一話 雨と幼馴染 3

 昨日、女子高生と相合傘をするという大事件が起きた。

 俺は二十四歳だから、勿論未成年のなのとそういう関係になるわけにはいかない。そんな状況下で女子高生との相合傘ってのは心臓に悪く、周りの人間に通報されないだろうかと、ドキドキが止まらなかった。

 傘に入れてもらっている立場なので、小さな傘からはみ出るという役目は俺が引き受けたからだろうか、今日は凄く熱っぽい。

 仕事中に倒れて、上司に帰れと言われてしまった。

 俺はまだ全然働けたと言うのに……。

 そうして、不本意ながら家でゆっくり寝ていたわけだが。

「なんでいるんだ」

 いつのまにか俺の寝室にまで侵入してきたなのに言う。

 学校はどうした、って意味で言ったんだが。時計を見ると夕方四時を回っていたから、もういてもおかしくはないのか。いや普通に侵入していることに疑問を持てよ俺。

「んー、そんなのいっつもじゃーん」

「今日は熱あるんだ、うつるから帰れ」

 もしなのにうつったら、こいつは高校生の一人暮らしだから、誰も見てくれる人間がいなくなってしまう。

 俺は仕事だし、親御さんも来ているところを見たことがない。なの曰く偶に来ているらしいけど。

 だから、こいつに風邪をうつすわけにはいかない。

「やーだよーん。ねぇねぇご飯作ってもいいー? 買い物行くの面倒で食材ないんだよね~」

 ここは実家か。

「作っていいから、食べたら帰れよ。本当にうつっちまうだろ」

「はーいはい」

 台所から声がする。頭が揺れて、自分が今どこに寝ているのかもわからないほどに視界がグラつく。

 これは……やばい。

 水道の流れる音、換気扇の音、まな板に包丁が当たる音、なのが出す音が全て揺れる。

 上下左右の感覚がごっちゃになって、目を開けると酔ってしまう。

 そんな状態と数分闘っていると、ドタドタと足音が聞こえて。

「ちょっとお兄さん大丈夫? 凄い赤いし熱いよ。体温計どこにあるの?」

「ない」

 昔から体調を崩すことが少なかったから、体温計はほとんど使ったことがなかった。

 馬鹿は風邪をひかないというが、馬鹿は風邪をひいたことに気がつかないらしい。つまり今俺は、自分が風邪だと認識できているから馬鹿ではない。俺は馬鹿ではなく、単純に身体が強いだけだ。

「ないってどういうこと? なんでないの? 体温計だよ?」

「ない」

「もういい、じゃあおでこで測るね」

 言って、なのの顔が近づく。

 揺れる視界でもわかる。これは……。

「ちょ、何やってんだ。おでこで測るってそういうことかよ。やめろやめろ」

 体温が上がる。だって俺たちの距離は凄く近くて、今にも唇が当たってしまいそうだったから。

 なのは俺のおでこと、自分のおでこをくっつけようとしていた。

 この行動はただの天然なのか、俺を揶揄からかおうとしたのか、多分後者だろう。

 この状況でも揶揄からかうなんて鬼かよこいつ。

「え、なんで。普通じゃんこれくらい。もしかしてお兄さん、童貞?」

「はっ!? ち、ちげーよ やりまくりだこの野郎」

「……やりまくりなんだ」

「ひくな! やめろ! 冗談だ!」

 本当になのといるとペースが狂う。

 熱だってのに、心が落ち着かない。落ち着かせなきゃいけないのに、こいつの行動の全てが、それを許してくれない。

「とりあえずこれ、お粥さん作ったから食べなよ」

 なのが差し出してきたお粥からは、温かそうな湯気が出ていて、何故かそれを見ると、母さんが作ってくれたお粥を思い出した。

「ありがとう。でももう本当に帰れ。明日も学校だろ、熱出たら大変だ」

「お兄さんが食べ終わったら帰るよ。一人で食べれないでしょ?」

「アホか、俺を何歳だと思ってる。これくらい一人で……」

 揺らぐのは視界だけではなくて、レンゲは俺の震える手から落ち、まともに握れない。

 そのレンゲを拾い上げて、小さく溜息をついたなのが、新しいレンゲを持ってくる。

 レンゲですくい上げたお粥に息を吹きかけて、舌先で温度を確認した。

「おい」

「ほら口開けて」

「まて、それは流石に、おい。あっ……む」

 間接キスじゃないか。まただ。

 こいつは無意識にしているのだろうが、俺が気にしないわけがない。

 余計に心拍数が上がり、まともになのを見れない。

 でもなのは……。

 確認するために、なのに視線を向ける。

「ど、どうしたの? ほら、まだあるよ」

 赤い。下手をしたら俺より赤い。

 もしかして……なのは……。

「お前、大丈夫か? うつったんじゃねぇか? 顔赤いぞ」

「別にうつってないから! なんでそうなるの!? ほんっとお兄さんって馬鹿!」

「馬鹿…………?」

 そしてまた、舌先で温度を確かめてから、お粥を俺の口に運んだ。

 それを何度も何度も、繰り返して。

「ご馳走さま。美味かった、ありがとう」

「素直でよろしい。じゃあ寝てなよ、私はこれ洗ってから帰るから」

「すまんな、ありがとう」

 なのに甘えて、俺は布団に潜り込んだ。

 布団の中で、実家で母さんに看病してもらってたことを思い出していた。

 そういえば、母さんも熱を測る時は体温計は使わず、おでこに手を当ててきたな。

 自分のと照らし合わせるように、お互いのおでこに手を当てていた。

 お粥もいつも食べさせてくれた。

 俺はいいって言ってるのに、病人は黙ってろって言って、無理矢理口に放り込んできてたよな。

 そんなことを考えて、気付けば俺は、浅い眠りの中にいて。

「いいじゃん、測らせてくれてもさっ……けち」

 誰の声だろうか、これは夢の中なのだろうか、揺らぐ視界の中に、優しかった母さんと同じような気配を感じて、俺は動けずに。

 おでこに何かが当たるような感触があったことはわかる。でもそれが何で、誰であったのかなんてこと、誰も見ていないから、わからない。

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