時を遡ること三百年前、この地に「光の乙女」と呼ばれる聖女がいた。
乙女はかざした手の先から温かな光を生み出し、病人や怪我人を癒やす力に長けていた。
乙女はその力を貧者のために行使し続けていたが、噂を聞きつけた時の王の手によって、王宮の奥深くに幽閉された。
嘆き悲しむ乙女のもとに、ある日、一人の青年が世話係として現れた。青年は生母の身分が低いため、王宮で日陰者としての暮らしを余儀なくされていた王の実子だった。
孤独な青年と乙女は互いに惹かれ合い、五年の歳月を共に過ごした。
その後、乙女は王宮の外へ出る機会を得た。王が崩御し、王位継承争いが勃発したのである。
荒れゆく国土を見かねた青年は戦を止めるべく奔走した。しかし、その行動を快く思わない異母兄弟たちから無実の罪を着せられ、王宮前の広場で処刑された。
民は青年の死を嘆き悲しんだ。だが、絶望の時は長く続かなかった。乙女の祈りが天に通じ、青年は息を吹き返したのだ。
青年は乙女の助けを得て王位継承争いを制し、乙女の手ずから王冠を授けられた。青年は国名をグランドール王国と改め、その初代国王となったのである。
青年と乙女は民のために尽くし、民も彼らの統治を喜んで受け入れた。
その三十年にも及ぶ治世ののち、乙女が先にこの世を去ることになった。彼女は今際の時に青年をその枕辺に呼んで誓った。
「たとえこの先、何度生まれ変わったとしても、私はこの王国を見守り続ける」と。
乙女の死後、グランドール王国では、王が替わるたびに清き乙女たちの中から光の乙女の生まれ変わりを探すようになった。
戴冠式で乙女が手ずから新王に王冠を授けるしきたりは、この時に生まれたのである。
やがて時は過ぎ、グランドール王国の辺境の地に一人の少女が生まれた。彼女は幼い頃に両親を流行病で亡くし、王都にある教会にその身を預けられた。
少女はまだ知らない。この地で十七人目の王が選ばれる日に、彼女の運命が大きく動くことを。
『グランドール恋革命』より
◆◆◆◆◆◆◆
「今宵は皆、よく集まってくれた。これより、グランドール王国第十七代国王を決める試験について説明する。レナルド、ヴィオレッタ、リアム、覚悟はよいか?」
王が目前に並ぶ三人の王位継承者たちに向け、口を開く。
第一王女のヴィオレッタは父王の顔を見て、はっきりうなずいた。一方、先王の遺児にして彼女の従兄に当たるレナルドは堂々と胸を張り、その弟のリアムは怯えのにじんだ目を前髪の下に隠しながら、続く王の言葉を待っている。
王は居並ぶ三人の顔を一人ずつ丁寧に見回し、玉座の上から重々しい声で告げた。
「これから一年間、おまえたちには『光の乙女』の生まれ変わりを探してもらう。その上で光の力を覚醒させることに成功した者こそ、余は次の王に選ぼう」
言葉にならない動揺が三人の間に走った。いつも不敵なヴィオレッタや冷静沈着なレナルドですら驚愕に目を見開き、気弱なリアムなどは今にも卒倒しそうな様子で震えている。
「試験の内容は以上だ。明日から、皆の努力に期待する」
王はそう言うと、振り返りもせず、三人に先んじて謁見の間を出て行った。
「お父様ったら、とんでもないことを考えてくれたわね」
残された広間の中で最初に口を開いたのはヴィオレッタだった。彼女は燃えるように赤い髪を肩の後ろに振り払い、忌々しげに口の端を歪めて言った。
「光の乙女なんて、所詮は伝説でしょう? 実際は戴冠式のために適度に見栄えがよく、物わかりのいい娘を連れて来てるだけじゃない。光の力を覚醒させるなんて、無理な話よ」
「私も驚いたが、陛下には何かお考えがあるのだろう。私はやるぞ」
そう宣言したのは、レナルドだった。
「近年の度重なる重税や社会の変化に対応しきれず、民は疲弊しきっている。王となって、彼らの負担を少しでも軽くしてやりたい。そうは思わないか?」
レナルドの誠意あふれる発言に、弟のリアムが憧れを含んだ表情で何度もうなずく。ヴィオレッタはそんな従兄弟二人の様子をフッと鼻で嗤った。
「民は生かさず殺さずというのが、政の基本でしょう? あなたたちは王族として今まで何を学んできたの?」
ヴィオレッタにとって、民とは王侯貴族のために尽くす存在だった。従って、その生殺与奪の権利は自分の手の内にあると考えている。彼女は常識を述べたつもりだったが、その発言を聞いたレナルドは表情を険しくした。
「ヴィオレッタ、君にだけは王位を渡さない。君のような人間が玉座に就いたら、この国は滅びてしまうだろう」
「なんですって!? 滅びるって、あなたの方がよっぽど……うっ!」
ヴィオレッタが頭を押さえ、うずくまる。「滅びる」という単語を耳にした瞬間、頭を激しく打ちつけるような衝撃が彼女を襲ったのだ。
「ヴィオレッタ、急にどうしたんだ? 大丈夫か?」
人のいいレナルドが心配して顔を覗き込んでくる。ヴィオレッタは脂汗のにじんだ顔をゆっくり上げ、痛むこめかみを押さえながら答えた。
「ごめんなさい、あなたの言う通りだわ。私も自分が王位に就いたら、破滅一直線だと思う」
「……は? 今なんと言った?」
「だから、私は王になってはいけない人間で……あれ?」
私は我に返り、目をパチパチと瞬かせた。
目の前では、レナルドとリアムの兄弟が唖然とした様子でこちらを見ている。
私も二人と同じように、自分自身の発言に驚いていた。思わず口をついて出たセリフとはいえ、自分が王にふさわしくないと認めてしまうなんて。
もっとも、自分の今までの行いを思えば、死んでも王位に就こうとは思えないけど……え、死んで? ちょっと待って! 死ぬってどういうこと?
全身からサーッと血の気が引いていくのを感じ、私は身震いした。
私は誰?……私はヴィオレッタ・ディル・グランドール。この国の王女よ。
でも、私にはもう一つの名前があった。日野茉莉……それは、私が日本人として生きていた頃の名前だ。
私はあの日、交通事故に遭って……そうだ、茉莉として生きてきた私はあの時に死んだんだ。それから私は一国の王女、ヴィオレッタに生まれ変わって……。
「兄さん、ヴィオレッタはどうしたの?」
困惑した様子のリアムが兄に助けを求める。レナルドは緊張した面持ちで私を見下ろし、静かに断言した。
「国王試験を前にして、過度の緊張に耐えきれなかったのだろう。今、医者を呼んでくる」
「待って、レナルド! 私は」
レナルドの背に向かって手を伸ばした、その瞬間、視界がぐにゃりと歪んで見えた。
何これ!? 目がチカチカして気持ち悪い!
うめく私の脳内に、ヴィオレッタとして生きてきた十六年間の記憶が洪水のように押し寄せてきた。
「おい、大丈夫か!? しっかりしろ!」
レナルドの声が遠くから聞こえる。それを最後に、私の意識は闇に沈んでいった。