第二章 吸血鬼はネット通販がお好き 4

 その後は何事も無く退勤の時間になり、早朝のスタッフへの引継ぎでは問題の警察関連ポスター以外には何もなかったため、むらおかを可能な限り寝かせてやってほしいと申し送りだけして店を出た。

「こっちはこっちで解決しなきゃいけない問題が山積みだからな」

 画面にひびが入って見づらくなったスリムフォンの画面を必死に操作しながら、近隣の夜までやっている不動産屋を検索する。

 結果いくつもの大手不動産の店舗がひっかかり、豊富な選択肢にほっと胸をなでおろした。

 アイリスが部屋を借りるまでの手続きくらいは一緒にやってやらないと、何かのトラブルで舞い戻ってくるかもしれないからだ。

 舞い戻るだけならともかく、彼女の背後にいる面倒な組織と必要以上に関わりたくない。

 そんなことを考えながらやがてマンションにたどり着くと、むらおか家と違って部屋の照明が光っている。

 恐らくアイリスが早速、紅茶を淹れているのだろうが、こんな時間に起きて紅茶を飲んでいるということは、アイリスは寝る気がないのだろうか。

 仕事で疲れた頭でそんなことを考えながら、とらはマンションのロビーから共用廊下に入り、自室の鍵をひねろうとして、

「おいおい、何やってんだよ不用心な」

 指先に伝わってくる手ごたえから、鍵が開いていることに気付く。

「ただいま、おいアイリス。帰ったら鍵かけろよ。不用心だ……」

「おお、帰ったか」

 とらの文句に対する返事は、老人の声をしていた。

「……っ!」

 ふるい蛍光灯の灯ったダイニングのテーブルから、昨夜、とらのレジからタバコを買っていった老人の鋭い目が、とらを無表情に睨んでいた。

 老人の前には、湯気を立てた紅茶があり、紅茶とテーブルを挟んで老人の対面に座っているアイリスは、

「ユ……ユ……ユラ……お、おっ……おっ、おかっ……おきゃっ……!」

 軽く小突いたら粉々に砕け散るのではないかと思うほど、ガチガチに緊張して冷や汗を流し、涙目で助けを求めるような顔でとらを見ていた。

「いやあすまんな。どうせついでだと思って無遠慮に上がり込んでしまったんだ。人が悪いな。お客がいるなら言ってくれればよかったのに」

 老人はしゃあしゃあとそう言い、

「……いや、まさか昨日の今日で来るとは思わなかったから」

 とらは端切れ悪くぼそぼそと返事する。

「いやいや驚いたぞ。まさか外国人のお嬢さんを連れ込んでいるとはな。それとも、実は日本の人か?」

「い……いえっ…………あっ、あのっ」

「言葉は使わないと錆び付くな。昔取ったきねづかで英語で話しかけてみたんだが、お嬢さんには何を言ってるか分からなかったようでな」

 英語が通じなかった理由は全く別のところにあるのだが、それを言っても仕方がない。

「さあこちらのお嬢さんを紹介してくれ」

「こんな早朝に押しかけてきといて、図々しいな。家で寝てろよ」

 とらは渋い顔をして老人を睨む。

「他人ならともかく、家族だろう」

「家族だろうと、時間を考えろ。年取って目覚めが早くなりやがって、こっちはこれから寝るってのに」

「…………あ……えっ…………か、か、家族?」

 とらと老人の双方から『家族』という言葉が出て、アイリスの緊張が僅かに和らいだ。

「ああ。このジジイは俺の家族だ。だからまぁ……難しいとは思うが、少し落ち着いてくれ」

 とらは着ていたコートを適当に放り出しながら、老人をアイリスに紹介する。

「ご、ご、ごめっ……なさっ……わ、わたし……し、し、失礼……を」

「こいつはアイリス。事情があって泊めてやってるだけだ。それと実は重度の人見知りだ。日本語は分かるけど、そこらへん考慮してやってくれ」

「ほう、そうかそうか。それじゃあいきなり見知らぬジジイが鍵開けて押しかけてきたら驚いただろうな。悪いことをした」

 老人が大きな声でそう言う度にアイリスはびくりと肩を震わせる。

「年取って耳遠くなってから声がでかいんだ。あんまビビんな」

「う、う、うん……」

「ワシはらくとららくという。見ての通りのジジイだ。がいつも世話になっとる!」

「い、い、いえ」

「こいつの一人暮らしが心配でな。たまーにこうして様子を見に来とるんだが、何せこいつも言った通り老人は朝が早くてな。こいつはこいつで昼夜逆転した生活しとるし、なかなか機会がないからつい朝早いと分かってても押しかけてしまったんだ」

「そ、そ、そ、そうで、すすすか」

「まさかこいつが女性を連れこんどるとは思いもせなんでな、大層驚いただろう。この通り、申し訳ない」

「い、い、い、いえ」

「そうならそうと店で言ってくれればよかったのに、こいつめ」

「うるせぇ、言ったら変な誤解するだろうが。こちとらもうさんざんな目に遭ってきてんだ」

「バイト先でからかわれまくった後か」

「分かってんならこれ以上余計なこと言うなよ」

「ふむ。そうか。しかしまぁ」

 らくと名乗った老人は、ちらりとアイリスを眼鏡の奥から見る。

 老人特有の、変化に乏しいその視線から逃げるようにアイリスは下を向いた。

「そこまで男が苦手でも、この部屋に泊まれるというのは、とは他の人からは違う何かを感じ取ったということかの」

「……」

「おい」

「いや、何でもない。さて、顔も見たことだし、そろそろおいとまするかの。お嬢さん、頑張って紅茶を淹れてくれてありがとう」

「あ!? もう帰るのかよ! 何しにきたんだよ!」

「話はあるが、急ぎじゃない。お嬢さんを疲れさせてしまうのも本意ではないからな、また落ち着いたときにな」

 らく老人は紅茶を一気に飲み干すと、軽く手刀を切って立ち上がった。

 よく見るとコートとマフラーを身に着けたままだ。

「それじゃあ、お邪魔さま」

 恐らく部屋に入ってそれだけは脱いだのだろう。テーブルの隅にある中折れ帽を手に取ったらく老人は、胸に帽子を当ててアイリスに一礼すると、部屋を出て行った。

 扉が閉まる音を聞いて、アイリスの全身から緊張が抜ける。

「……ご、ごめんなさい、ユラ。私……折角、お祖父様が尋ねていらしたのに……」

「いや……」

「身近な人なんだろうってことは分かったんだけど……やっぱり……でも、ユラ」

「ん?」

「お祖父様は、人間よね」

「ああ」

「あなたが、吸血鬼だってことは」

「知ってるよ。客用の布団も歯ブラシも、普段はあのジジイが使うんだ」

「ユラ、それじゃああなた、生粋の吸血鬼じゃ……」

 らく老人が人間で、とらが吸血鬼なら、当然その結論にはたどり着くだろう。

 とらは、昨夜、自分の来歴を話さなかった。

 知られて困ることでもないが、特別言いたいことでもなかったため、話さなかっただけだ。

「俺、ちょっと見送りしてくる。日の出までまだ三十分はあるから」

「……ええ、ごめんなさい。本当に、その、お祖父様によろしく……」

 息切れしているアイリスの背を叩いて落ち着かせると、とらは放り出したコートを再び羽織り、らく老人を追った。

 そして。

 らく老人は、まるでとらが飛び出してくるのを分かっていたように、マンションを出てすぐの小道でタバコをふかしていた。

「おいおい、豊島区は路上喫煙禁止だぞ」

「吸いたくもなる。流石に驚いた」

「悪かったよ。今日には追い出すつもりだった」

「いいのか? 事情を理解してくれてるんだろう?」

 やはり、らく老人は、アイリスがとらの正体を知っていることを察していたようだ。

 とらは、小さく首を横に振る。

「俺が吸血鬼だってことを知った人間はこれまでも大勢いた。それだけで、事情を理解したってことにはならない」

「俺の反対を押し切って一人暮らしを始めてもう十年か? それくらい、別に文句を言うつもりもないし、事情を理解して深く関わってくれる人間がいるのは悪いことじゃない。試してみてもいいだろう?」

 老人は深く煙を吸い込むと、ポケットから携帯灰皿を取り出し、吸い殻を懐にしまった。

「一人暮らしの理由は話したし、納得してくれただろ。でも、それとこれとは別だ」

「こっちは心配なんだ。年を取ればとるほど達観してこの世に未練が無くなるというが、ありゃあ嘘だな。年を取れば取るほど、心配事は増えるし心残りも増える」

 老人の眼鏡は、白み始めた空の雲を写し、寂しげに光った。

 とらはそんな老人の横顔を、労わるように言う。

「お前は精一杯やってくれてるよ、らく

「成果が出なきゃ、何もできてないのと一緒さ、兄貴」

 若く見積もっても七十を超えているらく老人は、どれだけ贔屓目に見ても二十歳前後にしか見えないとらに向かって『兄貴』と呼んだ。

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