第一章 カトウ、異世界転移する 3
全身泥だらけの状態でカトウが小屋に帰ってくると、何やらドタバタといった音が奥の方から聞こえてきた。
何事かと様子を窺うと、どうやらユミナはまだ料理の途中だったらしく、片手に包丁を持ち、一人台所に佇んでいた。
しかし、その表情に注目して頂きたい。
ユミナの表情、それはまさに無であった。
かつてこれ程までに無を表現出来た者がいただろうかと思える程の無の表情で、ユミナは台所に立っていた。
ユミナの視線の先を辿ると、何やら黒い塊が、皿の上に置かれている。
「何これ?」
カトウはウェットティッシュで手を拭きながら、泥だらけの服から新しい服に着替え、ユミナにそう尋ねる。
すると――
「…………申し訳ございません。実は私、料理とかあまりしないタイプでして……その、何と言いますか、主様のご期待には、応えられなかったようです……」
死んだ魚のような目で「これは捨てておきますね……」と、ユミナは皿の上にある黒い塊を捨てようとする。
しかしその瞬間、カトウはブチ切れた。
「はあああああああああああああああああああああ!?!??!?」
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!?!!」
「馬鹿野郎ッ! 料理が有り得ないぐらい下手クソなヒロインが主人公の為に意味不明なまでに全部の指にバンソーコー巻くくらい頑張って作ってくれた料理に対する冒涜みたいな黒い炭を主人公が顔色一つ変えずに食べるっていう定番的シチュエーションを俺から奪う気か!?」
「何言ってるの!?」
「いいからその炭をよこせ!」
「ああ! 炭って言いました!? これハンバーグなのに!」
「これハンバーグなの!? 炭じゃないの!?」
「ハンバーグですよ!」
どうやらハンバーグだったらしい。
やっぱ異世界ってすげえな。
などと思いつつ、カトウは渋るユミナから炭を受け取った。
カトウはそのまま椅子に座り、鬼気迫る表情でフォークを掴む。
それはまさに、聖戦へと赴く勇者そのものであった。
「……死なないでくださいね」
ユミナが何やら不穏な事を言っているが、カトウは止まらない。
カトウにとってこれは、夢にまで見たシチュエーションなのだ。
止まるわけにはいかなかった。
カトウは喉を鳴らし、まずは一口目を食べる。
――ゴリ。
料理から出てはいけない音が、カトウの口の中で響いた。
舌がひりひりと痛む。
漫画などでよくあるような、見た目は悪いが、味はまあまあ悪くない。
などといった、そんな幻想を少しでも抱き、多めに口に入れたのがいけなかったのかもしれない。
身体が拒否反応を起こし、痙攣が止まらない。
カトウは身の危険を感じ、炭を皿の上に戻した。
そして同時に、カトウは自分の不甲斐なさを、これでもかと痛感した。
「クソッ! どうして俺は! 前もって味覚を殺してこなかったんだッ!」
「殺さないで!?」
カトウは涙を流し、自分の甘さを嘆いた。
多少不味くても、飲み込んでしまえばこちらのものだと思っていた。
だがそれは無理だ。
喉を通らないのだ。
それ程までに、この料理は常軌を逸している。
おそらく、世の中のイケメンハーレム主人公たちは、こういった事態に備え、前もって味覚を殺しているのだろう。
舐めていた。
正直言ってカトウはイケメンハーレム主人公たちを舐めていた。
あいつらはただ、チートで美少女たちとイチャイチャしているわけじゃなかったのだ。
――命がけなのだ。
たかだか好感度が少し上がるだけにすぎないイベントの為に、彼らは五感の一つを捨てていたのだ。
味覚を失うまでの葛藤をおくびにもださず、彼らは孤独に打ち勝ってきたのだ。
恐るべき、モテへの執着である。
料理を粗末にしてはいけないと、母から強く教えられていたカトウだったが、今回ばかりは許して欲しい。
世界で一番食べ物を捨てる国が、日本なのもどうか許してほしい。
カトウは虚ろな目をしながら、フォークをテーブルに置いた。
カトウ、異世界での初めての敗北であった。