◇金魚と他殺志願者 その5
数十分後。自宅へ到着。
「一人暮らしですか?」
「あぁ。『生活力を養え』って、義母さんに言われてさ」
養っても意味ないのに。
「お、お邪魔します」
中に入った浦見は、念入りに屋内を見回しながら、抜き足差し足で浴室の方へ。
「何やってるんだ?」
「安全確認です」
俺の家を何だと思っていやがる。不服だ。
……いや、待て。ここは会って間もない男の家。浦見の立場からすると、不安を覚えるのは当然かもしれない。
不安と言えば。
「時間は大丈夫か? 親御さん、心配するだろ」
「大丈夫です。『友達と遊んでいるから帰るのが遅くなる』と伝えてあります」
「……友達、いるのか?」
「うるさいです」
軽く胸を殴られた。いないんだな。俺の見立ては正しかった。
「タオルは用意するけど、着替えはどうするんだ? 持ってるのか?」
「貸してください」
「うい」
どうしよう。女子用の部屋着なんか無いぞ。あっても問題だけど。
ちなみに、浦見が家に来るのは初めて。
そもそも、女子が家に来るのも初めて。そりゃそうか。
浴槽を洗い、湯を注ぐ。八分もあれば溜まるだろう。
その間に、適当なジャージ一式と色落ちしていないバスタオル、新品のボディタオルを用意。カーテンで仕切られた脱衣所へ向かう。
「着替え、持ってきたぞ」
「ありがとうございます。入っても大丈夫ですよ」
カーテンを開けて脱衣所内に踏み込む。
浦見は既に上着を脱いでいた。
上はピンクのキャミソール一枚。まだスカートを穿いているが、この時点でかなり際どい。
「……ここに置いとくから」
肌着姿を網膜に焼き付けて、備え付けの棚にジャージとタオルを置く。
準備を終えると、浦見が浴室を指さした。
「先に入ってください。脱いでいる所を見られたくないので」
「遅かれ早かれだろ」
「うるさいです」
軽く脛を蹴られた。痛みに苦悶しながら脱衣所へ。
「……五分くらい廊下で待っててくれ。脱いでる所を見られたくない」
「遅かれ早かれでしょう」
「うっせぇ」
一旦、浦見に脱衣所から出てもらう。
手早く服を脱ぎ、腰にバスタオルを巻いて入浴。とりあえず、頭を洗い始めた。
どうして、俺は浦見と風呂に入ろうとしてるんだ? なぜ断らなかった? 馬鹿なのか?
「……入りますよ」
「お、おう。ばっちこい」
浦見の呼びかけに、素っ頓狂な声で応じる。ばっちこいって何だよ。野球部か。
おずおずと扉を開き、浦見が浴室へ入ってきた。
白く細い身体に、バスタオルを巻き付けている。露になった肩と鎖骨がやたら艶めかしい。
辛うじてワンピースのような形にはなっているが、太ももは惜しげもなく晒されている。いつもなら、絶対に見られない不可侵領域。視線が吸い寄せられた。
凝視に耐えかねたのか、浦見は恥ずかしそうに身を捩る。
「ジロジロ見ないでください」
いや見るだろ。不可抗力だろ。
生まれて初めて女子と入浴したことで、二つの新事実を発見した。
発見1。年頃の男女二人が入ると、浴室は結構狭い。
発見2。湯気の中で見る女の子も良い。
「シャワー、貸してください」
「ど、どうぞ」
場所を譲ると、浦見は目の前でシャワーを浴び始めた。
タオルが身体に貼りついて、ボディラインが更にくっきりと浮き上がる。胸こそ無いが、スタイルは抜群だ。
身体が温まったのか、彼女はシャワーを止めて円柱形のバスチェアに腰かけた。普段は浴室の隅で置物と化しているが、初めて役に立った。
「せ、背中を流してください」
言って、バスタオルを腰の辺りまで落とす浦見。俺も彼女の背後にしゃがむ。ちょうど、頭の位置が同じくらいの高さになった。
白く細く、艶やかな後ろ姿。うなじに貼りついた髪が妙に扇情的。
落ち着け俺。心頭滅却すればロリもまたエロし。うん、手遅れっぽい。
邪心を悟られぬよう、細心の注意を払って、浦見の背に優しく触れる。
「んっ」
「へ、変な声出すなよ……」
「へ、変な触り方しないでください」
変人(浦見)から渡されたボディタオルで、背中を丁寧に洗う変人(俺)。
どのくらいの強さで洗うのが正解なんだ? どこまでが背中だ? いつまでやればいい? 疑問が止め処なく溢れてくる。
ふと見やれば、浦見の耳が真っ赤に染まっていた。
「も、もういいです。あとは自分でやります。壁でも見ててください」
「う、うい」
バトン渡しの要領で、ボディタオルを浦見に返した。すぐさま立ち上がり、顏を横へ。
布地と肌の擦れる音が、いやに大きく感じた。
「交代です。座ってください」
「……うい」
おそるおそる振り返ると、浦見はバスタオルで身体を隠していた。残念なような、ホッとしたような、複雑な気持ち。
言われるがまま、バスチェアに腰を下ろす。
「…………………………入れ墨、ですか?」
浦見の声には動揺が滲んでいた。
ついさっきまで、見せるつもりは無かった。浦見だけ風呂に入ればいいと思っていた。
だが、今日、浦見は見せたくない部分を見せた。これでプラマイゼロだろう。
……違うか。まぁいいや。
「義理の父親が彫り師なんだ」
「……暴力団ですか?」
「違う」
小声での問いに即答。客の中にはいるけど。
「こういうの、間近でじっくりと見るのは初めてです」
「だよな」
普段そうそう見られる場所ではないため、妙に恥ずかしい。
「この龍、傷だらけですね」
「……そういうデザイン。っていうことにしてある」
「……なるほど」
浦見の親には、虐待の発覚を恐れる知性があった。
俺の親には無かったものだ。
自分で見ることはほとんど無いが(改めて確認したいとも思わないが)痣と切り傷と火傷の痕が背中を覆っている。
けど、義父は、傷や痣もデザインの一部にしてくれた。そこは、割と本気で感謝している。
「貴方が彫ってくれと頼んだんですか?」
「いや、勝手に彫られた」
「え?」
戸惑いの声を上げる浦見。
俺は当時の記憶と疼きを思い出す。
◇
中学の頃、俺はプールの授業に出席できなかった。勿論、理由は背中の傷。
幸い、虐待の件を考慮して学校側も容認してくれたが、噂は簡単に広まった。
あいつは暴力団の倅で、背中に入れ墨が入っているのだと。
ある日。噂を聞きつけた義父に『傷が目立たないようにしてやる』と言われ、自宅の施術台に寝かされた。ほぼ強制的に。
仕方なく耐えること、二時間。
完成だと言われ、姿見で背中を確認すると、あら不思議。背中に仰々しい龍が出現。
奇しくも、噂は真実となってしまったのだ。
驚愕のあまり言葉を失う俺に、義父は言った。
『いいか? お前は傷があるからプールに入れないんじゃない。入れ墨があるからプールに入れないんだ。勘違いするなよ』
ちなみに、その段階では筋彫りという下書きめいた状態であり、全ての施術が終わるまで更に何倍もの時間と忍耐を要した。
◇
「凄いお
「まぁ、何の予告も無く、養子の背中に龍の入れ墨彫る人間だからな。確かに凄い」
「……そう言われると、果てしなく微妙な気もしますね」
苦笑まじりの評価に、息子の俺も苦笑してしまった。
「お義母さんは、何も言わなかったんですか?」
「めっちゃ怒ってたな。『本人の許可も取らずに彫るなんて、どうかしている』ってさ」
浦見の甲高い笑い声が、狭い浴室に響き渡る。
「龍、好きなんですか?」
「嫌いではない。つうか、それしか彫らないんだよ」
義父はいつも言う。『人は誰しも背中に龍を宿している。自分は、それを目に見えるよう色塗りしているだけだ』と。カックイーね。嘘つけ。
浦見は龍の頭部、つまりは俺の肩甲骨あたりを撫でる。背筋に心地よい寒気が走った。
「これ、私は好きですよ」
「悪趣味だな」
「うるさいです」
この時、俺は湯あたりで適度に気が大きくなっており、前後不覚であり、錯乱状態であり、責任能力が無い状態。
だから、口が滑った。
「……浦見」
「何ですか?」
「愛してる」
意外と照れずに言えた。あまりの恥辱で脳が溶けているのかもしれない。
寸胴で煮こまれた脳味噌を想像しながら、首だけ振り向いて浦見の反応を確認。
夕陽より朱い顔。含羞に揺れる瞳。艶めく唇。
俺が寸胴だとすれば、彼女は瞬間湯沸かし器だろうか。
蚊の鳴くような声で、浦見が呟く。
「……悪趣味ですね」
「うっせぇ」
俺は悪趣味っていうより、露悪趣味だ。ついでに被虐趣味だ。
◇
時刻が午後六時を過ぎた頃。浦見の自宅へ到着した。
本日の総括が言い渡される。
「今日はありがとうございました。デートは合格です」
「あれでいいのか? 水族館に行っただけだぞ?」
「うるさいです。今日はおまけです」
目を逸らし、鼻を鳴らす浦見。
出来れば、最強デートプランもいつかどこかで披露したい。せっかく考えたから。女川が。
「では、失礼します。お疲れ様でした」
「あ、ちょっと待て」
呼び止めると、浦見が首を傾けた。
「これ。要らなかったら捨ててくれ」
酷評に備えて予防線を張り、お土産の入ったナイロン袋から中身を取り出す。
出てきたのは、赤い琉金のぬいぐるみ。らしいが、正直そんなに似ていない。前情報が無ければ、ひれの大きな太った魚にしか見えない。
ぬいぐるみを受け取った浦見は、それを矯めつ眇めつ聞いてくる。
「ひょっとして、水族館で買ったのはこれですか?」
「お土産も買ったけど、そっちはついで」
ちなみに、女川へのお土産には最も安いせんべいを選びました。
「まどろっこしいことをしないでください。アホのくせに」
覚悟はしていたが、酷評。俺なりに頑張ってみたんだけど。
「……けど、ありがとうございます。大切にします」
浦見はぬいぐるみをきゅっと抱きしめた。愛らしい仕草に鼓動が跳ねる。
「……それだけだから。じゃあな」
「ま、待ってください」
慌てた浦見が、周囲を見回す。人がいないか確認している様子。何のために?
奇行は続く。突然、ぬいぐるみの口にキスしたのだ。
「何やってるんだ?」
「黙ってください」
「うい」
いつの間にやら、浦見に強い口調で命令されると、無条件で従う身体になってしまった。
次は何をするつもりか。無言で動向に注目。
彼女は金魚の唇を、俺の右頬に押し付けてきた。
「……お返しです」
顔を伏せて呟いた直後、浦見は踵を返し、小走りで家の中に駆け込んだ。
「……」
リアクションする暇も無かった。呆然と立ち尽くし、金魚にキスされた頬を撫でる。
……これは、ファーストキスにカウントされるのか?
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試し読みは以上です。
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『殺したガールと他殺志願者』
でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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