変化をスヴェンはどう受け止めるだろう? 顔を上げ、ドキドキしながら答えを待つ。スヴェンは私の目をじっと見つめ返し、ややあって、わずかにかたをすくめた。

「私でよければ、ヴィオレッタ様のお力になりましょう。そのための家庭教師ですから」

「ありがとうございます!」

 よし、まずは第一関門クリア!

 スヴェンに勉強を教えてもらえれば、効率よくいろんな知識を吸収できるものね。さらに、私が改心したことをアピールできるチャンスも増える。まさに一石二鳥だ。

「ヴィオレッタ様には、少々こちらでお待ちいただけますでしょうか? 本を何冊かつくろってまいりますので」

 スヴェンが私に背を向け、図書館の奥へ消えていく。やがてもどってきた彼の姿を見て、私はちょっとだけこうかいした。なんと彼は台車に山積みの本をせていたんだ。しかも一冊一冊がやたらと分厚く、少しでもしようげきあたえたら、雪崩なだれを起こしそうなほどの量だ。

「スヴェン先生、まさかそれ全部……」

「はい。今のあなたに必要だと思われる、の知識が載った本です。まずはご自身で、これらすべてに目をお通しください」

 実はこの人、私が勉強からげ回っていたことをずっと根に持っていたんじゃないだろうか。それとも、私はここまでしないとまずい頭の出来に思われているとか。……悲しいけど、きっと後者が正解だ。今までの十六年間、本当に勉強してこなかったから。

「今日は実に喜ばしい日です。あのヴィオレッタ様が王国の地理や歴史に加え、内政や外交、たみの生活や文化に至るまで、あらゆるものに興味を示してくださるなんて」

 スヴェンがさらっと勉強内容を増やしつつ、私に微笑みかける。

「昼の間、私は図書館にいます。質問がございましたら、いつでも気軽におしください」

「……ありがとうございます、スヴェン先生。これからもよろしくお願いいたします」

 私のお礼が棒読みになってしまった点は、大目に見てもらいたい。

 私は台車を押して適当な席へ向かうと、そこでわたされた本をかたはしから読んでいくことにした。その姿を、スヴェンはいつまでもかんするようにじっと見守っていた。

関連書籍

  • 破滅の悪役王女ですが救国エンドをお望みです グランドール王国再生録

    破滅の悪役王女ですが救国エンドをお望みです グランドール王国再生録

    麻木琴加/逆木 ルミヲ

    BookWalkerで購入する
  • 破滅の悪役王女ですが救国エンドをお望みです グランドール王国再生録 2

    破滅の悪役王女ですが救国エンドをお望みです グランドール王国再生録 2

    麻木琴加/逆木 ルミヲ

    BookWalkerで購入する
  • 仮面婚約のたしなみ 騎士と淑女のかけもち生活!?

    仮面婚約のたしなみ 騎士と淑女のかけもち生活!?

    麻木琴加/成瀬あけの

    BookWalkerで購入する
Close