第一章 5
* 高嶺繭香 *
放課後。私は小森を喫茶店に誘っていた。大事な話がある
これから私は一世一代の大勝負に出る。小森に
厄介なのは夏川の野郎だ。当然とばかりに跡をつけてきやがった。
だがさすがに身バレを気にしてか、離れた席に座ってやがる。
まっ、あれだけ離れてりゃ会話の内容も聞こえねえだろ。
「それで繭姉、大事な話って?」
心なしか緊張した面持ちの小森。
まっ、告白された相手から『大事な話がある』と言われたらこうなるか。
私はさっそく本題に入ることにした。
「実は翔ちゃんにお願いしたいことが……」
「お願いしたいこと?」
「うん。実は私ストーカーの被害にあっているの」
小森の表情が緊張から驚愕に変わる。
「えっ、ええっ!? ストーカーってどういうこと繭姉!?」
「私が転校してきた理由はね――ストーカーから逃げるためなの。だからお願い。私と恋人のフリをしてもらえないかな?」
ぶっちゃけ難しいのはここからだな。小森にとって私はストーカーの被害にあっている女になったわけだ。どえらい爆弾だろう。
こうなると色仕掛けだな。両手を握って、上目遣いでもすりゃ一発だろ。
そんなことを考えていると、
「うん! そういうことならまかしてよ!」
「はっ?」
想定外の即答におもわず素が飛び出してしまう私。
その様子にどこか不思議な表情をしてみせる小森。
いやいやいや、意味不明なのはこっちだっての。お前ちゃんと意味分かってんのか?
「えっ……いいの?」
「そんなの当然じゃん! だって一番苦しんでいるのは繭姉なんでしょ? むしろ僕で良ければ大歓迎だよ! それに許せないじゃん。ストーカーって立派な犯罪なんだよ?」
いや、犯罪行為だからこそ自分にも危害が及ぶかも、とか考えるだろ普通。
なに即答してんだよ。いや本当ちょっと待て……こんな、こんな返事一つで――。
むろんこの程度で小森に惚れたりはしねえが……。
だがまあなんだ。違う意味でも夏川に渡したくねえと思っちまった自分がいることは認めてやるよ。
* 夏川雫 *
少し席を離れ過ぎたかしら? 翔太くんたちの会話が全然聞こえないじゃない。
高嶺さんの大事な話が気になって仕方がなかった私は性懲りもなく彼女たちを尾行してしまう。
転校初日にも跡をつけてしまったし……これってもう立派なストーカーよね?
本当に私は何をしているのかしら? 翔太くんに惚れてしまってからというもの自分の言動が信じられないわ。
けど居ても立っても居られないんだから仕方ないじゃない。
なんて不満を抱きながら彼らの様子を注意深く見守る。
断片的な会話だけでも聞き取ろうと耳を大きくするのだけれど……。
あーもう! 全然聞こえないじゃない!
かと言ってこれ以上近づいたら私が跡をつけて盗み聞きしているのがバレちゃうし……。
諦めるべき状況の中、私は必死に頭をフル回転させる。
どうにかして翔太くんたちの会話を聞き取る方法はないかしら。
良案を模索していると、彼らのテーブルに飲み物を届けるウェイトレスが目に入る。
――見つけた!
「あの……少しいいかしら?」
「はい。どうされましたか」
ついさっき翔太くんの席に立ち寄ったウェイトレスを捕まえる。
歳は私よりも三、四歳上の女子大生といったところかしら。
彼女から情報を引き出すためには――、
「――あの、さっきあそこのテーブルに飲み物を届けていたわよね?」
「……それがどうかされましたか? あっ、もしかしてお客様のお飲み物でしたか?」
違うわよ。
「いえそうじゃないの。それより彼らがどんな会話をしていたのか教えて欲しいのよ」
「はいっ?」
予想通り怪訝な表情になるウェイトレス。私は構わず続ける。
「実はその……彼は私のこっ、恋人なのよ。なのにほら。ああして別の女と二人きりじゃない? 一体何を話しているのか気になるのよ」
「あぁ……そういうこと」
同じ女性ということもあり、私の意図をくみ取った様子を見せる。
敬語を忘れていることが何よりの証拠ね。
やがてウェイトレスは翔太くんを流し見たあと、そっと耳打ちするように、
「本当はプライバシーのこともあるからこういうことは言っちゃダメなんだけど――特別に、ね。私も詳しいことは分からないけど、ストーカーが許せないから付き合おうとか、なんとか。もしかして彼、浮気しようとしてるんじゃない?」
「えっ……?」
私はウェイトレスの言葉を耳にするや否や、目の前が真っ暗になった。
それはもう真っ黒に。
だってストーカーって……私のことよね!? えっ、えっ、嘘!?
まさかこうしてストーキングしていることがバレているってこと!? しかもそれを許せないから付き合おうって……それってもう完璧に――。
私が呆然としている間も話しかけてくるウェイトレス。
正直彼女の言葉など耳に入ってこなかった。
だって私は人生で初めて失恋してしまったんだから。
* 小森翔太 *
繭姉のフェイクをするようになってから三日。僕は夏川さんの異変が気になっていた。
今日も体調不良で休み、か……。どうしたんだろ。重たい病気とかじゃなきゃいいけど。
「小森。悪いが進路票を夏川に届けてもらえるか。このあと職員会議があってな。手が離せないんだよ」
「えっ、あっ、はい……」
担任の先生から雑用をお願いされる僕。
まっ、うちのクラスで帰宅部は僕ぐらいだし、夏川さんの家も遠いわけじゃない。
フェイクをしていた三ヶ月間に何度か送らせてもらったし、住所も知っている。
えっと、やっぱりこういうときお見舞いに果物でも買って行った方がいいよね?
* 高嶺繭香 *
チッ。せっかく小森と偽装カップルになったってのに、三日も体調不良で休むとか、どんだけタイミング悪いんだよ!
イチャついて(もちろん演技だが)精神攻撃を食らわせるつもりだったのに……とんだ肩すかしだっての。
いや、それとも逆に私たちの関係を勘付かれたか?
だとしたらここ最近休みが続いている理由にも納得がいく。
意中の相手が別の女とイチャついているところをわざわざ見に行くバカはいねえからな。
仕方ねえ。あとで小森に夏川の様子を聞いておくか。
「私は部活があるからお見舞いに行けないけど後で夏川さんの様子を教えてね翔ちゃん」
* 砂川健吾 *
放課後。俺は二人の女から連絡をもらっていた。一人は姉だ。
しかもメールの文面が、
『生きる意味を見出せない』『死にたい』『終わった……』なんて物騒なものばかり。
おいおいおい……一体全体どうしたってんだ。
あの姉がメンヘラの構ってちゃんになってやがるじゃねえか。
混乱する俺をよそに最新のメッセージが届く。
『翔太くんに振られた』
……ああ。そういうこと。だから死にたい――って、ええっ!?
振られた!? あの美人な姉が!? ありえねえだろ!
家族の贔屓目を抜きにしても夏川雫のクオリティは激高だぜ?
ぶっちゃけ小森にはもったいねえレベルの美少女だ!
にも拘わらず、振られただぁっ!? アホかっ!
一体誰がそんなバカげた話を信じられるってんだ!
俺は叫びそうになる気持ちをグッとこらえてメッセージを返信する。
『今から家に行くから変な気を起こすんじゃねえぞ!』
『大丈夫よ。健吾と翔太くんを殺して私は仕事に生きるから』
変な気を起こしてんじゃねえか!? というかやっぱり俺と小森が殺されるのかよ!?
おめえが死ねよ! いや、もちろん死ぬのはダメなんだが……ああっ、もう!
俺は連絡をもらっていたもう一人の女、泉天使のメッセージを確認する。
『健吾さん、一緒に下校しませんか?』
天使は俺が付き合っている彼女だ。どうやら今日も下校を誘ってくれたようだ。
クソッ。一緒に帰りてえ、一緒に帰りてえんだが……。
俺は泣く泣く泉との下校を諦めて姉が住むアパートに駆けつけることにした。
『悪い。急用があって今日は一緒に帰れねえ。また明日な』
この選択が予想を遥かに超えた展開を招く原因になるわけだが……もちろんこのとき俺が知る由もなかった。
* 夏川雫 *
「うわああああぁぁーんっ! 別れたくない、離れたくないよぉっ!」
健吾が到着するや否や、すがりつくように抱きつく私。
気の許せる弟を目にした途端、張っていた糸が切れたように感情が溢れ出してくる。
気が付けば私はパジャマ姿で泣いていた。
この光景が他人の目にどう映るかなんて気にする余裕は全然なくて。
私はただただ感情を弟にぶつけていた。
* 砂川健吾 *
「わかった、わかったから! ちゃんと考えるから! もう一度考えてやるから! だから泣くなって!」
姉さんの家に着くや否や俺は困惑していた。
おっ、おい……泣き喚くなら家の中にしろって! 公衆の面前だぞ?
鼻水もこんなに垂らして……って、制服に顔をなすりつけるんじゃねえよ! びしょびしょになるだろうが!
本当は文句の一つも言ってやりてえが、姉の変わり果てた姿にその気が削がれちまう。
……はぁ、仕方ねえな。
ついこの前まで明鏡止水を体現した女がここまで変われるもんかね。
心底小森に惚れちまった証拠だな。
まっ、俺も彼女がいる身だ。異性を好きになる気持ちは理解がある方だ。
なんにせよ恋愛経験がない姉のことだ。今回も勝手な思い込みなんだろ?
ったく、ほんと世話が焼けるぜ。
まっ、任してとけって。誤解を解くためにちゃんと考えてやるからさ。
* 小森翔太 *
うわあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!
修羅場だ! 修羅場だよね!? よりによって最悪のタイミングで来ちゃったよ!!
ええっ!?
アパートに到着すると夏川さんが慟哭しながらイケメンにすがりついていた。
しかも彼女の口から「別れたくない、離れたくないよぉっ!」ときた。
いくら僕が恋愛に無縁の非モテ野郎だからってこの状況が意味するところぐらいは理解できる。
間違いない。痴情のもつれだ!
ジッちゃんの名にかけて推理する僕。脳に電撃が走ったような描写がお似合いだ。
全てを理解した僕は「真実はいつも一つ!」と内心で叫ばせてもらっていた。
なるほど。急に学校に来なくなったのはこれが原因だったんだね。
端的に言えば夏川さんは彼氏から別れを告げられていたんだ。
それが悲しくて登校できなかったんじゃないかな? 心なしか頬が痩せこけているもん。
そっか……そういうことだったんだ……。
フェイクとはいえ一応僕も夏川さんの恋人になった身。
あの三ヶ月でクラスのみんなが知らないような一面だってたくさん見てきた。
意外と可愛いものが好きだったりする夏川さんはやっぱり《氷殺姫》なんかじゃなくて。
当然だけど一人の女の子なんだ。だからこそ僕は彼女の幸せを心から願っていて。
夏川さんの彼氏も「もう一度考えてやるから!」って言っていたけど……本当に真剣に考えて欲しいな。
好きな人との別れをあれだけ悲しむことができる女の子なんだから。
僕は祈りながら踵を返すことにした。進路票はポストに入れておけば大丈夫だよね?
複雑な心境のまま来た道を戻ろうとした瞬間。
「えっ? どういう……こと、ですか? 健吾さん」
そこにはさっきまでの僕と同じように頭の整理が追いついていない女の子がいた。
外見はお人形さんみたい――というのが僕の素直な感想。
黄金の川を想起させる金髪は魂を奪われるほど美しい。
あれ、ちょっと待って。あの制服ってたしか夏川さんの彼氏と同じ高校じゃ……?
僕がそんなことを考えている間にもその女子生徒は絶望と失望の入り混じった目で修羅場を眺めていた。手からバッグが滑り落ちる。
ええっと……これってもしかして、もしかするんじゃない?
本能が危険を察知した僕はこっそりと彼女の横を通り過ぎ去ろうとしたのだけれど、
「あの……ごめんなさい。少しだけお茶しませんか?」
僕はその女の子に腕を掴まれながら逆ナンされていた。
本当なら嬉しい場面のはずなんだけれど、僕はただ恐怖に打ち震えていた。
だって、表面上は笑顔なのに目の奥が一切笑っていなかったんだから。
――これは後になって分かることだけど彼女の名前は泉天使さん。
夏川さんの彼氏の彼女さんらしい……ん? んんっ!?
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